野々市市
石川県の市 ウィキペディアから
石川県の市 ウィキペディアから
2011年11月11日に、石川郡野々市町が市制を施行し、野々市市が誕生。石川県11番目の市となった。またこれに伴い、石川郡は消滅した。
野々市市は、名称に約物(特殊記号)のひとつ「々」を用いている唯一の市である[1]。
人口密度は本州の日本海側で最も大きい。
東洋経済の全国総合住みよさランキング2023では、1位を獲得している。
手取川扇状地の北東端にある。北部と東部は金沢市に、西部と南部は白山市に隣接する山も海もない平地である。石川県内では唯一、海に面していない市である。
主に旧町域・村域に従い4地区に分けられる。
野々市市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 野々市市の年齢・男女別人口分布(2005年) |
■紫色 ― 野々市市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 |
野々市市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
古代の遺跡として御経塚遺跡や末松廃寺跡がある。鎌倉時代・室町時代には守護となった富樫氏がここに館を置いた。江戸時代は、北陸街道の宿場町であったが、参勤交代で通過する藩は大聖寺藩のみであったため、規模は小さかった。
2010年実施の国勢調査で、石川県が2011年2月14日が発表した速報では市制施行の要件である人口が5万人を突破したため、2011年11月11日に市制施行した[10]。新しい市の名称は野々市市(ののいちし)[11]。
町長の粟貴章は市制施行の会見において、
というように市制施行日を同日に予定した理由を説明している[12]。
2011年4月28日に開催した町議会において市制移行を決議し、5月2日石川県に市制移行を申請した[13][14]。8月12日付の官報において、総務省は野々市町の市制移行を告示し、11月11日に野々市市が誕生することになった[15]。石川県内の地方公共団体の単独での市制移行は、1970年に松任町が市制移行し誕生した松任市(現・白山市)以来となる。
市制施行までは全国の町村の中では岩手県岩手郡滝沢村、愛知県愛知郡長久手町(いずれも当時)に次いで3番目に人口が多かった。
歴代野々市村長 | |||||
---|---|---|---|---|---|
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 瀬尾永章 | 1889年(明治22年)5月2日 | 1893年(明治26年) | |
2 | 1893年(明治26年) | 1896年(明治29年)4月20日 | |||
3 | 2 | 水毛生伊余門 | 1896年(明治29年)4月30日 | 1896年(明治29年)9月3日 | |
4 | 3 | 藤村理平 | 1896年(明治29年)9月15日 | 1898年(明治31年)11月24日 | |
5 | 4 | 田多野仁三郎 | 1898年(明治31年)12月7日 | 1899年(明治32年)8月23日 | |
6 | 5 | 後藤与五郎 | 1899年(明治32年)9月14日 | 1900年(明治33年)4月15日 | |
7 | 田多野仁三郎 | 1900年(明治33年)4月25日 | 1903年(明治36年)6月1日 | ||
8 | 6 | 藤村藤作 | 1903年(明治36年)6月15日 | 1907年(明治40年) | |
9 | 1907年(明治40年) | 1911年(明治44年) | |||
10 | 1911年(明治44年) | 1915年(大正4年) | |||
11 | 1915年(大正4年) | 1919年(大正8年) | |||
12 | 1919年(大正8年) | 1923年(大正12年)4月2日 | |||
13 | 7 | 舘惣次郎 | 1923年(大正12年)5月21日 | 1924年(大正13年)6月30日 | |
歴代野々市町長(1924年ー1955年) | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 舘惣次郎 | 1924年(大正13年)7月1日 | 1927年(昭和2年) | |
2 | 1927年(昭和2年) | 1931年(昭和6年)8月31日 | |||
3 | 2 | 橋場仕三郎 | 1931年(昭和6年)10月1日 | 1935年(昭和10年) | |
4 | 1935年(昭和10年) | 1936年(昭和11年)4月22日 | |||
5 | 3 | 木戸禎七 | 1936年(昭和11年)5月19日 | 1937年(昭和12年)3月27日 | |
6 | 4 | 兵地栄一 | 1937年(昭和12年)9月8日 | 1941年(昭和16年) | |
7 | 1941年(昭和16年) | 1945年(昭和20年) | |||
8 | 1945年(昭和20年) | 1946年(昭和21年)3月11日 | |||
9 | 1946年(昭和21年)4月23日 | 1946年(昭和21年)11月22日 | |||
10 | 5 | 福田三次 | 1947年(昭和22年)4月8日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
11 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)3月31日 | |||
