曽於市
鹿児島県の市 ウィキペディアから
鹿児島県の市 ウィキペディアから
曽於市(そおし)は、日本の鹿児島県本土の東部、大隅半島の北部に位置する市。2005年7月1日、曽於郡の末吉町・財部町・大隅町が合併し成立した。 畜産や畑作を中心とした農業が盛んな地域。旧末吉町・財部町を中心に隣接する宮崎県都城市と日常生活や文化面でのつながりが深く、都城都市圏の範囲内となる。
そおし 曽於市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
市町村コード | 46217-9 | ||||
法人番号 | 8000020462179 | ||||
面積 |
390.14km2 | ||||
総人口 |
30,719人 [編集] (推計人口、2024年9月1日) | ||||
人口密度 | 78.7人/km2 | ||||
隣接自治体 |
霧島市、志布志市、鹿屋市、曽於郡大崎町 宮崎県都城市 | ||||
市の木 | さくら | ||||
市の花 | つつじ | ||||
曽於市役所 | |||||
市長 | 五位塚剛 | ||||
所在地 |
〒899-8692 鹿児島県曽於市末吉町二之方1980番地 北緯31度39分13秒 東経131度01分10秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 |
世帯数:17,487戸(2007年8月1日) 市外局番:0986(旧末吉町・財部町) 市外局番:099 (旧大隅町・末吉町岩﨑の一部) | ||||
ウィキプロジェクト |
北部は都城盆地、東部は鰐塚山地の一角をなし、南西部は主にシラス台地や丘陵地帯が広がっている。市内全域が大隅半島北部の内陸部に位置しており、鹿児島県内の市では、伊佐市と共に海岸線を有していない市の一つである。
合併前の旧町名を以下の大字の前に冠している(例:曽於市大隅町岩川)。
※詳細は、曽於北部合併協議会の公式サイト[1]を参照。
江戸時代は薩摩藩領。廃藩置県当時、曽於市域に存在した郷(外城)は末吉・財部・岩川・恒吉・志布志・大崎の6郷。そのうち末吉・財部・岩川・恒吉の4郷が大隅国曽於郡(当時の表記は囎唹郡)、志布志・大崎は日向国諸県郡に属していた。岩川郷は戊辰戦争後に新設(末吉郷から分割)された郷である。
1889年の町村制実施時に6郷はほぼそのまま村として引き継がれたが、1891年2月に志布志村から月野村、大崎村から野方村がそれぞれ分村した。1891年時点で曽於市域に存在した村は以下の通りとなる。岩川村には1887年に(近代以降の曽於郡の前身となる)東囎唹郡・南諸県郡(1883年の宮崎県再置時に南北に分割)の役所が置かれた[2]。
財部村は1926年4月1日、末吉村は1922年10月1日、岩川村は1924年4月1日にそれぞれ町制を施行。1955年1月20日に岩川町・恒吉村・月野村が合併し、大隅町が発足。同年4月に野方村の荒谷地域を大隅町に編入し、曽於市発足前の3町がほぼ確定した。
首長の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。a は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数であり、b は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数である。曽於市は a の方式を採っているが(他の例:八王子市、弘前市、浜松市)、b の方式を採る自治体も多く(例:京都市、大垣市)、a と b の違いを認識しないまま単純に比較すると誤解が生まれる。なお、返り咲きがあろうとも同一人物を1カウントとする方式もあるが、現状、曽於市は該当しない。
代a | 代b | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
公選市長 | |||||
- | - | 2005年(平成17年)7月1日 | 2005年(平成17年)7月31日[* 1] | 市制の施行に伴い、前身自治体の一つである財部町の長であった原田が市長臨時代理を務め、市長就任までの空位を埋める。 | |
