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『FMリクエストアワー』(エフエムリクエストアワー)は、NHK-FM放送で放送された音楽番組。放送当時はFリク(エフリク)、一部の局ではステリクの愛称で親しまれた[1]。
NHK-FM開局初期の頃からある番組で、元々クラシック音楽番組であったが、東京局以外の地方局は、NHK-FMで数少ない都道府県単位差し替えの[注釈 1]企画ネット番組へ移行[1]。
放送は毎週土曜日、開始初期から1969年2月22日までは17時~19時。同年3月1日~4月5日は16時~18時。同年4月12日~1972年4月1日は15時から17時。1972年4月8日~放送末期は、15時台(15:10、15:05、15:00)から18時の約3時間のワイド番組へと移行する。
NHK-FM放送の場合は、NHKラジオ第1放送(中波)とは違い、全国各都道府県や、北海道では更に支庁単位で放送局・中継局があるため、広域放送の地域である関東地方・東海3県・近畿地方でも都道府県別、北海道は支庁単位(札幌、函館、旭川、帯広、釧路、北見、室蘭)、福岡県は北九州放送局と福岡放送局で、最大で54もの個別の番組が同時刻に放送されていた。
したがってスピルオーバーにより、複数の都道府県のNHK-FM局が聞ける地域に住む者にとっては、同時刻に多数の番組から選択する事が可能で、民放FM多局化以前の時代には、貴重な存在であった。
開局当初、東京以外モノラル放送であったローカル番組も、1975年10月から各地方局のローカル番組もステレオで放送される様に工事がなされ[2]、1977年11月11日には全国のFM放送でのこの工事が完了。これにより、地方局の当番組もステレオで楽しめるようになった。このローカル番組のステレオ化は、FMローカル番組が盛り上がるきっかけとなった。
内容は局によってバラエティに富んでおり、東京のように1984年3月までクラシック音楽しか受け付けていなかった局もあれば、担当アナウンサーの趣味全開で偏ったジャンルのリクエストが採用され、アイドルの楽曲を受け付けないとか、浦和放送局(当時)と千葉放送局の罵倒合戦など、NHKらしからぬ破天荒な放送をする局もあった。
放送の形態は、スタジオでリスナーから寄せられたリクエスト音楽をかけるだけのやり方や、市民を局舎内のオープンスタジオやイベント会場に招いた公開生放送の形式を採り、リクエスト音楽だけでなく、ゲストとして招いた歌手や音楽家の生演奏などがあった 。公開生放送である場合は、事前のはがき申し込みの抽選で選ばれた人を招いたり、先着順の自由参加だったりというやり方が混在していた。
なお土曜日が国民の祝日やゴールデンウィーク・お盆・年末年始と重なった場合はローカル放送とはせずに東京発の全国共通番組にしたこともあった。
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この番組は、ほぼ全都道府県の放送局で「FMリクエストアワー」のタイトルだったが、地域によっては、下記の局名の後の「」内のように「各局のコールサイン+リクエストアワー」や、独自の物が付けられていた。
DJは、NHK所属の各局のアナウンサーと、その地方で公募によりオーディションで選ばれた地元一般人の女性アシスタントの組み合わせで行なわれた事が多かった。主な業務が、ローカルニュースの原稿読み等である地方局のアナウンサーの、貴重なフリートークが聞ける番組であり、普段見せない個性が垣間見られる時間であった。
新人女性アナウンサーの登竜門的な番組でもあり、まだ無名の新人時代、アシスタントに就いていた者も多い。また学生時代にこの番組のアシスタント出演をきっかけとし、その後アナウンサーや歌手他として活躍する者を多く輩出した。
テーマ曲
DJ
テーマ曲
DJ
1991年より札幌局へのブロック化により終了。
1991年より札幌局へのブロック化により終了。
1991年より札幌局へのブロック化により終了。
テーマ曲
DJ
1991年4月より札幌局へのブロック化により終了。
テーマ曲
DJ
1991年より札幌局へのブロック化により終了
テーマ曲はポール・モーリア「愛は夢の中に」[4]
