南芳一

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

南 芳一(みなみ よしかず、1963年6月8日 - )は、将棋棋士日本将棋連盟関西本部所属。木下晃七段門下。棋士番号は147。大阪府岸和田市出身。1980年度(昭和55年度)にプロ入りした、いわゆる「55年組」の一人。

概要 南芳一 九段, 名前 ...
 南芳一 九段
名前 南芳一
生年月日 (1963-06-08) 1963年6月8日(61歳)
プロ入り年月日 1981年1月19日(17歳)
棋士番号 147
出身地 大阪府
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 木下晃七段
段位 九段
棋士DB 南芳一
戦績
タイトル獲得合計 7期
一般棋戦優勝回数 6回
順位戦クラス A級(9期)
2024年4月11日現在
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棋歴

プロ入り前

  • 10歳の頃に父に教わり、将棋を始める[1]
  • 上達は速く、1975年に11歳で奨励会試験に合格し、賀集正三門下で7級で奨励会に入会する。しかし、すぐにB(降級の一歩手前)になり同年9月に退会。半年後に再度入会試験を受けるが不合格[2]。それでもあきらめず、1977年に改めて挑戦して合格し、木下門下で5級で再入会。後にプロ入りした人物としては極めて珍しい、奨励会退会後の再入会を経験した。初段昇段まではスピード出世。三段時代が約1年で一時苦しんだが、1981年1月にプロ入り(四段昇段)を果たす。

