中津川市
岐阜県の市 ウィキペディアから
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中津川市(なかつがわし)は、岐阜県の東濃地域にある市。長野県に隣接しており、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深い。
なかつがわし 中津川市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
市町村コード | 21206-7 | ||||
法人番号 | 4000020212067 | ||||
面積 |
676.45km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
72,823人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 108人/km2 | ||||
隣接自治体 |
恵那市、下呂市、加茂郡白川町、東白川村 長野県:木曽郡南木曽町、王滝村、大桑村、下伊那郡阿智村、平谷村 | ||||
市の木 | こうやまき | ||||
市の花 | サラサドウダン | ||||
中津川市役所 | |||||
市長 | 小栗仁志 | ||||
所在地 |
〒508-8501 岐阜県中津川市かやの木町2番1号 北緯35度29分15秒 東経137度30分02秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 恵那市との間で境界未定部分あり | ||||
ウィキプロジェクト |
美濃三河高原にあって丘陵地が多い東濃において、北部と南部を中心に山地が広く分布する点が特徴である。
南部では市の中心部からも見える木曽山脈に属する恵那山 (2,191m) とその前面に前山・保古山など屏風山山系が北東 - 南西方向に連なり、北部では阿寺山地が北西 - 南東方向に山を連ねている。
市の北部は平成の大合併により中津川に編入された恵北(旧恵那郡北部)地域である。
どちらも第四紀における断層運動により形成された断層崖であり、特に恵北地域を縦断する阿寺断層は地学的にも名高い。
最も標高の低い場所で230m[広報 1]、全域として見た場合は、各河川の流下方向に沿うように東から西へ向かって標高が低くなっている。
断層運動によって相対的に沈降した盆地に木曽川支流中津川、四ツ目川が流れ込んで形成された、傾斜のある段丘面上に市街地が分布する坂の多い町。
市域を東西に横断して流れる木曽川と市街地との間には丘陵があり、木曽川とその支流は合流地点周辺において先行谷の様相を示すことが多く、市の西部は苗木花崗岩の奇岩が連なる景勝地・恵那峡を形成している。
市北部・旧恵北地域は、阿寺断層沿いの低地を北から白川(加子母川)付知川・川上川が流れ、南の木曽川に注いでいる。
白川のみは西流し、飛騨川に注いでいる。各河川沿いの低地や段丘面上に集落が連なるように分布している。
中津川市の中心部は、かつて中山道の宿場町・中津川宿として栄えた中津地区である。ここは今日でも宿場町ならではの歴史ある家屋が軒を並べている。
前述の中津川、四ツ目川はそれぞれ恵那山、前山を源流とする河床勾配の大きな急流河川であり、過去に幾度となく氾濫してきた。四ツ目川とは、四回目の氾濫を意味する説がある。宿場町は中央本線の中津川駅よりも少し(20m程)高い場所にあり、1932年の四ツ目川の氾濫により駅周辺が被害を受けた際も助かったとされる。
中津川(2010年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 14.8 (58.6) |
20.0 (68) |
25.3 (77.5) |
29.2 (84.6) |
32.9 (91.2) |
37.0 (98.6) |
39.2 (102.6) |
38.8 (101.8) |
36.5 (97.7) |
31.3 (88.3) |
25.6 (78.1) |
21.8 (71.2) |
39.2 (102.6) |
平均最高気温 °C (°F) | 6.9 (44.4) |
8.6 (47.5) |
13.5 (56.3) |
18.6 (65.5) |
24.4 (75.9) |
27.0 (80.6) |
30.6 (87.1) |
32.4 (90.3) |
28.0 (82.4) |
