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日本のTBSテレビ系列で放送された番組(1979-1992)。アメリカのクイズ番組『Family Feud』の日本版 ウィキペディアから
『クイズ 100人に聞きました』(クイズ ひゃくにんにききました)は、1979年4月2日から1992年9月28日までTBS系列で毎週月曜日の19:00 - 19:30(JST[注 1])に放送されていたクイズ番組である。司会は関口宏。2003年2月3日から2009年1月26日までCS放送のTBSチャンネルにて再放送されていた。
クイズ100人に聞きました | |
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ジャンル | クイズ番組 |
構成 |
日野原幼紀、福岡秀広 植竹公和、高橋秀樹 零弘幸、大倉利晴 池田裕幾、村田松葉 他 |
ディレクター |
森勲、加藤嘉一 伊佐野英樹、小玉滋彦 熊谷信也、吉橋隆雄 他 |
司会者 | 関口宏 |
ナレーター |
橋本テツヤ (屋根裏のアナウンサー) |
音楽 | 服部克久、安川宙志 |
製作 | |
製作総指揮 | 古賀一郎(制作) |
プロデューサー |
森勲、三角英一 岩原貞雄 |
製作 | TBS(製作著作) |
放送 | |
放送国・地域 | 日本 |
1979年4月から1984年9月まで | |
放送期間 | 1979年4月2日 - 1984年9月24日 |
放送時間 | 月曜日 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
1984年10月から1987年9月まで | |
放送期間 | 1984年10月1日 - 1987年9月28日 |
放送時間 | 月曜日 19:20 - 20:00 |
放送分 | 40分 |
1987年10月から1992年9月まで | |
放送期間 | 1987年10月5日 - 1992年9月28日 |
放送時間 | 月曜日 19:00 - 19:30 |
放送分 | 30分 |
一般人100人に対して行ったアンケートを設問とし、その結果を推測して回答するという独自形式のクイズ番組である[1][2]。これはアメリカABCのクイズ番組『ファミリー・フュード』(フリーマントルメディア制作、1976年開始、2021年現在も放送中)がベースとなっている。
当初は1978年4月2日から1979年3月25日まで『家族対抗クイズ合戦』(毎週日曜14:30 - 15:00、一部地域のみ)として放送、これが好評だったため、ゴールデンタイムへ移動・ネット局拡大・番組タイトルを改題して1979年4月2日に本番組(『クイズ 100人に聞きました』)の放送が開始された。番組名こそ変わったが、司会者や番組内容は全く同じである。
回答後のアタック音の最中に、観客の「ある!ある!ある!」の声援があり、これが番組の定番フレーズとなる。また、正解になりそうもない回答をした時は、観客は一瞬の間の後「ある!ある!ある!」の他に「ない!ない!ない!」も入り混じった声援を送っていた。なお、この声援は番組開始当時はなく、アタック音のみであった。スタッフから観客への指示ではない。
番組の特色として、橋本テツヤのナレーションによる番組進行が売りであった。番組のタイトルコール、出場チームの紹介・進行役の紹介、冒頭の提供読み[注 3]、宿題クイズの応募のお知らせ、トラベルチャンスの説明、番組のエンディングの挨拶、視聴者プレゼントのお知らせもナレーションの橋本が一括して担当していた。
これは番組構成上、番組進行と収録を円滑に行い、司会の関口が進行役、橋本が屋根裏のアナウンサーという体裁をとっていたことやマンネリ化を打破、更には関口への負担を軽減するためであった。したがって橋本が実質的に総合司会的な役割を持ち、関口は番組のタイトルコール、出場チームの紹介・進行役の紹介や番組のエンディングでの締めの挨拶は一切していない。過去に1回だけ、司会の関口が進行役と屋根裏のアナウンサーの二役を務めた回もあるが、これは橋本が都合により収録を休んだためである。オープニングの関口の登場時には、橋本が「「クイズ100人に聞きました」進行役は、○○な(内容は毎回変わる)せきぐちーひろし」と紹介していた(初期は姓の語尾をあまり伸ばさなかった)。『クイズまるごと大集合』では「おおはしーきょせん」や「ビートーたけし」もあった。
