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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
佐藤 康光(さとう やすみつ、1969年10月1日 - )は、将棋棋士。タイトル通算13期(歴代8位)[1]。永世棋聖の資格保持者。棋士番号は182。田中魁秀九段門下。京都府綴喜郡八幡町(現八幡市)出身。いわゆる「羽生世代」の一人に数えられる。2011年4月から2017年1月まで日本将棋連盟の棋士会会長、2017年2月から2023年6月まで日本将棋連盟会長。
6歳で将棋を覚える[2]。この時期に憧れていた棋士は米長邦雄。八幡市に隣接する大阪府枚方市にあった田中魁秀の将棋教室に通うようになった頃、『米長の将棋』という本で勉強した。また、最初に読んだ棋書は有吉道夫の自戦記『玉頭位取り戦法』であり、真っ黒でボロボロになるまで繰り返し読んだという[3]。
1981年の春、小学生将棋名人戦に6年生として出場し、NHK教育テレビで全国放送される準決勝に進出して3位となる[注釈 1]。
1982年12月(中学1年の冬)、6級で関西奨励会に入会。その半年後、谷川浩司が史上最年少の21歳で名人となる。関西将棋会館の控え室で詰将棋を棋士・奨励会員数名が解けずに悩んでいたところに谷川が現れて数十秒で解き、皆を唖然とさせる。この光景を目撃した佐藤は子供心に「A級の恐ろしさ」を知ったという[4]。
奨励会入会後、僅か1年弱で2級に昇級。その直後(中2の終わり)父親の転勤のため八幡から東京都区内に転居したことで関東奨励会に移籍する[5]。このとき「名人候補を東京に取られた」と関西の棋士たちが嘆いたという[6]。プロの対局の記録係を務めるため中学校を頻繁に休んでいたことから、「学校やすみつ君」とからかわれていた[7]。佐藤本人は「中学校でどうだったかは記憶にないが、高校では間違いなく言われていた」と述懐している[8]。佐藤はその後、國學院高校に進学し、卒業をしている[2]。
奨励会二段の頃、島朗主宰の、いわゆる「島研」に、森内俊之とともに参加。二人が対局し、残った一人が記録係を務めるという、一風変わった研究会であった。そして、17歳の頃、二段の途中から8連勝して三段へ昇段。さらに続けて13勝1敗[注釈 2]で四段(プロ)に昇段(1987年3月25日)。合わせて21勝1敗というラストスパートでのプロ入りを果たす。
1987年のプロ入りから約3年後の1990年、五段のとき第31期王位戦で、谷川浩司王位への挑戦権を得、タイトル戦に初登場。フルセットの3-4で退けられる。
同年(1990年)、第9回早指し新鋭戦で、決勝で森内俊之を破り棋戦初優勝。翌年(1991年)も決勝で森下卓を破って2連覇。1990年度は、将棋大賞の新人賞を受賞している。
1993年、六段のとき第6期竜王戦で挑戦者となる(これにより規定で七段へ昇段)。当時の竜王は五冠王の羽生善治であったが七番勝負を4-2で制して羽生から竜王位を奪取し、初のタイトル獲得を果たす。しかし、翌年(1994年)の第7期竜王戦では、逆に羽生の挑戦を受け2-4で失冠し、羽生に史上初の六冠王を許してしまう。以後1年間、「前竜王」の称号を名乗った[注釈 3]。その翌年(1995年)の第8期竜王戦は、また逆に佐藤が羽生に挑戦し3年連続の同一カードとなったが、奪取はならなかった[注釈 4]。
1996年にA級八段となる。そして、A級参加2期目(1997年度)のA級順位戦において6勝3敗同士でのプレーオフで羽生善治を下し、第56期順位戦(1998年)で谷川浩司名人への挑戦権を得る。そして、七番勝負を4-3で制して初の名人位獲得。また、名人1期獲得の規定により九段に上り詰めた。
1999年、第57期名人戦では谷川と2年連続の対決。2勝3敗で迎えた第6局では、2日目深夜に及ぶ203手の激戦に勝ってフルセットの戦いに持ち込み、最終局でも勝って、名人位を防衛。
2000年、丸山忠久の挑戦を受けた第58期名人戦は、丸山の得意戦法を逃げずに堂々と受けて立つシリーズとなったが、3勝4敗で名人失冠。
2002年(2001年度)、第51期王将戦の挑戦者決定リーグで全勝して羽生善治に挑戦。4-2で王将位を奪取。
2002年度、第73期棋聖戦で郷田真隆に挑戦、3-2で奪取に成功。初めて二冠(棋聖・王将)となる。さらに王座戦で羽生に挑戦したが敗退し、一気の三冠達成はならなかった。また、王将の防衛戦は、羽生を挑戦者に迎え前年と同一カードとなったが、0-4で羽生に奪還され、棋聖のみの一冠に後退した。
2003年、第74期棋聖戦で丸山忠久の挑戦を3-0で退け防衛。羽生善治(当時七冠)が棋聖位を失ってから、棋聖位保持者は7年連続で入れ替わっていたが、この防衛によって終止符が打たれた。同年、第11期銀河戦で中川大輔を下して優勝、タイトル戦以外の全棋士参加棋戦での初優勝を飾った。
2004年、第75期棋聖戦で森内俊之の挑戦を3-0で退け防衛。JT将棋日本シリーズでは、決勝で久保利明を下して初優勝。
2005年、第76期棋聖戦で羽生善治の挑戦ーを3-2で退け防衛。第55期王将戦の挑戦者決定リーグで全勝して挑戦権を獲得。王将戦の挑戦者決定リーグで複数回全勝したのは、佐藤康光が初である。しかし羽生に3-4で敗れて、王将獲得はならなかった。
