広島学院中学校・高等学校
広島県広島市にある中高一貫校(男子校) ウィキペディアから
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広島県広島市にある中高一貫校(男子校) ウィキペディアから
広島学院中学校・高等学校(ひろしまがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、広島県広島市西区に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[2]。
イエズス会が日本国内で3番目の中学・高校として1956年(昭和31年)に設立した。「原爆で壊滅した広島を教育の力で励ましたい」との想いもあったという[3]。広島市内には他にも私立男子中高一貫校があるが、その中で唯一のミッションスクールとされる。ただし、初代校長のフーベルト・シュワイツェルは学院はいわゆるミッションスクールではなく、これは、宗派的な意味でのキリスト教を表面に押し出すことはしないようにしていないためであると話している。しかし、同氏は、当校の教育はキリスト教精神の根底をおいたものであるとしている[4]。
イエズス会が設立・母体の日本各地の学校(神戸の六甲学院、鎌倉の栄光学園、上智福岡)とは「他人のために尽くす人間」という1つの教育の理想を共有している。これに関して、フーベルト・シュワイツェルはよく生徒に「よきリーダーたれ」と話した。この「よきリーダー」とは、人に仕えられるのではなく、仕えるものを指し、これは、人間が他人に奉仕することによってのみ、幸福になれるといった考えに基づいている[4]。
かつては「清友寮」という寮があり、全国から生徒を募集していた時期もあったが、入学条件は「中・四国地方在住」、「広島県または山口県内在住」と段階的に狭められた。1988年に閉鎖後、取り壊されている[5]。これは、無差別な全国的に優秀な生徒の受け皿でなく、地域に根ざし、一人一人を大切にした ("Cura Personalis")、全員で向上する雰囲気作りを大切にしているためである[6]。習熟度別授業は導入せず、チームワークを活かして、体育祭、文化祭、クラブ活動などに力を入れる。
学校の立地場所は、旧広島藩の別邸「翠江園」が置かれていた景勝地で(#立地も参照)、翠江園は校歌にも歌われているほか、他校のPTAに相当する組織「翠江会」、OB会「翠友会」の名はこれに由来する。校舎からは旧広島西飛行場を含め、ほぼ旧広島市内全域を眺めることができる。
2015年(平成27年)に60周年を迎え、1200人が収容できる講堂と隣接して180人収容できる聖堂が連なった「アルペ講堂」が完成した[7]。2016年4月、イエズス会教育の実現と深化を目的に、広島学院と3つの姉妹校(栄光学園、六甲学院、泰星学園)が、学校法人上智学院と合併した[8]。合併後、各学校法人は解散したが、各校は上智大学の附属校にはならず名称もそのままに独立経営が維持されている[9]。
この間、卒業生は9000名を数える(2014年現在)[7]。
広島市の市章をモチーフにし、学院の學の字をあしらったデザインである。
2010年度より、右襟に学年を表すローマ数字、左襟に広島学院の校章の徽章を付けることとなった。学年を表す徽章は、高校生は金色、中学生は銀色である。
2009年度までは襟章として、右襟に中学校は「中」、高等学校は「高」の文字を付け、中学校の「中」は旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)で使われていたものと同じものを使っていた。
夏服は、2011年度に新夏服が制定され、胸にイエズス会の紋章の入った白い半袖シャツとなった。半袖と長袖の2種類が採用されたため、春または秋に合服として着用する生徒も多い。2009年度までは胸に校章の入っている灰色の半袖カッターシャツであった。
冬制服は、初代校長フーベルト・シュワイツェルの定めた旧海軍士官の第一種軍装を模して作った紺サージ、詰襟、ホック止めの制服である。旧海軍士官の第一種軍装は俗に言う蛇腹(七子織黒毛線)で縁取されているが、学院の制服は蛇腹ではなくモール(縞織黒毛線、前述の海軍軍装で階級章の袖章として使われているもの)で縁取されていること、左右のサイドベンツがない点が違っている[12]。
