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日本の将棋棋士 ウィキペディアから
丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は、将棋棋士、九段。実力制11人目の名人。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は194。千葉県木更津市出身。いわゆる「羽生世代」の一人。
1983年に奨励会の入会試験に挑戦するが不合格[注 1]。同年に新たに発足した研修会に入会する。1984年、第9回中学生名人戦で優勝するが、研修会ではB1級で足踏みしてしまい奨励会への編入はならず、奨励会入会試験を再び受験するがまたも不合格[1]。翌年に研修会A級に昇級したことで奨励会6級への編入を果たした。
1986年、志学館高等学校(現:志学館高等部)に入学。高校3年の11月に三段への昇段を決め、次期三段リーグへの初参加を決める。1989年の春、同校を卒業。早稲田大学社会科学部に一芸推薦の制度で入学する。大学生活と同時に、三段リーグでの初の戦いが始まることとなった。
2度目の三段リーグ(1989年度後期)で14勝4敗の成績で1位となり、大学2年になるのと同時に1990年4月1日付けで四段昇段(プロ入り)。
多忙の中、高校も大学も留年無しで卒業している。
プロデビュー後は初年度である1990 - 1991年度から活躍。第4期竜王戦では6組ランキング戦を優勝し、本戦でも5組優勝者の畠山鎮に勝利。第32期王位戦では4連勝でリーグ入りするも、紅組で大島映二に勝利したのみで1勝4敗で陥落。第41回NHK杯戦では予選を突破して本戦準決勝まで勝ち進み、第40期王座戦でも本戦入りを果たした。そして第50期順位戦C級2組では9勝1敗の成績を収め、C級1組への昇級となった。
1992 - 1993年度の第14回オールスター勝ち抜き戦で6連勝。5勝以上は優勝扱いであり、これが棋戦初優勝。同棋戦とは相性が良く、第15回、20回、21回でも5連勝以上を達成している(第15回では11連勝)。第5期竜王戦では昇級者決定戦を勝ち上がり、4組へ昇級。第52期順位戦C級1組では9勝1敗の成績を収めるも、昇級争いのライバルかつ順位が丸山の一つ上である有森浩三に1敗していた事が大きく響き、順位一枚の差で昇級を逃した(丸山は11位、有森は10位)。
1994年、順位戦C級1組在籍時の6月23日から10月7日にかけて、公式戦24連勝を記録、2017年に藤井聡太に抜かれるまでは歴代2位の記録で且つ平成以降としては最長記録だった。その連勝記録の中には当時の名人・五冠王の羽生善治とA級棋士5名(加藤一二三、谷川浩司、高橋道雄、南芳一、米長邦雄)を負かしている。また、当期は第52期順位戦C級1組にて再び9勝1敗の成績を収め、2位でB級2組へ昇級となった。他には第13回早指し新鋭戦にて決勝に進出するも、畠山成幸に敗れて準優勝に終わった(本棋戦では次の第14回でも決勝で敗退し、準優勝となっている)。
1994、1995年の新人王戦で2連覇。決勝の相手はそれぞれ郷田真隆、深浦康市。第8期竜王戦では4組ランキング戦を準優勝して3組へ昇級。第45期王将戦では初の王将リーグ入りを果たすも、中原誠相手に1勝したのみで陥落。しかし、この1勝によって中原は挑戦者決定プレーオフへの進出を逃すことになった。
1996年度は第55期順位戦B級2組にて9勝1敗の成績を収め、B級1組への昇級を決めた。第9期竜王戦では3組ランキング戦を優勝し、2組へ昇級。第37期王位戦では3回目の王位リーグを果たすと、紅組を4勝1敗の成績で終えて初の組優勝を決めたが、挑戦者決定戦にて深浦康市に敗れた。第46期王将戦では王将リーグに復帰すると、4勝2敗で初残留に成功した。
1997年度は第56期順位戦で史上初のB級1組12戦全勝(A級初昇級)。その第2戦は、病苦に耐える村山聖(丸山とともにA級昇級した後に死去)との深夜に及ぶ173手の激闘として知られる。第23期棋王戦では準決勝まで勝ち進むがそこから2連敗して、挑戦とはならなかった。
1998年度、A級初参戦となった第57期順位戦では6勝2敗の好成績を収めるも、プレーオフ出場にあと1勝が足りない結果となった。第11期竜王戦では2組ランキング戦を優勝し、遂に1組へ昇級した。第48期王将戦では4勝2敗の成績を収めるも、やはりプレーオフまで1勝が足りない結果になった。第17回全日本プロトーナメントでは、1999年4月に行われた決勝五番勝負で森内俊之を3-0で下し、全棋士参加棋戦での初優勝を達成した。