22.2 (72) |
15.8 (60.4) |
9.2 (48.6) |
19.8 (67.6) |
日平均気温 °C (°F) | 1.1 (34) |
2.3 (36.1) |
6.5 (43.7) |
11.7 (53.1) |
17.5 (63.5) |
21.0 (69.8) |
25.0 (77) |
26.1 (79) |
22.1 (71.8) |
16.1 (61) |
9.4 (48.9) |
3.6 (38.5) |
13.5 (56.3) |
平均最低気温 °C (°F) | −3.5 (25.7) |
−2.7 (27.1) |
0.7 (33.3) |
5.5 (41.9) |
11.1 (52) |
16.4 (61.5) |
20.9 (69.6) |
21.9 (71.4) |
17.7 (63.9) |
11.4 (52.5) |
4.3 (39.7) |
−0.8 (30.6) |
8.6 (47.5) |
最低気温記録 °C (°F) | −10.4 (13.3) |
−10.2 (13.6) |
−6.8 (19.8) |
−4.2 (24.4) |
1.3 (34.3) |
7.6 (45.7) |
16.5 (61.7) |
15.8 (60.4) |
7.9 (46.2) |
0.7 (33.3) |
−3.1 (26.4) |
−8.4 (16.9) |
−10.4 (13.3) |
降水量 mm (inch) | 59.0 (2.323) |
90.6 (3.567) |
141.0 (5.551) |
165.3 (6.508) |
153.8 (6.055) |
219.5 (8.642) |
289.7 (11.406) |
240.1 (9.453) |
241.8 (9.52) |
178.5 (7.028) |
91.4 (3.598) |
76.1 (2.996) |
1,907.1 (75.083) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 5.9 | 7.7 | 10.1 | 10.5 | 9.9 | 13.8 | 15.5 | 12.9 | 11.6 | 9.9 | 7.5 | 8.7 | 124.3 |
平均月間日照時間 | 160.8 | 160.9 | 195.3 | 191.2 | 230.3 | 157.3 | 167.8 | 195.3 | 160.1 | 164.4 | 154.6 | 137.3 | 2,077.9 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[1] |
中津川市の地名も参照。
古くは中山道中津川宿に由来する市の中心市街地。市役所などの官公庁、銀行、JR中央本線中津川駅、大型ショッピングセンター、西隣の坂本地区との境界付近に市民病院や中央道中津川ICなどがある。
東西に走る国道19号は片側2車線の中津川バイパスとして市街地を避けて南東を迂回する形で整備されており、市内のロードサイド店は当バイパスに集中している。
秋になると栗きんとんの販売が始まり、当バイパス沿いの「すや」、「川上屋」の駐車場には多数の観光バスが停車している。
国道257号の城山大橋が無料開放されて苗木以北の地域とのアクセスが向上した。
中津川駅は市内各所および恵那市との間のバス交通の拠点である。
中津川の右岸に王子マテリア中津川工場、下水処理場が立地している。一方同じ右岸でも上流にある本町公園には桜が植えられており、市内の花見スポットとなっている。
なお、中津川左岸には三菱電機の工場群が立地している。
子野川流域には東濃用水の中津川浄水場が立地している。
毎年1月10日には十日えびすが、8月12日・13日にはおいでん祭が開催される。
北部を東西に木曽川が流れ、南部には屏風山断層の活動によって隆起した山々が連なってそびえる。その影響で市街地も南高北低の急斜面上に形成されている。
本来はこの「中津」というのがここの地名で、市名である「中津川」は川の名前であるが、大分の中津市との重複や中津川宿の名から「中津川」となった。そのため、学校名や企業名には「中津○○」というものも多い。中津川上流部の川上(かおれ)も当地区に含まれる。人口は28,653人[統計 1]。
旧恵那郡坂本村。
江戸時代は中山道:中津川 - 大井宿間の間の宿として栄えた(茄子川の東町、中町地区)。市の西部、中津・恵那両市街地の中間に位置し、恵那市と接する。