プロ入り後

  • 1981年度、初参加の昇降級リーグ戦4組(現在の順位戦C級2組に相当)で9勝1敗・3位の成績を収め、いわゆる‘1期抜け’で昇降級リーグ戦3組(C級1組)に昇級(五段昇段)。
  • 1982年度は破竹の勢いで活躍。まず、若手の登竜門・第5回若獅子戦棋戦初優勝(決勝の相手は中村修)。また、第6回オールスター勝ち抜き戦で、A級棋士やA級経験者を相手に5連勝(5連勝以上は棋戦優勝扱い)。さらには、第41期昇降級リーグ戦3組(順位戦C級1組)で9勝1敗で2位となり、2年連続昇級で昇降級リーグ戦2組(順位戦B級2組)に昇格(六段昇段)。これらの活躍により、第10回(1982年度)将棋大賞の新人賞、勝率第1位賞(0.769)、連勝賞(15連勝)を受賞。
  • 1983年度は、第6回若獅子戦で2年連続優勝(決勝の相手は島朗)。
  • 1984年度と1985年度は昇降級リーグ戦(順位戦)に星を集める。1984年度(第43期・昇降級リーグ2組/B級2組)で9勝1敗・1位の成績、1985年度(第44期・B級1組)は9勝2敗・1位の成績。デビューから僅か5年で4度の昇級をし、一気にA級八段に昇格。22歳でのA級昇級は、加藤一二三谷川浩司に次ぐ3位タイの記録(ほかには中原誠羽生善治[1]。1985年度は15連勝を記録し、将棋大賞の連勝賞を受賞。
  • 1986年度は、第49期棋聖戦(1986年度後期)で活躍する。二次予選通過後、本戦で4人のタイトル経験者(米長邦雄高橋道雄大山康晴、加藤一二三)をなで斬りし、桐山清澄棋聖に挑戦。しかし、五番勝負は1-3で敗退。
  • 1987年度は飛躍の年となる。第51期棋聖戦(1987年度後期)では本戦で中原誠、田中寅彦らを破り2度目の挑戦権を獲得。桐山棋聖に3-0のストレートで勝利して前年の雪辱を果たし、初タイトル・棋聖を奪取(1988年1月12日)。一方、第37期王将戦では二次予選で桐山清澄、加藤一二三らを破ってリーグに初進出。リーグでは中原誠、米長邦雄、森雞二、および、「55年組」の高橋道雄、塚田泰明、島朗を相手に6戦全勝。同じく55年組の中村修王将への挑戦者となる。七番勝負はフルセットの戦いとなり、2-3の後の2連勝で王将位を奪取。一気に二冠となる(1988年3月25日)。将棋大賞の殊勲賞を受賞。
  • 1988年度、初のタイトル防衛戦となる第52期棋聖戦(1988年度前期)では田中寅彦を挑戦者に迎え、2-1からの2連敗で失冠。田中の初タイトル獲得を許す。しかし、第38王将戦は島朗の挑戦を4-0のストレートで退けて防衛に成功。この時点でタイトル通算3期となり、25歳にして九段に上りつめる。さらには、第14期棋王戦では、本戦準決勝で一度羽生善治に敗れるも、敗者復活戦で羽生に勝ち、決勝では田中寅彦を破り、谷川浩司棋王に挑戦。五番勝負は2連敗からの3連勝で奪取。再び二冠となる。なお、この年度は第1期竜王戦で1組に参加して本戦進出しており、また、第22回早指し将棋選手権で準優勝している(決勝で森二に敗れる)。将棋大賞の敢闘賞を受賞。
  • 1989年度、第54期棋聖戦(1989年度前期)で中原誠棋聖に挑戦。先勝の後の3連敗で奪取失敗。そして、挑戦者・米長邦雄が南を挑発して(人物・エピソード の項を参照)話題となった第39期王将戦では3-1の後の3連敗で失冠。しかし、第15期棋王戦では40歳年上の66歳の大山康晴の挑戦(タイトル挑戦の最年長記録。また、年の差40歳は将棋史上1位[3]。)を3-0で退けて防衛。また、第23回早指し将棋選手権で優勝(決勝で中原を破る)。オールスター勝ち抜き戦では9連勝。将棋大賞の技能賞を受賞。
  • 1990年度、第55期王将戦リーグで森下卓との4勝2敗同士のプレーオフを制し、米長に挑戦。七番勝負は1-2からの3連勝で王将位奪還。これで三たび二冠となる。しかし、その6日後の第16期棋王戦第4局(1991年3月18日)で羽生善治に敗れて一冠に戻る。これは羽生にとって棋王12連覇の始まりでもあり、タイトル在位連続20年超の始まりでもあった。
  • 第58期棋聖戦(1991年度前期)で、前年に史上最年少タイトル保持者となった屋敷伸之棋聖を3-2破り、4度目の二冠となる。そして、日程が並行した第59期棋聖戦(1991年度後期)と第41期王将戦(1991年度)は、いずれも谷川浩司が南への挑戦者として名乗りを挙げてくる。南は棋聖戦0-3、王将戦1-4でいずれも谷川に敗れ、無冠となる。一方の谷川は、自身初の四冠となった。同年度、第17期棋王戦では谷川らを破り羽生棋王へのリターンマッチの権利を得るが1-3で奪還はならず。なお、A級順位戦(第50期)では、谷川、南、高橋、大山が6勝3敗で並び、史上初の4名によるプレーオフとなったが、南を破った高橋が名人挑戦権を得た。
  • 1993年度、オールスター勝ち抜き戦で7連勝し、同棋戦で3回目の優勝。同年度、第19期棋王戦で羽生に挑戦し、0-3で敗退。また、NHK杯戦でベスト4。
  • 1995年度、第53期順位戦で1勝8敗に終わり、最下位の10位でA級から陥落した。また、第29回早指し将棋選手権戦では準優勝(決勝で羽生に敗れる)。
  • 1997年度、第23期棋王戦で挑戦者決定二番勝負を郷田真隆(敗者復活)と戦うが、0-2で挑戦権獲得を逃す。
  • 1998年度、第11期竜王戦で1組優勝。
  • 2002年、第43期王位戦リーグ入り。
  • 2003年、28人目となる公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。しかし、同年度の第61期順位戦B級1組では、神谷広志相手に1勝したのみで10連敗を喫し、B級2組へ降級する。
  • 2009年、第17回達人戦(非公式戦)で、有楽町マリオンにて公開対局として行われた決勝戦で塚田泰明に勝ち、初優勝。
  • 2014年度、第72期順位戦B級2組では3勝7敗に終わり、2個目の降級点によってC級1組へ降級した。
  • 2016年度、第75期順位戦C級1組では降級点2となり、C級2組への降級が決まった。
  • 2018年1月19日、第76期順位戦C級2組で、石田直裕に勝ち、20人目となる公式戦通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)を達成[4]

