関脇

大相撲の力士の地位の一つ ウィキペディアから

関脇(せきわけ、せきわき)は、大相撲力士の地位の一つ。大関の下、小結の上。いわゆる「三役」と呼ばれる地位の一つであり、(本来の意味では)その中では二番目に当たる(詳細は後述)。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第三位に当たる。

呼称・由来

江戸時代の大相撲初期からある地位である。

「大関」の「脇」をつとめる者、という意味が語源とされている。第2位の力士を〈脇〉と呼ぶことは、平安時代相撲節会に遡る。

現在は地位としては3番目であるが、江戸時代には、横綱が地位として確立されておらず(大関の中で特に実力のあるものに認められた名誉称号であった)、大関が興行用の看板大関で実力が皆無であったことが多かったため、関脇が実力的に最強の力士であることも多かった。1789年(寛政元年)11月場所7日目谷風小野川に揃って横綱免許(称号としての横綱)が与えられたが、この場所の両者の番付は関脇だった。

三役

本来は大関・関脇・小結の3つの番付が「三役」であるが、大関は昇進に特別な条件が必要なことや、横綱との兼ね合いがあることから、現在では狭義の三役としては大関を除いて関脇と小結の2つの番付のみを指し、横綱・大関・関脇・小結をひとまとめにする場合は「役力士」と呼ぶ。現在では横綱が地位として確立しているため、関脇は横綱・大関に次いで3番目の地位となっていることから、千秋楽では「これより三役」に出場する機会が多い。

小結は横綱が地位として確立していない時代には大関・関脇に次いで3番目の地位であったため、「これより三役」に出場する機会が多かったが、現在は小結が「これより三役」に出場する機会は関脇と比較すると少なく(横綱・大関の番付上の人数・休場者数や優勝争いなどの状況の都合で小結が「これより三役」に出場することはあるが)、初日に横綱との割が組まれることが定例となっている。だが、稀に関脇が初日に横綱との割を組まれる場合もある。

特徴

待遇

月給は小結とともに「三役」とひとくくりに扱われ、同額(180万円)である[1]

取組

幕内力士として、本場所では15日間毎日取組が組まれる。

定員

関脇としての定員は定められていない。

人数の下限としては最低2名(東西1名ずつ)定められており、実際に2名のみの場所が多い。これまでの1場所最大の人数は5関脇で、1972年(昭和47年)7月場所の1例のみ(輪島貴ノ花三重ノ海魁傑長谷川)。これに次ぐ4関脇は、合計27場所ある。直近の4関脇は、2024年(令和6年)9月場所阿炎大の里霧島貴景勝)である。近年でも後述のように3関脇の番付がしばしば発生しているが、4関脇以上の番付については、2000年(平成12年)1月場所(魁皇栃東武双山貴ノ浪)以来2023年(令和5年)1月場所若隆景豊昇龍髙安正代)まで23年にわたり出ていなかった。2023年(令和5年)は6場所全て3関脇以上となった。

昇進・陥落要件

要約
視点

関脇に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではない。特に、関脇は定員が少なく、さらに上位(大関)への昇進審査が厳格に管理されているため、他の力士との兼ね合いによる運・不運が大きい。

幕内上位については、昇進要件が特に厳格である横綱・大関を除いた力士のうち、前場所の番付と成績を加味して上から順に関脇2名、小結2名、それ以降を前頭(平幕)とすることが多い。そのため、小結で勝ち越しても、関脇の枠が空かずに昇進できないケースもあれば、逆に、上位陣が軒並み負け越した場合には、単純計算で昇進できない成績の力士が引き上げられて関脇に至るケースもある。(小結での勝ち越しが優先される。)

逆に、関脇に在位するに十分な成績を残した力士が3名以上いた場合は、増員されることがある(以前の張出に相当)。具体的には、小結で11勝以上の好成績を挙げた場合は、戦後は例外なく関脇に昇進しているほか、大関からの陥落力士が発生した場合も、関脇が3名以上になる可能性がある(ただし前場所関脇で関脇に留まる力士が1人または不在の時は大関からの陥落力士を含めて関脇2人というケースが大半である[2])。一方、関脇で負け越した場合は原則陥落するが、東関脇で7勝8敗の場合は、他の力士との兼ね合いで西関脇にとどめられることもある。21世紀に入ってからは関脇で7勝8敗の力士が平幕に落ちた例は全くない。(平成時代に関しては平成3年夏場所の曙、平成3年秋場所の貴花田(のちの横綱貴乃花)平成4年初場所の琴錦、貴闘力、平成4年九州場所の安芸ノ島(のちの安芸乃島)の5人が7勝8敗で翌場所平幕に陥落をしている。貴闘力の東前頭2枚目以外は全員東前頭筆頭であった。)