中津地区と同様、中津川バイパスが中心部の南を迂回しており、旧19号は市道などに置き換わっている。中津川バイパスは2012年、全線で片側2車線となる予定である。
国道19号深沢交差点の南に中津川中核工業団地が立地している。工業団地内に中日新聞の印刷工場、八百健市場、大型パチンコ店 (VEGAS) が存在する他、中津川公園として整備され、多目的ホールの「東美濃ふれあいセンター」や、野球場などが存在する。ただし、美乃坂本駅からのバス便はなく、バスで訪れる際は中津川駅を利用する必要がある。
南部の保古山からなだらかな緩斜面が広がるため、中津川市の中では比較的平坦な田園地帯だが、北部は赤土地層の高台になっており、北端で急崖となって木曽川へ落ち込んでいる(恵那峡)。
保古山周辺は根の上高原として観光地化されている。東海丘陵要素植物群であるハナノキ、シデコブシが多く分布する。特に地区内におけるハナノキの自生範囲は広い。
なお、リニア中央新幹線の岐阜県での駅が美乃坂本駅付近に設置される予定である[広報 2]。人口は12,681人。増加率は市内で最も高い[統計 1]
旧恵那郡阿木村。市の南端に位置する。地区の中心では恵那方面へ流れる阿木川に沿って集落が存在する。
中津市街地とは根の上高原で遮られており、国道363号で結ばれてはいるが急勾配・急カーブで幅員狭小なため便は悪く、市中心部との間のバス路線もない。
そのため、恵那市との結びつきが強い。また明知鉄道阿木駅、飯沼駅がおかれているが、それも恵那市へと伸びている。人口は2,824人[統計 1]。
旧恵那郡苗木町。中津・坂本の両地区の北部に位置し、木曽川を挟んで接している。
江戸時代には苗木藩がおかれたが、小藩で石高の小さい藩が支配していた町だったため苗木に城下町の風情はあまり残っていない。
苗木花崗岩と呼ばれる貫入花崗岩が局所分布しており、西隣の蛭川地区とともに花崗岩ペグマタイト鉱物の日本三大産地の一つとして知られる。花崗岩質の土壌が広く露出しているため、全国有数の自然放射線量の高さを誇る[広報 3]。人口は6,545人[統計 1]。
旧恵那郡落合村。市の東部、落合川が木曽川に合流する付近の河岸段丘上に集落が広がる。 江戸時代まで中山道落合宿として栄え、木曽路の入口であった。
国道19号が通過し、JR中央本線落合川駅がある。東濃用水の落合取水場がある。阿寺断層と屏風山断層が近接する地域でもあり、落合川沿いには棚田が分布する。
市内では桃の産地として知られるが耕作放棄地も多く、サルの被害にも悩まされている。人口は4,451人[統計 1]。
昭和の大合併の際に旧長野県西筑摩郡神坂村から越県合併した地区。市域の最東端である。落合地区の南東部に位置し、落合川の上流、恵那山の南西山麓に点在する山村集落。
中央自動車道恵那山トンネルの岐阜県側入口があり、長野県との県境をなす。最澄が817年に設けた「広済院」があったと思われる所を寺領とした比叡山延暦寺の「飛び地境内」がある[2][注釈 1]。元来の地名は湯舟沢といい、地区内に中津川温泉クアリゾート湯舟沢がある。人口は953人[統計 1]。
旧長野県木曽郡山口村の中心地。落合地区の北部、木曽川の左岸に南北に集落が集まっている。
国道19号が通過し交通量が多い。JR中央本線も通過しているが駅は置かれていない。馬籠もこの地区に含まれる。人口は2,075人[統計 1]。
旧恵那郡坂下町。木曽川右岸にあり、川を挟んで山口地区に面する。
長野県との県境で木曽郡南木曽町と接する。国道19号が中心部のすぐ近く(弥栄橋の先、山口地区)を通り、JR中央本線坂下駅がある。
木曽川の複数の河岸段丘に集落が広がる、文字通り坂の町。段丘面上には阿寺断層の明瞭な断層崖が走る。人口は5,605人[統計 1]。
旧恵那郡川上村。坂下から川上川を国道256号で北に進むとたどり着く。夕森公園など、清流と美しい山林に恵まれた地区。東側は長野県だが阿寺山地を挟んでおり、直接の往来は困難である。人口は997人[統計 1]。
旧恵那郡蛭川村。木曽川を挟んで恵那市街地の北部に位置し、人の流れも恵那市の方が結びつきが強いが、他の恵北町村に倣って中津川市と合併した。
南端では木曽川が恵那峡を形成し、北端では遠ヶ根峠を挟んで加茂郡白川町と接する。
良質の花崗岩を産するため採石・石工業が盛んである。かつては遠ヶ根鉱山、恵比寿鉱山などの鉱山があったが、現在は閉山している。人口は3,872人[統計 1]。
