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日本の音楽プロデューサー、編曲家、キーボーディスト、作曲家 (1951-) ウィキペディアから
松任谷 正隆(まつとうや まさたか、1951年〈昭和26年〉11月19日[1] - )は、日本の音楽プロデューサー、編曲家、キーボーディスト、作曲家。またモータージャーナリスト、タレントとしても活動している。雲母社社長、雲母音楽出版社長、マイカ・ミュージック・ラボラトリー校長[2]、安達建設[3]最高顧問。および東京工科大学メディア学部客員教授も務める。
東京都出身。杉並区にある東京衛生病院で出生。日の丸幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学文学部卒業(1974年)[4]。ニックネームは「マンタ」、「遊眠亭主」[注釈 1]、「ユーミンパパ」。「U.Kon」名義での楽曲提供もある。血液型A型。
妻はシンガーソングライター・作曲家・作詞家の松任谷由実(旧姓荒井由実)。父・功三郎は東京銀行(現三菱UFJ銀行)横浜支店長[5]。母・和子は正隆が荒井由実との結婚後に設立した事務所雲母社監査役。
編曲の特徴としては、従来歌謡曲で用いられなかったような楽器を積極的に使うという点がある。特に、フルートとハープの使用に特徴がある。また、コーラスも積極的に盛り込んでいる。その結果、松任谷由実(荒井由実)の作品にコーラスで参加することで注目されたアーティストも多い。全体としての作品のまとまりに優れるというよりも、部分的なフレーズに記憶に残るような著しい特色があることが多い。
また、流行に敏感で、外国の曲の特徴のある編曲を応用することもしばしばあり、一部の作品については、オリジナリティを疑問視する声もないではない。
なお、松任谷由実の作品の選別(レコード・CDに収録するかどうか)については、当初から、きわめて厳しいようであり、かなりの作品が「お蔵入り」となっていると言う。特に、シャンソン風とラテン風の作品については、辛いとする説もある。
ほか多数
映画音楽など、歌をともなわないオリジナル作曲の仕事では、しばしばストリングスを前面に出したクラシック風のサウンドを聞かせる。たとえば、1993年の「時をかける少女」では、一種のピアノ協奏曲(ただし、ピアノが主に装飾パートに回る)となっている。
他多数
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