糸魚川市の歴史

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糸魚川市の歴史(いといがわしのれきし)

ここでは糸魚川市の歴史について扱う。

戦国時代以前

江戸時代

明治時代

大正時代

  • 1912年10月15日 - 信越線泊駅-青海駅間延伸開業。同時に親不知駅も開業。
  • 1912年12月16日 - 信越線名立駅-糸魚川駅間延伸開業。同時に能生駅梶屋敷駅も開業。
  • 1913年4月1日 - 青海駅-糸魚川駅間が開業し米原駅-直江津駅間が全通。信越線を北陸本線に改める。
  • 1914年2月16日 - 電話が開通[8]
  • 1916年12月28日 - 暴風雪により市振駅~親不知駅間(現在の青海地区)のトンネルの入口付近崩壊、また、親不知駅付近と青海駅付近で路盤が流出。なお、富山市史では同日の被害について、原因を富山湾で発生した大津波とし、北陸本線市振駅-親不知駅間の路盤が破壊される被害が出たことが記述されている[9]
  • 1917年頃 - 乗合バスの運行開始(これ以前は、乗合馬車が運行されていた)。
  • 1919年 - 国道21号甲(現在の国道8号)が路線番号見直しにより国道11号に指定。
  • 1920年 - 糸魚川-小滝間の道路が新潟県道糸魚川松本線(三等県道)に指定。
  • 1921年 - 電気化学工業により小滝川水力発電所が完成。姫川沿いの水力発電所建設が盛んになる。電気化学工業は、電力を用いて石灰窒素とカーバイドの製造を開始[10]
  • 1921年 - 今井橋が完成。
  • 1922年2月3日 - 北陸本線勝山トンネル(現在の青海地区)西口で雪崩が発生し列車が巻き込まれる。除雪人夫を含め死者90人、負傷者40名(北陸線列車雪崩直撃事故)。
  • 1923年2月4日 - 風波集落(現在の青海地区)で雪崩が発生。1家6人が死亡。他の3戸も被害にも被害が及び、風波地区から退去。
  • 1923年 - 緑町住民により簡易水道組合が設立。水道水の供給が始まる。
  • 1923年3月28日 - 水保の十一面観音立像が国の重要文化財に指定。
  • 1923年 - 電気化学工業が小滝に大所川水力発電所を完成。
  • 1925年 - 今井、須沢地区にて、酸性白土の採掘が水神白土合資会社(後の東洋活性白土)により始まる。
  • 1926年 - 信越窒素肥料(現在の信越化学工業の前身)が親不知に鉱業所を設置。石灰石を採掘し、直江津工場へ輸送を開始。

