國學院大學
東京都渋谷区にある私立大学 ウィキペディアから
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國學院大學(こくがくいんだいがく、英語: Kokugakuin University)は、東京都渋谷区東四丁目10番28号に本部を置く日本の私立大学。1882年創立、1920年大学設置。大学の略称は國學大(こくがくだい)[注釈 1]、國大(こくだい)[注釈 2]。
國學院大學は1882年(明治15年)に創立された皇典講究所を母体とする大学である[1]。皇典講究所は明治政府の神道政策の一環として、古典研究と神職養成の機関として創立された[2]。1890年(明治23年)に皇典講究所によって國學院が設立されて以来、諸学問を通じて日本の伝統文化を明らかにして、国や地域への貢献、国際社会の発展に寄与するとともに、自己の個性を最大限に発揮することのできる人材を育成することを理念とし、 国史・国文・国法の研究機関、「国学(=日本を学ぶ)」の大学として研究と教育を重ねる[1][3]。1920年(大正9年)に日本の私立大学では同年に大学へと昇格した早稲田大学・慶應義塾大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。
新字体(常用漢字体)での国学院大学、あるいは新字体を含む國學院大学表記はマスメディアやスポーツ分野で旧字体の使用が認められない場合に使用されることがあるが、國學院大學の責任において発行・発信される全ての発行物・広報物・書類においては、正字として旧字体(「國學院大學」)の使用を原則としている[4]。
なお、渋谷キャンパス前の交差点およびバス停名が「国学院大学前」であるほか、渋谷キャンパス、たまプラーザキャンパスともに「国学院大学」の表記も一部用いられている。
國學院大學学則第1条では「本学は神道精神に基づき人格を陶冶し、諸学の理論並びに応用を攻究教授し、有用な人材を育成することを目的とする」と規定され、國學院大學では神道精神を「日本人としての主体性を保持した寛容性と謙虚さ」と定義している[5]。
明治維新の際、急速な欧米化によって日本古来の思想・文物が顧みられない状態となった。一方で、日本が独立を全うし国家が発展するためには、思想、文化、体制は日本の歴史・民族性に基づくものでなければならないという気運が高まり、1882年(明治15年)國學院大學の母体となる皇典講究所が明治政府によって設立された。
11月4日の皇典講究所開黌式当日、初代総裁有栖川宮幟仁親王は、教職員・生徒に対して、次のような告諭を述べた[6]。
凡󠄁學問ノ道󠄁ハ本ヲ立ツルヨリ大ナルハ莫シ故ニ國體ヲ講󠄁明󠄁シテ以テ立國ノ基礎ヲ鞏クシ德性ヲ涵養󠄁シテ以テ人生ノ本分󠄁ヲ盡スハ百世易フベカラザル典則ナリ而シテ世或ハ此ニ暗󠄁シ是レ本黌ノ設立ヲ要󠄁スル所󠄁以ナリ
國學院大學建学の精神はこの告諭の「本ヲ立ツル」ことを基底としている。「本ヲ立ツル」は、日本人が「拠って立つ根本を明らかにする」という意味である[7]。日本の国柄を明らかにし(国体の講明)、人柄を養い育む(徳性の涵養)ことで、伝統文化に基づいた日本の根本を究める(本を立つる)ことが、國學院大學の神道精神の基礎をなしている[1]。
元学長で國學院大學中興の祖と呼ばれる芳賀矢一作詞の國學院大學校歌にも建学の精神が歌い込まれている[8]。
また、1890年(明治23年)7月に皇典講究所初代所長の山田顕義が公表した「國學院設立趣意書[9]」には、国史・国文・国法を中心に学び、海外百科の学問も網羅兼修することが述べられている[10]。
「おもい」に「慮」の字を用いるのは、神道精神に基づいて「相手の立場を慮りつつ自己主張を行い、協調を図る」の意味を込めているもの[7]。
國學院大學には神社本庁の神職の資格が取れる神職課程がある。大学でこの資格を取得できるのは國學院大學と皇學館大学のみである[13]。また、専門学校令以降、教員輩出率が教育大学を除く他大学に比べると高い傾向にある[14]。
皇典講究所をルーツに持つ経歴もあり、日本文化に関連する特色ある行事が行われる。
1月には渋谷キャンパスで奈良・平安時代の神式の成人式を再現した「成人加冠式」が行われ、男子が冠、女子が釵子と呼ばれる装飾具を頭部に着し、学内の神殿に奉告する[15][16]。
7月の七夕には「和装DAY」が開催され、当日は浴衣で授業を受講できるほか、学内に竹が飾られ学生が短冊を掛ける。
10月には供物を献じて十五夜の満月を鑑賞する中秋観月に由来する「観月祭」が行われる[17]。
渋谷キャンパスとたまプラーザキャンパスにそれぞれ図書館があり、神道・国史を中心に約160万点の資料を収容し、國學院大學本源氏物語を初め貴重な資料も所蔵している。
(沿革節の主要な出典は公式サイト[18])