1991年より札幌局へのブロック化により終了。
テーマ曲はリー・リトナー「フライ・バイ・ナイト」[4] 総合テレビ、平日午前の自局の生活情報番組「テレビ伝言板」に於いて、毎週金曜日放送内で、「FMリクエストアワー」の予告が伝えられていた。
テーマ曲は大野雄二「恋はサンパウロ」[4]
1972年 NSPのデモテープが彼らの地元・岩手のFMリクエストアワーで放送され、反響を呼び11週間連続1位に。この直後、第5回ヤマハポピュラーソングコンテストで入賞。[15]
1977年4月、岩渕まことからDJを引き継いださとう宗幸が番組内のコーナーでリスナーから寄せられた詩に曲をつけて歌を創作しており、番組リスナーだった星間船一から送られた歌詞にさとうが曲を付け青葉城恋唄として発表。後に大ヒット曲となる。
テーマ曲はスーパーバップ「レッドロドニー」[4]
テーマ曲はリーリトナー「フライバイナイト」[4]
主にプログレッシブ・ロックを中心に選曲していた時期があった。
テーマ曲はバーニングウェイブ「この広い野原いっぱい」[4]
TPリクエストアワーを参照
テーマ曲はジュートルディスコ「ディスコメドレー」[4]
テーマ曲はフランク・プゥルセルの「ロッドマルトン・パレード」[21]
毎月、奇数週は「歌謡アラカルト」と題し国内の曲等、偶数週は「ロック&ポップス」と題し主に洋楽を選曲し放送。[4]
テーマ曲
DJ
テーマ曲はヴィンチェンツォ・ベッリーニ「オーボエ協奏曲 変ホ長調」[4]
1984年以降は#統合末期を参照
局舎3階にオープンスタジオを設け公開放送を行なっていた。スタジオ観覧客が自分のかけたい曲を、局舎内のレコード室で探し、スタジオに戻った後、選ばれた曲がかかる「走れ走れ大リクエスト」というコーナーを実施。男性アナウンサーは本名ではなく「ゴンベさん」というDJ名を名乗っていた。
テーマ曲はフランク・プゥルセル「アイガットリズム」[4]
甲府市飯田にあった旧NHK甲府放送局舎(解体済)の第一スタジオから毎週公開生放送を行なっていた。まれに第一スタジオが使えない時は、第二スタジオを使用。
三つ峠中継局(86.0MHz)の電波が県内だけでなく、越境し東京近郊でも受信可能なため、関東全域からもリスナーのリクエストハガキが届いていた。
DJの女性アシスタントは、原則的に毎年度=1年ごとの交代だが、番組初期や末期は例外もあった。
リクエストハガキが読まれたリスナーの中から、抽選で好きなシングル盤をプレゼントしていた。
「甲府Fリクファンクラブ」を結成。年2、3回会報(いわゆる同人誌扱い)を発行。[23]
関東各局が、1985年頃から「東京リクエストアワー」にネット移行する中、最後までローカル放送を行なっていたが、1991年3月をもって終了。末期は、週により甲府ローカル局製作と「東京リクエストアワー」の放送が混在していた。
ゲスト
主なコーナー
イベント・ゲスト
主なコーナー
イベント・ゲスト
オープニング・エンディング曲
オープニング・エンディング曲は初回放送前、提示された数ある候補曲の中から、各女性アシスタントに選ばせ、選出者の出演日に使用されていた。 女性アシスタント達は隔週の出演だが、出演しない週も放送中スタジオの副調整室でレコード準備などの業務を行なっていたため、リクエストハガキ等で当人の話題が出ると、飛び入りで短時間出演する事もあった。
途中「タモリの戦後歌謡曲史」という東京製作の録音番組が挿入される。この間DJ達は、約3時間という長時間番組の貴重な休憩時間にあてられていた。
主なコーナー
イベント・ゲスト
主なコーナー
主なコーナー
1991年3月16日をもって甲府局ローカル放送終了。
テーマ曲はフレデリックと彼のマジックピアノ「メイム」[4]
公開放送
テーマ曲
DJ
テーマ曲はカラヴェリ「愛のメロディー」[4]
テーマ曲はリチャードクレイダーマン「恋はピンポン」[4]
テーマ曲はぺぺハラミジョ「カチート」[4]。
近隣の西武百貨店関西大津店より公開放送を行うことがあった。
テーマ曲はKC&ザ・サンシャイン・バンド「ショットガンシャッフル」[4]
テーマ曲
通称
DJ
テーマ曲はレイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ「パリのあやつり人形」[33][4]
