Remove ads
陸上自衛隊の部隊 ウィキペディアから
第1空挺団(だいいちくうていだん、英: JGSDF 1st Airborne Brigade)は、陸上自衛隊の空挺部隊である。団編制となっており、3個普通科大隊を基幹としている。専門的機能を備えた機動運用部隊として、陸上総隊隷下にあり、千葉県船橋市の習志野駐屯地に所在する。
部隊の標語は「精鋭無比」および「挺身赴難」。陸上自衛隊唯一の特殊部隊である特殊作戦群創設の際には母体ともなった。また「千葉隊区長」として、高射学校、需品学校と共に千葉県全域の災害派遣を担当するほか、北部を中心に16市8町の災害派遣・広報などを担当する。
なお、陸上自衛隊における「空挺団」は本団のみであり、「第2空挺団」や「第3空挺団」などは存在しない。
第1空挺団は空中機動作戦、即ち航空自衛隊の輸送機(C-1・C-130H・C-2)からの落下傘降下による空挺作戦(エアボーン作戦)と、陸上自衛隊のヘリコプター(UH-1J・UH-60JA・CH-47J/JA・UH-2・V-22)を使ったヘリボーン作戦を展開する能力をもった空挺部隊である。また、各国軍の空挺部隊と同様、精鋭軽歩兵としての位置付けがなされている。そのため、国内に浸透した特殊部隊に対して即応することを要求されている。
創設後、しばらくは東部方面隊隷下ではあるが防衛庁長官直轄の機動運用部隊と位置付けられてきた[1]。その後、2007年(平成19年)、高い即応性を持つ機動運用部隊として中央即応集団の隷下へと編成替えとなり[2]、2018年(平成30年)3月には中央即応集団廃止に伴い陸上総隊隷下部隊に移行した[3]。
部隊編制は、団本部および3個普通科大隊のほか、特科大隊、後方支援隊などからなり、空挺教育の部隊も含まれている。訓練に際しては、習志野演習場をはじめとする各地の演習場のほか、輸送機への搭乗には海上自衛隊下総航空基地の利用も行われる[4]。海上への降下訓練は、鋸南町沖合の海域などが使われる[5]。
第1空挺団の事実上の前身は、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦(蘭印作戦)のパレンバン空挺作戦などで活躍し、「空の神兵」と謳われた帝国陸軍挺進部隊(第1挺進団・第2挺進団・滑空歩兵連隊・挺進飛行団等:第1挺進集団)である[6]。
第1空挺団は、初代空挺教育隊長および第1空挺団初代団長を務める衣笠駿雄元陸軍少佐(のち第8代陸上幕僚長・第6代統合幕僚会議議長。最終階級は統幕議長たる陸将)[7]に率いられ、帝国陸軍挺進部隊の元隊員らから構成される第1次研究員20名によって創設された。また創成期に空挺教育隊研究科長を務めていた田中賢一元陸軍少佐(のち空挺普通科群長、第1空挺団副団長。最終階級は陸将補)[8]。は、戦時中は一貫して帝国陸軍挺進部隊に属する挺進兵であり、旧挺の伝統継承に尽力し空挺団の土台を構築した。
隊歌は「空の神兵」がそのまま継承されており、「降下訓練始め」では歌唱付きで場内放送される。また、習志野駐屯地の空挺館(旧陸軍施設)では帝国陸軍挺進部隊の顕彰展示がされているほか、OB会である全日本空挺同志会により「空の神兵之像」が同駐屯地内に建立されている。
HQ 団本部 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
団本部中隊 | 第1普通科大隊 | 第1中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第2中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2普通科大隊 | 第4中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第5中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第6中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3普通科大隊 | 第7中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第8中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第9中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
特科大隊 | 第1中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本部中隊 | 第2中隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第3中隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通信中隊 | 施設中隊 | 後方支援隊 | 陸上自衛隊空挺教育隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 衣笠駿雄 (1等陸佐) | 1958年 | 6月25日 - 1958年 7月31日陸士48期・ 陸大55期 | 空挺教育隊長 | 陸上幕僚監部第3部研究班長 |
2 | 渡邊利亥 | 1958年 ※1961年 1月 1日 陸将補昇任 | 8月 1日 - 1963年 3月15日陸士45期・ 陸大53期 | 陸上幕僚監部第3部業務計画班長 (1等陸佐) | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
3 | 片木良平 | 1963年 ※1964年 7月 6日 陸将補昇任 | 3月16日 - 1966年 3月15日陸士46期 | 陸上自衛隊富士学校普通科教育部長 (1等陸佐) | 第1教育団長 兼 武山駐とん地司令 |
4 | 花見侃 | 1966年 | 3月16日 - 1968年 3月15日陸士47期・ 陸大57期 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐とん地司令 | 陸上幕僚監部付 →1968年10月31日 退職(陸将昇任) |
5 | 倉重翼 | 1968年 | 3月16日 - 1970年 6月30日陸士52期 | 陸上幕僚監部第1部副部長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐とん地司令 |
6 | 越智誠一 | 1970年 | 7月 1日 - 1971年 8月19日陸士54期 | 第1空挺団副団長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 |