歴代野々市町長(1955年ー2011年) | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 兵地栄一 | 1955年(昭和30年)5月1日 | 1959年(昭和34年)1月2日 | [16] |
2 | 2 | 中島栄治 | 1959年(昭和34年)2月17日 | 1963年(昭和38年)2月16日 | [17] |
3 | 1963年(昭和38年)2月17日 | 1967年(昭和42年)2月16日 | |||
4 | 1967年(昭和42年)2月17日 | 1971年(昭和46年)2月16日 | |||
5 | 1971年(昭和46年)2月17日 | 1975年(昭和50年)2月16日 | |||
6 | 3 | 黒保衛 | 1975年(昭和50年)2月17日 | 1979年(昭和54年)2月16日 | |
7 | 4 | 徳野與四男 | 1979年(昭和54年)2月17日 | 1979年(昭和54年)4月28日 | [18] |
8 | 5 | 西尾修 | 1979年(昭和54年)6月10日 | 1983年(昭和58年)6月9日 | |
9 | 1983年(昭和58年)6月10日 | 1987年(昭和62年)6月9日 | |||
10 | 1987年(昭和62年)6月10日 | 1991年(平成3年)6月9日 | |||
11 | 1991年(平成3年)6月10日 | 1995年(平成7年)6月9日 | |||
12 | 6 | 安田彦三 | 1995年(平成7年)6月10日 | 1999年(平成11年)6月9日 | |
13 | 1999年(平成11年)6月10日 | 2003年(平成15年)6月9日 | |||
14 | 2003年(平成15年)6月10日 | 2007年(平成19年)6月9日 | |||
15 | 7 | 粟貴章 | 2007年(平成19年)6月10日 | 2011年(平成23年)6月9日 | |
16 | 2011年(平成23年)6月10日 | 2011年(平成23年)11月10日 | |||
歴代野々市市長 | |||||
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
1 | 1 | 粟貴章 | 2011年(平成23年)11月11日 | 2015年(平成27年)6月9日 | |
2 | 2015年(平成27年)6月10日 | 2019年(令和元年)6月9日 | |||
3 | 2019年(令和元年)6月10日 | 2023年(令和5年)6月9日 | |||
4 | 2023年(令和5年)6月10日 | 現職 |
回 | 選挙執行日 | 投票率 (%) | 候補者 | 得票数 | 得票率 (%) |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1955年4月29日 | 無投票 | 兵地栄一 | / | / |
2 | 1959年2月17日 | 94.0 | 中島榮治 | 1,825 | ? |
小堀栄吉 | 1,566 | ? | |||
3 | 1963年2月6日 | 無投票 | 中島榮治 | / | / |
4 | 1967年1月25日 | 66.2 | 中島榮治 | 3,429 | ? |
尾西慧一 | 580 | ? | |||
5 | 1971年2月1日 | 無投票 | 中島榮治 | / | / |
6 | 1975年2月2日 | 78.98 | 黒保衛 | 4,966 | ? |
中島榮治 | 4,569 | ? | |||
菅原光男 | 661 | ? | |||
7 | 1979年2月4日 | 78.26 | 徳野與四男 | 6,590 | ? |
橋本外茂男 | 5,698 | ? | |||
十二新作 | 758 | ? | |||
8 | 1979年6月10日 | 35.97 | 西尾修 | 4,917 | ? |
十二新作 | 1,034 | ? | |||
9 | 1983年5月17日 | 無投票 | 西尾修 | / | / |
10 | 1987年5月20日 | 無投票 | 西尾修 | / | / |
11 | 1991年5月22日 | 無投票 | 西尾修 | / | / |
12 | 1995年5月28日 | 無投票 | 安田彦三 | / | / |
13 | 1999年4月25日 | 59.44 | 安田彦三 | 15,246 | ? |
青木万里子 | 1,845 | ? | |||
14 | 2003年4月27日 | 65.82 | 安田彦三 | 14,715 | ? |
中道明 | 6,082 | ? | |||
15 | 2007年4月22日 | 58.62 | 粟貴章 | 17,307 | ? |
青木万里子 | 1,622 | ? | |||
16 | 2011年4月24日 | 無投票 | 粟貴章 | / | / |
会派名 | 議席数 |
---|---|
野々市フォーラム | 8 |
市政議員会 | 1 |
日本共産党 | 1 |
公明 | 1 |
令和清栄 | 1 |
みのりの会 | 1 |
2022年3月24日時点[21]
※議長、副議長は会派に属さない。
議員名 | 会派名 | 備考 |
---|---|---|
徳野光春 | 自由民主党石川県議会議員協議会 | |
吉田修 | 未来石川議員会 | 党籍は無所属 |
金沢市の衛星都市(ベッドタウン)として発達していることから、スーパーマーケットや飲食店、量販店が進出している。
白山野々市広域事務組合消防本部が管轄している。
※郵便配達は新金沢郵便局(金沢市)が行う。
(観光欄も参照)
過去には松金線が野々市町域を通過していた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.