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日本の将棋棋士、チェス選手 ウィキペディアから
森内 俊之(もりうち としゆき、1970年10月10日 - )は、将棋棋士、十八世名人資格保持者。棋士番号は183。勝浦修九段門下。神奈川県横浜市青葉区出身。
いわゆる「羽生世代」の一人で、デビュー直後から棋戦優勝を果たすなど活躍していたが、初タイトルは31歳での名人獲得と遅かった[2]。その後は竜王・名人を含む三冠を保持するなどタイトル戦でも活躍し、2007年には羽生善治よりも早く永世名人(十八世名人)の資格を得た[3][4]。2017年には順位戦でのB級1組への降級を受けて、46歳の若さで順位戦(名人戦)への参加資格を失うフリークラスへの転出を宣言した[5]。地元の青葉区での指導やYouTubeチャンネルの開設など、将棋の普及活動にも注力している[4][2]。
日本将棋連盟棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2017年5月[6] - 2019年6月[7])を歴任した。
将棋を始めたきっかけは、森内が小学校3年生の頃、学校の休み時間にクラスメート内で流行していた、いい加減な将棋遊びに参加したという、ありふれたものだった。だが、このゲームに魅力を感じた彼は父親に手ほどきを受け、正式な将棋を指すようになる。
家で将棋に熱中している森内の姿を見ていた彼の祖母は、あるとき、雑誌『将棋世界』を孫に渡した。『将棋世界』との出会いをきっかけに、森内は将棋の新しい世界を知り、将棋にのめりこんでいく。毎週土曜日に将棋会館で行われる将棋教室に通うなどし、本格的に将棋を学び始める。それから1年ほど経つと、各地のデパートで開催される将棋大会にも参加するようになった。
同学年の羽生善治と出会ったのはこの頃だった。最初の対戦はある将棋大会の予選で森内が勝ち、次の対戦は同大会の決勝トーナメントで羽生が勝った。 ある将棋大会で森内の初手▲5八飛に対し、羽生の△5二飛という出だしの将棋があった[8]。
5年生の頃、奨励会試験を受験するか迷った末、「自分はまだ力不足」だと判断し、翌年に受験することを決意。 同時に、「棋士になる」という目標が明確になり、勉強にも熱が入るようになった。
1982年、第7回小学生将棋名人戦で3位。このときの優勝者は羽生。同年12月、関東奨励会入り。同期合格者17名のうち、小学生は森内、羽生、郷田真隆の3名のみであった。この年度は受験者が多く、高い競争率であった。一次試験で郷田真隆と対局し勝ち、二次試験で当時唯一の女性奨励会員だった林葉直子女流王将と香落ちで対局し勝利している。
後に「島研」とも呼ばれた島朗六段主宰の研究会は、森内が二段くらいの頃に島に誘われ、森内が佐藤康光も紹介し始まった。島によれば、彼らには奨励会を抜けるための研究は必要なかったという。
1987年5月13日にプロ入り(四段に昇段)。三段リーグ制度が復活する前に四段になった最後の棋士である。また、第22期新人王戦(1987年度)で、奨励会三段の時に出場し、途中で四段に昇段してそのまま優勝した。森内は、新人王戦最年少優勝記録(17歳0か月)を、2018年に藤井聡太が更新(16歳2か月)するまで保持していた[9]。なお、森内は新人王戦で通算3回優勝している。
また、第10回「若駒戦」(奨励会有段者による非公式棋戦)でも同様に、途中で四段になって優勝している。
プロ入り早々頭角を現し、1988年6月11日と89年5月27日に行われた、第7回・8回の早指し新鋭戦で2連覇。決勝戦の対戦相手は両年とも羽生善治五段であった。さらには、全棋士参加の大型棋戦である全日本プロトーナメント(第7回、1988年度)において、谷川浩司名人と決勝三番勝負を戦い、2勝1敗で谷川名人を破り、優勝した(1989年3月13日)。18歳5か月での優勝は、新人棋戦を除く公式戦に於ける史上4番目の年少記録である[注釈 1]。1988年度の将棋大賞で新人賞を受賞。
プロ入り後も向上心は旺盛で、特に前述した島研では、森内と佐藤が四段に昇段した後、羽生も加わり、4人体制での練習対局と感想戦を中心にした研究が行われ、刺激し合いながらの精進が続いた。