1999年度、第12期竜王戦では本戦を突破して挑戦者決定戦に進出するも、鈴木大介を相手に1-2で敗退。第47期王座戦で羽生善治王座への挑戦権を得、タイトル戦初登場となったが五番勝負は1-3で敗退した。同じく1999年、JT将棋日本シリーズで優勝(この棋戦では2001年も優勝)。そして第58期順位戦ではA級リーグを8勝1敗という圧倒的な成績で優勝し、名人への挑戦が決まった。
第58期(2000年度)名人戦で佐藤康光を4-3で破り、初タイトルの名人位に就く(2000年6月28日、同日付で規定により九段昇段。五段から九段まで全て順位戦の昇級で昇段したのは谷川浩司に続き史上2人目。)。当時、丸山は、先手ならば角換わり戦法、後手ならば横歩取り△8五飛車戦法で、無敵とも言える強さを誇っていた。ところが佐藤は全局で、敢えて、その丸山の得意戦法に誘導した。よって、戦形が2種類しか現れず、名人が挑戦者の得意戦法を試すという珍しいシリーズになった。その他、第50期王将戦では王将リーグを3勝3敗で終えるも5位で陥落し、第46期から続いてた同棋戦のリーグ残留が途絶えた。
第59期(2001年度)名人戦で谷川浩司の挑戦を4-3で退け、初防衛。第49期王座戦では再び挑戦者決定戦まで勝ち進むが、久保利明を相手に敗戦。
2000、2001年度の早指し将棋選手権戦は名人の肩書きを持っての出場であったが、2連覇。決勝の相手は、それぞれ羽生善治、屋敷伸之。
第60期(2002年度)名人戦で、0-4で森内俊之に敗れ失冠するが、同年度の第28期棋王戦で羽生善治に挑戦し、3-2で奪取。羽生の棋王連覇を12で止めたことが評価され、将棋大賞の殊勲賞を受賞。その他、第73期棋聖戦でも決勝トーナメントを勝ち進むが、挑戦者決定戦にて佐藤康光を相手に敗退。
2003年、第74期棋聖戦で佐藤康光に挑戦するが、0-3で奪取ならず。第29期棋王戦では谷川浩司を相手に1-3で失冠し、再び無冠となった。
2004年度、第54期王将戦にて王将リーグに復帰。3勝3敗で終えたが、二次予選から勝ち上がっていた郷田真隆、阿久津主税も同じ成績だったため、3人での残留決定戦が行われた。結果、丸山は郷田と阿久津に連勝し、第49期以来の王将リーグ残留を果たした。
2005年度、NHK杯戦で優勝。渡辺明と戦った決勝戦は序中盤から目まぐるしい展開となり、解説の米長邦雄と聞き手の千葉涼子の話も弾んだ。
2006年度、第19期竜王戦で1組ランキング戦を優勝し、本戦も突破して挑戦者決定戦に進出するが、佐藤康光を相手に2連敗で敗退した。第56期王将戦では王将リーグを4勝2敗で終えてプレーオフに初進出したが、再び佐藤康光を相手に敗退となった。
2007年度は第48期王位戦にて王位リーグ入りをすると、紅組にて3勝2敗の成績で残留した。また、第1回朝日杯将棋オープン戦と第1回大和証券杯の2棋戦で決勝に進出するが、それぞれ行方尚史と郷田真隆を相手に敗退して準優勝に終わった。
2007年5月11日、通算600勝(290敗)を達成(将棋栄誉賞)。
2008年度は第21期竜王戦にて1組ランキング戦を2回目の優勝。第58期王将戦では、王将リーグにて3勝3敗だったがリーグ陥落。第49期王位戦では白組を再び3勝2敗の成績で残留(次期にてリーグ陥落)。しかし、年度全体の成績としては19勝21敗で、初めての負け越しに終わった。
2009年度は早指し棋戦で活躍し、NHK杯と銀河戦でそれぞれベスト4入りを果たした。
2010年度は第23期竜王戦にて1組ランキング戦を3回目の優勝。NHK杯では再びベスト4に入り、銀河戦では決勝に進出した(佐藤康光に敗れ準優勝)。
2011年3月2日、第69期A級順位戦最終局(「将棋界の一番長い日」)で渡辺明竜王に勝ち、渡辺の名人初挑戦を阻むとともに、自身は通算700勝(363敗、勝率0.6585)を達成。第24期竜王戦では1組ランキング戦にて4回目の優勝を果たすと、挑戦者決定三番勝負で久保利明二冠を2-1で下し初の挑戦権を獲得。竜王戦1組優勝者の挑戦は初めてであった。しかし、タイトル戦においては1勝4敗で奪取ならず。
2012年3月2日、第70期A級順位戦最終局で久保利明に勝つも2勝7敗となり、連続14期在籍したA級からB級1組へと降格となる。9月11日、第25期竜王戦挑戦者決定三番勝負で山崎隆之七段を2-1で下し2年連続の挑戦権を獲得するも、1勝4敗で奪取ならず。
2014年11月18日、通算800勝(433敗)を達成(将棋栄誉敢闘賞)。
2016年度、第29期竜王戦の1組ランキング戦にて5回目の優勝を果たすが、挑戦者決定戦において三浦弘行九段に敗れる。しかし、三浦が出場停止となり、繰り上げで竜王戦七番勝負に出場。渡辺明竜王との七番勝負は最終局までもつれ込む。第7局で丸山は果敢に攻めるも惜敗し、竜王獲得は成らなかった。
2017年、当年度よりタイトル戦に昇格した第3期叡王戦では九段戦予選で島朗九段・郷田真隆九段に勝ち本戦進出、本戦でも藤井猛九段・小林裕士七段に勝ち準決勝に進出、ここで高見泰地五段に勝てば初代叡王の座を賭けた七番勝負に出場できる所だったが敗北し、ベスト4に留まった。