関脇から大関に昇進する場合(大関から陥落した直後の大関特例復帰を除く)には、関脇または小結で続けて優秀な成績を挙げなければならない。近年では「3場所続けて三役の地位にあり、その通算の勝ち星が33勝以上」がその目安とされている。したがって、8勝7敗・9勝6敗・10勝5敗といった並の勝ち越しだけで昇進が可能な番付としては関脇が最高位である[3]。11勝4敗についても、計算上は最高11勝でも大関への昇進は可能ではあるが、実際には困難である。

1991年11月場所には前場所に平幕優勝を達成していた琴錦功宗が13日目を終えた時点で11勝2敗をキープしており、連覇の可能性があったことから、当時の二子山理事長が「二場所連続優勝なら大関昇進を考える余地がある」と発言しており、平幕・小結と2場所連続優勝を達成すれば関脇を飛び越して大関に昇進することも制度上は可能である模様。

大関が2場所続けて負け越すと関脇へと陥落するが、その場合、関脇の中では最も低い順位に据えられるのが通例で(関脇が2名であれば西関脇、3名以上であれば第2関脇(過去であれば張出))、その陥落直後の場所に10勝以上した場合は大関特例復帰となる。

記録

要約
視点
備考

在位記録については、中止された2011年(平成23年)3月場所と2020年(令和2年)5月場所は含まれず、本場所ではないが公式記録が残る2011年(平成23年)5月の技量審査場所は含まれる。

関脇在位記録

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順位関脇在位四股名最高位
1位22場所琴光喜啓司大関
2位21場所長谷川勝敏関脇
琴錦功宗関脇
魁皇博之大関
5位20場所武双山正士大関
6位19場所御嶽海久司大関
7位17場所栃東大裕大関
若の里忍関脇
9位15場所貴闘力忠茂関脇
名寄岩静男大関
豪栄道豪太郎大関
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  • 2024年11月場所時点。
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三役(関脇・小結)在位記録

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順位四股名三役在位関脇在位小結在位最高位
1位琴錦功宗34場所21場所13場所関脇
2位魁皇博之32場所21場所11場所大関
3位武双山正士31場所20場所11場所大関
4位長谷川勝敏30場所21場所9場所関脇
琴光喜啓司22場所8場所大関
6位御嶽海久司29場所19場所10場所大関
7位高見山大五郎27場所8場所19場所関脇
安芸乃島勝巳12場所15場所関脇
9位貴闘力忠茂26場所15場所11場所関脇
若の里忍17場所9場所関脇
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関脇連続在位記録

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順位関脇在位四股名在位期間最高位
1位14場所豪栄道豪太郎2012年(平成24年)5月場所 - 2014年(平成26年)7月場所↑大関
2位13場所魁皇博之1995年(平成7年)1月場所 - 1997年(平成9年)1月場所↓大関
3位11場所琴光喜啓司2005年(平成17年)11月場所 - 2007年(平成19年)7月場所↑大関
4位9場所逆鉾昭廣1987年(昭和62年)11月場所 - 1989年(平成元年)3月場所↓関脇
武蔵丸光洋1992年(平成4年)9月場所 - 1994年(平成6年)1月場所↑横綱
6位 8場所 若ノ花勝治1954年(昭和29年)1月場所 - 1955年(昭和30年)9月場所↑横綱
長谷川勝敏1969年(昭和44年)1月場所 - 1970年(昭和45年)3月場所↓ 関脇
1971年(昭和46年)5月場所 - 1972年(昭和47年)7月場所↓
8位 7場所 松登福太郎1954年(昭和29年)3月場所 - 1955年(昭和30年)9月場所↑大関
大豪久照1963年(昭和38年)5月場所 - 1964年(昭和39年)5月場所↓関脇
前乃山太郎1969年(昭和44年)7月場所 - 1970年(昭和45年)7月場所↑大関
若隆景渥2022年(令和4年)3月場所 - 2023年(令和5年)3月場所↓関脇
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  • 四股名は在位終了当時の四股名。
  • 在位期間の↑は在位終了時に大関昇進、↓は小結以下に陥落。
  • 太字の力士は現役中。
  • ※は年6場所制以前の入幕。