順位戦での勝率は高く、C級2組を3期、C級1組を1期、B級2組を2期、B級1組を1期で抜け、合計わずか7期で最高クラスのA級まで上りつめた。そして初参加のA級順位戦で7勝2敗の成績を納め、第54期名人戦七番勝負の挑戦権を獲得。森内にとって、初のタイトル戦挑戦である。相手は、当時七冠王だった羽生善治名人。25歳同士の対戦であった。タイトル戦初対局となった1996年4月11日・12日の第1局は、二つの意味で話題となった。一つは、相矢倉の将棋で、「壁銀」になるのをいとわず、3三にあった銀を△2二銀(40手目)と引く作戦に出たこと。もう一つは、1日目夕方の封じ手の定刻の間際、立会人の五十嵐豊一九段が「時間になりましたので」と言いかけたところで「指すつもりなんですけど」と言って△9四歩(44手目)を指し、羽生を封じ手の手番にさせたことである[10]。森内はこの対局に敗れ、そこから3連敗。第4局でタイトル戦初勝利をあげたものの第5局で敗れ、1勝4敗で敗退となった。森内は、第2局の敗戦を「こんな負け方がありうるとは…」、続く第3局の敗戦も「不思議な負け方」と、当時を振り返る。結果的に敗れはしたが、棋士冥利に尽きる名人戦だったという。それと同時に、羽生との差を痛感した名人戦でもあった。
1996年度、NHK杯戦において、決勝で屋敷伸之七段を破って初優勝。同棋戦では、5年後の2001年度にも、佐藤康光王将を破り優勝した。
1999年度の第12期竜王戦では1組優勝。1999年度、第25期棋王戦の挑戦権を獲得。棋王は、それまで9連覇を果たしていた羽生であった。第25期棋王戦五番勝負の結果は、1勝3敗での敗退。敗れはしたものの、名人戦の頃と違い、手応えを感じたという。
全日本プロトーナメント(第19回、2000年度)において、谷川浩司九段との決勝五番勝負(2001年)を3勝2敗で制して2度目の優勝。同棋戦の最後の優勝者となる[注釈 2]。
第60期順位戦A級で、森内は8勝1敗の好成績を納め、丸山忠久名人への挑戦権を得ると、第60期名人戦七番勝負において丸山名人を4連勝で破り、31歳にして念願の初タイトルとなる名人位を獲得した(2002年5月17日)。また、名人位に就いたことにより、将棋連盟規定により九段に昇段した。なお、ここから第73期(2015年)まで羽生と名人位を分け合うことになる(森内8期・羽生6期)。第54期(1996年)を含めると対羽生の名人戦は9回あり森内が5回制している[注釈 3]。
9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
香 | 桂 | 金 | 一 | ||||||
銀 | 玉 | 金 | 二 | ||||||
歩 | 歩 | 龍 | 歩 | 三 | |||||
歩 | 歩 | 歩 | 角 | 歩 | 四 | ||||
歩 | 五 | ||||||||
歩 | 六 | ||||||||
歩 | 歩 | 全 | 歩 | 歩 | 七 | ||||
玉 | 金 | 金 | 八 | ||||||
香 | 桂 | 銀 | 馬 | 龍 | 銀 | 桂 | 香 | 九 |
2003年度は、第61期名人戦七番勝負において、4連敗で名人位を羽生挑戦者に奪取されるも、第16期竜王戦七番勝負では逆に4連勝で羽生竜王から竜王位を奪取。これは羽生にとって初のタイトル戦ストレート負けとなった。第53期王将戦七番勝負においても、羽生王将を4勝2敗1千日手で降し、王将位を奪取。さらにはA級順位戦史上初の9戦全勝[注釈 4] を果たし、羽生名人への挑戦権を獲得。2003年度将棋大賞で最優秀棋士賞を初受賞。
そして、2004年度の第62期名人戦七番勝負において、羽生名人に4勝2敗で勝ち、名人位を奪取。この時点で史上7人目[注釈 5] の三冠王(竜王・名人・王将)となり、最多冠保持者となった。また、2004年(1月-12月)の獲得賞金・対局料は1億円を突破した。
王座戦では、当時12連覇中だった羽生王座への挑戦権を獲得するも、1勝3敗で奪取には至らず。また、同年度、三冠のうち竜王位を3勝4敗で渡辺明七段に、王将位を4連敗で羽生二冠にそれぞれ奪われ、保持するタイトルは名人の一冠のみとなる。
第63期名人戦七番勝負(2005年度)に挑戦者として名乗りを挙げたのは、A級順位戦を8勝1敗で制した羽生。第1局で逆転負けし、対羽生戦8連敗を喫する。しかし、第2局では終盤で羽生が残り16分のうち12分を費やして打った△4五歩(右図参照)をとがめる絶妙の一手▲4八金[注釈 6][11] で逆転勝ちを収める。結果、この七番勝負では4勝3敗で名人位を防衛した。これで羽生の永世名人資格獲得(通算5期)を2年連続で阻止したことになる(2年後、羽生より一歩先に永世名人の資格を獲得)。
2006年(2005年度)、羽生から棋王を奪取して二冠(名人・棋王)となる[注釈 7]。
2006年の第64期名人戦では、十七世名人の資格を持つ谷川浩司の挑戦を4勝2敗で退ける。この七番勝負で森内自身が最も印象的に残った局面は、第1局の86手目と90手目に、自陣の8二、7二に2枚の銀を打ち並べるという珍しい受け方で、我慢したところであったという[12]。
2007年5月8日、公式戦通算700勝を達成(史上18人目、700勝353敗 勝率0.665、第65期名人戦第3局 郷田真隆九段戦、日付は対局2日目)[13]。