棋風・所作

  • 対局中、正座したままほとんど動かず、棋界一寡黙とも言われ、堅実で腰の重い棋風もあって石のお地蔵様と指しているようだとして「地蔵流」と呼ばれる。デビュー直後は四間飛車を多く指し、腰の割らない将棋を指していたことから、「リトル大山」と呼ばれていた[注 1][5]
  • 駒は真部一男のように右利きであるが左手で指すという指し方をしている。これは左官業を営む父親から手ほどきを受けた際からである[6]

人物・エピソード

  • 王将戦・棋王戦といった冬に行われるタイトル戦に強かったため「冬将軍」と言われた[3]
  • 横歩取りが流行しても、あまり指していなかったが、1990年(1989年度)の第39期王将戦で南への挑戦者になった米長邦雄が「横歩の取れない男に負けるわけにはいかない」と新聞上でコメントして挑発。そして、七番勝負のうち南の先手番である第2、第6局で米長は横歩取りに誘ったが、南は2局とも横歩を取った。結果は、第2局は南が、第6局は米長が勝ち、1勝1敗。
  • 第56期(2006年度)NHK杯戦の本戦2回戦の対郷田真隆戦で、まだ序盤とも言える局面で自分のと郷田のが交換になってしまい、解説の森下卓が「初回の満塁ホームラン」と表現した。しかし、結果は南の勝ちとなった。
  • 1988年に創設された岸和田市民栄誉賞(第1号)を受賞した[7]

昇段履歴

  • 1975年04月00日 : 7級 = 奨励会入会
  • 1975年09月00日 : 奨励会退会
  • 1977年10月001日 : 5級 = 奨励会に再入会
  • 1977年11月01日 : 4級
  • 1978年02月01日 : 3級
  • 1978年03月01日 : 2級
  • 1978年05月01日 : 1級
  • 1978年08月01日 : 初段
  • 1979年05月01日 : 二段
  • 1980年02月01日 : 三段
  • 1981年01月19日 : 四段 = プロ入り
  • 1982年04月01日 : 五段(昇降級リーグ戦3組昇級、通算26勝11敗)
  • 1983年04月01日 : 六段(昇降級リーグ戦2組昇級、通算66勝23敗)
  • 1985年04月01日 : 七段(順位戦B級1組昇級、通算118勝55敗)
  • 1986年04月01日 : 八段(順位戦A級昇級、通算151勝70敗)
  • 1988年01月15日 : 八段(タイトル1期 = 第51期棋聖戦
  • 1988年03月25日 : 八段(タイトル2期 = 第37期王将戦
  • 1989年02月22日 : 九段(タイトル3期 = 第38期王将戦、通算259勝124敗)

主な成績

要約
視点

獲得タイトル

他の棋士との比較は、タイトル獲得記録将棋のタイトル在位者一覧を参照

タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
竜王 0
名人 0
叡王 0
王位 0
王座 0
棋王 1988-1989 5 2期 2
王将 1987-1988,1990 5 3期 2
棋聖 1987後,1991前 6 2期 1
旧タイトル 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 備考
十段 0
タイトル獲得 合計 7期 / 登場回数 合計16回 

(1993年度棋王戦終了まで)

タイトル戦登場
  • 棋王:5回(第14期=1988年度 - 17期、19期)
  • 王将:5回(第37期=1987年度 - 41期)
  • 棋聖:6回(第49期=1986年度後期、51-52期、54期、58-59期)
登場回数 合計16回

一般棋戦優勝

優勝合計 6回

特殊棋戦優勝

  • 達人戦(非公式戦) 1回(2009年)
優勝合計 1回

将棋大賞

  • 第10回(1982年度) 勝率第一位賞・連勝賞・新人賞
  • 第13回(1985年度) 連勝賞
  • 第15回(1987年度) 殊勲賞
  • 第16回(1988年度) 敢闘賞
  • 第17回(1989年度) 技能賞