1978年4月、番組開始[35]。放送を行なっていたオープンスタジオのあるNHK神戸放送局がトアロード沿いにあった事から、番組名を「トアロードであいましょう」としていた。 女性アシスタントは番組中、本名では無く邦楽担当が「マリ」、洋楽担当が「マリー」というDJ名を使用[4]。これはアシスタントが代わっても歴代同じ名前を使用。
テーマ曲はマニュエルとミュージックオブザマウンテン「プラミリアーナ」[4]
テーマ曲はリチャードクレイダーマン「恋はピンポン」[4]
テーマ曲はリーリトナー「フライバイナイト」[4]
テーマ曲
DJ
テーマ曲
DJ
テーマ曲はポール・モーリア「わが人生のひと」[4]
公開録音
テーマ曲は「前奏曲とフーガ第5番 ニ長調」[4] 八木健-NHK在職時の担当番組を参照
テーマ曲はカラベリ「ダンシング・クイーン」[4]
公開生放送
テーマ曲はメイナード・ファーガソン「ゴスペル・ジョン」[4]
公開生放送
テーマ曲はデイビッド・キャロル「プア・ピープル・オブ・パリス」[4]
テーマ曲はポール・モーリア「みつめあう恋」[4]
公開生放送
テーマ曲はリズム・ヘリテイジ「反逆のテーマ」[4]
テーマ曲はアース・ウィンド・アンド・ファイアー「異次元への飛翔」[4]
テーマ曲はメキシカンズ「君ほほえめば」[4]
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1985年頃から関東地方の一部局を皮切りに徐々に「東京リクエストアワー」への統合化が図られるようになり、首都圏県域局の独自番組は1989年(平成元年)4月改編までにすべて終了した。残った甲府放送局も1991年(平成3年)に東京からのネットに切り替え、関東甲信越のブロック放送化が完了した。他地域でも順次ブロック基幹局ごとの放送へとまとめられていき、1990年度からの『夕べのひととき』のブロック化に影響を与えた。
またこの頃から一部の局でアナウンサーではなく芸能人をパーソナリティに起用する例が出始め、下記のパーソナリティがDJを務めていた。
1996年3月30日(土)最終回「ザ・ファイナル・リクエストアワー」12:15~19:00の拡大版で、歴代DJの大半が出演[46]。
番組ノベルティとして「久宝留理子&加藤いづみ」「石岡美紀&中野真里」「谷村有美&井上昌巳」の3種類のテレホンカードが存在する。
1996年3月番組終了。「サタデーホットリクエスト」へ移行。
1996年4月から14時~18時50分の約5時間、NHKスタジオパークからの全国的な統一番組の公開生放送を行うようになり、原則東京からのラインネットになったが、大阪局や名古屋局等で毎週又は不定期で2 - 3時間程度ローカルのリクエストアワーに差し替え放送していた。そのため土曜日午前中の「FM番組トピックス」(FM放送番組案内)では「午後2時から午後6時50分までは各地域ごとの番組を放送します」と説明していた。
「サタデーホットリクエスト」が2010年3月で終了となり、その枠を引き継いだ「サタデーワイド」も引き続きローカル放送枠となっていた。2011年度をもってこの時間帯のローカル放送枠は解除されたが、一部放送局ではこの時間帯にローカル番組を放送することがある。
2020年4月3日から、新しく始まるNHKラジオ第1で放送される『らじるラボ』という番組の中に『FMリクエストアワー リターンズ』が、第1・第3金曜日に組み込まれることになり、1996年3月に番組が終わって以来、24年ぶりに事実上の復活を果たす[68]。パーソナリティには、『らじるラボ』のパーソナリティで、2020年2月11日に放送された特別番組『FMリクエストアワー リターンズ』のパーソナリティをしていた吾妻謙を起用する。なお、2020年2月11日に放送された特番と同じくモノラル放送である。
各局ごとに「ファンクラブ」を結成していた所が多く、機関誌の発行、クラブ員同士の交流、公開放送やイベント時の人員整理、警備のボランティアなどを行っていた。また各局が番組独自の手帳、カバン、Tシャツ等のノベルティを作り、リスナーにプレゼントしていた局も多かった。
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