昭和時代

旧糸魚川市発足以前

  • 1927年2月8日 - 大雪(昭和2年豪雪)のため能生、糸魚川地区で雪崩が頻発。上早川村で死者・行方不明者8人[11]、能生谷村で死者11人、糸魚川町で死者5人。
  • 1927年2月9日 - 磯部村徳合で雪崩が発生、死者10人[12]
  • 1927年2月10日 - 能生町大洞で地すべりが発生、死者12人の被害。能生尋常小学校の女性教員が登校途中で雪崩に巻き込まれて死亡[13]
  • 1927年2月14日 - 磯部村で地すべり。倒壊した家屋から出荷して50戸が全焼。死傷者40人[14]
  • 1927年8月1日 - 青海村が青海町へ。
  • 1928年8月19日 - 糸魚川町で火災。住民ら16人が死傷、117戸(70棟)全焼[15]
  • 1929年1月2日 - 波浪により市振村(現在の青海地区)で全戸浸水の被害。船小屋、漁具が全部流失するなど大きな経済的な損失を受ける。歌外波村(現在の青海地区)でも30戸が浸水、漁具が流失する被害。北陸本線の路盤も流失する。
  • 1929年4月4日 - 能生町浦本で地すべり、北陸本線の路盤が被害を受け10日間不通に。
  • 1929年8月8日-9日 - 集中豪雨により各河川が氾濫するなどの被害。北陸本線では、浦本近辺で発生した土砂崩れに貨物列車が乗り上げ、蒸気機関車及び4-5両の貨車が脱線転覆。
  • 1930年7月9日-10日 - 集中豪雨により各河川が氾濫。姫川は4.2mの水位上昇が見られた。
  • 1932年12月21日 - 糸魚川町横町で大火、420戸(368棟)焼失[16]
  • 1933年 - 電気化学工業が大所川水力発電所、小滝水力発電所を現物出資し、黒部川電力株式会社が設立(1953年、証券保有制限令により出資が解消され再び電気化学工業の所有に)。
  • 1934年2月 - 能生町藤崎地内で地すべり。東西500m、奥行き200-700mの規模で末端にあった北陸本線の路盤が破壊されたほか、国道橋も押しつぶされて海へ流出した[17][18]
  • 1934年3月13日 - 姫川第六水力発電所(現黒部川電力株式会社)の工事現場にて雪崩が発生。飯場が倒壊し9人死亡[19]。その後、発電所は同年中に完成。
  • 1934年11月14日 - 大糸北線糸魚川駅- 根知駅間開業。
  • 1935年12月24日 - 大糸北線根知駅-小滝駅間延伸開業。
  • 1936年2月11日 - 糸魚川町矢内で雪崩が発生。死者6人。
  • 1936年 - 糸魚川商工会(糸魚川商工会議所の前身)が発足。
  • 1937年 - 能生銀行に大和川銀行が吸収されるなど、中・小銀行の再編成が始まる。
  • 1937年- 上越医療購買利用組合連合会上越病院糸魚川分院(現在の新潟県厚生農業協同組合連合会糸魚川総合病院)が開業。
  • 1938年 - 小滝村でヒスイが発見される(* 1955年、天然記念物に指定)。
  • 1938年1月3日 - 大糸北線小滝駅を出発した列車が雪崩で立ち往生したところに再度雪崩発生。二両編成の列車が埋没するも乗客は小滝駅に避難して無事[20]
  • 1939年 - 電気化学工業により青海川水力発電所が完成。
  • 1940年12月27日 - 糸魚川タクシーが創業。
  • 1942年4月1日 - 浦本村の旧鬼伏村区域が木浦村へ移管。
  • 1943年 - 戦時統制の影響により、第四銀行に能生銀行、第一三九銀行などが吸収される。
  • 1944年3月21日 - 青海町の電化社(現在の電気化学工業青海工場)の原石山で発破が失敗し大崩壊が発生、11名死亡。
  • 1944年 - 戦時統制の影響により、市内のバス会社6社が頸城鉄道へ吸収される。
  • 1945年1月21日 - 小滝村山之坊で雪崩が発生。民家一戸が全壊し6人が圧死、1人重傷[21]
  • 1947年5月19日 - 能生町柵口にて地すべりが発生。被害家屋80戸。
  • 1947年7月10日 - 根知村大久保集落で地すべりが活発化。県により集落に対して移転命令[22]
  • 1948年9月6日 - 集中豪雨により新潟県西部域で被害。罹災者165人、浸水33件、田の流出30a、冠水1,000a、土砂流入150a、畑の冠水600a、橋の流出2か所、道路の流出1か所、堤防決壊2か所。
  • 1949年7月30日 - 新潟焼山から泥流が発生。
  • 1949年 - 信越化学が山之坊(小滝)で蛇紋岩(熔成燐肥の材料)の採掘を始める。
  • 1949年 - 水族館ができる。水族館は現在の糸魚川地区公民館のある場所に立地し、1954年まで開館していた[23]
  • 1951年9月20日 - 糸魚川信用組合発足。
  • 1952年7月1日 - 集中豪雨により水田3,500a冠水。歌地区で土砂崩れにより死者1人。
  • 1952年12月4日 - 国道11号が国道8号に統合される。
  • 1953年5月18日 - 国道148号(前県道糸魚川-松本線)が指定。

