島朗

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

島朗

島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋士。棋士番号146。高柳敏夫名誉九段門下。東京都世田谷区出身。

概要 島 朗 九段, 名前 ...
 島 朗 九段
Thumb
名前 島 朗
生年月日 (1963-02-19) 1963年2月19日(61歳)
プロ入り年月日 1980年9月18日(17歳)
棋士番号 146
出身地 東京都世田谷区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 高柳敏夫名誉九段
弟子 水町みゆ
段位 九段
棋士DB 島 朗
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 3回
2017年1月21日現在
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来歴

棋風

  • 基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車を詳細に解説した大著「島ノート」がある[注 4]
  • 独特の美意識を持った人物であり、かつては形勢が不利になるとあっさり投了してしまうことから「早投げの代表格」とも呼ばれた[2]。しかし「自分の投了図を将棋ソフトに調べさせたら、何局も『優勢』と形勢判断された」ことから、2019年に「これからは早く投了しないようにします」と語っている[2][3]
  • 第61回NHK杯テレビ将棋トーナメント1回戦第18局で女流棋士の甲斐智美と対局。女流棋士との公式戦初手合となった。結果は甲斐のゴキゲン中飛車に対し、島が4筋の位を取る珍しい作戦にでて快勝した。流行型を指しこなしつつも、矢倉中飛車などの古くからある作戦に独自の工夫を加えていく島らしい戦型選択であった。

人物

要約
視点

将棋

  • 若手棋士との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ[注 5]。中でも、羽生善治佐藤康光森内俊之が参加していた「島研」(1986年(昭和61年)頃から1990年(平成2年)頃まで)は伝説的研究会といわれる。島が名付けたのではないが、米長邦雄が各方面で言及した結果、定着した。島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験し[4]、島以外は全員が名人位につき、八冠いずれかの永世称号資格保持者となった。
  • 島はNHK杯の解説で、指された手に対して数年前の対局の棋譜を並べだすこともよくあった。
  • 若手時代は将棋と定時制高校の青春時代の反動からプレイボーイとなり[5]、第1期竜王戦ではブランド物(アルマーニ)のスーツで現れ、マスコミを賑わせた[注 6]。「高額な盤駒を購入するくらいなら、ブランドのスーツを買う」と述べたこともあった。2004年の談話では、「スーツを着るからには変なスーツを着るわけにはいかなかった。和服を着ておけば楽だったものを、一体当時は何を考えていたのか…」などと述懐している[6]。ただ2018年のインタビューでは、「(ウィキペディアにいろいろ書かれているために)アルマーニのスーツを着てタイトル戦に臨んだというイメージがあるようだが、1着しか持っていない」「当時は和服の着付けができなかったので、和服着用はハンデと考えたから」とも述べている[7]

そして竜王戦の賞金は服と靴と車に消えた。当時バブル景気が賑わっていたと言う背景もあった。また、多額の税金も支払ったとされている[6]。 翌年の竜王戦は羽生善治との対戦であったが、初日の終了後に、羽生らとモノポリーに興じた[注 7]

  • 王座戦等の観戦記を執筆。棋士の観戦記には評論のような文章が多いとされるなかで、独特の文体と描写で物語のような文章となっている。

自著の「角換わり腰掛け銀研究」は1995年に第7回将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞を受賞した。この本はあまりに詳細にわたる研究だったため、島自身も忘れている部分があり、若手棋士との対局で島がある変化手順について尋ねたところ、「島先生の本に載ってました」と答えられたというエピソードがあるほどである。

  • テレビ対局の銀河戦[注 8]で、持ち駒銀将を裏返した状態(成銀)で打って反則負けとなった[注 9]。島は、「銀河戦で使用する駒は表・裏とも1文字のもので、金将と成銀の書体が似ているために起こったハプニングである」と将棋世界1998年9月号で述懐した。
  • 従来、将棋の駒は盤の枠内の真ん中に置くものとされていた。それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多くの若手棋士が島のスタイルに追随していった。中村修NHK杯の解説で、「島さんの功績・功罪」と述べていた。