同年6月29日、郷田真隆の挑戦を受けた第65期名人戦を4勝3敗で防衛。通算5期獲得となり永世名人(十八世名人)の資格を得た[注釈 8][14]。
2008年3月25日、第21期竜王戦5位決定戦1回戦で中原誠十六世名人に敗れ、2組へ降級。タイトルホルダーの2組降級は、1991年9月20日の羽生棋王(当時)以来、2人目。
2008年6月17日、山形県天童市の「天童ホテル」で行われた第66期名人戦第6局で羽生に敗れ、無冠の九段に後退[注釈 9][注釈 10]。
以降、名人戦以外のタイトル戦からもしばらく遠ざかっていたが、2009年度の第22期竜王戦で深浦康市との挑戦者決定三番勝負を2勝1敗で制し、渡辺竜王へ挑戦。5年前とは立場を換えての対決となったが、4連敗のストレート負けとなった。
第69期(2010年度)A級順位戦で優勝し、羽生名人への挑戦権を獲得。同時に、順位戦デビューの第47期から続く順位戦勝ち越し連続記録(名人在位を含む)を23期に伸ばした。永世名人同士の対決となった第69期名人戦七番勝負第2局(2011年4月20日 - 21日)で挙げた勝利は、史上15人目の通算800勝(433敗)となった(将棋栄誉敢闘賞)[15]。その後名人戦は3連勝後に3連敗を喫して最終戦までもつれ込み、2011年6月22日に山梨県甲府市・「常磐ホテル」にて行われた最終第7局を123手で制し、遂に名人位を奪還。永世名人同士の七番勝負は過去にもあるが、自身より後の永世名人から名人位を奪取したのは森内が初。2011年度は、名人位を奪取したものの他棋戦の成績が振るわず、年度勝率は3割台に落ち込んだ。
2012年度の第70期名人戦七番勝負では、A級順位戦を全勝した羽生二冠の挑戦を受けた。シリーズ前に森内の苦戦を予想する声があったが[16]、4勝2敗で名人位を防衛。
2013年度の第71期名人戦七番勝負では、前年に引き続き羽生三冠の挑戦を受けた。羽生との名人戦は3年連続で8度目となったが、4勝1敗で名人位を防衛。この年の名人戦は、星の差だけでなく将棋の内容においても、「一方的」であった[17]。さらに、竜王戦においては、決勝三番勝負で郷田九段に勝ち、挑戦権を獲得。第26期竜王戦七番勝負では、かつて森内から竜王位を奪取して以来、9連覇中だった渡辺明竜王を4勝1敗で破り、竜王位を奪還。渡辺竜王の10連覇を阻止した。(対戦前、森内は、この竜王戦は非常に厳しい戦いになることを予想し、渡辺竜王になんとか2勝することを現実的な目標として考えていた)[18]。竜王位・名人位の2大タイトルを手中に収め、これらの活躍により、2013年度将棋大賞で2度目の最優秀棋士賞を受賞した[19]。
2014年度の第72期名人戦七番勝負では、今回で3年連続となる羽生三冠の挑戦を受ける。羽生との名人戦はこれで4年連続9回目。結果は4連敗で、名人位を失冠。その直後に始まった第85期棋聖戦五番勝負で羽生棋聖に挑戦するも、再び3連敗のストレート負けを喫し、奪取はならなかった。
第27期竜王戦七番勝負では、糸谷哲郎七段の挑戦を受けるが、1勝4敗で敗れ、竜王位の防衛に失敗。第64回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦はシード、2回戦から、木村一基八段、羽生善治名人、菅井竜也五段、深浦康市九段、決勝戦で行方尚史八段に勝ち、同棋戦において自身3度目の優勝を果たした。
2016年度の第75期順位戦A級(降級1名)では、2017年2月25日の9回戦の結果、3勝6敗で佐藤康光と同成績ながら頭ハネで最下位となり、22期連続で在籍したA級(名人在位も含む)からB級1組への降級が決まった[20]。永世名人資格保持者のB級1組への降級は中原誠、谷川浩司に続いて3人目であった。
森内は、2016年度が終了する直前、2017年3月31日にフリークラス転出を宣言し、日本将棋連盟を通じてコメントを発表した(連盟への届け出は3月24日であった)[21]。B級1組からのフリークラス宣言は米長邦雄・中原誠に次いで3人目。このうち、A級からの降級直後にフリークラス宣言をしたのは、米長に続いて2人目であった[22]。「以前からA級から降級したらフリークラスに行くことを検討していた。」とのちに明かしている[23]。
フリークラス転出の時点で満46歳であった森内は、翌期の順位戦B級1組所属が決まっていたため、満65歳となる2035年度までの19年間フリークラスに在籍できるが、実際に森内が2035年度まで現役を続けた場合、宣言者のフリークラス在籍年数最長記録となる[24]。
2017年8月6日、将棋日本シリーズ1回戦で久保利明に勝ち、史上12人目の通算900勝を達成した[25]。
2024年度の第65期王位戦では8期振りに王位リーグまで進出し、白組で3勝2敗と勝ち越したが前期成績の差で陥落となった[26]。
(2023年4月1日現在)