三役(関脇・小結)連続在位記録

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順位在位場所数四股名在位期間小結関脇最高位
1位19場所若の里忍2002年(平成14年)1月場所 - 2005年(平成17年)1月場所↓5場所14場所関脇
2位17場所御嶽海久司2017年(平成29年)3月場所 - 2019年(令和元年)11月場所↓6場所11場所大関
3位 14場所 魁皇博之1994年(平成6年)11月場所 - 1997年(平成9年)1月場所↓1場所13場所大関
琴光喜啓司2005年(平成17年)5月場所 - 2007年(平成19年)7月場所↑2場所12場所大関
豪栄道豪太郎2012年(平成24年)5月場所 - 2014年(平成26年)7月場所↑0場所14場所大関
6位 12場所 北葉山英俊1959年(昭和34年)7月場所 - 1961年(昭和36年)5月場所↑3場所9場所大関
武双山正士1995年(平成7年)7月場所 - 1997年(平成9年)5月場所↓5場所7場所大関
8位 11場所 大麒麟將能1969年(昭和44年)1月場所 - 1970年(昭和45年)9月場所↑5場所6場所大関
逆鉾昭廣1987年(昭和62年)11月場所 - 1989年(平成元年)7月場所↓1場所10場所関脇
武蔵丸光洋1992年(平成4年)5月場所 - 1994年(平成6年)1月場所↑2場所9場所横綱
安馬公平2007年(平成19年)3月場所 - 2008年(平成20年)11月場所↑3場所8場所横綱
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  • 2024年11月場所現在。
  • 四股名は在位終了当時の四股名。
  • 在位期間の↑は在位終了時に大関昇進、↓は平幕に陥落。
  • ☆印は2024年現在で現役力士。

新三役が関脇だった力士(平成以降)

平成以降では、下記の力士がこれに該当する。このうち、追風海と北勝力は小結を経験していない。小結未経験の関脇は、戦後では他に千代ノ山鏡里吉葉山佐田の山高鐵山の5人がいる。このうち千代ノ山、鏡里、吉葉山、佐田の山の4人はのちに大関、横綱に昇進しているが、高鐵山と追風海と北勝力の3人は三役在位が新関脇の1場所のみであり、その後の三役経験は無い。

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四股名前場所地位成績(三賞新三役(新関脇)場所地位成績(三賞)最高位
寺尾常史1989年1月場所西前頭筆頭8勝7敗(殊)1989年3月場所西関脇5勝10敗関脇
琴富士孝也1990年5月場所西前頭筆頭8勝7敗1990年7月場所西関脇4勝11敗関脇
武双山正士1994年1月場所西前頭3枚目10勝5敗(殊)1994年3月場所西関脇9勝6敗大関
玉春日良二1997年5月場所東前頭筆頭8勝7敗(殊)1997年7月場所西関脇7勝8敗関脇
出島武春1997年9月場所東前頭筆頭11勝4敗(殊・技)1997年11月場所西関脇5勝3敗7休大関
追風海直飛人2000年9月場所西前頭2枚目9勝6敗2000年11月場所西関脇4勝5敗6休関脇
琴光喜啓司2000年11月場所西前頭9枚目13勝2敗(殊・敢・技)2001年1月場所西関脇4勝11敗大関
北勝力英樹2004年5月場所西前頭筆頭13勝2敗(殊・敢)2004年7月場所西関脇3勝12敗関脇
琴奨菊和弘2007年1月場所東前頭筆頭9勝6敗2007年3月場所西関脇7勝8敗大関
阿覧欧虎2010年7月場所東前頭2枚目11勝4敗(敢)2010年9月場所東関脇7勝8敗関脇
逸ノ城駿2014年9月場所東前頭10枚目13勝2敗(殊・敢)2014年11月場所西関脇8勝7敗関脇
照ノ富士春雄2015年1月場所東前頭2枚目8勝7敗(敢)2015年3月場所東関脇13勝2敗(殊・敢)横綱
琴勇輝一巖2016年3月場所東前頭筆頭12勝3敗(殊)2016年5月場所東関脇7勝8敗関脇
正代直也2016年11月場所西前頭3枚目11勝4敗(敢)2017年1月場所西関脇7勝8敗大関☆
隆の勝伸明2020年9月場所西前頭筆頭10勝5敗2020年11月場所西関脇8勝7敗関脇☆
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  • ☆印は2025年時点で現役力士。
  • 殊:殊勲賞、敢:敢闘賞、技:技能賞