1 | 1 | 2005年(平成17年)7月31日 | 2009年(平成21年)7月30日 | 前身自治体の一つである末吉町の長。60歳で初当選[* 2]し、初代市長に就任。1期目4年を満了。 | |
2 | 2009年(平成21年)7月31日 | 2013年(平成25年)7月30日 | 2009年(平成21年)7月26日、64歳で再選[3]。2期目4年を満了。3選を目指すも、前回市長選で退けた対立候補・五位塚剛との一騎打ちに敗れる[3]。 | ||
3 | 2 | 2013年(平成25年)7月31日 | 2017年(平成29年)7月30日 | 2013年(平成25年)7月21日、59歳で初当選[3](無所属、日本共産党員)。1期目4年を満了。 | |
4 | 2017年(平成29年)7月31日 | 2021年(令和3年)7月30日 | 2017年(平成29年)7月23日再選[3]。2017年の市長選時点では日本共産党を離党したものの、民主市政継続の意思を示し、元市議の今鶴治信を破り再選 | ||
5 | 2021年(令和3年)7月31日 | ( 現 職 ) | 2021年(令和3年)7月18日再選[3]。 |
2017年4月1日、500万円以上のふるさと納税を行った者への返礼品に1台約250万円のキャンピングカーを用意。先着5名に対して提供を始めた。同日、総務省は、寄付額の3割以下とするよう求める通知を各市町村に出しており、曽於市は通知に抵触する状態となったが、「早急に対応できなかった」として提供を続けた[7]。
鹿児島県道503号見帰二之方線沿い末吉郵便局周辺の本町地区、国道269号沿いの高松地区が主な商業地区。高松地区には、郊外型店舗の進出も徐々に進んできている。
鹿児島県道63号志布志福山線沿い国合同庁舎周辺の岩川本町地区、台地部のあけぼの、八合原地区が主な商業地区。あけぼの、八合原地区には、郊外型店舗の進出も徐々に進んできている。
宮崎県道・鹿児島県道2号都城隼人線沿い道の駅たからべ周辺や、鹿児島県道482号塚脇財部線沿いの財部郵便局周辺が主な商業地区。
曽於市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 曽於市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 曽於市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
曽於市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
2016年現在の児童・生徒数(小中学生)は2,501人であり、1965年(14,863人)の17パーセントとなっている[8]。
曽於市発足時にあった財部・末吉・岩川の3校はいずれも定員割れが続いていたことから、鹿児島県は2011年6月から2012年3月に催された「大隅地域の公立高校の在り方検討委員会」のとりまとめとして、2014年に「都城の学校に行かなくても、大学進学を目指せる」新設校を設置し、2年後の2016年に従来の3校を閉校する方針を示し[9]、2013年2月5日に決定した[10]。新設校の名称は「鹿児島県立曽於高等学校」と決定され[11]、末吉高校の場所に設置されることとなった。2014年に曽於高校が開校し、2年後の2016年に財部・末吉・岩川の各校が閉校された[12]。
末吉町・財部町に居住する中学生においては、都城市に所在する県立高等学校(都城泉ヶ丘高校は除く[13]。都城市#教育もしくは宮崎県高等学校一覧を参照)への越境通学が認められており、成績上位者を中心に都城市へ「流出」している。2012年春は市内342人の生徒のうち、102人が都城市・三股町の高等学校へ進学した。これが、上述した高校統廃合の一因となった。反対に、都城市から財部・末吉高校への越境通学も認められており、財部高校においては生徒の半数を都城市民が占めるほどとなっていた[9]。
