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日本のテレビクイズ番組 ウィキペディアから
『世界まるごとHOWマッチ』(せかいまるごとハウマッチ)は、1983年4月7日から1990年4月5日まで、毎日放送(MBS)とイースト[注 1]の共同製作により、TBS系列ほかで放送されていたクイズバラエティ番組である[1]。
世界まるごとHOWマッチ | |
---|---|
ジャンル | クイズ番組 / バラエティ番組 |
演出 | 林叡作、竹野篤 |
司会者 | 大橋巨泉、西村知江子(アシスタント) |
出演者 |
石坂浩二、ビートたけし(以上、解答者) ほか、出演者を参照 |
声の出演 | 及川ヒロオ ほか |
ナレーター | 小倉智昭 |
オープニング | 作曲:前田憲男 |
製作 | |
プロデューサー | スタッフを参照 |
編集 | クロースタジオ、クロステレビ |
製作 | 毎日放送、イースト |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
放送開始から1984年9月まで (プライムタイム時代) | |
放送期間 | 1983年4月7日 - 1984年9月27日 |
放送時間 | 木曜日 22:00 - 22:54 |
放送分 | 54分 |
1984年10月から放送終了まで (ゴールデンタイム時代) | |
放送期間 | 1984年10月4日 - 1990年4月5日 |
放送時間 | 木曜日 20:00 - 20:54 |
放送分 | 54分 |
大橋巨泉が司会で、オープニングでは『大橋巨泉の世界まるごとHOWマッチ』とタイトルコールされた。
放送時間は開始当初毎週木曜22:00 - 22:54 (JST)だったが、1984年10月4日より、20:00 - 20:54 (JST)のゴールデンタイムに移動した。
世界におけるさまざまな珍品、名品、豪華な品物、権利などの値段を、現地取材によるレポートとスタジオの司会者、解答者とのトークを交え、解答者が予想するクイズ番組[2][3][4]。解答者が解答フリップを出すときには「せーの、HOWマッチ!」という、司会者の掛け声があった。
同じく世界の話題を扱ったフジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』は、リポーターが世界への取材を行ったのに対し、本番組はリポーターを置かず現地の人が登場、ナレーションや吹き替えで代用した。またスタジオでのトーク、司会の巨泉と解答者のビートたけし、石坂浩二の毒舌合戦が目玉の一つだった。
番組開始当初はプライムタイムの22:00からのスタートだったが、改編にともないゴールデンタイムの20:00に放送時間が移動した。番組開始時刻が20時になってからは、特別番組(同じ曜日の『ザ・ベストテン』拡大版など)の都合で臨時に2時間繰り下げとなる、従前の放送枠である22:00 - 22:54枠での放送となった回に合わせて、「今日は大人の時間だから」と意図的に女性の裸など性的な内容を取り上げるようにしていた。
番組最高視聴率は1984年5月31日に放送した回の33.8%[5](ビデオリサーチ調べ、関東地区、世帯・リアルタイム)。視聴率は安定していたものの1990年4月5日、巨泉の「セミリタイア」により終了した。なお、最終回は、『さよならスペシャル』として、19時から2時間の拡大版で放送した[6]。
※番組開始当初は解答者は6人だったが後に5人に変更、解答枠は画面右側(上手)から1枠とする
当初は沢田亜矢子もレギュラーで参加していた。
たけしがフライデー襲撃事件により番組出演を休止していた時期、たけしが番組復帰するまでの2枠は、タレントや文化人などのゲスト枠となっていた(一番出演したのは鶴瓶)。ただし、この番組は大量に録り溜めしており、フライデー事件の後も何か月もの間「この番組は○月○日に収録されたものです」というテロップつきでたけしが出演していた。
ケント・ギルバードやチャック・ウィルソンは、日本人解答者より安い金額で解答する傾向にあったため、巨泉はケント・ギルバートを「ネギルバート」(「値切る」と掛けている。名付け親は一視聴者)、チャック・ウィルソンを「ケチャック」(「ケチ」と掛けている)、「けち・やくお」(一視聴者からのネーミングに由来)と呼んでいた。