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | 2003, 2013 | 5回 | 2期 | - | |
名人 | 2002, 2004-2007, 2011-2013 |
12回 | 8期 | 4連覇 (歴代4位) |
十八世名人資格 襲位は原則引退後 |
王位 | - | 0 | - | - | |
王座 | - | 1回 | - | - | |
棋王 | 2005 | 3回 | 1期 | - | |
叡王 | - | 0 | - | - | |
王将 | 2003 | 2回 | 1期 | - | |
棋聖 | - | 2回 | - | - | |
登場回数 合計25回、獲得合計 12期(歴代9位) (番勝負終了前は除く。最新は、2014年度の棋聖戦敗退) | |||||
|
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
開始 年度 |
順位戦 出典[64] |
竜王戦 出典[65] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1987 | 46 | 四段昇段前(1987年5月13日 四段昇段) | 1 | 6組 | -- | 4-1 | ||||||||||||
1988 | 47 | C249 | 8-2 | 2 | 5組 | -- | 4-1 | |||||||||||
1989 | 48 | C209 | 7-3 | 3 | 4組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1990 | 49 | C204 | 9-1 | 4 | 4組 | -- | 4-2 | |||||||||||
1991 | 50 | C121 | 10-0 | 5 | 4組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1992 | 51 | B220 | 9-1 | 6 | 4組 | 3-2 | 5-0 | |||||||||||
1993 | 52 | B203 | 8-2 | 7 | 3組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
1994 | 53 | B112 | 10-1 | 8 | 2組 | -- | 3-2 | |||||||||||
1995 | 54 | A09 | 7-2 | 9 | 2組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
1996 | 55 | A 01 | 6-3 | 10 | 1組 | 0-1 | 4-1 | |||||||||||
1997 | 56 | A 02 | 5-4 | 11 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1998 | 57 | A 03 | 7-1 | 12 | 1組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
1999 | 58 | A 02 | 6-3 | 13 | 1組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2000 | 59 | A 02 | 5-4 | 14 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2001 | 60 | A04 | 8-1 | 15 | 1組 | 1-1 | 4-1 | |||||||||||
2002 | 61 | 名人 | -- | 16 | 1組 | 4-1 | 4-1 | |||||||||||
2003 | 62 | A01 | 9-0 | 17 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
2004 | 63 | 名人 | -- | 18 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2005 | 64 | 名人 | -- | 19 | 1組 | 1-1 | 3-1 | |||||||||||
2006 | 65 | 名人 | -- | 20 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2007 | 66 | 名人 | -- | 21 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2008 | 67 | A 01 | 5-4 | 22 | 2組 | 4-1 | 4-0 | |||||||||||