丸山忠久との相性

  • 丸山忠久との相性が悪く、公式戦初対局から0勝21敗と完封されている(2023年10月6日現在)。ともにタイトル経験者(丸山は名人2期・棋王1期)かつA級在位経験者というトップ棋士同士で、これだけの大差が生じるのは非常に珍しい。非公式戦のため記録には計上されていないが、上述反則負けの際の相手も丸山であった。
さらに見る 対局日, 棋戦 ...
丸山忠久との対局一覧(灰色は非公式戦)[8]
対局日棋戦先後戦型結果
1990年12月03日第13回勝ち抜き戦予選後手
1991年07月30日第10回全日プロ3回戦先手陽動振り飛車千日手
3回戦千日手指し直し局後手角換わり腰掛銀
1992年01月10日第40期王座戦二次予選2回戦後手角換わり腰掛銀
1992年09月14日第14回勝ち抜き戦本戦後手向かい飛車
1995年06月27日第45期王将戦二次予選1回戦先手矢倉
1995年08月07日第45回NHK杯戦本戦2回戦先手横歩取り
1995年09月11日第67期棋聖戦二次予選2回戦後手相掛かり
1998年07月01日第6期銀河戦本戦Aブロック22回戦先手矢倉●(反則)
1998年09月24日第57期順位戦A級4回戦先手横歩取り
1999年11月16日第58期順位戦A級5回戦後手角換わり
2002年03月06日第21回勝ち抜き戦本戦後手向かい飛車
2002年07月25日第61期順位戦A級2回戦後手四間飛車
2003年02月10日第52回NHK杯戦本戦準々決勝後手中飛車
2003年06月22日第24回日本シリーズ1回戦先手横歩取り
2004年02月03日第62期順位戦A級8回戦後手向かい飛車
2008年02月07日第49期王位戦リーグ戦白組1回戦後手横歩取り
2009年11月04日第3回朝日杯二次予選1回戦先手三間飛車
2011年09月26日第61回NHK杯戦本戦2回戦後手角換わり
2012年02月10日第25期竜王戦1組ランキング戦1回戦後手相掛かり
2016年09月21日第58期王位戦予選2回戦後手
2017年08月28日第3期叡王戦九段予選2回戦先手対抗型
2023年10月06日第1期達人戦予選準決勝後手雁木
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理事や顧問として

  • 2005年5月から2007年5月まで、日本将棋連盟理事(普及事業、出版、会館担当)を1期務めた。理事在任中の実績として栄光ゼミナール主催の小学生将棋大会「栄光ゼミナール杯」誘致がある[注 10]
  • 2007年7月 渉外・普及特別顧問(東北担当)という新たな肩書きを将棋連盟に作ってもらい、2008年4月には自身も宮城県仙台市へ引っ越して、東北地方の将棋普及に本腰を入れている。朝日新聞2008年10月17日朝刊(宮城県内版)の記事によると、対局で訪れた仙台にほれ込んだといい、将棋好きな梅原克彦仙台市長(当時)に頼み込んで、仙台青葉まつりで青空将棋教室を毎年開催している。
  • 2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。併せて、東北統括本部長に就任。
  • 2012年3月、女流棋士の鈴木環那と、やまがた特命観光・つや姫大使に就任。任期は三年。また、あったかふくしま観光交流大使にも就任している[9]
  • 2013年1月、日本将棋連盟常務理事に就任[10]
  • 2016年10月10日 自宅で会合を開き、三浦弘行九段のソフト不正使用疑惑問題について協議した。(参照:将棋ソフト不正使用疑惑
  • 2017年1月19日、体調不良により、常務理事を辞任すると表明していた件が、理事会で承認された[11]

その他

  • 麻雀愛好家であるが、先崎学の著書には「ハマりすぎるために麻雀牌を川に捨てた」という記述がある。しかし、2013年3月に出版された自著である「島研ノート 心の鍛え方」には、麻雀牌を捨てたのは事実でも川には捨てていないとする旨の内容がp222-223に記載されている。また、大のパチンコ好きでもあると先崎学の著書[12]にある。
  • 社会問題への関心も強く、「THE・サンデー」や「しんぶん赤旗」のコメンテーターとしても活躍していた。
  • 竜王戦第一局前夜祭で花束を贈呈したミス川崎と交際して結婚したが、2016年に亡くしている[13]。2018年頃に鈴木環那の母親と再婚した。配偶者を癌で亡くした者同士の再婚だった[14]

