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建物等の施設が荒廃した状態で残っているもの ウィキペディアから
廃墟(はいきょ、廃虚とも、英語:Ruins、ドイツ語:Ruine)とは、建物、集落、都市、鉄道等の施設が長期間使われず、荒廃した状態になっているものを指す。
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放置、撤去される廃墟ばかりではなく、貴重な遺跡[1]あるいは世界文化遺産(例:軍艦島)や有形文化財[2]として保護されることもある。朽ち行く姿に芸術的価値を見出し絵画や写真の題材とされたり[3]、(不法侵入ではない)観光の対象とされたりする廃墟もある[4]。
廃墟とは建物、施設、街などが使用されずに荒れ果て、そのまま放置されているものを言い、建物などが使われなくなったとしても、他用途に転用され適切な維持管理が続けられていたり、あるいは取り壊されて更地化されたりしていれば、廃墟とはいえない。跡地利用も難しく、管理を続けるのも困難な場合には、建物、施設などが放置に任され、歳月とともに朽ちて崩壊し、あるいは草木に覆われて廃墟化の過程が進行する。
建設を発注した企業が倒産した、あるいは公共事業の一環として建設されたがその公共事業が中止になったなどの理由で、建設中の状態のまま放棄され、全く使われていない建築物、これらも廃墟に含まれる。
ナチス・ドイツの強制収容所跡や虐殺行為で無人化した村(オラドゥール=シュル=グラヌ)、広島市の原爆ドーム、ハワイへの真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナなどある時代の悲惨な状況を後世に伝えるため、破壊あるいは放棄され廃墟同然となった状態で意図的に当時のまま保存している例もある。
ルネサンスによってヨーロッパでは古代ギリシアや古代ローマの再評価が行われ、それまでうち捨てられていたそれらの廃墟は古代文明の偉大さを示す遺物として関心を引くようになった[5]。18世紀のイタリアでは考古学が盛んになり、多くのローマ遺跡が人目を引くようになった。そんな中、版画家ピラネージは多くのローマ遺跡のスケッチを版画として出版した。ピラネージの描く遺跡は見る者に劇的な印象を与え、廃墟の持つ美的対象としての魅力を世に知らしめた[5]。
19世紀後半、イギリスやドイツのロマン主義でも、こうした廃墟、特に古代ギリシア、ローマのそれに関心が集まり、競ってその方面に出かける文人、古代遺跡を版画や絵画に描く芸術家が出たり、君主の中には領地内に人工の古代廃墟(いわゆるフォリー)を配した庭園を作らせた者もいた(特に古代ローマ時代の様式が好まれた)。
こうした廃墟を好んで作品のモチーフとした画家に、ドイツのカスパー・ダーヴィド・フリードリヒらがいる。また、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーも廃墟絵画を好み、自ら計画した建築物や都市も前提として古代ギリシアや古代ローマのように偉大で立派な廃墟となることが条件であったという(「廃墟価値の理論」)。彼が計画したうち実際に築かれた建物は、皮肉にも敗戦へ向かう過程の空襲やベルリンの戦いで一時廃墟になったことになる。
日本においては、2000年前後、写真の世界で廃墟を被写体にした作品が若者を中心に好まれる傾向が生まれた。イギリスやドイツのロマン主義的流れを受け継ぐ写真家に、80年代のロンドンに滞在し、風景とポートレートを中心に発表を重ねる池尻清などがいる。
廃墟愛好家の傾向としては
などに大まかに分類され、一人の愛好家が複数の要素を兼ね備えることもある。
石造建築が多い西洋と異なり、木造建築の多い日本では廃墟は成立しにくかった。谷川渥『形象と時間』によれば、廃墟は植物の繁茂で象徴された[注釈 1]。谷川曰く、人の営みを自然のちからが凌駕してゆく姿、軍艦島に押し寄せる波浪、麻耶観光ホテルの植物などの廃墟の美と、自然とは切り離せないという。
1980年代頃からのレトロブームで懐かしい物へのノスタルジーが高まると同時期に、廃墟への関心も高まっていった。廃墟ブームのはしりとしては、赤瀬川原平らによる超芸術トマソンから路上観察学活動、赤瀬川の流れを汲む久住昌之、滝本淳助による『東京トワイライトゾーン タモリ倶楽部』(1989年)、宮本隆司『建築の黙示録』(1988年)、丸田祥三の写真集『棄景 廃墟への旅』(1993年)などが挙げられる。
廃墟となった施設、学校(廃校)、病院、工場、鉱山、レジャー施設などの跡を訪ねて回る廃墟愛好家が増加し、さらにバブル崩壊の影響で廃墟自体も増加していった。
2000年代からはインターネットの普及とともに、愛好家が個人で廃墟に関するウェブサイトを立ち上げることも増え、YouTubeなどの動画共有サイトに愛好家が探訪して撮影した廃墟の動画を公開することも多くなった。『廃墟の歩き方』(2002年)といったマニュアル本や廃墟を映したDVDなども発売された。廃墟ブームはさらに広がりを見せ、軍艦島をはじめとした人気の廃墟は観光スポットとなり、観光ツアーが企画されて多くの人々が廃墟を訪れる現象が起きた。また、テレビ番組『廃墟の休日』も放映された。
日本の場合、特に都市部では新陳代謝が激しく、廃墟が長期間そのまま残されることは少ない。バブル期に何らかの計画が立ち上がったが、バブル崩壊とともに消滅したものなど、都市計画が頓挫した場所などに建物などが廃墟状態になることもある。また、北海道など地価が安価で土地に余裕のある地域などでは、撤去費用がかさむことを回避し、古い建屋を解体せず近くに新たに建てるなどすることが多く、廃屋、廃墟などが多く見られる。分譲マンションや商業ビルなどは権利が複雑で再開発に費用がかかることから、好立地でも放置されるケースがある[6]。
鉄道ファンの中には廃線跡をたどる廃線マニアと呼ばれる者がおり、廃線巡りを熱心に行う愛好家は廃鉄とも呼ばれる。廃線関連の書籍としては、堀淳一『消えた鉄道 レール跡の詩』(1983年)辺りがはしりである。その後ネコ・パブリッシング刊の月刊鉄道誌『RailMagazine』の連載『トワイライトゾ~ン』(1992年〜)によって、廃線跡のみならず廃車体等にも目が向けられ、鉄道ブームと共に廃墟への関心も高まっている。
廃墟への無断侵入や破壊行為は厳密には刑法に抵触する行為であるものの、事実上は現役の建造物に比べて比較的低いリスクで破壊行為(ヴァンダリズム)が実行可能であることから、実際に多くの廃墟が快楽的、愉快犯的な破壊行為や悪戯に晒されている。
廃墟と勘違いして現役の建物に侵入してしまうことは建造物侵入罪による摘発の危険性が非常に高いため、廃墟への侵入者はこれを恐れるものである。廃墟の中でも、廃業したホテルやテーマパークは目立ちやすく、廃墟か否かを侵入者が比較的容易に判断でき、破壊の対象となり得る備品が多く取り残されているなどの理由から、侵入、破壊のターゲットとなりやすい傾向がある。
こうした破壊行為は器物損壊罪であるほか、写真撮影だけを目的として廃墟に侵入する廃墟マニアからも非難されることがある。
以下は2010年代以降に閉鎖され報道等で「廃墟」と評されたことがあるもの
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