2006年度は、佐藤にとって大活躍の年となる。まず、第77期棋聖戦で鈴木大介の挑戦を3-0で退け防衛。これで通算5期となり、規定により永世棋聖の資格を得る。JT将棋日本シリーズは決勝で郷田真隆を破り2度目の優勝。NHK杯も決勝で森内俊之を破り優勝(3度目の決勝進出にして初優勝)。史上初のタイトル戦5連続挑戦の記録を作り、うち、森内俊之から棋王位を奪取。再び二冠(棋聖・棋王)となる。また、成績だけではなく、「佐藤新手」[9]と呼ばれる数々の新手や独創的な戦法を大勝負で用いたことは評価された。これらの活躍により、将棋大賞の最優秀棋士賞と升田幸三賞を同時受賞する(いずれも初受賞)[10]。
2007年、第78期棋聖戦で渡辺明竜王の挑戦を3-1で退けて防衛し、6連覇。一方、同年の竜王戦では、逆に渡辺に2年連続で挑戦するも2-4で再び奪取に失敗し、三冠制覇のチャンスを逃す。互いに自分のタイトルを防衛・連覇し合う結果となった。
2007年度、初の生放送となるNHK杯戦決勝(2008年3月16日)で鈴木大介を破り優勝。47、48期(1998、99年度)の羽生善治以来、同大会9年ぶり3人目の連覇を達成した。また、第33期棋王戦では羽生を3勝2敗で下して防衛に成功、1勝2敗の角番からの粘りで二冠を死守した。しかしながら、A級順位戦では苦戦する[注釈 5]。残留争いのライバル2名(行方尚史・久保利明)との直接対決が残っていたため、残り3局を3連勝すれば残留できるという「自力残留」の目が残されていた。まず、行方を破り、次に久保を破る。そして最終9回戦[注釈 6]では、挑戦者争いにも残留争いにも絡んでいない木村一基が対戦相手であった。木村は羽織袴を着て闘志(「米長哲学」)を露わにして佐藤の前に登場するも、佐藤はこの一局に勝ち、A級の座を死守した。
2008年6月からの第79期棋聖戦でも羽生を挑戦者として迎える。初戦から2連勝して早々に防衛に王手をかけたが、そこから3連敗して棋聖位を奪取され、一冠(棋王)に後退。大山康晴に並ぶ棋聖戦7連覇の達成はならなかった。
2009年(2008年度)の第34期棋王戦では、久保利明に2連敗後の2連勝でフルセットまで持ち込んだが、最終局に敗れ3連覇を逃し、7年ぶりに無冠となる(久保にとっては初タイトル)。
第68期順位戦(2009年度)A級の8回戦、対・藤井猛戦(2010年2月3日)で敗れ、B級1組への陥落が決定。A級連続在籍(名人在位2期を含む)は14でストップし、順位戦・竜王戦を通じて自身初の降級を喫する。翌朝、久保棋王への挑戦者(リターンマッチ)として、第1局のため9時前に羽田空港に集合し、上海へ移動。対局場の検分と前夜祭を済ませ、2月5日に対局という過酷なスケジュールであったが、筋違い角の乱戦を制して先勝する。この五番勝負は前期と同じくフルセットとなったが、第5局(3月30日)で190手の熱戦の末に敗れ、昨年奪われた棋王位をすぐに取り返すことはできなかった。この一局は、翌日に行われた第37回将棋大賞の選考で、名局賞に選ばれた[注釈 7][11]。また2009年度最後の対局である棋王戦第5局で敗れたことにより、同年度はデビュー以来初の負け越し(24勝25敗)となった。
降級して迎えた第69期順位戦(2010年度)では、A級14期連続在位の貫禄を見せつけ、9勝3敗の成績でA級に返り咲きを果たした。勝率こそ7割を超えた(34勝14敗)ものの、タイトル戦線に絡むことはなかった。
第61期王将戦(2011年度)挑戦者決定リーグ戦で5勝1敗の成績を残し、同星だった豊島将之六段との決定戦も勝利し挑戦者の権利を得る。2012年1月から、久保利明二冠に挑んだ王将戦七番勝負では、第1局から久保を圧倒し3連勝。久保の地元である兵庫県加古川市で行われた第4戦こそ敗れたが、第5戦に勝ち4勝1敗で王将位を奪取。王将位在位は11年ぶり2期目。佐藤自身も約3年ぶりのタイトル奪取となった。しかし第62期王将戦(2012年度)で渡辺明に対し1-4で敗れ、王将位から失冠した。
第29期竜王戦(2016年度)にて1組の5位決定戦1回戦で阿久津主税と対局するも敗れ、24期連続で保持してきた1組の座から陥落することになった。その後、第30期竜王戦において2組準優勝となり[12]、本戦進出と1組に復帰が決定している。
第75期順位戦(2016年度)A級では、勝ち星が振るわず7回戦終了時で1勝6敗と大苦戦し第68期(2009年度)以来の降級の危機となったが、最後の2戦を連勝し辛くも順位差により降級を回避した[注釈 8]。
第66回NHK杯テレビ将棋トーナメント初戦となる2回戦で増田康宏四段、3回戦で斎藤慎太郎六段(当時)、準々決勝で前年度の準優勝となる千田翔太六段、準決勝で佐藤天彦名人にそれぞれ勝利し、決勝戦で初の決勝進出となる佐藤和俊六段に勝利し、9年ぶり三度目のNHK杯を優勝した[13]。
2017年7月28日の第76期順位戦A級で広瀬章人八段に勝ち、史上9人目の公式戦通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成した[14][15]。
第76期順位戦(2017年度)A級では、自身も含めた6人が6勝4敗の同率トップとなり、6人による挑戦者決定プレーオフになる。プレーオフでは佐藤は2回戦から参加することになったものの、豊島将之に敗れた[16]。
第69期王座戦(2021年度)では挑戦者決定戦まで進出するも、木村一基に敗れ、50代でのタイトル挑戦とはならなかった。
羽生世代がタイトル戦など将棋の表舞台から姿を消しつつある中、ただ一人A級に在籍していたが、第81期(2022年度)順位戦A級では、1勝8敗の成績で降級となった[17]。