弟子

女流棋士となった弟子

さらに見る 名前, 女流プロ入り日 ...
名前女流プロ入り日段位、主な活躍
水町みゆ2018年5月1日 女流初段
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(2020年4月1日現在)

昇段履歴

  • 1975年05月01日 : 6級 = 奨励会入会
  • 1975年05月01日 : 5級
  • 1976年03月01日 : 4級
  • 1976年05月01日 : 3級
  • 1976年06月01日 : 2級
  • 1976年12月01日 : 1級
  • 1977年07月01日 : 初段
  • 1978年01月01日 : 二段
  • 1979年04月01日 : 三段
  • 1980年09月18日 : 四段(奨励会規定・三段昇段後9連勝) = プロ入り
  • 1984年05月10日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝
  • 1986年04月01日 : 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1988年11月17日 : 六段(第1期竜王 獲得)
  • 1989年04月01日 : 七段(特別昇段 /竜王獲得など抜群の成績
  • 1994年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級)
  • 2008年04月17日 : 九段(勝数規定 /八段昇段後公式戦250勝[15]

主な成績

要約
視点

獲得タイトル

 2025年2月現在の在位。登場・連覇の 太字 は歴代最多記録。

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照。

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号(備考)
竜王 1988 2回 1期 1
名人 0
王位 0
叡王 0
王座 2回
棋王 0
王将 1回
棋聖 1回
タイトル獲得 合計 1期 / 登場回数 合計6回 

(1997年度王座戦終了まで)

タイトル戦登場
  • 竜王:2回(第1期=1988年度 - 2期)
  • 王座:2回(第44期=1996年度 - 45期)
  • 王将:1回(第38期=1988年度)
  • 棋聖:1回(第65期=1994年度)
登場回数 合計 8回(1997年王座戦まで)

一般棋戦優勝

  • 勝ち抜き戦(5連勝以上) 3回(第5回-1982年度・8回・9回)

非公式戦優勝

将棋大賞

  • 第12回(1984年度) 新人賞・最多勝利賞
  • 第16回(1988年度) 殊勲賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[16]
(出典)竜王戦
出典[17]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1980 39 四段昇段前 第20期十段戦 予選敗退
1981 40 C228 6-4 第21期十段戦 予選敗退
1982 41 C211 6-4 第22期十段戦 予選敗退
1983 42 C208 7-3 第23期十段戦 予選敗退
1984 43 C207 10-0 第24期十段戦 予選敗退
1985 44 C118 8-2 第25期十段戦 予選敗退
1986 45 B220 6-4 第26期十段戦 予選敗退
1987 46 B209 7-3 1  3組  5-1 3-1
1988 47 B203 5-5 2 竜王 -- --
1989 48 B209 6-4 3 1組 -- 1-2
1990 49 B206 8-2 4 1組 0-1 4-0
1991 50 B113 7-5 5 1組 -- 1-2
1992 51 B105 6-6 6 1組 0-1 4-0
1993 52 B105 8-3 7 1組 -- 2-2
1994 53 A 09 4-5 8 1組 -- 1-2
1995 54 A 07 5-4 9 1組 -- 1-2
1996 55 A 05 4-5 10 1組 -- 2-2
1997 56 A 05 4-5 11 1組 -- 0-2
1998 57 A 07 3-5 12 2組 -- 4-2
1999 58 A 06 3-6 13 2組 -- 1-2
2000 59 A 08 3-6 14 2組 -- 1-2
2001 60 B101 11-1 15 2組 -- 1-2
2002 61 A 09 4-5 16 2組 -- 1-2
2003 62 A 08 2-7 17 2組 -- 0-3
2004 63 B101 6-6 18 3組 0-1 3-1
2005 64 B106 5-7 19 2組 -- 2-2
2006 65 B109 7-5 20 2組 -- 1-2
2007 66 B106 3-9 21 2組 -- 0-2
2008 67 B201 7-3 22 2組 -- 4-1
2009 68 B204 5-5 23 2組 -- 2-2
2010 69 B210 7-3 24 2組 -- 3-1
2011 70 B205 6-4 25 1組 -- 0-2
2012 71 B207 4-6 26 2組 -- 0-2
2013 72 B212x 1-9 27 2組 -- 4-1
2014 73 B225* 5-5 28 2組 -- 0-2
2015 74 B216*x 3-7 29 3組 -- 1-2
2016 75 C101x 2-8 30 3組 -- 1-2
2017 76 C133* 5-5 31 3組 -- 0-2
2018 77 C121* 4-6 32 4組 -- 1-2
2019 78 C125* 5-5 33 4組 -- 0-3
2020 79 C118*x 1-9 34 5組 -- 0-3
2021 80 C204 3-7 35 6組 -- 2-2
2022 81 C242 4-6 36 6組 -- 3-2
2023 82 C241 4-6 37 6組 -- 1-2
2024 83 C238 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。
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年度別成績