順位戦では、第76期B級1組の降級枠は最下位の1名のみであったが、最終局を前に最下位(B級2組降級)が確定した。名人在位経験者がB級2組に降級するのは、加藤一二三以来史上2人目。
2020年1月22日、第78期B級2組順位戦9回戦において中川大輔八段に勝利。8連勝でB級1組への復帰を果たした。(最終成績は9勝1敗)
同年には第33期竜王戦で挑戦者決定3番勝負に進出したが、羽生善治九段に1勝2敗で敗れ50代でのタイトル戦登場はならなかった[2]。
2021年2月4日、第79期順位戦12回戦で深浦康市九段に敗れ、4勝8敗で一期でのB級2組降級となった。名人在位経験者がB級2組に2度降級するのは史上初。
2022年3月1日、第80期順位戦10回戦で昇級を争っていた鈴木大介九段が中村太地七段に敗れたため、再び一期でB級1組への復帰を果たした(最終成績は8勝2敗)。
2023年1月12日、第79期順位戦11回戦で屋敷伸之九段に敗れ、再び一期でのB級2組降級となった(最終成績は4勝8敗)。名人在位経験者がB級2組に3度降級するのは史上初。
同2023年12月8日、通算1000勝(600敗)を達成(特別将棋栄誉賞)。第9期叡王戦段位別予選・九段戦決勝(対深浦康市戦)での勝利によるもので、2017年達成の佐藤康光以来、史上10人目の通算1000勝達成となる[3][4]。
同2023年12月23日、第31期銀河戦決勝が囲碁将棋プラスで配信され、藤井聡太銀河(八冠)に勝利し銀河戦初優勝[5]。銀河戦優勝の最年長記録(53歳1か月=対局日基準)を更新[6]。1993年度にNHK杯テレビ将棋トーナメントで優勝した加藤一二三以来となる50歳代の棋士による全棋士参加一般棋戦優勝を達成した[7]。これらの好成績により、同年度の将棋大賞で敢闘賞を受賞した[8]。
居飛車党。序中盤でリードして逃げ切る戦い方、接近戦を得意とする。優勢になってからも勝ちを急がず、相手の手を殺す方針を貫く手堅い棋風は、「激辛流」あるいは「友達を無くす戦い方」[9]と言われる。
角換わりや横歩取りを得意としている。1997年度のNHK杯における兄弟子・米長邦雄との対局では、後手番の米長が丸山の角換わりを避け、角換わりのような出だしでありながら角道を止めて角交換を拒否し、丸山に飛車先の歩交換を許す、現代のプロ棋士の目からすれば奇異な作戦を採用した。米長は局後の感想戦で「(丸山に)角換わりを指させたら、谷川・羽生でもかなわないだろうから(角換わりの将棋にしなかった)」と語っている。第24期(2011年度)および第25期(2012年度)竜王戦七番勝負では、先手ならば角換わり、後手ならば一手損角換わりで全局を戦った。
ゴキゲン中飛車戦法に対して早々と角交換する指し方は「丸山ワクチン」と呼ばれる。これは丸山千里が開発した薬剤の名前に因んでいる。
最近[いつ?]、丸山の後手番で、一手損角換わりの途中、3手目に先手から角道を止められた場合は振り飛車を採用することが多くなった。
他の棋士との比較は、タイトル獲得記録、将棋のタイトル在位者一覧を参照
タイトル | 獲得年度 | 登場 | 獲得期数 | 連覇 | 永世称号(備考) |
竜王 | - | 3回[注 4] | - | - | |
名人 | 2000-2001 | 3回 | 2期 | 2連覇 | |
王位 | - | 0 | - | - | |
王座 | - | 1回 | - | - | |
棋王 | 2002 | 2回 | 1期 | - | |
叡王 | - | 0 | - | - | |
王将 | - | 0 | - | - | |
棋聖 | - | 1回 | - | - | |
登場回数 合計10回、タイトル獲得 合計3期[注 4] | |||||
開始 年度 |
順位戦 出典[26] |
竜王戦 出典[27] | ||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
|||||
1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1990 | 49 | C252 | 6-4 | 4 | 6組 | 1-1 | 5-0 | |||||||||||
1991 | 50 | C225 | 9-1 | 5 | 5組 | -- | 4-1 | |||||||||||
1992 | 51 | C122 | 6-4 | 6 | 4組 | -- | 5-2 | |||||||||||
1993 | 52 | C111 | 9-1 | 7 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1994 | 53 | C102 | 9-1 | 8 | 4組 | -- | 4-1 | |||||||||||