佐藤は連盟会長として「超多忙」で自身の研究に割く時間がなかなか取れないにもかかわらず各棋戦で健闘しており、ファンとの指導対局にも力を入れているという[18]。
2023年4月4日、将棋連盟会長の職を今季限りで退任すると発表した。任期は6月9日まで。
2024年1月11日、第37期竜王戦1組ランキング戦での広瀬章人との対局に勝利し、通算成績1100勝(710敗)に到達[19]。
同年4月25日、第72期王座戦決勝トーナメント1回戦で羽生善治と通算169回目の対局を行い、同一カードの対局回数ランキングで歴代2位に浮上した[20]。
若手時代は既存の定跡形を多く指していたが、2005年前後からは創造的で新基軸な序盤作戦を選ぶことが多くなっている[注釈 9]。
ゴキゲン中飛車を相手にしての序盤の新手である9手目▲9六歩は、多くの棋士達によって採用されている(ゴキゲン中飛車 を参照)[注釈 10]。
若手時代から「緻密流」と称される読みの深さで知られ、懇意にしていた室岡克彦から「1秒間に1億と3手読む」と形容されたほどである[注釈 11]。
非常に独特な駒組から腕力で相手をねじ伏せる剛腕ぶりから、インターネット上では「丸太」と表現されることもある[21]。
後述のように升田幸三賞を2度受賞している。特別賞ではない升田幸三賞を2度受賞しているのは、佐藤康光と青野照市、藤井猛、千田翔太の4人のみである(2022年4月現在)。
NHKの「将棋の日」など将棋の地方巡業番組の観客に出題されるクイズ「次の一手」では、あまりにひねくれた戦法で他の棋士が予測できない手ばかりを繰り出すとして話題になる。
第61期王将戦第1局 第25手 ▲5七玉まで △久保利明王将 持駒:角
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他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | 1993 | 5回 | 1期 | 1 | |
名人 | 1998-1999 | 3回 | 2期 | 2連覇 | |
王位 | - | 5回 | - | - | |
王座 | - | 3回 | - | - | |
棋王 | 2006-2007 | 6回 | 2期 | 2連覇 | |
叡王 | - | 0 | - | - | |
王将 | 2001,2011 | 8回 | 2期 | 1 | |
棋聖 | 2002-2007 | 7回 | 6期 | 6連覇 (歴代3位) |
永世棋聖資格 |
登場回数 合計37回、獲得合計 13期(歴代8位) (回数・期数は2018年3月末現在) | |||||
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開始 年度 |
順位戦 出典[45] |
竜王戦 出典[46] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1987 | 46 | C253 | 8-2 | 1 | 6組 | -- | 3-1 | |||||||||||
1988 | 47 | C204 | 8-2 | 2 | 5組 | -- | 5-1 | |||||||||||
1989 | 48 | C122 | 7-3 | 3 | 4組 | 1-1 | 5-0 | |||||||||||
1990 | 49 | C106 | 8-2 | 4 | 3組 | -- | 4-1 | |||||||||||
1991 | 50 | C103 | 6-4 | 5 | 2組 | 3-2 | 3-1 | |||||||||||
1992 | 51 | C106 | 10-0 | 6 | 1組 | 4-0 | 3-1 | |||||||||||
1993 | 52 | B219 | 6-4 | 7 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
1994 | 53 | B208 | 8-2 | 8 | 1組 | 4-1 | 4-1 | |||||||||||
1995 | 54 | B113 | 11-1 | 9 | 1組 | 2-2 | 4-1 | |||||||||||
1996 | 55 | A 09 | 5-4 | 10 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
1997 | 56 | A04 | 6-3 | 11 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1998 | 57 | 名人 | -- | 12 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
1999 | 58 | 名人 | -- | 13 | 1組 | 2-2 | 3-1 | |||||||||||
2000 | 59 | A 01 | 6-3 | 14 | 1組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2001 | 60 | A 02 | 7-2 | 15 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2002 | 61 | A 02 | 6-3 | 16 | 1組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