新三役成績

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順位四股名新三役成績新三役番付最高位
1位五ツ嶋奈良男13勝2敗関脇大関
吉葉山潤之輔関脇横綱
安念山治小結関脇
照ノ富士春雄関脇横綱
5位雅山哲士12勝3敗小結大関
大の里泰輝小結大関
7位佐賀ノ花勝巳11勝4敗小結大関
照國萬藏関脇横綱
増位山大志郎小結大関
鏡里喜代治関脇横綱
朝潮太郎 (3代)関脇横綱
大鵬幸喜小結横綱
栃ノ海晃嘉小結横綱
魁傑將晃小結大関
貴花田光司小結横綱
白鵬翔小結横綱
朝乃山英樹小結大関
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  • 2025年1月場所時点。
  • 太字の力士は、2025年現在、現役力士である。
  • ※は年6場所制定着以前の記録。
  • 貴花田は後に貴乃花に改名。
  • 朝乃山英樹は後に朝乃山広暉に改名。

新関脇成績

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順位四股名新関脇成績最高位
1位五ツ嶋奈良男13勝2敗大関
吉葉山潤之輔横綱
琴欧洲勝紀大関
照ノ富士春雄横綱
5位大鵬幸喜12勝3敗横綱
豊山勝男大関
若隆景渥関脇
霧馬山鐵雄大関
9位羽黒山政司11勝4敗横綱
玉乃海太三郎関脇
照國萬蔵横綱
鏡里喜代治横綱
朝潮太郎 (3代)横綱
千代の富士貢横綱
朝潮太郎 (4代)大関
北天佑勝彦大関
旭富士正也横綱
千代大海龍二大関
雅山哲士大関
栃煌山雄一郎関脇
貴景勝光信大関
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  • 2025年1月場所時点。
  • 太字の力士は現役力士。
  • ◎は新関脇優勝力士。
  • ※は年6場所制定着以前の記録。
  • 霧馬山鐵雄は後に霧島鐵力に改名。
  • 貴景勝光信は後に貴景勝貴信に改名。

新関脇優勝

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四股名場所新関脇成績最高位
清水川元吉1932年1月場所8勝0敗大関
双葉山定次1936年5月場所11勝0敗横綱
若隆景渥2022年3月場所12勝3敗関脇
霧馬山鐵雄2023年3月場所12勝3敗大関
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  • 2024年7月場所時点。
  • 太字の力士は現役力士。
  • ※は年6場所・15日制定着以前の記録。

関脇以下での複数回優勝回数

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順位優勝回数場所四股名地位成績最高位
1位3回2015年(平成27年)5月場所照ノ富士春雄東関脇12勝3敗横綱
2020年(令和2年)7月場所東前頭17枚目13勝2敗
2021年(令和3年)3月場所東関脇12勝3敗
2018年(平成30年)7月場所御嶽海久司西関脇13勝2敗大関
2019年(令和元年)9月場所東関脇12勝3敗
(○貴景勝
2022年(令和4年)1月場所東関脇13勝2敗
3位2回1956年(昭和31年)3月場所朝汐太郎東関脇12勝3敗
(○若ノ花
(○若羽黒
横綱
1957年(昭和32年)3月場所西関脇13勝2敗
1961年(昭和36年)5月場所佐田の山晋松西前頭1312勝3敗横綱
1962年(昭和37年)3月場所東張出関脇13勝2敗
(○ 大鵬
1974年(昭和49年)11月場所魁傑將晃西張出小結12勝3敗大関
1976年(昭和51年)9月場所西前頭4枚目14勝1敗
1992年(平成4年)1月場所貴花田光司東前頭214勝1敗横綱
1992年(平成4年)9月場所西小結14勝1敗
1991年(平成3年)9月場所琴錦功宗西前頭513勝2敗関脇
1998年(平成10年)11月場所西前頭1214勝1敗
2019年(平成31年)1月場所玉鷲一朗西関脇13勝2敗関脇
2022年(令和4年)9月場所西前頭313勝2敗
2024年(令和6年)5月場所大の里泰輝西小結12勝3敗大関
2024年(令和6年)9月場所西関脇13勝2敗
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  • 2025年1月場所終了時点。
  • 太字の力士は、2025年現在、現役力士である。
  • 貴花田は後に貴乃花に改名。