開始当初は小倉智昭を含めて数名でナレーションを行っていたが、「小倉のナレーションが一番面白い」という制作側の意向で、小倉が一人で担当することになった。番組冒頭のタイトルコールも小倉が行っている他、後番組の『世界まるごと2001年』のナレーションも引き続き担当した。
この番組が小倉の出世作であり、「七色の声を持つナレーター」として有名になった[9]。特に、当時石坂浩二がナレーションを務めたNHKのドキュメンタリー番組『シルクロード』や、久米明がナレーションを務め、日本テレビ系で放送された『すばらしい世界旅行』などのパロディナレーションは定番であった。
また、番組の性質上、ナレーターとは別に現地の出題者の吹き替え用に多くの声優が起用されたが、その中でも特に人気を博したのが及川ヒロオ。あまりにも独特な吹き替えを連発したため、特番で及川の吹き替えばかりを集めた特集が組まれたこともある。一方で吹き替えられた映像を観た本人から「俺はあんな風に大げさに喋っていないぞ」と苦情が来たこともある。
オープニングテーマやBGM関係(出題VTR以外)を手がけたのは前田憲男。テーマ音楽のメロディーはNHK『クイズ面白ゼミナール』、TBS『ギミア・ぶれいく』、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』(いずれも前田が作曲)によく似ている。巨泉との交友関係が深く、一度ゲスト解答者として出演もしている。オープニングテーマはCD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」に収録されている(小倉のタイトルコールつき)。
このオープニングテーマのファンファーレは、ホールインワン賞獲得時(ただし最初期の音楽は、ニアピン賞の音楽を、リズミカルにしたものだった)、ニアピン賞10本獲得時、ロストボールが10本溜まった場合(最後の一節のみ)にも流れていた。
各回問題は4問、近似値クイズで構成されている。
全員の解答が出そろったところで、巨泉が「それでは○○さん、おいくらでしょうか?」と振って正解VTRを再生。VTRで現地の出題者が正解金額のフリップ(表面は番組ロゴ→裏返すと巨泉の似顔絵と共に金額が書かれている)を出す。その後あらためて、キャッシュレジスターの金額表示に倣ったロール字幕で正解金額を改めて表示する。
出題時には参考として、現地通貨と日本円のおおよその換算レートが紹介されていたが、経済・政治などの情勢の変化に応じた通貨単位やレートが、番組放送期間中に変化した。とりわけ放送当時の1980年代、中南米諸国の経済危機によるハイパーインフレへの対応から頻繁に通貨が切り上げられ(ボリビアの通貨の換算レートが10,000ボリビアペソ=0.1円ということがあった)、時にはいくつかの現地通貨の呼び名が頻繁に変わった(ブラジルのクルゼイロ→クルザードなど)[注 3]。先進国においても、1985年のプラザ合意による急速な円高ドル安が進行したことなども、そうした視聴者の印象を高めたと考えられる。ちなみに、番組開始の時点での米ドルは1ドル約240円[注 4]だった。なお、日本円との交換レートが不明な場合、インターバンクを参考とした事例もある(最終回スペシャルにおけるアルバニア・レク)。
解答を日本円ではなく現地通貨で当てる方式のため、珍解答がしばしば出た。中でもアメリカの豪邸の値段を当てる問題(1987年11月5日放送)で、ゲストの井森美幸が「7千兆(ドル)」(当時のレートで約98京円[注 5])という余りに巨大過ぎる金額の解答に、たけしは「(井森は)飛ばしましょう」と呆れ返り、アシスタントの西村も本来なら金額を円に換算して発表するところを「分かんないですね。天文学的数字です」と苦笑しつつコメント。それでも井森は「訳も有るんです」と理由を説明したが、石坂は大笑いが止まらず、巨泉も吃驚仰天しながら井森に「あなたの書いた値段というのは、アメリカ全体の国家予算よりまだ高いんだよ」と返していた(後日井森が『クイズダービー』(1987年12月19日放送)にゲスト出演した際、巨泉から「恐怖の7千兆ドル、井森美幸ちゃんに来て頂きました!」と紹介されている)。ほか同じく井森の「500億マルク」(当時のレートで約4兆円)等のような巨額の値段を書いた場合、西村が円換算の発表を「計算出来ません…」と拒絶することも多々あった。
また、ハンガリーからの唐辛子に関する問題(1987年1月8日放送)で、ゲストの草笛光子は「700万(フォリント)」と解答した際、西村は「11億2000万円です」と発言後にスタジオは思わず爆笑、巨泉も司会席から立ち上がって駆けだしてしまう程だった。草笛はこの日のエンディングで、あまりのバツの悪さにその場から抜け出そうとした為、巨泉から「30年来の友達じゃないの。そんな逃げないでよ」と宥められたが、「もう生きてるのイヤ!恥ずかしくって…」とこぼしていた。
