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日本の男性声優、俳優 (1927−2020) ウィキペディアから
勝田 久(かつた ひさし、1927年〈昭和2年〉4月2日[5][6][11][12] - 2020年〈令和2年〉2月21日[4][8][13])は、日本の声優、俳優。東京都台東区根岸出身[3]。最終所属はアーツビジョン[7]。
聖学院高等学校を卒業。無線電信講習所(現:電気通信大学)卒業[9]。東宝演劇部[14]、NHK東京放送劇団[14]、森の会[15]、プレーヤーズセンター[15]、グループ・てえぶら[15](旧 - 東京タレントクラブ[2])、笹の会[16]、りんどうプロ[15]、俳協[14]を経て、アーツビジョン所属[7]。
幼少期から映画・演劇が好きであり、兄と共によく映画を観に行っていたという[17]。その頃、毎月欠かさず、佐藤紅緑の『あゝ玉杯に花うけて』、大佛次郎の『鞍馬天狗』、江戸川乱歩の『少年探偵団』といった雑誌の連載小説を読んでおり、人物が前にいると得意になって演じてみせていた[18]。第二次世界大戦中は、旧制中学4年生の時に[19]学徒動員で陸軍の工場に勤務した[3]。
戦後はラジオドラマの魅力に取り憑かれて、1946年に鎌倉アカデミア演劇科に入学して俳優の道を目指すようになる[3]。同級生には前田武彦、いずみたくなどがいた[3]。同時に夜間は、新協劇団研究所の研究生として新劇を学んだ[3]。
1947年からは東宝の演劇部に所属するようになり、翌年の舞台『鐘の鳴る丘』に出演[3]。この舞台で小山源喜から紹介されたNHK東京放送劇団の公募に合格[3]。3期生として、名古屋章、高橋和枝らと養成所へ入所した[3]。
1948年にNHKのラジオドラマ『水滸伝』の九紋竜史進役で声優デビュー[3]。以後は、NHKの専属声優として数々のラジオドラマに出演[3]。1954年からはNHKを退職して、フリーの声優として、民放のラジオ局にも活動の場を広げた[3]。1955年に森の会を結成し、テレビでの活動も開始した[2]。
1957年放送の海外ドラマ『海賊船サルタナ』で吹き替えの仕事を始め[20]、1963年の『鉄腕アトム』からテレビアニメにも出演を開始[3]。『鉄腕アトム』のお茶の水博士役は、ほぼ全作品で声を担当しており[21]、自身の代表作となる[17]。
ラジオドラマ時代からの声優の草分けとして活躍[8]する傍ら、ナレーション業と共に、時折テレビドラマや映画に俳優として出演していた。
アニメでは博士、教師など人の上に立つ役柄を演じることが多かった[23]。
思い出深い吹き替え作品に『サーフサイド6』と『じゃじゃ馬億万長者』を挙げている[20]。
1980年代前半には、アニメ雑誌に声優関係の記事を連載し、声優入門書も執筆した。
後進の指導には熱心であり、素質を見出されて現在も活躍する声優は数知れない。俳協時代には附属養成所の講師、自身が運営する声優教室を経て、1982年から勝田声優学院学院長に就任。2015年3月、高齢のため思うように指導ができなくなったことを理由に勝田声優学院を閉校した。なお、学院の閉鎖前に体調を崩してしまったことがあったという[24]。
4人の兄がおり、召集令状で軍隊に召集されて二等兵から訓練されたことがある[18]。
趣味はテニス、ゴルフ[6]。
高齢に伴う降板などにより、持ち役を引き継いだ声優は以下の通り。
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