新三役からの連続2桁勝利記録

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順位四股名場所数新三役以降の成績最高位
1位大鵬幸喜24場所11勝4敗(西小結・新三役)、12勝3敗(西関脇・新関脇)、13勝2敗(東関脇)、10勝5敗(東張出大関・新大関)、12勝3敗(西張出大関)、11勝4敗(西大関)、13勝2敗(東大関)12勝3敗(東大関)13勝2敗(西横綱・新横綱)13勝2敗(東横綱)13勝2敗(東横綱)、11勝4敗(東横綱)、14勝1敗(東横綱)13勝2敗(東横綱)13勝2敗(東横綱)14勝1敗(東横綱)14勝1敗(東横綱)15勝0敗(東横綱)、12勝3敗(東横綱)、14勝1敗(東横綱)、12勝3敗(西横綱)、15勝0敗(東横綱)15勝0敗(東横綱)、10勝5敗(東横綱)横綱
2位照國萬蔵8場所11勝4敗(東張出関脇・新三役)、12勝3敗(西関脇)、13勝2敗(西関脇)、12勝3敗(東大関・新大関)、13勝2敗(西張出大関)、14勝1敗(東張出大関)、12勝3敗(西横綱大関・新横綱)、11勝4敗(東横綱大関)横綱
3位朝乃山英樹5場所11勝4敗(西小結2・新三役)、10勝5敗(東関脇・新関脇)、11勝4敗(東関脇)、12勝3敗(西大関・新大関)、10勝5敗(東大関)大関
4位照ノ富士春雄4場所13勝2敗(東関脇・新三役)、12勝3敗(東関脇)、11勝4敗(西大関2・新大関)、12勝3敗(東大関)横綱
5位吉葉山潤之輔3場所13勝2敗(東張出関脇・新三役)、13勝2敗(東関脇)、10勝5敗(西大関・新大関)横綱
雅山哲士12勝3敗(西小結・新三役)、11勝4敗(西関脇・新関脇)、11勝4敗(東関脇)大関
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  • 太字の成績は優勝、斜字の成績は優勝同点を指している。
  • 太字の力士は、2025年現在で現役力士。
  • ※は年6場所制定着以前の記録。

関脇で優勝した力士

要約
視点

関脇で優勝した回数や力士は2024年1月現在、幕内で2番目に少ない。関脇で全勝優勝した力士は清水川と双葉山の2人のみで、年6場所制かつ1場所15日制の現行制度では例がない。新関脇で優勝したのは清水川、双葉山、若隆景、霧馬山の4人。外国出身力士の関脇での優勝も昭和時代以前には例がなく、曙の優勝が最初の例である。関脇で複数回優勝したのは朝汐(2回)、御嶽海(3回)、照ノ富士(2回)の3人。関脇で優勝した翌場所も連続優勝したのは双葉山、2021年の照ノ富士の2人。関脇の優勝は2018年以降毎年必ず1度発生している。過去に関脇の2場所連続優勝は、1962年の3月場所から5月場所、1972年の3月場所から5月場所、2022年の1月場所から3月場所の3例。