1988年11月3日放送分の3問目、セネガルからのゴルフのようなものに関する問題で、ゲスト解答者だった松崎しげるが「25CFAフラン」と表示した際、西村は「12円50銭です」と発言した。直後に松崎は「250CFAフラン(約125円)」と書き直すが、正解は「500万CFAフラン(約250万円)」で、ご多分にも漏れず結果はロストボールだった。
特別番組として放送された『クイズまるごと大集合』では、まれに日本国内の問題が出題されたが、律儀にも換算レートが「1円=1円」と表示されていた。
近似値クイズのため、解答の金額がズバリ正解出来なくても得点が加算される。得点はゴルフに見立てた「賞」とトロフィーが与えられ、得点は「1本」「2本」と数える。
ホールインワン賞・ニアピン賞のトロフィー贈呈および没収とデビル人形の置き飾りおよび返却はコンパニオンが担当する。最終問題は、正解発表後に出演者が舞台中央に集まる演出があるため、巨泉や解答者自らがトロフィーを没収することもある[注 6]。また、同じく最終問題でロストボールを出した石坂浩二が、自らトロフィーをロストボール専用の棚に置きに行ったことがあった。
最終回に近づくにつれ、ニアピンを賭け出すという「プッシュ(方式)」も行われ、たけしがこの方式を頻繁に使っていた。
普通のクイズ番組と違いトップ賞は決めず、得点は次回出演時に持ち越される[注 7]。また、近似値クイズの形式はフジテレビ『ズバリ!当てましょう』と似ている(正解のズバリ賞は正解の金額を当てた場合に家電製品一式のセット、近い解答を出した人にはポイントを与え、最多得点者に家電製品から1品を選んで贈呈した)。
ピタリ正解のホールインワン賞とニアピン賞10本獲得者は賞品として世界一周旅行を獲得。
ニアピン賞は3本獲得で香港ツアー、5本獲得でハワイツアー、7本獲得で北米ツアーまたはヨーロッパツアーの海外旅行と引き換えられる。番組後期は10本獲得での世界一周旅行がほとんどだったが、レギュラー解答者以外でニアピン10本獲得により世界一周旅行を獲得したのは神津カンナと、ゲスト最多出場の稲川淳二の2名のみである。
世界一周旅行は、成田空港を出発してから自由な経路が選べ、再び成田に帰ってくるまで有効[注 8]。ただし、獲得してから1年間という有効期限があり、それまでに旅立たないと権利を失った[注 9]。
ホールインワン賞獲得第1号はゲスト解答者の沢田亜矢子(1983年5月5日放送。フランスの小型飛行機の価格42,000フラン。サブタイトルは「ついに出た!ホールインワン第一号!」)で、レギュラー陣で最初に獲得したのはたけしだった(1983年5月26日放送回。アメリカ・ニューヨークの駐車移動料金30ドル)。
通常問題とは別に視聴者プレゼントクイズが1問あった。2問目ないし3問目終了後必ずサイレンが鳴って「今週のプレゼントクイズ」と字幕スーパーが回転しながら表示され、いったんCMを挟んでからこのコーナーに入る。このときはフリップを使わず、巨泉が解答者に1人ずつ問いかける形で答えを聞き出し、巨泉から正解に近い解答者の答えを応募の目安にしていたが、時にはホールインワン賞に相当する答えを出したこともしばしばあった。稀に巨泉が、1987年7月9日放送分で出題された「ハワイの酔っ払い運転の罰金」の際の「(解答者3人が予想した)500ドルはいりません。(別の解答者)マリアンの50ドルじゃ安過ぎます。」「50ドルという半端付けてください」といったものや、1989年11月2日放送分で出題された「ハンガリーのチェーンブリッジ 1時間分の照明料金」の際の「何千何百と書いてください」というような、視聴者に細かなアドバイスをしていたこともあった(翌々週の正解発表における答えは前者が150ドル(約21,000円)、後者が4,700フォリント(約9,400円)だった)。稀にホールインワン相当の答えを出した解答者が出る場合もある。
視聴者プレゼントにも解答者の解答状況が影響する。番組グッズとして、10桁を計算できる電卓や世界時計(番組タイトルとMBSのロゴ入り)、あるいはプレゼントクイズのお題になった商品そのもの、ないしは番組スタッフが現地から持ち帰った土産品がプレゼントされる。ホールインワンが発生した場合、またはニアピン・ロストボール(ロストボール棚のデビルも含む)が10個となった場合[注 10]には、プレゼントクイズ正解者から1組2名のカップルにハワイ旅行(末期は、プレゼントクイズの出題地の海外旅行)が贈呈される。また、デビル人形が10個たまった場合、ためてしまった解答者が自費で視聴者に世界一周旅行をプレゼントするルールもあった。