1995 | 54 | B219 | 7-3 | 9 | 3組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
1996 | 55 | B205 | 9-1 | 10 | 2組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1997 | 56 | B112 | 12-0 | 11 | 2組 | 1-1 | 4-0 | |||||||||||
1998 | 57 | A 09 | 6-2 | 12 | 1組 | 3-2 | 4-1 | |||||||||||
1999 | 58 | A03 | 8-1 | 13 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2000 | 59 | 名人 | -- | 14 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2001 | 60 | 名人 | -- | 15 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2002 | 61 | A 01 | 4-5 | 16 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2003 | 62 | A 05 | 5-4 | 17 | 1組 | -- | 3-2 | |||||||||||
2004 | 63 | A 04 | 4-5 | 18 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2005 | 64 | A 06 | 4-5 | 19 | 1組 | 1-2 | 4-0 | |||||||||||
2006 | 65 | A 05 | 4-5 | 20 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2007 | 66 | A 05 | 6-3 | 21 | 1組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
2008 | 67 | A 04 | 5-4 | 22 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2009 | 68 | A 04 | 5-4 | 23 | 1組 | 0-1 | 4-0 | |||||||||||
2010 | 69 | A 04 | 4-5 | 24 | 1組 | 3-1 | 4-0 | |||||||||||
2011 | 70 | A 06 | 2-7 | 25 | 1組 | 4-1 | 3-1 | |||||||||||
2012 | 71 | B101 | 6-6 | 26 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2013 | 72 | B105 | 8-4 | 27 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2014 | 73 | B105 | 4-8 | 28 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2015 | 74 | B111 | 7-5 | 29 | 1組 | 2-2 | 4-0 | |||||||||||
29 | 挑決敗退後に、当初の挑戦者欠場で挑戦者へ[注 4] | |||||||||||||||||
2016 | 75 | B107 | 4-8 | 30 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2017 | 76 | B109 | 2-8 | 31 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2018 | 77 | B201 | 6-4 | 32 | 1組 | -- | 0-2 | |||||||||||
2019 | 78 | B209 | 9-1 | 33 | 2組 | 4-2 | 3-1 | |||||||||||
2020 | 79 | B112 | 4-8 | 34 | 1組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2021 | 80 | B202 | 8-2 | 35 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2022 | 81 | B113 | 4-8 | 36 | 1組 | 0-1 | 3-1 | |||||||||||