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公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1980 16970.5625[18]
1980
(小計)
1697
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1981 3418160.5294[19]
1982 5436180.6667[20]
1983 5032180.6400[21]
1984 6044160.7333[22]
1985 6341220.6508[23]
1986 5134170.6667[24]
1987 5636200.6429[25]
1988 6341220.6508[26]
1989 5229220.5686[27]
1990 5230220.5769[28]
1981-1990
(小計)
586341245
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1991 3723140.6261[29]
1992 4022180.5500[30]
1993 3824140.6316[31]
1994 4117240.4146[32]
1995 3922170.5641[33]
1996 4021160.5250[34]
1997 3717200.4595[35]
1998 3616200.4444[36]
1999 4524210.5333[37]
2000 3314190.4242[38]
1991-2000
(小計)
386200186
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2001 3217150.5313[39]
2002 4325180.5814[40]
2003 257180.2800[41]
2004 3517180.4857[42]
2005 3721160.5676[43]
2006 3719180.5135[44]
2007 3512230.3429[45]
2008 4224180.5714[46]
2009 3220120.6250[47]
2010 3418160.6765[48]
2001-2010
(小計)
352180172
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2011 3418160.5294[49]
2012 268180.3077[50]
2013 2810180.3571[51]
2014 259160.3600[52]
2015 247170.2917[53]
2016 234190.1739[54]
2017 2811170.3929[55]
2018 236170.2609[56]
2019 2710170.3704[57]
2020 243210.1250[58]
2011-2020
(小計)
26286176
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2021 279180.3333[59]
2022 2711160.4074[60]
2023 3618180.5000[61]
2021-2023
(小計)
903852
通算 16408597810.5238[62]
2023年度まで
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その他表彰

  • 2004年08月08日 - 将棋栄誉賞(公式戦通算600勝達成、通算 1046局/ 600勝445敗、持将棋1/ 勝率0.574)[63]
  • 2005年 現役勤続25年
  • 2018年02月06日 - 将棋栄誉敢闘賞(公式戦通算800勝達成、通算 1471局/ 800勝670敗、持将棋1/ 勝率0.544)[1]

主な著書

  • 角換わり腰掛け銀研究(1998年9月、毎日コミュニケーションズISBN 4-8399-0066-3
    • 第7回将棋ペンクラブ著作部門大賞受賞作。
  • 純粋なるもの(1996年11月、河出書房新社ISBN 4-309-26300-3)(1999年、新潮文庫
  • 島ノート 振り飛車編(2002年11月、講談社ISBN 4-06-211633-2
    • 講談社出版の将棋書籍として珍しいものだが、これは週刊現代塚田泰明と交互連載していた「ハイパー実戦塾」の振り飛車部分を大幅に加筆修正したもので、将棋界でも画期的な名著とされている。特に、島が考案して紹介した「鬼殺し向かい飛車戦法」はネット将棋で一時期大流行し現在では4手目3三角戦法の一変化として残っている。また、島がインターネットを用いて読者の質問に答えたことも先例のないことであった。この本は元来もっと大部にする予定だったものの、「辞書になってしまう」という理由で現在のページ数に抑えている。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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