なお、世界時計のプレゼントがあった場合は、巨泉が「ご好評いただいております(または単に"ご好評の")、世界時計を…」と言うお約束事があった。プレゼントを世界時計のみにした理由としては、例として1988年11月3日放送分の「アメリカのゴルフクラブ 1本のお値段は?」のように巨泉が「皆様に古いクラブを差し上げても仕方がございませんので…」や、1989年3月2日放送分の「ベトナムの髪の毛 1束のお値段は?」のように同じく巨泉が「髪の束を差し上げるわけにもいきませんので…」のセリフなどが挙げられる。
プレゼントクイズの宛先は、大阪の毎日放送本社ではなく、東京芝郵便局私書箱宛[注 11]。
正解発表はその問題を出した2週間後に発表されるのが慣例。最終回のプレゼントクイズについては、後番組『世界まるごと2001年』の第2回目に正解と当選者発表があった。この慣例は『2001年』でも同様に続いた。これは遅れネット局の南海放送(愛媛県)などでもプレゼントに応募できるように配慮したためで、そのため画面上でも、放送日は記さず「ー先々週のプレゼントクイズー」とのみ表記、ナレーションも同様に「先々週のプレゼントクイズの正解です」とされていた。
この節の加筆が望まれています。 |
1987年から数回期首・期末改編(年末年始を含む)の特別番組(タイトルも「春/秋/新春のHOWマッチスペシャル」と冠がつけられていた)として放送されていたもので、通常の『HOWマッチ』同様巨泉が司会を、西村がアシスタントを、レギュラー解答者の石坂とたけしの二人が各チームのキャプテンを務めていた。
番組は、それぞれ5人ずつのチーム対抗戦形式で進行。番組タイトルロゴは20世紀フォックスのロゴを模したもので、「FOX」のロゴを「KYO」に置き換えたものだった。テーマ音楽はベニー・グッドマンのレッツダンスが用いられた。
なお、1987年1月に放送の第1回では、たけしがフライデー襲撃事件のために謹慎中であったため、東西出身地別での対抗戦形式を取っていたが、同年秋の第2回放送時には「本来はたけしチーム対石坂チームで開催するものだったが、ある出演者の事情(たけしの謹慎)のためにやむを得ず東西対抗にした」と巨泉は述懐している。
同特番は20世紀の映像を特集し、コーナーごとにテーマを定めてクイズを出題する。巨泉は問題によって各解答者一人ずつや挙手しての先着順、チーム内で相談して解答フリップへ記載するなど、解答するルールをそれぞれ決めていた。
最終結果は合計得点でチーム賞と個人賞を決定。
またこの特番内では、巨泉が出題した問題や正解答・設定したルール等に対して、チームキャプテンのたけしが巨泉にいちいち文句をつけて、不平不満を憤慨しながら述べ続けたあと、石坂らが苦笑いしつつなだめる場面が毎回お決まりだった。
チーム賞には「20th CENTURY KYO」という番組タイトルがデザインされた大優勝旗が贈られる。また、この番組ではチャリティーが付いていて、優勝チームが獲得した得点×1000円を毎日新聞社社会事業団に優勝チームの名義で寄付する(実際に寄付をするのはMBS側であり、ここではあくまでも優勝チームの名義を借りているだけである)。なおチーム戦での最高得点は、たけしチームが1989年春の第5回で獲得した505点であり、この時は毎日新聞社社会事業団に50万5000円が寄付された。そして最も得点を獲得した解答者には「MVP・最優秀殊勲選手賞」として、通常の『HOWマッチ』でホールインワン賞を達成した時に贈られる世界一周旅行や出題された都市(MVP者が選択)への往復航空券等が贈られる。さらに獲得得点第2位の解答者には「敢闘賞」として、テレビやビデオカメラ等が贈呈される。
ちなみに個人成績の発表は基本的にMVP・敢闘賞を受賞した解答者のみであるが、1989年春の第5回ではMVP・敢闘賞だけでなくそれ以外の解答者の成績も発表した。この時は、たけしチームの山城新伍がダントツの170点でMVP賞を獲得、次いで敢闘賞をたけしチームの森光子と石坂チームの大島渚が共に85点となり獲得したが、最下位は石坂チームの稲川淳二で25点という惨憺たる有様。稲川は最下位決定の瞬間、スタジオ中の観客に笑いものにされた。
放送回数 | 放送日 | 石坂チーム | たけしチーム |
---|---|---|---|