2009 | 68 | A 03 | 5-4 | 23 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2010 | 69 | A03 | 7-2 | 24 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2011 | 70 | 名人 | -- | 25 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2012 | 71 | 名人 | -- | 26 | 1組 | 4-1 | 3-1 | |||||||||||
2013 | 72 | 名人 | -- | 27 | 竜王 | -- | -- | |||||||||||
2014 | 73 | A 01 | 4-5 | 28 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2015 | 74 | A 07 | 4-5 | 29 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2016 | 75 | A 06 | 3-6 | 30 | 2組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2017 | 76 | F宣 | 31 | 2組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2018 | 77 | F宣 | 32 | 2組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2019 | 78 | F宣 | 33 | 2組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2020 | 79 | F宣 | 34 | 2組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2021 | 80 | F宣 | 35 | 2組 | 0-1 | 3-1 | ||||||||||||
2022 | 81 | F宣 | 36 | 1組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2023 | 82 | F宣 | 37 | 1組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2024 | 83 | F宣 | 38 | 1組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1987 | 32 | 24 | 8 | 0.7500 | [66] |
1988 | 63 | 45 | 18 | 0.7143 | [67] |
1989 | 41 | 26 | 15 | 0.6341 | [68] |
1990 | 54 | 39 | 15 | 0.7222 | [69] |
1987-1990 (小計) |
190 | 134 | 56 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
1991 | 79 | 63 | 16 | 0.7975 | [70] |
1992 | 50 | 35 | 15 | 0.7000 | [71] |
1993 | 61 | 40 | 21 | 0.6557 | [72] |
1994 | 50 | 35 | 15 | 0.7000 | [73] |
1995 | 51 | 33 | 18 | 0.6471 | [74] |
1996 | 56 | 35 | 21 | 0.6250 | [75] |
1997 | 51 | 33 | 18 | 0.6471 | [76] |
1998 | 41 | 26 | 15 | 0.6341 | [77] |
1999 | 46 | 24 | 22 | 0.5217 | [78] |
2000 | 56 | 41 | 15 | 0.7321 | [79] |
1991-2000 (小計) |
541 | 365 | 176 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 58 | 38 | 20 | 0.6552 | [80] |
2002 | 44 | 26 | 18 | 0.5909 | [81] |
2003 | 64 | 46 | 18 | 0.7118 | [82] |
2004 | 55 | 29 | 26 | 0.5273 | [83] |
2005 | 49 | 32 | 17 | 0.6531 | [84] |