2003 | 62 | A 02 | 6-3 | 17 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2004 | 63 | A 02 | 5-4 | 18 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2005 | 64 | A 04 | 5-4 | 19 | 1組 | 4-0 | 3-1 | |||||||||||
2006 | 65 | A 03 | 4-5 | 20 | 1組 | 4-1 | 3-1 | |||||||||||
2007 | 66 | A 04 | 3-6 | 21 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2008 | 67 | A 08 | 6-3 | 22 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2009 | 68 | A 02 | 2-7 | 23 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2010 | 69 | B102 | 9-3 | 24 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2011 | 70 | A 09 | 4-5 | 25 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2012 | 71 | A 07 | 5-4 | 26 | 1組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
2013 | 72 | A 06 | 5-4 | 27 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2014 | 73 | A 04 | 4-5 | 28 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2015 | 74 | A 08 | 5-4 | 29 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2016 | 75 | A 04 | 3-6 | 30 | 2組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2017 | 76 | A 08 | 6-4 | 31 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2018 | 77 | A 04 | 4-5 | 32 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2019 | 78 | A 05 | 5-4 | 33 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2020 | 79 | A 03 | 4-5 | 34 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2021 | 80 | A 06 | 4-5 | 35 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2022 | 81 | A 07 | 1-8 | 36 | 2組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2023 | 82 | B102 | 6-6 | 37 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2024 | 83 | B108 | 38 | 1組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1987-1989 (小計) |
146 | 104 | 42 | ||
1990 | 67 | 49 | 18 | 0.731 | [47] |
1987-1990 (小計) |
213 | 153 | 60 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
1991 | 53 | 33 | 20 | 0.623 | [48] |
1992 | 64 | 49 | 15 | 0.766 | [49] |
1993 | 71 | 50 | 21 | 0.704 | [50] |
1994 | 40 | 22 | 18 | 0.550 | [51] |
1995 | 55 | 34 | 21 | 0.618 | [52] |
1996 | 46 | 30 | 16 | 0.652 | [53] |
1997 | 59 | 37 | 22 | 0.627 | [54] |
1998 | 55 | 32 | 23 | 0.582 | [55] |
1999 | 56 | 32 | 24 | 0.571 | [56] |
2000 | 59 | 34 | 25 | 0.5762 | [57] |