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[8]
(出典)竜王戦
出典[9]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1981 40 C229 9-1 第21期十段戦 予選敗退
1982 41 C118 9-1 第22期十段戦 予選敗退
1983 42 B218 7-3 第23期十段戦 予選敗退
1984 43 B206 9-1 第24期十段戦 予選敗退
1985 44 B111 9-2 第25期十段戦 予選敗退
1986 45 A 09 5-4 第26期十段戦 予選敗退
1987 46 A 06 5-4 1 1組 0-1 3-1
1988 47 A 05 3-6 2 1組 0-1 3-1
1989 48 A 08 4-5 3 1組 -- 3-2
1990 49 A 08 6-3 4 1組 -- 2-2
1991 50 A 04 6-4 5 1組 -- 1-2
1992 51 A 03 6-3 6 1組 1-1 3-1
1993 52 A 03 3-6 7 1組 0-1 3-1
1994 53 A 08 1-8 8 1組 -- 2-2
1995 54 B102 5-7 9 1組 0-1 3-1
1996 55 B108 7-5 10 1組 -- 1-2
1997 56 B104 7-5 11 1組 0-1 4-0
1998 57 B102 7-4 12 1組 -- 2-2
1999 58 B103 6-5 13 1組 -- 2-2
2000 59 B105 7-5 14 1組 -- 2-2
2001 60 B104 3-9 15 1組 -- 1-2
2002 61 B110 1-10 16 1組 -- 0-3
2003 62 B201 5-5 17 2組 -- 1-2
2004 63 B208 6-4 18 2組 -- 2-2
2005 64 B206 6-4 19 2組 -- 0-2
2006 65 B204 5-5 20 3組 -- 2-2
2007 66 B211 4-6 21 3組 -- 1-2
2008 67 B215 6-4 22 3組 -- 0-2
2009 68 B209 4-6 23 4組 -- 3-2
2010 69 B214 5-5 24 4組 -- 3-2
2011 70 B212 5-5 25 4組 -- 2-2
2012 71 B214x 3-7 26 4組 -- 1-2
2013 72 B224*x 3-7 27 4組 -- 1-2
2014 73 C101 3-7 28 4組 -- 0-3
2015 74 C123x 3-7 29 5組 -- 1-2
2016 75 C136*x 3-7 30 5組 -- 1-2
2017 76 C201 3-7 31 5組 -- 2-2
2018 77 C236 3-7 32 5組 -- 2-2
2019 78 C240 5-5 33 5組 -- 2-2
2020 79 C226 3-7 34 5組 -- 2-2
2021 80 C241x 3-7 35 5組 -- 3-3
2022 81 C246*x 1-9 36 5組 -- 1-2
2023 82 F宣 37 5組 -- 0-3
2024 83 F宣 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。
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年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1981 3726110.7027[10]
1982 5240120.7692[11]
1983 4022180.5500[12]
1984 4430140.6818[13]
1985 4833150.6875[14]
1986 6040200.6667[15]
1987 5034160.6800[16]
1988 6139220.6393[17]
1989 6539260.6000[18]
1990 5131200.6078[19]
1981-1990
(小計)
508334174
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1991 5528270.5091[20]
1992 5029210.5800[21]
1993 5030200.6000[22]
1994 4219210.4524[23]
1995 4324190.5581[24]
1996 3318150.5455[25]
1997 4428160.6364[26]
1998 3923160.5897[27]
1999 3718190.4865[28]
2000 3517180.4857[29]
1991-2000
(小計)
428224204
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2001 3311220.3333[30]
2002 3513220.3714[31]
2003 3214180.4375[32]
2004 3622140.6111[33]
2005 4026140.6500[34]
2006 3921180.5382[35]
2007 3316170.4848[36]
2008 2915140.5172[37]
2009 2711160.4074[38]
2010 3219130.5938[39]
2001-2010
(小計)
336168135
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2011 2913160.4483[40]
2012 279180.3333[41]
2013 2811170.3929[42]
2014 268180.3077[43]
2015 279180.3333[44]
2016 234190.1739[45]
2017 2911180.3793[46]
2018 2912170.4138[47]
2019 269170.3462[48]
2020 268180.3077[49]
2011-2020
(小計)
27094176
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2021 269170.3462[50]
2022 242220.0833[51]
2023 196130.3158[52]
2021-2023
(小計)
691752
通算 16118477640.5258[53]
2023年度まで
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その他表彰

著書

脚注

関連項目

外部リンク

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