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回目場所地位四股名成績翌場所最高位
11929年(昭和4年)1月場所東関脇玉錦三右エ門10勝1敗東関脇(9勝2敗)横綱
21932年(昭和7年)2月場所西関脇清水川元吉8戦全勝西関脇(8勝2敗)大関
31934年(昭和9年)1月場所西関脇男女ノ川登三9勝2敗西張出大関(5勝6敗)横綱
41936年(昭和11年)5月場所西関脇双葉山定兵衛11戦全勝東大関(11戦全勝=優勝)横綱
51940年(昭和15年)5月場所西関脇安藝ノ海節男14勝1敗東大関(12勝3敗)横綱
61948年(昭和23年)10月場所西関脇増位山大志郎10勝1敗
(○東富士
西大関(7勝6敗)大関
71952年(昭和27年)9月場所西関脇栃錦清隆14勝1敗東張出大関(11勝4敗)横綱
81956年(昭和31年)3月場所東関脇朝汐太郎 12勝3敗
(○若ノ花
(○若羽黒
東関脇(8勝7敗)横綱
91957年(昭和32年)3月場所西関脇朝汐太郎13勝2敗西大関(9勝6敗)横綱
101960年(昭和35年)11月場所東関脇大鵬幸喜13勝2敗東張出大関(10勝5敗)横綱
111962年(昭和37年)3月場所東張出関脇佐田の山晋松13勝2敗
(○大鵬)
西大関(13勝2敗)横綱
121962年(昭和37年)5月場所西関脇栃ノ海晃嘉14勝1敗東張出大関(9勝6敗)横綱
131972年(昭和47年)3月場所東関脇長谷川勝敏12勝3敗
(○魁傑
東関脇(8勝7敗)関脇
141972年(昭和47年)5月場所西関脇輪島博12勝3敗東関脇(8勝7敗)横綱
151974年(昭和49年)1月場所東関脇北の湖敏満14勝1敗東大関(10勝5敗)横綱
161975年(昭和50年)11月場所東関脇三重ノ海五郎13勝2敗東大関(8勝7敗)横綱
171981年(昭和56年)1月場所東関脇千代の富士貢14勝1敗
(○北の湖)
東大関(11勝4敗)横綱
181981年(昭和56年)9月場所東関脇琴風豪規12勝3敗東大関(11勝4敗)大関
191983年(昭和58年)5月場所東関脇北天佑勝彦14勝1敗東張出大関(9勝6敗)大関
201986年(昭和61年)3月場所西関脇保志延芳13勝2敗東関脇(11勝4敗)横綱
211992年(平成4年)5月場所西関脇曙太郎13勝2敗東大関(全休)横綱
221999年(平成11年)1月場所東関脇千代大海龍二13勝2敗
(○若乃花
西大関(3勝8敗4休)大関
231999年(平成11年)7月場所西関脇出島武春13勝2敗
(○曙)
東大関2枚目(10勝5敗)大関
242000年(平成12年)1月場所東関脇2枚目武双山正士13勝2敗東関脇(12勝3敗)大関
252015年(平成27年)5月場所東関脇照ノ富士春雄12勝3敗西大関2枚目(11勝4敗)横綱
262018年(平成30年)7月場所西関脇御嶽海久司13勝2敗東関脇(9勝6敗)大関
272019年(平成31年)1月場所西関脇玉鷲一朗13勝2敗西関脇(5勝10敗)関脇
282019年(令和元年)9月場所東関脇御嶽海久司☆12勝3敗
(○貴景勝
東関脇(6勝9敗)大関
292020年(令和2年)9月場所東関脇正代直也13勝2敗東大関2枚目(3勝2敗10休)大関
302021年(令和3年)3月場所東関脇照ノ富士春雄12勝3敗西大関2枚目(12勝3敗=優勝)横綱
312022年(令和4年)1月場所東関脇御嶽海久司☆13勝2敗西大関2枚目(11勝4敗)大関
322022年(令和4年)3月場所東関脇若隆景渥12勝3敗
(○髙安
東関脇(9勝6敗)関脇
332023年(令和5年)3月場所東関脇2枚目霧馬山鐵雄12勝3敗
(○大栄翔
東関脇(11勝4敗)大関
342023年(令和5年)7月場所東関脇豊昇龍智勝12勝3敗
(○北勝富士
西大関2枚目(8勝7敗)横綱
352024年(令和6年)9月場所西関脇大の里泰輝13勝2敗西大関2枚目(9勝6敗)大関
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  • 四股名は優勝当時の四股名。
  • ☆印は2025年現時点で現役力士。
  • 成績の()内は優勝決定戦。決定戦は1947年(昭和22年)6月場所から導入され(1956年の朝汐は巴戦)、それ以前は同点の場合は番付上位者の優勝。玉錦には他に2回(1929年3月場所と1930年1月場所、いずれも9勝2敗、大関豊國が番付上位で優勝、直接の対戦は2回とも玉錦の勝利)、男女ノ川には1回(1931年1月場所、当時の四股名は朝潮)、関脇での優勝同点がある。
  • 地位の「2枚目」などは、張出でなく番付の枠内に書き出されたもの。
  • 曙の大関2場所目は東張出大関で9勝6敗。

脚注

関連項目

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