1991-2000 (小計) |
558 | 353 | 205 | ||
- 2000 (塁計) |
771 | 506 | 265 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 71 | 53 | 18 | 0.7464 | [58] |
2002 | 55 | 31 | 24 | 0.5636 | [59] |
2003 | 49 | 30 | 19 | 0.6122 | [60] |
2004 | 42 | 28 | 14 | 0.6666 | [61] |
2005 | 58 | 35 | 23 | 0.6034 | [62] |
2006 | 86 | 57 | 29 | 0.6628 | [63] |
2007 | 59 | 32 | 27 | 0.5423 | [64] |
2008 | 53 | 32 | 21 | 0.6037 | [65] |
2009 | 49 | 24 | 25 | 0.4897 | [66] |
2010 | 48 | 34 | 14 | 0.7083 | [67] |
2001-2010 (小計) |
570 | 356 | 214 | ||
- 2010 (塁計) |
1341 | 862 | 479 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011 | 43 | 22 | 21 | 0.5116 | [68] |
2012 | 47 | 31 | 16 | 0.6595 | [69] |
2013 | 37 | 19 | 18 | 0.5135 | [70] |
2014 | 42 | 25 | 17 | 0.5952 | [71] |
2015 | 45 | 22 | 23 | 0.4888 | [72] |
2016 | 33 | 16 | 17 | 0.4848 | [73] |
2017 | 32 | 15 | 17 | 0.4687 | [74] |
2018 | 38 | 19 | 19 | 0.5000 | [75] |
2019 | 31 | 16 | 15 | 0.5161 | [76] |
2020 | 26 | 11 | 15 | 0.4230 | [77] |
2011-2020 (小計) |
374 | 196 | 178 | ||
- 2020 (塁計) |
1715 | 1058 | 657 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021 | 38 | 21 | 17 | 0.5526 | [78] |
2022 | 32 | 13 | 19 | 0.4062 | [79] |
2023 | 31 | 13 | 18 | 0.4193 | [80] |
2021-2023 (小計) |
101 | 47 | 54 | ||
通算 | 1816 | 1105 | 711 | 0.6084 | [81] |
2023年度まで |
日本将棋連盟以外の表彰は「#その他表彰」の項を参照。
昇段およびタイトルの獲得、失冠による肩書きの遍歴を記す。(色付きは継続中の記録。)
日付 | 肩書き | 日数 | 保持タイトル | 備考 |
---|---|---|---|---|
1987年 3月25日 | 四段 | 738日 | - | プロ入り |
1987年 4月 1日 | 五段 | 1089日 | 第47期順位戦C級1組昇級による昇段 | |
1992年 3月25日 | 六段 | 555日 | 勝数規定による昇段 | |
1993年10月 1日 | 七段 | 70日 | 六段昇段後竜王挑戦(第6期)による昇段 | |
1993年12月10日 | 竜王 | 364日 | 竜王 | 竜王獲得 第6期竜王戦 |
1994年12月 9日 | 前竜王 | 369日 | - | 竜王失冠 第7期竜王戦 |
1995年12月13日 | 七段 | 110日 | 第8期竜王戦終了 | |
1996年 4月 1日 | 八段 | 808日 | 第54期順位戦A級昇級による昇段 | |
1998年 6月18日 | 名人 | 740日 | 名人 | 名人獲得 第56期名人戦 |
2000年 6月27日 | 九段 | 623日 | - | 名人失冠 第58期名人戦 |
2002年 3月12日 | 王将 | 142日 | 王将 | 王将獲得 第51期王将戦 |
2002年 8月 1日 | 二冠 | 196日 | 棋聖・王将 | 棋聖獲得 第73期棋聖戦 |
2003年 2月13日 | 棋聖 | 1504日 | 棋聖 | 王将失冠 第52期王将戦 |
2007年 3月28日 | 二冠 | 478日 | 棋聖・棋王 | 棋王獲得 第32期棋王戦 |
2008年 7月18日 | 棋王 | 255日 | 棋王 | 棋聖失冠 第79期棋聖戦 |
2009年 3月30日 | 九段 | 1075日 | - | 棋王失冠 第34期棋王戦 |
2012年 3月 9日 | 王将 | 363日 | 王将 | 王将獲得 第61期王将戦 |
2013年 3月 7日 | 九段 | 4257日 | - | 王将失冠 第62期王将戦 |
日本将棋連盟の表彰は「#日本将棋連盟 表彰」の項を参照。
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