2010年度より冬季は上着の上に指定のコートを着用できることとなった。
原則として6月と10月が衣替えとなっているため、5月末までと10月初め以降の長袖夏服着用は許可されていない。
制靴として、黒の革靴が指定されている。学校指定の鞄を使用する。
かつては、制帽があり、通学鞄の使用が禁止され、風呂敷に荷物一式を包んでこなければならなかった。制帽と制鞄はほぼ同時期には廃止され、現在では制帽を被ってくる生徒はいない。本校の中央玄関を入ってすぐ右側(かつて会計室があった場所で、現在は校長室前となっている)に、かつての風呂敷と制帽が本校の伝統を伝える資料として展示されている。また、風呂敷は入学式に入学した生徒に配られる。
校歌は作詞が石賀昇で、作曲が安部孝明。作詞を担当した石賀は、校歌制定当時の職員である。本人は、歌詞に登場する第2連の「波の光れば」と「み空に輝く学院の旗」という歌詞について広島県出身の歌人の中村憲吉の歌集などを参考にしたと語っている。また、「四つの宝を胸にあたため」という歌詞は中国の古典の発想を取り入れているという[13]。
また、校歌以外にもいくつか学校に関する歌が存在している[14]。
広島学院校舎はかなりの高所にあり、斜度6度から14度の峻険な坂を上り下りしなければならない。広島電鉄宮島線古江駅または高須駅から歩く場合、西広島バイパスを通るバスの利用者のほぼ2倍の距離の坂を上り下りしなければならない。西広島駅から歩くと、およそ30分掛かる。
校地は旧広島藩の別邸「翠江園」を引き継いだものである。かつては付近にビワ畑や墓地もあったという。この、翠江園の名残として学校の裏山にはかつて、庭園の滝が流れていた跡と思われる岩などが残っていた[15]。また、学校に隣接している福蔵寺に伝わる縁起によれば翠江園以前は、元来同寺の領内だったとされるほか、神功皇后が三韓征伐の際に通過した地であるという伝承もある[16]。
広島県全域と、山口県東部(周防地域)、岡山県西部(備中地域)から通学している。なお、通学は自宅からのみ、自転車での通学は最寄り駅までのみ許可されている。
1クラス45人前後の1学年4クラス(A, B, C, D組)編成。
始業時刻の8時30分から、10分間のホームルームが行われる。ただし、月曜日は全校朝礼で、校長の話を聞く。木曜日は中高別朝礼で、クラブの表彰や、週番(教員)の話を聞く。
授業は1限目が8時40分から始まる。50分授業で、基本的に毎日6限目まで行われるが、月曜日は隔週で7限目に50分間のホームルームが行われ、2週に1日土曜日に4校時まで授業が行われる。
食堂や給食はなく、昼食は、家から持参した弁当を教室で担任と一緒に食べる[17]。
放課後は、生徒で掃除を行う。新型コロナウイルス感染症流行以降、トイレ掃除は清掃業者に依頼していたが、コロナウイルスが5類に変更されて以降は従来通り生徒がトイレ掃除を行っている。
下校時刻は、クラブ活動のある生徒や自習する生徒は18時までに下校、それ以外の生徒は17時完全下校である。
2020年9月より、高校生は20時まで専用自習室が利用可能となった。
2020年度から、新型コロナウイルス感染症流行の影響により、中間体操は実施されていなかったが、2023年度5月ごろより再開している。
雨天時などを除き、2時間目と3時間目の間の15分休憩に、中間体操が行われる。生徒、教師全員がシャツ1枚または上半身裸でグラウンドに走り込み、各クラス整列して行進あるいは駆け足行進(冬季)の後、音楽に合わせて一斉に「中間体操」という体操を行う。この体操は市販の体操用音楽に合わせて付属のプログラムを基に当時の体育担当教官が作成したもので、内容は男子校生徒に相応しいものに改良されている。今では、行進や駆け足行進は行われていない。
学期末試験の1週間前と試験期間は行われない。中間試験1週間前も行われないことがあるが、行うか否かの明確な規定はない。
なお、日本国内のイエズス会設立の他の中学・高校でも中間体操は行われているが、上智福岡は服着用、六甲学院は上半身裸でグラウンドを走る、栄光学園は上半身裸でラジオ体操第2、と各校で内容が異なっている。