1882年(明治15年)に明治政府は日本の古典、礼式を研究し国家に必要な人材を育てる国学研究機関を組織化するために東京に設けた皇典講究所が、1890年(明治23年)に国学を講究して、日本民族の国家観念を湧出する施設として開設した國學院を起源としている。1920年(大正9年)の大学令により旧制大学に昇格し、1948年(昭和23年)現行の新学制によって新制大学となった。
すべて渋谷キャンパスに設置
※平成16年より専門職大学院法務研究科(法科大学院)を設置していたが、平成30年4月に廃止した。
渋谷キャンパス
渋谷キャンパス
國學院大學には自治会が存在する。毎年選挙が行われ、クラス・学科から代表者を選出し、学生総会を開催している(選挙、総会への参加は必ずしも全学生では無い)。文化系サークルの連合会である文化団体連合会及び大学当局に強い影響力を持ち、これまでにサークル施設の獲得運動や学費値上げ反対運動などを展開した。
また自治会は「国大生の学生生活や権利を守るためには社会に目を向けなければならない」という考えに基づき、反戦・反憲法改正(憲法改悪と主張)・反保守政権・普天間基地辺野古移設反対などを掲げ、著名なジャーナリストや記者(東京新聞など)を招いた講演会を開催したり、学内で演説やビラの配布、掲示を行うなど精力的に活動しており、左派または過激派として認知されている。
下部組織として文化団体連合会があり、学祭運営や加盟サークルへの活動支援・補償を行っている。
2016年に過激派が関与するサークルへの注意を促すビラを学生が作成した際、注意の部分を読んでもらう目的で学長とマスコットキャラクター(こくぴょん)の写真を逆にしたところ、大学側がビラを作成した学生を特定し自宅待機をさせたうえで処分を検討したことから、この対応に疑問の声が上がっていると報じられた[31][32]。
学術・文化・体育系の多様な部会・サークルが活動している。渋谷キャンパスでは若木会館、たまプラーザキャンパスでは若木21がサークル施設になっている。体育連合会、文化団体連合会、同好会連合の3つのサークル連合が存在するが、それらに所属していないサークルも含めると200近いサークルが公認され活動している。
國學院大學では、卒業生を院友(いんゆう)と呼び、同窓会として一般財団法人國學院大學院友会が存在する。1882年(明治15年)に開黌した皇典講究所の卒業生が、1887年(明治20年)に結成した「水穂会」を創始とする[11]。1890年(明治23年)に皇典講究所の教育機関である國學院が設立されると、1894年(明治27年)にその卒業生によって「水穂会」とは別に「院友会」が組織された[33]。1931年(昭和6年)に院友会は財団法人に移行し、院友らの活動も活発化する。2012年(平成24年)には一般財団法人に移行し、現在まで活動を続けている[33]。
同窓会本部である渋谷キャンパスに隣接した院友会館は、院友や関係者による寄付で建設・運営されている[34]。2020年(令和2年)時点で院友会会員数は約15万名に上り[35]、全国に59の都道府県支部を抱え、各支部には地区部会、職域部会が置かれている。また國學院大學経済学部卒業生によって組織される院友経済会や、法学部卒業生によって組織される法学部OB・OG会、マスコミ界の院友で構成されるマスコミ院友会、國學院大學で学位を得た研究者で構成される院友学術振興会の4団体が協力団体として活動している[36]。
院友会は年に一度の院友大会や新年院友交歓会を開催するほか、各支部でも総会を開き、また会報の発行などを通じて院友の親睦深化を図っている。そのほか公益事業として國學院大學在学生のための経済支援や、各種講座・講演会などを行っている。
出典[37]
代 | 氏名 | 任期 | 備考 |
---|---|---|---|
初代 | 宮西惟助 | 1931年(昭和6年)9月 - 1939年(昭和14年)6月 | 國學院大學教授、日枝神社宮司 |
2代 | 鳥野幸次 | 1939年6月 - 1943年(昭和18年)9月 | 國學院大學教授、御歌所寄人 |
3代 | 佐左木行忠 | 1943年9月 - 1946年(昭和21年) | 神社本庁統理、國學院大學学長、貴族院副議長 |
4代 | 石川岩吉 | 1946年11年 - 1959年(昭和34年)9月 | 教育者、國學院大學名誉学長 |
5代 | 佐左木行忠 | 1959年10月 - 1970年(昭和45年)3月 | 再任 |
6代 | 富岡盛彦 | 1970年3月 - 1974年(昭和49年)9月 | 神社本庁元総長 |
7代 | 今泉忠義 | 1974年9月 - 1976年(昭和51年)11月 | 国語学者、文学博士、國學院大學名誉教授 |
8代 | 近藤薫明 | 1976年12月 - 1977年(昭和52年)7月 | 城北中学校・高等学校2代校長、城北埼玉中学・高等学校創設者 |
