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日本の長野県(信濃国)にあった郡 ウィキペディアから
現在の下記の区域にあたるが、行政区画として画定されたものではない。
信濃国内では伊那郡に次ぐ広大な面積を有した。
国府があった現在の松本市を中心とした地域。大宝律令によって束間評から筑摩郡と改められた。二十巻本の和名類聚抄(巻5・17)には万葉仮名で「豆加萬(つかま)」と訓が記載されており、延喜式(巻10)でも「つかまのこおり」となっている。古来「つかま」と呼ばれていたが、明治時代に「ちくま」に変更された(「ちくま」と読む例自体は江戸時代の『和漢三才図会』に見える)。しかし、松本市内の町丁や筑摩神社、市立筑摩小学校のように「つかま」の名も残る。郷名は良田・崇賀・辛犬・錦服・山家・大井と記述されている。
木曽地域は鎌倉時代に美濃国恵那郡から編入された部分である(戦国時代初期とする説もある)。また、古代には麻績郷を含む筑北盆地(虚空蔵山以北)は更級郡に属していた。また平安時代以降、安曇郡前科郷のうち犀川以東(川手地方)が編入されたと見られる[1]。郡衙の位置は未詳だが、松本市が最有力と見られる。天平勝宝4年(752年)には郡司大領に他田国麻呂の名が見える。
院政時代の荘園として、捧中村荘・捧北条荘(八条院領)、洗馬荘(蓮華王院領)、桐原荘(知行主不明)、岡田郷・浅間社(岩清水八幡宮領)、会田御厨・麻績御厨(伊勢神宮領)、北内牧・南内牧・大野牧(左馬寮領)が見える。
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