ナレーション担当による番組進行は、アメリカのクイズ番組(ゲームショー)やスタジオトークショーでは一般的な形式で、この番組はその形式もまるごと取り入れている。同様にアメリカの番組『ザ・プライス・イズ・ライト』を翻案したTBSの『ザ・チャンス!』や、『マッチ・ゲーム』を翻案したフジテレビの『アイ・アイゲーム』も、同様な形式になっていた。
出場者応募の減少とTBSの番組編成見直しにより、1992年9月28日に放送された1時間スペシャルをもって終了し13年半の歴史に幕を下ろした。この最終回1時間特番は公開生放送による「感謝大棚ぞろえスペシャル」として行われ、芸能人が多数出場した。
1時間に拡大して放送される特番(大学対抗ゲスト大会)などでは次のルールが適用された。
40分放送時に設定されたコーナーで4問目終了後に行われ、100人から調査した結果の内1つを視聴者が当てるコーナーで大抵は1位だが1位が圧倒的多数の場合2位または3位を当てるコーナーである。それ以外の答えはあらかじめ開かれ、ヒントとしている。問題の答えを応募して正解者から抽選で百太郎のぬいぐるみがプレゼントされる。宿題クイズの解答は次週に「おさらいクイズ」として宿題クイズの後に前回の宿題クイズの解答が発表される。答えの数は通常問題に比べ少ないケースが多かった(答え4 - 6つが殆ど、稀に3つということもあった)。30分に戻った後は直前の問題を宿題クイズとしていた。まれに第1問出題前に行う時もあった。クイズのヒントとして司会者から「宛先、その他は屋根裏の○○がご案内します」と○○の部分には正解のヒントになることを言っていた(TBSチャンネルでの再放送では一部の回をのぞき、CM前に入っていたためその部分はカットされている)。
家族対抗のクイズ番組ということもあり、作戦的なものはほとんど存在せず、純粋に答えを出し合って競うことが基本だが、稀に「勝敗にこだわった」作戦を実行するチームも存在した。それは、最終問題でリードしているチームが最初の解答権を取るが、その後何も回答しなかったり故意に間違えて、お手付き3つで負けている後攻チームにそのまま解答権を移すことが数回あった。これで後攻チームが正解して点数が2倍になっても相手チームの点数に追い付かず、負けてしまう可能性がある。点数差が100点以上の時に起こりやすく、後攻チームの回答権が1回であることが要因であるが、後攻チームがそれに気づいたとしても対抗策がなく、どうすることもできない。
1992年8月10日、17日、24日放送の「夏休み高校生大会」(第2次予選)や「クイズまるごと大集合」などでは団体戦で行われる事もあった(なお、『クイズまるごと大集合』では1990年秋の回(1990年10月2日放送)から)。ルールは以下の通り。
期間 | 音楽 | セット概要 | スクリーン色概要 | |
---|---|---|---|---|
1979.4 | 1984.9 | 服部克久1・2 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板は青かった。 トラベルチャンスのパネルは、空港の出発案内板を模したソラリー式(フラップ式)表示装置が使われ、CM中にキャスター式のパネルをスタジオ中央に移動する作業方式だった。 | 第1問から第4問目までの上段と下段は水色。 第1問から第4問目まで中段は黄色(茶色に近い)。 第5問目の上段と下段は赤色。 5問目の中段は黄緑色。 第1問から第4問目まで答えの数は水色。 第1問から第5問目まで百太郎は黄緑色。 第5問目の答えの数は赤色。 トラベルチャンス時は奇数は水色、偶数は黄色3。 |
1984.10 | 1987.10 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板が茶色の丸い凸凹形に出場チームの背景板が丸型にそれぞれ変更。 トラベルチャンスのパネルは丸型にCM前のアタック音の時に天井からパネルが降りていく仕組みで、終了後は天井へ戻るものとなった。4 |