第2回 | 1987年10月1日 | 石坂浩二、武田鉄矢、里中満智子、山田邦子、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、森光子、中井貴恵、田中康夫 |
第3回 | 1988年3月31日 | 石坂浩二、井上順、中村玉緒、兵藤ゆき、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、森光子、岸本加世子、景山民夫 |
第4回 | 1988年10月6日 | 石坂浩二、横山やすし、檀ふみ、山田邦子、前田武彦 | ビートたけし、山城新伍、森光子、浅野ゆう子、景山民夫 |
第5回 | 1989年3月30日 | 石坂浩二、和田アキ子、大島渚、里中満智子、稲川淳二 | ビートたけし、森光子、山城新伍、高橋洋子、景山民夫 |
第6回 | 1989年10月12日 | 石坂浩二、武田鉄矢、野際陽子、浅野ゆう子、大島渚 | ビートたけし、山城新伍、うつみ宮土理、飯干景子、景山民夫 |
後継番組として、前述の『クイズまるごと20世紀』をレギュラー化した『世界まるごと2001年』が1990年4月12日から1991年3月28日まで1年間放送された。
司会は山口美江で、巨泉はスーパーバイザーとして番組に携わる。また、顧問(御意見番的なジジィという意味を込めて“今週の彦左衛門”と紹介されていた)として数回出演したほか、石坂とたけしは引き続きレギュラー出演した。
「世界まねごとHOWマッチ」:『極楽テレビ』(1985年10月、朝日放送制作・テレビ朝日系)本番組の裏番組のバラエティ番組で放送されていたパロディコーナー。見かけだけ真似をしたハリボテセットで国内ロケを海外と言い張り、物の値段を当てるコーナー。通貨単位が現実にないもので、スイスの通貨単位が「1アルプスの少女ハイジ」、アラブの通貨単位が「1オイルショック」など、真似ながらもパロディに徹していた。
2012年9月29日放送のテレビ大阪(テレビ東京系列)『たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜』で「世界悪(ワル)ごとHOWマッチ」と題した企画があり、パネリスト出演者全員が解答者としてクイズに臨んだ。BGMは完全にオリジナルだが、タイトルロゴは本家とほぼ同じである。パロディ企画ではあるものの、クイズの進行部分はほぼ本家に近い形で再現されている。ちなみにホールインワン賞では賞金10万円、ニアピン賞では番組特製のQUOカードがプレゼントされた。
※系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
近畿広域圏 | 毎日放送 | TBS系列 | 制作局 | |
関東広域圏 | 東京放送 | 同時ネット | 現:TBSテレビ | |
北海道 | 北海道放送 | |||
青森県 | 青森テレビ | |||
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 東北放送 | |||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット →同時ネット →遅れネット |
1989年9月まで |
テレビユー山形 | TBS系列 | 同時ネット | 1989年10月開局から | |
福島県 | テレビユー福島 | 開局後の1983年12月8日から[注 17] | ||
山梨県 | テレビ山梨 | |||
新潟県 | 新潟放送 | |||
長野県 | 信越放送 | |||
静岡県 | 静岡放送 | |||
富山県 | 北日本放送[注 18] | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1984年4月1日から、1990年3月25日打ち切り[注 19] |
石川県 | 北陸放送 | TBS系列 | 同時ネット | |
福井県 | 福井テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | 1984年4月4日から[注 20] |
中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 同時ネット | 現:CBCテレビ |
鳥取県・島根県 | 山陰放送 | |||
岡山県・香川県 | 山陽放送 | 現:RSK山陽放送 | ||
広島県 | 中国放送 | |||
