有森浩三

日本の将棋棋士 ウィキペディアから

有森 浩三(ありもり こうぞう、1963年2月13日 - )は、将棋棋士有吉道夫九段門下。棋士番号は158。岡山県岡山市出身。

概要 有森浩三 八段, 名前 ...
 有森浩三 八段
名前 有森浩三
生年月日 (1963-02-13) 1963年2月13日(62歳)
プロ入り年月日 1983年3月9日(20歳)
棋士番号 158
出身地 岡山県岡山市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 有吉道夫九段
段位 八段
棋士DB 有森浩三
順位戦クラス B級2組(7期)
2024年4月11日現在
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経歴

1977年第2回中学生名人戦において優勝。同年に5級で奨励会に入会。

1983年3月9日、規定の成績を上げ四段に昇段してプロ入り。

同年度(第41期)より順位戦に参加。第46期(1987年度)順位戦では、自身はC級2組で6勝4敗・53人中17位と昇級争いには絡めなかったものの、その期にプロ入りから僅か1年でC級1組昇進を決めた村山聖に唯一の黒星を与えた。第52期(1993年度)C級1組順位戦では、力戦中飛車で昇級候補の丸山忠久を破った。その結果、昇級争いは井上慶太が10勝(全勝)、有森と丸山が9勝1敗で並んだ。有森は10位、丸山は11位だったため、順位一枚の差で有森が昇級を果たした。

第34期(1984年度)王将戦にて、一次予選・二次予選を勝ち上がり、四段の棋士としては史上初となる挑戦者決定リーグ戦に進出。当時二冠(十段王座)だった中原誠に加え、森雞二桐山清澄に勝利するが、3勝3敗同士の残留決定戦で森の返り討ちを食らい陥落。

第24期(1985年度)十段戦にて、予選を勝ち上がり当時最難関と言われた十段リーグ(挑戦者決定リーグ戦)に参戦。四段の棋士のリーグ入りは、第16期(1977年度)の土佐浩司に次いで史上2人目であった。リーグ戦は谷川浩司・師匠有吉道夫(2勝)・桐山清澄を撃破し残留。翌第25期でも、谷川浩司(2勝)・福崎文吾高橋道雄らを破るも、残留には至らなかった。

健康上の理由により、1996年2月2日の第67期棋聖戦三次予選を不戦敗し、以後1996年度末まで全公式戦を休場。療養に専念するために、2004年1月6日の第17期竜王戦ランキング戦を不戦敗し、2006年度末まで再度全公式戦を休場。順位戦においてフリークラス宣言をし、2007年4月23日の第79期棋聖戦一次予選より復帰した。

棋風

得意戦法は振り飛車矢倉など。振り飛車党の力戦派で、独特の大局観と受けが強烈な異能派棋士である。

人物

  • 身長178cm・体重75kgと、棋界では大柄な体格である。
  • 趣味は読書
  • 健康上の理由により、対局には酸素ボンベを持参している。また、日常的にマスクを着用しており、日本将棋連盟の棋士データベースの写真もマスク姿である。

昇段履歴

  • 1977年00月00日: 5級 = 奨励会入会
  • 1979年00月00日: 初段
  • 1983年03月09日: 四段 = プロ入り
  • 1986年08月26日: 五段(勝数規定/公式戦100勝
  • 1991年07月13日: 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝
  • 2000年09月07日: 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝
  • 2022年04月01日: 八段(フリークラス規定)[1]

主な成績

棋戦優勝

優勝合計1回

在籍クラス

さらに見る 開始 年度, (出典)順位戦出典 ...
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[2]
(出典)竜王戦
出典[3]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1983 42 C241 5-5
1984 43 C225 6-4
1985 44 C212 7-3
1986 45 C205 6-4
1987 46 C214 6-4 1 5組 -- 2-2
1988 47 C215 8-2 2 5組 -- 3-2
1989 48 C206 5-5 3 5組 1-1 5-0
1990 49 C226 8-2 4 4組 -- 1-2
1991 50 C208 9-1 5 4組 -- 4-2
1992 51 C120 6-4 6 4組 -- 2-2
1993 52 C110 9-1 7 4組 -- 2-2
1994 53 B219 5-5 8 4組 -- 2-2
1995 54 B211 2-8 9 4組 -- 3-2
1996 55 B223x 休場 10 5組 -- 0-3
1997 56 B222* 4-6 11 5組 -- 4-1
1998 57 B217* 4-6 12 4組 -- 1-2
1999 58 B213* 4-6 13 4組 -- 2-2
2000 59 B214*x 1-9 14 4組 -- 0-3
2001 60 C102 3-7 15 5組 -- 2-2
2002 61 C118 3-7 16 5組 -- 1-2
2003 62 C128 3-7 17 5組 -- 0-4
2004 63 C126x 休場 18 6組 -- 休場
2005 64 C130*x 休場 19 6組 -- 休場
2006 65 C203x 休場 20 6組 -- 休場
2007 66 F宣 21 6組 -- 3-2
2008 67 F宣 22 6組 -- 3-2
2009 68 F宣 23 6組 -- 2-2
2010 69 F宣 24 6組 -- 0-2
2011 70 F宣 25 6組 -- 2-2
2012 71 F宣 26 6組 -- 7-1
2013 72 F宣 27 5組 -- 1-2
2014 73 F宣 28 5組 -- 1-2
2015 74 F宣 29 5組 -- 1-2
2016 75 F宣 30 5組 -- 0-3
2017 76 F宣 31 6組 -- 0-2
2018 77 F宣 32 6組 -- 1-2
2019 78 F宣 33 6組 -- 1-2
2020 79 F宣 34 6組 -- 1-2
2021 80 F宣 35 6組 -- 1-2
2022 81 F宣 36 6組 -- 2-2
2023 82 F宣 37 6組 -- 0-2
2024 83 F宣 38 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。
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年度別成績

さらに見る 年度, 対局数 ...
公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1983 4022180.5500[4]
1984 5335180.6601[5]
1985 5631250.5536[6]
1986 5230220.5769[7]
1987 4625210.5435[8]
1988 3218140.5625[9]
1989 4223190.5476[10]
1990 4328150.6512[11]
1983-1990
(小計)
364212152
年度対局数勝数負数勝率(出典)
1991 3824140.6316[12]
1992 4124170.5854[13]
1993 3420140.5882[14]
1994 4023170.5750[15]
1995 3110210.3226[16]
1996 2020.0000[17]
1997 2916130.5517[18]
1998 3518170.5143[19]
1999 3015150.5000[20]
2000 3612240.3333[21]
1991-2000
(小計)
316162154
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2001 3015150.5000[22]
2002 3821170.5526[23]
2003 299200.3103[24]
2004 2020.0000[25]
2005 0000.0000[26]
2006 0000.0000[27]
2007 12480.3333[28]
2008 199100.4737[29]
2009 201190.5500[30]
2010 2110110.4762[31]
2001-2010
(小計)
1717992
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2011 198110.4211[32]
2012 191090.5263[33]
2013 251690.5263[34]
2014 155100.3333[35]
2015 154110.2667[36]
2016 165110.3125[37]
2017 219120.4286[38]
2018 177100.4118[39]
2019 165110.3125[40]
2020 1010.0000[41]
2011-2020
(小計)
1646995
年度対局数勝数負数勝率(出典)
2021 155100.3333[42]
2022 209110.4500[43]
2023 153120.2000[44]
2021-2023
(小計)
501733
通算 10655395260.5061[45]
2023年度まで
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脚注

関連項目

外部リンク

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