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植竹 公和(うえたけ きみかず、1954年4月28日 - )は、日本の放送作家[1][2]、ソングライター。北海道函館市生まれ。北海道教育大学附属函館小学校卒業、同附属中学校卒業、函館ラサール高等学校、法政大学文学部卒業。横浜市在住。
高校生のとき、『北海道新聞』(北海道新聞社)主宰の有島武郎文学賞に入選。大学生の頃、『とびだせものまね大作戦』(フジテレビ)、『お笑い大集合』(フジテレビ)、『びっくりショー』(フジテレビ)でものまねチャンピオンを総なめする(主なネタはアメリカのテレビドラマ『コンバット!』(ABC)のオープニングの英語のナレーション、ベトコンとアメリカ兵の言い争い、イヴ・サン=ローランと高田賢三の違いの形態模写、ドナルドダック、ワーナー・ブラザースのアニメ『ルーニー・テューンズ』内の『ロードランナー・ショー』などに登場するキャラクター、ロード・ランナー、『版画まんだら』の棟方志功、『徹子の部屋』(テレビ朝日)の黒柳徹子のリアクションのものまね(黒柳徹子本人もその映像を見て「似てる」と認める)、俵孝太郎、三遊亭円生、等など)。
また落語も特技としており、本牧亭、安田生命ホールで落語会を開いた。また大学三年の時には、三遊亭圓生の自宅に出向いて自ら出演交渉し、三遊亭圓生、金原亭馬生、春風亭小朝、春風亭柳朝、桂小南を呼び、九段会館で落語会の興行を打つ。
大学3年の頃、『みのもんたの激ラジモンターマン大逆襲』(文化放送)で近藤信明(現ブラザー・コーン)、徳永(現桂竹丸)らと出演。「関東乙女組」というユニットで活動し、放送作家として裏方もこなす。そこにゲストに来たツービートのマネージャーに、ブラザー・コーンとたけし軍団第一号としてスカウトされた(入団はせず)[3]。
その後は本格的に放送作家の道に入り、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)、『11PM』(日本テレビ)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)、『上岡龍太郎がズバリ!』(TBS)、『草野☆キッド』(テレビ朝日)、『ブロードキャスター』(TBS)などを務めた。『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日)では、再チャレンジを提案した爆笑問題が10週勝ち抜いている。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)では、日下雄一プロデューサーの個人的ブレーンも務めた。
近年も番組構成や、「坊ちゃん5」の落語会のプロデュースを行う。渡辺正行のライフワークで、数々の芸人を輩出した「ラ・ママ新人コント大会」では、プロデュースのほか、司会も担当している。また、『特報ショーグルメ』(フジテレビ)では映画の『んなこと知ってる?!』のコーナー司会をやり、映画の中でスタッフが見切れていたり、関係ない物が映っていたり、編集がむちゃくな映画を指摘する企画がマニアックで好評で、雑誌『GORO』(小学館)で特集記事になる。また、『11PM』(日本テレビ)では構成とコーナー司会の出演。
「歌う放送作家」を自称(フレッド・アステア のミュージカル映画『踊るニュウ・ヨーク』からもじったもの)し、バンド活動を行っている。1980年代にはShibuya eggman、原宿クロコダイルなどのライブハウスで演奏していた。当時のメンバーは、友人の角松敏生ならびに角松のバックバンドらプロ・ミュージシャンであった。さらに、自らの作曲とボーカルで西武音楽祭に入賞するといった実績も持ち、杏里、角松敏生、南翔子、片岡鶴太郎、ジャドーズの楽曲を作曲作詞する珍しい放送作家。VOCAL,ベース、ギター、キーボードもこなし、音楽関係にも造詣が深い。また、スネークマンショーの「マンドラゴ」の台本作家と出演。歌う放送作家のキャッチコピーでラジカントロプス2.0(ラジオ日本)の司会を務め、芥川賞・直木賞を予想する大森望&豊崎由美の「文学賞メッタ斬り」の年二回の人気コーナーは両賞候補作家も拝聴しているほど。書籍化もされている。なお、ラジカントロプス2.0の終了後は特番として継続中である。松本隆との対談、番組企画も多数。
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