旧恵那郡福岡町。苗木の北、蛭川の東、坂下の西に位置する。
地区を南北に付知川が流れ、川に沿うように国道256号・国道257号が走る(川上地区から西進してきた国道256号が福岡地内で国道257号と合流し重複区間となって北上する)。恵北の中では比較的広い段丘面が分布しており、のどかな景観を形成している。人口は7,379人[統計 1]。なおアクセントは九州の福岡と異なり、平板。
旧恵那郡付知町。福岡の北にあり、清流・付知川を発し、上流部では付知峡の渓谷美をなす。
阿寺断層の断層谷を流れる付知川に沿って集落は南北に長く、南部は「下付知」、北部は「上付知」と呼ばれる。
東側は長野県、西側は加茂郡白川町・東白川村と接しているがいずれも急峻な山地を挟んでいるため、交通の便は南北を走る国道256号・257号が主役である。中津川市中心部へは北恵那交通バスが福岡、苗木を経由して南下する路線を持っている。人口は6,949人[統計 1]。
旧恵那郡加子母村。広大な中津川市の最北端で市の中心部からはバスで1時間ほどである。市域の最西端でもあるが市の西部と認識されることは少ない。国道256号を北上し、塞の神峠をトンネルで超えるとたどり着く。
南は付知町、西は東白川村、北は下呂市に接する。
地区内を流れる白川は、他の河川とは異なり東白川村方面へ西流し飛騨川に合流する。国道256号は加子母地内で西へ折れ、加茂郡東白川村へと通じ、国道257号が下呂市へと北上している。
東濃ひのきの一大産地であり、トマトをはじめ農業も盛んな第一次産業の村。地歌舞伎の風習が残る。人口は3,500人[統計 1]。
明治以前 | 明治元年 - 明治22年 | 明治22年 7月1日 町村制施行 |
明治23年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和39年 | 昭和40年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
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中津川村 | 中津川村 | 中津川町 | 明治30年4月1日 中津町 |
昭和26年4月1日 中津川町 |
昭和27年4月1日 市制 中津川市 |
中津川市 | 中津川市 | 中津川市 | ||
駒場村 | 駒場村 | 駒場村 | ||||||||
手賀野村 | 手賀野村 | 手賀野村 | ||||||||
日比野村 | 明治8年1月 改称 苗木村 |
苗木村 | 明治23年10月24日 町制 苗木町 | |||||||
瀬戸村 | 明治8年1月 瀬戸村 | |||||||||
上地村 | ||||||||||
千旦林村 | 千旦林村 | 千旦林村 | 明治30年4月1日 坂本村 |
坂本村 | 昭和29年7月10日 中津川市に編入 | |||||
茄子川村 | 茄子川村 | 茄子川村 | ||||||||
落合村 | 落合村 | 落合村 | 落合村 | 落合村 | 昭和31年9月30日 中津川市に編入 | |||||
阿木村 | 阿木村 | 阿木村 | 阿木村 | 阿木村 | 阿木村 | 昭和32年11月1日 中津川市に編入 | ||||
飯沼村 | 飯沼村 | 飯沼村 | 明治30年4月1日 阿木村に編入 | |||||||
信濃国筑摩郡湯舟沢村 | 明治8年1月 筑摩県筑摩郡神坂村 |
長野県西筑摩郡神坂村 | 長野県西筑摩郡神坂村 | 長野県西筑摩郡神坂村 | 昭和33年10月15日 旧・湯舟沢村域を中津川市に編入 | |||||
信濃国筑摩郡馬籠村 | 昭和33年10月14日 旧・馬籠村域を長野県西筑摩郡山口村に編入 |
昭和43年5月1日 郡名改称 長野県木曽郡山口村 | 平成17年2月13日 中津川市に編入 | |||||||
信濃国筑摩郡山口村 | 明治 7年9月 田立村と合併 筑摩県筑摩郡山田村 明治14年2月 田立村が分離 長野県西筑摩郡山口村 | 長野県西筑摩郡山口村 | 長野県西筑摩郡山口村 | 長野県西筑摩郡山口村 | ||||||
蛭川村 | 蛭川村 | 蛭川村 | 蛭川村 | 蛭川村 | 蛭川村 | |||||
坂下村 | 坂下村 | 坂下村 | 坂下村 | 明治44年1月1日 町制 坂下町 |
坂下町 | 坂下町 | ||||
上野村 | 上野村 | |||||||||
川上村 | 川上村 | 明治38年7月1日 分立 川上村 |