広島学院では、中間体操は元来避難訓練を兼ねて行われてきたが、近年はそれとは別に避難訓練が行われることもある。
2011年度、当時の学校長は、体操を「守るべき伝統」とする意見との妥協案として、体操を行う際に半袖シャツ1枚まで着用することを許可した(それまではシャツの着用は禁止であった)。
校内では、基本的には制服を着用せず、校内着に着替えていたが、2020年度1学期途中からは校内着の着用は新型コロナウイルス対策による熱中症防止の観点から任意となった。また、同年度2学期途中からは防寒対策として校内での上着や部活中のネックウォーマーの着用が許可された。また2021年度冬には高2生徒の働きかけによってそれ以前は許可されていなかったマフラー、ネックウォーマーの登下校中の着用が許可された。以下は2019年度以前の記載である。
登校時にゴム製のスリッパに履き替え、トレパンと呼ばれる白色の作業用ズボンに履き替える。また、上着も脱ぎ、基本的に冬は緑がかった紺色の長袖ポロシャツ(指定の灰色のセーター、ベストとの着用も可能。ただし、カーディガンは不可)、夏は指定の緑がかった紺色の半袖ポロシャツまたはTシャツに着替える。
2010年度までは、校内着として冬は白色のYシャツ(黒色、紺色のセーター、ベストとの着用も可能。ただし、カーディガンは不可)、夏は白のTシャツが採用されていた。
以前の校内履は現在でいう便所スリッパでも使用されるタイプのものであったが、保護者らから現代的な物に改めるべきとの意見もあり、災害時の避難の遅れも指摘されたためクロックスタイプのスリッパに変更されている。
部活動は学業優先のため、週2回、18時までに制限されている。また、練習試合も月1回と定められている[18]。ただし長期期間中はこの限りではない。なお、「ブラスバンド部」は「運動部」のカテゴリーに含まれている。
中学では運動部に入部が必修であったが、2023年度より文化部を含むどの部活でもよくなった。
登山部はしばしば全国大会で優勝しており、2007年、2008年[19]と2年連続、2022年もインターハイで優勝している。また、ESS も高円宮杯全日本中学校英語弁論大会において複数回上位入賞を果たしている[20]。これにより、広島学院中は高円宮杯への選出回数が国内で最多であるとして表彰された[21]。他にも、化学部、将棋部など、全国の大会で優勝、入賞している部が多々ある。また将棋部は在学時にプロ棋士糸谷哲郎を輩出した。
以下は運動部
以下は文化部
以下はその他の部活に準ずるもの
かつて存在した部活など
カトリック研究会を中心とした高校1年生の有志は、毎年年末年始に、イエズス会姉妹校の六甲学院中学・高校、栄光学園中学・高校、上智福岡中学・高校との4校と合同で、あいりん地区での越冬支援活動に参加する[25]。
2008年度の全国高等学校パソコンコンクール(パソコン甲子園)のプログラミング部門で全国優勝した[26]。
2013年度の国際生物学オリンピックで、高3生が金メダルを受賞した[27]。
イエズス会の教育理念の下、進路決定は基本的に各自の判断に任せられている。高2から文理選択で、理系と文系の人数比は、かつては5:3であったが、近年では3:1である(2クラスが理系のみのクラスで、残りの2クラスが文理混合)。
年度により変動はあるが、現役生および本校を卒業した浪人生全体で、以前は東大、国公立大学医学部医学科合格者はそれぞれ30人前後、京都大学、大阪大学、広島大学合格者は各20人前後で(ただし東大京大同時合格可能だった時期を除けば、京大は平均20人には達していない)、早稲田大学、慶應義塾大学にもそれぞれ約30~40人が合格していた[28]。
近年は医学部志向が強く、医歯薬系以外の難関大学への進学実績は低下しており、医学部医学科への進学は50人程度、東京大学・京都大学・大阪大学・その他の旧帝大・一橋大東工大神戸大・医学部以外の広島大学・早稲田大学・慶應義塾大学への進学は各10人程度となっている。姉妹校である上智大学への特別推薦枠は一定程度の成績を残していなければ利用できない、もしくは推奨されていない。
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