7 | 八木正忠 | 1971年 ※1972年 7月 1日 陸将補昇任 | 8月20日 - 1973年 3月15日陸士54期 | 富士教導団副団長 (1等陸佐) | 自衛隊体育学校長 |
8 | 那須明 | 1973年 ※1975年 7月 1日 陸将昇任 | 3月16日 - 1976年 7月 1日陸士54期 | 陸上幕僚監部監察官 | 退職 |
9 | 小林正信 | 1976年 ※1979年 7月10日 陸将昇任 | 7月 1日 - 1980年 3月16日陸士59期・ 関西大学 昭和24年卒 | 第1空挺団副団長 | 第1師団長 |
10 | 若月勲 | 1980年 ※1980年 7月 1日 陸将補昇任 | 3月17日 - 1982年 6月30日名幼47期・ 中央大学 昭和28年卒 | 第10師団司令部幕僚長 (1等陸佐) | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
11 | 水野智之 | 1982年 | 7月 1日 - 1984年 6月30日防大1期 | 第5師団司令部幕僚長 | 自衛隊富士学校普通科部長 |
12 | 小林英雄 | 1984年 ※1985年 3月16日 陸将補昇任 | 7月 1日 - 1986年 7月31日防大1期 | 中部方面総監部人事部長 (1等陸佐) | 第10師団副師団長 兼 守山駐屯地司令 |
13 | 楠元惇之 | 1986年 | 8月 1日 - 1989年 3月16日防大1期 | 自衛隊愛知地方連絡部長 | 退職 |
14 | 木家勝 | 1989年 | 3月16日 - 1991年 3月15日防大6期 | 北部方面総監部防衛部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
15 | 土井義彦 | 1991年 | 3月16日 - 1993年 6月30日防大7期 | 第9師団副師団長 兼 青森駐屯地司令 | 陸上自衛隊東北地区補給処長 |
16 | 山本勝 | 1993年 | 7月 1日 - 1996年 3月24日防大9期 | 自衛隊沖縄地方連絡部長 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
17 | 高橋佳嗣 | 1996年 | 3月25日 - 1998年 6月30日防大11期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校学生隊長 | 自衛隊体育学校長 |
18 | 衣笠陽雄 | 1998年 | 7月 1日 - 2001年 1月10日防大13期 | 第6師団司令部幕僚長 | 陸上自衛隊関西補給処長 兼 宇治駐屯地司令 |
19 | 直海康寛 | 2001年 | 1月11日 - 2002年 3月21日防大16期 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
20 | 火箱芳文 | 2002年 | 3月22日 - 2003年 3月26日防大18期 | 中部方面総監部幕僚副長 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 |
21 | 寺崎芳治 | 2003年 | 3月27日 - 2005年 1月11日防大20期 | 陸上幕僚監部監理部総務課庶務室長 | 東北方面総監部幕僚副長 |
22 | 木野村謙一 | 2005年 | 1月12日 - 2006年 8月 3日防大23期 | 陸上幕僚監部人事部人事計画課長 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部長 |
23 | 岡部俊哉 | 2006年 | 8月 4日 - 2008年 7月31日防大25期 | 陸上幕僚監部運用支援・情報部 運用支援課長 | 西部方面総監部幕僚副長 |
24 | 永井昌弘 | 2008年 | 8月 1日 - 2010年 7月25日防大25期 | 東北方面総監部幕僚副長 | 陸上自衛隊富士学校特科部長 |
25 | 山之上哲郎 | 2010年 | 7月26日 - 2012年 7月25日防大27期 | 第3師団副師団長 兼 千僧駐屯地司令 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 |
26 | 前田忠男 | 2012年 | 7月26日 - 2013年12月17日防大31期 | 陸上幕僚監部装備部装備計画課長 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 |
27 | 岩村公史 | 2013年12月18日 - 2015年 | 8月 3日防大29期 | 中央即応集団副司令官 | 陸上自衛隊富士学校副校長 |
28 | 兒玉恭幸 | 2015年 | 8月 4日 - 2018年 3月26日防大33期 | 陸上幕僚監部人事部募集・援護課長 | 陸上幕僚監部監察官 |
29 | 戒田重雄 | 2018年 | 3月27日 - 2020年 8月24日防大35期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 陸上幕僚監部運用支援・訓練部長 |
30 | 堺一夫 | 2020年 | 8月25日 - 2022年 3月29日防大36期 | 西部方面総監部幕僚副長 | 東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令 |
31 | 若松純也 | 2022年 | 3月30日 -防大36期 | 第8師団副師団長 兼 北熊本駐屯地司令 |
ラグビー部は関東社会人リーグ1部に所属している。
様々な大会に出場し、嘗ては上位入賞の好成績を挙げていた。 実際に、富士山で行われる富士登山駅伝では、滝ヶ原自衛隊(富士教導団普通科教導連隊など)と毎年優勝争いをしていた。また自衛隊内での交流試合や大会などにおいても常に優勝していた。
近年では衰退が著しく、銃剣道は初戦敗退している。背景として、志願者母数の減少と、景気回復による民間企業チームの力量向上があげられている。
駐屯地の住所は千葉県船橋市薬円台であり、船橋市習志野台は習志野市ではなく、駐屯地名とその住所は一致しない。駐屯地の名は、かつて付近一帯が習志野と呼ばれていたことに由来する(明治天皇が1873年(明治6年)4月の陸軍演習行幸後、指揮官の篠原國幹陸軍少将を皇居に呼び、演習した土地を「習志野原」(「篠原に習え」の意味。正しくは「倣え」)と命名した。
駐屯地は国道296号(成田街道)沿いの船橋市と習志野市に隣接する住宅地の真ん中にあり、演習場の半分以上は八千代市高津となっている。また演習場の南側一部の境界はそのまま習志野市と八千代市との境界になっている。最寄駅は新京成線習志野駅、または東葉高速線八千代緑が丘駅。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.