旧糸魚川市発足以降

平成時代

現・糸魚川市発足以前

現・糸魚川市発足以降

概要 いといがわし 糸魚川市, 廃止日 ...
いといがわし
糸魚川市
Thumb Thumb
旧・糸魚川市旗 糸魚川市章
1955年1月8日制定
廃止日 2005年3月19日
廃止理由 新設合併
糸魚川市(旧)、西頚城郡能生町青海町 → 糸魚川市(新)
現在の自治体 糸魚川市(新)
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
面積 466.62km2
(境界未定部分あり)
総人口 31,567
推計人口、2004年9月1日)
隣接自治体 西頚城郡能生町青海町中頚城郡妙高村妙高高原町
富山県下新川郡朝日町
長野県北安曇郡白馬村小谷村
糸魚川市役所
所在地 新潟県
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  • 2005年3月19日 - 糸魚川市、能生町、青海町が新設合併して現在の糸魚川市となる。旧糸魚川市の合併時の面積は466.62km2(境界未定部分あり)、人口は31,567人(2004年9月1日)。
  • 2005年3月31日 - 中早川小学校、北西海小学校、南西海小学校、歌外波小学校が児童数の減少により閉校。
  • 2005年4月25日 - 糸魚川市長選挙、市議員選挙投票日。有権者数42,208人、市長選投票率80.07%、市議選投票率83.15%。市長選は米田徹が当選、山岸美隆、吉岡静夫を下す。
  • 2007年7月17日- 新潟県中越沖地震発生、糸魚川市震度4。けが人1名。市内各所で土砂災害が発生。北陸自動車道糸魚川インターチェンジ以東が一時通行止になる。
  • 2008年6月2日 - 市議会議員定数削減条例案(30を26に削減)を可決
  • 2008年 - 上越漁協と糸魚川、青海などの各漁協が合併。
  • 2008年12月 - 糸魚川ジオパークが日本ジオパークネットワークに加盟。日本ジオパークとして認定される[42]
  • 2009年8月22日 - 糸魚川ジオパークが世界ジオパークネットワークに加盟。世界ジオパークとして認定される[42]
  • 2010年3月31日 - 磯部中学校が閉校。
  • 2013年3月24日 - 今井小学校が児童数の減少により閉校。
  • 2013年4月21日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。市長選は現職の米田徹が無投票で3選を達成[43]
  • 2015年3月14日 - 北陸新幹線糸魚川駅が開業。同時に市内を走る北陸本線JR西日本からえちごトキめき鉄道へ移管され、路線名も日本海ひすいラインへと変更となる。
  • 2016年12月22日 - 糸魚川駅前の商店街にて大規模な火災が発生した(糸魚川大火[44]
  • 2017年4月16日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。即日開票の結果、市長選は現職の米田徹が無所属新人の古畑浩一を退けて4選を達成[45]
  • 2018年3月24日 - 浦本小学校が児童数の減少により閉校。
  • 2018年3月25日 - 市振小学校が児童数の減少により閉校。

令和時代

  • 2019年8月15日 - 日最低気温が31.3度となり「全国の最も高い最低気温」の日本記録を更新。従前の記録も糸魚川の観測地点のもので1990年8月20日の30.8度[46]
  • 2021年1月29日 - デンカが建設を進めていた新青海川発電所(最大出力約8,000kW)が発電を開始[47]
  • 2021年3月4日 - 来海沢の山中で地すべりが発生。流出した土砂で住宅など6棟が倒壊[48]
  • 2021年4月18日 - 糸魚川市長選挙、市議会選挙投票日。即日開票の結果、市長選は現職の米田徹が無所属新人の久保田郁夫を退けて5選を達成[49]
  • 2022年4月5日 - デンカが建設を進めていた新姫川第六発電所(最大出力2万7900kW)が営業運転開始。デンカが所有する水力発電所としては17カ所目[50]
  • 2022年10月26日 - デンカがセメント事業を明星セメントに譲渡して完全撤退することを発表[51]。石灰岩を利用したカーバイド事業は継続。
  • 2024年1月1日 - 令和6年能登半島地震により市内で最大震度5強の揺れ。道路の陥没や住居等の建物被害が発生したほか、津波警報の発令を受けて市内で最大約5800人が避難[52]。北陸自動自動車道は柏崎IC - 朝日IC(富山県)の区間で通行止、翌日解除[53]。JR大糸線は糸魚川駅 - 南小谷駅間で運転見合わせ。同月6日、運転を再開[54]

脚注

参考文献

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