2006 | 47 | 28 | 19 | 0.5957 | [85] |
2007 | 45 | 24 | 21 | 0.5333 | [86] |
2008 | 47 | 26 | 21 | 0.5532 | [87] |
2009 | 50 | 28 | 22 | 0.5600 | [88] |
2010 | 40 | 22 | 18 | 0.5500 | [89] |
2001-2010 (小計) |
501 | 299 | 202 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011 | 29 | 10 | 19 | 0.3448 | [90] |
2012 | 25 | 13 | 12 | 0.5200 | [91] |
2013 | 40 | 28 | 12 | 0.7000 | [92] |
2014 | 43 | 16 | 27 | 0.3721 | [93] |
2015 | 40 | 21 | 19 | 0.5250 | [94] |
2016 | 34 | 12 | 22 | 0.3529 | [95] |
2017 | 17 | 6 | 11 | 0.3529 | [96] |
2018 | 20 | 8 | 12 | 0.4000 | [97] |
2019 | 21 | 7 | 14 | 0.3333 | [98] |
2020 | 23 | 13 | 10 | 0.5652 | [99] |
2011-2020 (小計) |
292 | 134 | 158 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021 | 30 | 20 | 10 | 0.6000 | [100] |
2022 | 22 | 11 | 11 | 0.5000 | [101] |
2023 | 32 | 19 | 13 | 0.5938 | [102] |
2021-2023 (小計) |
84 | 50 | 34 | ||
通算 | 1606 | 982 | 624 | 0.6115 | [103] |
2023年度まで |
日本将棋連盟以外の表彰は「#その他表彰」の項を参照。
日本将棋連盟の表彰は「#日本将棋連盟 表彰」の項を参照。
ほか多数
QuizKnockの動画[注釈 13]『【東大VS天才棋士】東大生4人vs天才棋士・森内九段!どちらが勝つ!?【検証】』(2019年9月27日公開[113]) など
|
昇段およびタイトルの獲得、失冠による肩書きの遍歴を記す。(色付きは継続中の記録)
日付 | 肩書き | 保持タイトル | 日数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1987年 | 5月13日四段 | 1116日 | プロ入り | |
1990年 | 6月 2日五段 | 669日 | 勝数規定 | |
1992年 | 4月 1日六段 | 730日 | 第50期順位戦B級2組昇級による昇段 | |
1994年 | 4月 1日七段 | 365日 | 第52期順位戦B級1組昇級による昇段 | |
1995年 | 4月 1日八段 | 2603日 | 第53期順位戦A級昇級による昇段 | |
2002年 | 5月17日名人 | 名人 | 368日 | 名人獲得 第60期名人戦 |
2003年 | 5月20日九段 | 191日 | 名人失冠 第61期名人戦 | |
2003年11月27日 | 竜王 | 竜王 | 197日 | 竜王獲得 第16期竜王戦 |
2004年 | 3月16日竜王・王将 | 王将獲得 第53期王将戦 | ||
2004年 | 6月11日竜王・名人 | 竜王・名人・王将 | 200日 | 名人獲得 第62期名人戦 |
2004年12月28日 | 名人 | 名人・王将 | 1268日 | 竜王失冠 第17期竜王戦 |
2005年 | 2月10日名人 | 王将失冠 第54期王将戦 | ||
2006年 | 3月11日名人・棋王 | 棋王獲得 第31期棋王戦 | ||
2007年 | 3月28日名人 | 棋王失冠 第32期棋王戦 | ||
2008年 | 6月17日九段 | 1100日 | 名人失冠 第66期名人戦 | |
2011年 | 6月22日名人 | 名人 | 891日 | 名人獲得 第69期名人戦 |
2013年11月29日 | 竜王・名人 | 竜王・名人 | 173日 | 竜王獲得 第26期竜王戦 |
2014年 | 5月21日竜王 | 竜王 | 197日 | 名人失冠 第72期名人戦 |
2014年12月 | 4日九段 | 3589日 | 竜王失冠 第27期竜王戦 |
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