9代 | 小林武治 | 1978年(昭和53年)7月 - 1987年(昭和62年)4月 | 國學院大学元理事長、國學院高等学校元校長 |
会長代行 | 高澤信一郎 | 1987年4月 - 1987年7月 | 明治神宮名誉宮司、國學院大學教授、神社本庁理事、儀礼文化学会会長 |
10代 | 高宮行男 | 1987年7月 - 1993年(平成5年)6月 | 代々木ゼミナール創業者 |
11代 | 海林澣一郎 | 1993年6月 - 2000年(平成12年)3月 | 日本放送協会専務理事 |
12代 | 外山勝志 | 2000年3月 - 2011年(平成23年)6月 | 明治神宮名誉宮司 |
13代 | 吉田茂穗[注釈 8] | 2011年6月30日 - | 鶴岡八幡宮宮司 |
院友会館は院友会活動の本拠地で、國學院大學渋谷キャンパスの一角にある。院友会館は1932年(昭和7年)に建築されたが、老朽化のため1987年(昭和62年)に現在地に新築された[33]。また2008年(平成20年)には大規模改修がなされた[38]。初代院友会館は地上2階建だったが、新会館は地上4階・地下1階建で、ラウンジや大ホール、会議室、研修室、和室、茶室などの施設がある[38]。ラウンジからは日本庭園を眺めることができる。院友会館の建設や運営には、院友や関係者の寄付金が活用されている[38]。
院友会館は建築以来、卒業生や在学生、教職員の会合・交流・休息の場所として利用され、院友会の各種催事も開かれる。現在は大學関係者だけでなく、地域住民など一般にも開放されている[38]。所在地は東京都渋谷区東4丁目12番8号。
かつて飯田町(現・飯田橋駅付近)にあった國學院大學は、大学令大学昇格を期に静寂な環境にある渋谷の氷川御料地に移転し、渋谷キャンパスのルーツとなった。今日でも周囲は寺社や学校の多い閑静な文教地区である。文学部、経済学部、法学部、神道文化学部の全学年(共通教育科目の一部を除く)、および大学院が使用する。
渋谷キャンパス敷地内には、天照大御神をはじめとする天神地祇八百萬神を祀る「國學院大學神殿」がある[39]。
2002年から創立120周年を記念して再開発が行われた。2006年6月に若木タワー(地下1階・地上18階建て)、2008年6月に図書館とコンピュータ教室を備えた学術メディアセンター (AMC)、2009年9月に3号館が完成し、再開発事業は完了した。なお、渋谷キャンパス再開発事業の一環として進められた総合学修館(6号館)は2019年3月に完成した。
3号館1階に「和 NAGOMI」、3号館2階に「メモリアルレストラン」の2つの学生食堂がある。また、学術メディアセンター (AMC) 1階にはカフェラウンジ「若木が丘」があり、いずれも学生でなくとも利用できる。「和 NAGOMI」の看板メニュー・讃岐うどんは毎日香川県から陸送され、1日700玉が売れる。神道文化学部を擁する大学の特色を大切に、食も日本文化にこだわり、特に讃岐うどんは國學院の代名詞的存在になっている[40]。
学術メディアセンター (AMC) 地下1階に、考古展示室・神道展示室・校史展示室・企画展示室の4つの展示室を備えた國學院大學博物館がある[41]。
AMC1階の約85㎡のオープンスペースには本棚兼読書スペース「みちのきち」が設置され、本棚には新書や写真集、漫画など約800冊が配架されている[42]。
渋谷キャンパスは近代的な設計や立地を生かして、アイドルグループ欅坂46の楽曲「サイレントマジョリティー」のアーティスト写真や[43]、ロックバンドグループフレデリックの楽曲「オワラセナイト」のミュージックビデオなど[44]、アーティストのロケ地としてもしばしば用いられる。
1985年(昭和60年)に八王子分校舎(1991年閉鎖)から移転した新石川校舎を「たまプラーザキャンパス」とした。人間開発学部の全学年が使用する。2022年(令和4年)には観光まちづくり学部が開設。2013年(平成25年)まで國學院大學幼児教育専門学校が併設されていた。
1982年(昭和57年)に開設した國學院女子短期大学は1991年(平成3年)の國學院短期大学への改称を経て、2009年(平成21年)現名称の國學院大學北海道短期大学部になった。「國學院大學傘下の『短期大学部』として、北海道キャンパスの役割を担う」としているが[45]、組織上は学校法人國學院大學が運営する短期大学である。
栃木市に所在する以下の学校法人および教育機関は1963年に國學院大學から分離独立しており、現在は別学校法人による運営となっている。
國學院大學の前身である皇典講究所に日本大学の前身である日本法律学校が創設された経緯があり[49]、國學院大學学長が代わった際や日本大学総長・理事長が代わった際には互いに表敬訪問するなど交流が続いている[50][51][52]。
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