越境通学の「相互乗り入れ」については長年の慣習として行われているが、1976年1月に鹿児島県教育委員会の学区外高校入学審議会が宮崎県側から出されていた79件の受検申請を全て不許可としたことがある。末吉町・財部町の住民からは「県境の実態を無視している」との反発の声が上がり、末吉町では当時の柳迫小学校の卒業生の多くが都城市立五十市中学校へ進学していたことから義務教育への悪影響を懸念、更に財部町では「鹿児島県教育委員会の対応次第では離県運動も辞さず」との声が出る状態であった。当然に都城市側などからも反発の主張が挙がったため、最終的に鹿児島県教育委員会の「不許可裁定」は事実上取り下げられることとなった。その後、1980年代においては約80人が都城市の県立高校へ、反対に約30人が財部・末吉高校へ通学していた[14]。
合併前の各町に1校ずつ設置されている。
|
|
|
※2014年6月末で閉校となった。
(2階展示室は2023年3月31日をもって閉館[15])
|
|
|
|
|
|
全て旧・財部町内を通る。なお、末吉町・大隅町にはかつて国鉄志布志線(西都城 - 志布志間)が通っていたが、1987年3月に廃止された。財部町域の区間も本数が極端に少なく、市内から鉄道を利用する場合には、バスや自家用車で西都城駅あるいは都城駅に出るのが一般的となっている。
市の中心駅となる財部駅は老朽化により建て替えられ、2008年3月23日に多目的ホールを備えた「曽於市やまびこ館」として新しい木造の駅舎が完成した。
2023年度時点で鹿児島交通が14系統、宮崎交通と高崎観光バスが各1系統を運行している[16]。このうち鹿児島交通の一部系統が2024年4月より本村交通へ移管されている[17]。
明治生まれ
大正生まれ
昭和生まれ
平成生まれ
曽於市役所 企画課. “曽於市PR大使”. 公式ウェブサイト. 曽於市. 2018年1月11日閲覧。 地域出身者
地域出身者以外
同じ曽於市内でも旧大隅町と旧末吉町の岩﨑の一部(志布志MA、099-4XX)から旧財部町、旧末吉町(都城MA、0986-XX。宮崎県都城市と同じ)への通話は市外(県外)扱いである(逆も同じ)。
鹿児島県内の放送局が末吉中継局をはじめとする中継局を設置している。また、大部分の地域では宮崎県の放送局も鰐塚山からの電波を受信することで視聴・聴取することができる。
曽於市では旧末吉町・大隅町の有線放送、旧財部町のオフトーク通信の置換を目的としてコミュニティFM局「SOO Good FM」の設置を進め[21][22]、2016年4月29日に本放送を開始した[23]。自治体が直接放送事業を行うことは出来ないため、曽於市が出資する一般財団法人「まちづくり曽於」が運営する形式を採用する[21][24]。
放送時間は6時30分から21時までで、基本的には全時間帯が生放送となる[23][* 3]。このうち、平日3回(朝・昼・夜)、休日は朝のみ、従来の有線放送・オフトーク通信の代替となる「曽於市役所からのお知らせ」が放送される。「曽於市からのお知らせ」は、各家庭に配布された「防災ラジオ」を一斉に強制起動させて放送する、「緊急告知FMラジオ」の機能を用いて放送されている[25][* 4]。災害時等の緊急のお知らせも防災ラジオの強制起動を用いて放送する[25]。
正式な局名は「まちづくり曽於エフエム」。スタジオは末吉総合センターにあり[22]、周波数は87.4MHz、コールサインはJOZZ0CI-FMで、開局時は、親局(出力20W)および白鹿岳中継局(出力5W)・月野中継局(出力5W)・恒吉中継局(出力10W)・南之郷中継局(出力5W)の4中継局が整備され、曽於市内の81.8パーセントの世帯(13,796世帯)が放送区域に含まれている[24]が、曽於市内でも放送を受信できない地域が存在している。その後、難聴取対策のため、中継局の出力変更と白鹿岳中継局を高之峯に、月野中継局を大隅曽於地区消防組合曽於消防署敷地に移設している。
現在の出力は、親局(出力20W)、高之峯中継局(出力20W)、月野中継局(出力10W)、恒吉中継局(出力20W)、南之郷中継局(出力10W) となっている[23]。
コミュニティFM開局にあわせて、地域おこし協力隊としてラジオパーソナリティー3名が2016年1月から3月にかけて採用されている[26]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.