山口県 | テレビ山口 | 1987年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局 | ||
愛媛県 | 南海放送[注 21] | 日本テレビ系列 | 遅れネット | [注 22] |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 同時ネット | |
福岡県 | RKB毎日放送 | |||
長崎県 | 長崎放送 | |||
熊本県 | 熊本放送 | |||
大分県 | 大分放送 | |||
宮崎県 | 宮崎放送 | |||
鹿児島県 | 南日本放送 | |||
沖縄県 | 琉球放送 | 同時ネット →遅れネット →同時ネット |
琉球放送は、木曜22時枠時代は同時ネットで放送していた。1984年10月から1986年9月までは『木曜スペシャル』(日本テレビ)の同時ネットを放送していた関係で土曜日17時から遅れネットで放送していたが(1984年10月からTBS系列24局における直前番組となった『クイズ天国と地獄』と1986年4月からTBS系列24局における直前番組となった『ザ・チャンス!』は琉球放送では途中打ち切り)、『木曜スペシャル』のネット打ち切りに伴い1986年10月から同時ネットに復帰している。遅れネット期間中もスポンサーは差し替えずにそのままネットしていた。
福島県では、『木曜座』までは同時ネットしていた福島テレビが本番組開始と同時にTBS系列とフジテレビ系列とのクロスネット局からフジテレビ系列へのネットチェンジ(JNN脱退・FNN加盟)したのに伴い、木曜22時が『欽ちゃんの週刊欽曜日』の遅れネット(金曜21時台が『時代劇スペシャル』の同時ネットに変更されたため)に変更されたために未ネットとなっていたが[注 23]、1983年12月のテレビユー福島開局に伴い放送を開始した。
山形テレビ(当時はフジテレビ系列、現在はテレビ朝日系列)は、『木曜座』から木曜22時台の番組をネットしており、本番組も当初は日曜日14時からの遅れネットで開始していたが、木曜22時枠時代末期は同時ネットで放送された。1984年10月からテレビユー山形への放映権移行までは放送時間を変更することなく木曜日22時台における遅れネットが継続され(1984年4月以降は同時ネットで放送していた『木曜おもしろバラエティ』~『とんねるずのみなさんのおかげです』の直後に放送)、系列外局で唯一スポンサードネットで放送していた。また、本番組の放映権がテレビユー山形へ移行後は『木曜劇場』のネットを開始したものの、在京キー局とは異なり7日(1週間)遅れで、かつローカルスポンサーに差し替えての放送だった(1993年3月まで)[注 24]。
土曜17時から放送していた秋田放送・日曜10時から放送していた北日本放送[注 25]・土曜22時から放送していた南海放送(日本テレビ系列)の3局は、ローカルスポンサーに差し替えて放送していた。また、秋田放送ではオープニングの提供クレジット及びエンディングは差し替えられ、次週の解答者(予告)も放送されなかった一方で、北日本放送では提供クレジットのみ地元スポンサーと差し替えていた(エンディング部分はそのまま)。放送時間や遅れ日数は各局とも異なっており、秋田放送・北日本放送ではローカル枠で(秋田放送は土曜日17時から、北日本放送は日曜日10時から放送)、南海放送は当時の日本テレビ系列局において他系列番組と差し替えが可能であった土曜22時枠で放送していた[注 26]。3局とも、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』放送日には放送時間の変更があった。なお、秋田放送における土曜17時台および、1992年9月までの南海放送における土曜22時台[注 27]は、本番組から『ダウトをさがせ!』までの木曜20時台の毎日放送制作番組を放送していた。
福井テレビ(フジテレビ系列)は、『木曜座』から木曜22時台の番組をネットしていたが、本番組を水曜22時→月曜22時に放送していたため、本来の系列番組であった『三枝の愛ラブ!爆笑クリニック』と『影の軍団 幕末編』以降のドラマ番組は遅れネットで放送していた。また、同局も日本テレビ系列の3局と同じく、ローカルスポンサーに差し替えての放送であった。1985年4月以降の福井テレビにおける月曜22時台は、本番組から『明石家多国籍軍』までは、木曜20時台の毎日放送制作番組を放送していた[注 28]。
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