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カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(ドイツ語:Caspar David Friedrich、1774年9月5日 - 1840年5月7日)は、ドイツの画家。カスパル・ダーヴィト・フリードリヒとも。
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グライフスヴァルト出身、ドレスデンで没する。フィリップ・オットー・ルンゲとともに、ドイツのロマン主義絵画を代表する。宗教的含意をふくむ風景画によって知られる。
カスパー・ダヴィット・フリードリヒは石鹸・蝋燭業を営む父の4男として、当時スウェーデン領のドイツの最北端・フォアポンメルンのグライフスヴァルトにて生まれた。幼少の頃、妹を亡くす。13歳の時、河でスケート遊びをしていたところ、氷が割れて溺れ、彼を助けようとした一歳年下の弟・クリストファーが溺死してしまう。フリードリヒはこのことで長年自分を責め続け、うつ病を患い自殺未遂を起こしたこともあった。その後、姉や母も亡くし、これらのことが彼の画風や人格に大きく影響を与えていると言われている。
ナポレオン戦争とそれに続く時代には、あえて禁止されていた伝統的な民族衣装に身をつつんだ人物を描くなど、ドイツにおけるナショナリズムの形成にも寄与したが、ややもすれば過剰ともなりかねない愛国主義的姿勢や作品にうかがわれる神秘主義的傾向に対しては政治的な理由で批判を浴びる事もあり、ゲーテのように冷静に距離を置いた同時代人もいる。
作品は、自然の風景、それも高みや遥か彼方を見据えるもの、廃墟になった僧院、墓地、古代の巨石墓、槲の木などがよくモチーフとして取り上げられる。無人の荒涼とした風景を題材とした、宗教的崇高さと静寂感に満ちた作品が多い。人が描かれるときは、その人も作品に描かれた風景を鑑賞者と共に見つめるため、背後からしか描かれないのが常である。例外的に幼児のみがこちらを向いて描かれる。また、『氷の海』のように、自然の冷酷さと死のイメージを重ね合わせた作品も多い。主要な作品は、ドレスデン美術館とベルリンのナショナル・ギャラリー(ムゼウムスインゼル)で見ることができる。
元々は、セピアインクによるペン画(線画)を描いていた。脳卒中で倒れた後は、油彩からは一歩引いて再びペン画を中心に画業を行っていた。
なお、フリードリヒの作品は、昭和初期から主にドイツ文学者たちによって日本に紹介されている。また、ドイツ留学の経験のある日本画の東山魁夷の作品には、フリードリヒからの影響が見られる。
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