第1問から第4問目までの上段と下段は水色。 第1問から第4問、第6問目までの中段は黄色。 第5問から第6問目までの上段と下段は赤色。 第5問目の中段は黄緑色。 第1問から第4問目まで答えの数は黄緑色。 第1問から第4問目まで百太郎は水色。 第5問目から第6問目まで答えの数は赤色。 第5問目の百太郎は黄緑色。 第6問目の百太郎は黄色。 宿題クイズはトラベルチャンスのものを使用。 | |
1987.10 | 1989.3 | 色の塗り替えと、床の段差部分に「WE ASKED 100 PEOPLE」の英文表記の文字が書かれている。 | 第1問から第4問目までの上段と下段は赤色(オレンジに近い)、中段は黄色。 第5問目の上段と下段は黄緑色、中段は赤色(オレンジに近い)。 第1問から第4問目まで答えの数は水色、 百太郎は黄色。 第5問目の答えの数は赤色。 百太郎は黄緑色。 トラベルチャンス時は奇数は赤色(オレンジに近い)、偶数は黄色。 | |
1989.4 | 1989.12 | 出場チームの背景板が半径型に変更。5 | 第1問から第4問目までの上段と下段は黄緑色。 第1問から第5問目まで中段は黄色。 第5問目の上段と下段は水色。 第1問から第4問目まで答えの数は水色。 百太郎は黄緑色。 第5問目の答えの数は黄緑色。 百太郎は黄色。 トラベルチャンスは前回のものを使用6。 | |
1990.1 | 1991.3 | 安川宙志7 | ||
1991.4 | 1992.9 | セット中央のフェード表示式スクリーンの背景板が丸型に背景板も変更。 | ||
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | 東京放送 | TBS系列 | 制作局 | 現:TBSテレビ |
北海道 | 北海道放送 | 同時ネット | ||
青森県 | 青森テレビ | |||
岩手県 | 岩手放送 | 現:IBC岩手放送 | ||
宮城県 | 東北放送 | |||
秋田県 | 秋田放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1980年3月打ち切り |
山形県 | 山形放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1982年3月打ち切り | |
テレビユー山形 | TBS系列 | 同時ネット | 1989年10月開局から | |
福島県 | 福島テレビ | フジテレビ系列 | 1983年9月打ち切り[3] 1983年3月まではTBS系列とのクロスネット局[注 12] | |
テレビユー福島 | TBS系列 | 1983年11月28日のサービス放送から[4] | ||
山梨県 | テレビ山梨 | |||
新潟県 | 新潟放送 | |||
長野県 | 信越放送 | |||
静岡県 | 静岡放送 | |||
富山県 | 北日本放送 | 日本テレビ系列 | 1984年9月24日打ち切り[5][注 13] | |
テレビユー富山 | TBS系列 | 現:チューリップテレビ 1990年10月開局から[注 14] | ||
石川県 | 北陸放送 | |||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 金曜 18:00 - 18:30にて放送 1979年4月6日から9月29日の半年間のみ放送[7][8][注 15]。 |
中京広域圏 | 中部日本放送 | TBS系列 | 同時ネット | 現:CBCテレビ |
近畿広域圏 | 毎日放送 | |||
岡山県 →岡山県 香川県 |
山陽放送 | 現:RSK山陽放送 1983年3月までの放送エリアは岡山県のみ 1983年4月より相互乗り入れに伴い香川県でも放送[注 16] | ||
鳥取県 島根県 |
山陰放送 | |||
広島県 | 中国放送 | |||
山口県 | テレビ山口 | |||
愛媛県 | 南海放送 | 日本テレビ系列 | 遅れネット | 1982年3月打ち切り [注 17] |
高知県 | テレビ高知 | TBS系列 | 同時ネット | |
福岡県 | RKB毎日放送 | |||
長崎県 | 長崎放送 | |||
熊本県 | 熊本放送 | |||
大分県 | 大分放送 | |||
宮崎県 | 宮崎放送 | |||
鹿児島県 | 南日本放送 | |||
沖縄県 | 琉球放送 |
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