2023 | 82 | B202 | 4-6 | 37 | 1組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2024 | 83 | B218 | 38 | 1組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
---|---|---|---|---|---|
1990 | 50 | 36 | 14 | 0.720 | [28] |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
1991 | 60 | 45 | 15 | 0.750 | [29] |
1992 | 52 | 35 | 17 | 0.673 | [30] |
1993 | 45 | 30 | 15 | 0.667 | [31] |
1994 | 64 | 51 | 13 | 0.797 | [32] |
1995 | 64 | 46 | 18 | 0.719 | [33] |
1996 | 58 | 41 | 17 | 0.707 | [34] |
1997 | 46 | 31 | 15 | 0.674 | [35] |
1998 | 44 | 31 | 13 | 0.705 | [36] |
1999 | 68 | 50 | 18 | 0.735 | [37] |
2000 | 46 | 26 | 20 | 0.5652 | [38] |
1991-2000 (小計) |
547 | 386 | 161 | ||
(塁計) | 597 | 422 | 175 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2001 | 45 | 32 | 13 | 0.7111 | [39] |
2002 | 61 | 36 | 25 | 0.5901 | [40] |
2003 | 48 | 26 | 22 | 0.5416 | [41] |
2004 | 41 | 22 | 19 | 0.5365 | [42] |
2005 | 45 | 30 | 15 | 0.6666 | [43] |
2006 | 48 | 30 | 18 | 0.6250 | [44] |
2007 | 48 | 28 | 20 | 0.5833 | [45] |
2008 | 40 | 19 | 21 | 0.4750 | [46] |
2009 | 45 | 26 | 19 | 0.5777 | [47] |
2010 | 47 | 31 | 16 | 0.6595 | [48] |
2001-2010 (小計) |
468 | 280 | 188 | ||
(塁計) | 1065 | 702 | 363 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2011 | 45 | 22 | 23 | 0.4888 | [49] |
2012 | 51 | 28 | 23 | 0.5490 | [50] |
2013 | 45 | 30 | 15 | 0.6666 | [51] |
2014 | 40 | 21 | 19 | 0.5250 | [52] |
2015 | 40 | 23 | 17 | 0.5750 | [53] |
2016 | 51 | 26 | 25 | 0.5098 | [54] |
2017 | 40 | 18 | 22 | 0.4500 | [55] |
2018 | 41 | 23 | 18 | 0.5609 | [56] |
2019 | 40 | 28 | 12 | 0.7000 | [57] |
2020 | 40 | 20 | 20 | 0.5000 | [58] |
2011-2020 (小計) |
433 | 239 | 194 | ||
(塁計) | 1498 | 941 | 557 | ||
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
2021 | 41 | 28 | 13 | 0.6829 | [59] |
2022 | 32 | 11 | 21 | 0.3437 | [60] |
2023 | 41 | 24 | 17 | 0.5854 | [61] |
2021-2023 (小計) |
114 | 63 | 51 | ||
通算 | 1613 | 1004 | 609 | 0.6224 | [62] |
2023年度まで |
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