川上村 | 川上村 | ||||||
付知村 | 付知村 | 付知村 | 明治30年4月16日 町制 付知町 |
付知町 | 付知町 | |||||
福岡村 | 福岡村 | 福岡村 | 明治30年4月1日 福岡村 |
福岡村 | 昭和41年4月1日 町制 福岡町 | |||||
田瀬村 | 田瀬村 | |||||||||
高山村 | 高山村 | |||||||||
下野村 | 下野村 | 下野村 | ||||||||
加子母村 | 加子母村 | 加子母村 | 加子母村 | 加子母村 | 加子母村 |
中津川市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 中津川市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 中津川市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
中津川市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
代 | 氏名 | ふりがな | 就任日 | 退任日 |
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初代 | 市岡のぶ介 | いちおか のぶすけ | 1952年4月1日 | 1955年1月24日 |
2-3代 | 竹村壽吉 | たけむら としきち | 1955年2月12日 | 1960年3月26日 |
4-5代 | 間孔太郎 | はざま こうたろう | 1960年5月15日 | 1968年5月14日 |
6-7代 | 西尾彦朗 | にしお ひころう | 1968年5月15日 | 1976年5月14日 |
8-10代 | 小池保 | こいけ たもつ | 1976年5月15日 | 1988年5月14日 |
11-13代 | 小林房吉 | こばやし ふさきち | 1988年5月15日 | 2000年5月14日 |
14代 | 中川鮮 | なかがわ あきら | 2000年5月15日 | 2004年5月14日 |
15-16代 | 大山耕二 | おおやま こうじ | 2004年5月15日 | 2011年12月22日 |
17-19代 | 青山節児 | あおやま せつじ | 2012年1月22日 | 2024年1月21日 |
20代 | 小栗仁志 | おぐり ひとし | 2024年1月22日 | 現職 |
旧中津川市域と福岡地区の一部で東濃用水を使っているが、近隣の配水池より標高の高い分団等は使用していない。また、それ以外の地区にもおおむね簡易水道が引かれている[広報 4]。
中津、坂本地区には公共下水道が引かれている。苗木、落合、馬籠、坂下、付知、福岡、蛭川地区には特定環境保全公共下水道が引かれている[広報 5]。
※なお、名古屋市の「中津川野外教育センター」(小学生向け)が市内苗木に置かれているため、名古屋市の小学生はここで宿泊研修を行う。
国の機関の一部は中津川合同庁舎にある。
※学校図書館を除く
市の中心となる駅:中津川駅
【中津川駅前を発着するバス路線】
【中央自動車道の中津川インターチェンジ及び中央道馬篭(神坂パーキングエリア)に停車するバス路線】
【中央自動車道の中央道馬篭(神坂パーキングエリア)に停車するバス路線】
【その他中津川市内のバス路線】
いずれも、NHK総合・Eテレ・東海テレビ・中京テレビ・CBCテレビ・名古屋テレビ・ぎふチャンを視聴可能。
市内は全域0573(中津川MA)[注釈 3]であるが蛭川地区のみは恵那MA[注釈 4]であり、この地域への通話は市内でも市外局番が必要である。なお、馬籠地区は2009年2月28日まで合併前と同じ0264(木曽福島MA)を使っていた。
中津川市は東海東山方言の中の美濃弁に属するが、濃尾平野で話されているような連母音の融合は無い。長野県に接しているため信州弁の影響が強い。特に以前は長野県であったが岐阜県中津川市に越県合併した旧山口村や旧神坂村はその傾向が強い。また飛騨に接する旧加子母村は飛騨弁の影響が見られる。
1969年から1971年にかけて中津川市椛の湖畔で年1回開催された全日本フォークジャンボリーが日本初の野外フェスとなった[4]。
など
など
など
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