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日本の俳優 ウィキペディアから
速水 亮(はやみ りょう、1949年11月14日[2][3][4][5] - )は、日本の俳優。本名、越坂部 茂(こさかべ しげる)[4][6]。旧芸名、炎 三四郎[5][7]、豊田 正文[5][7]、三崎 玲資[5][7]。
千葉県君津市出身[3][8](出生は神奈川県横浜市[4])。木更津中央高等学校(現、木更津総合高等学校)[4]中退[9][8][5]。妻は元女優の美山尚子[8]、長男は俳優の香坂優介[8]。オールアウト所属。
6歳まで横浜商店街あたりに住み、家の近くにあった映画館に足しげく通う。
千葉県の木更津中央高等学校[注釈 1]で、柔道部の主将を務めた[9][10]。公式戦で無敗を誇り、大学から引き合いが来るほどの強さで、本人は柔道で大学へ進み、武道館に出場するのが夢だったという[9][10]。しかし、素行面で学校ともめごとが絶えず、もうすぐ3年に上がろうというとき、高校側から退学処分を受ける[9][10]。
高校を退学後、バーテンダーやウェイターをやりながら、やがて上京[11]。ある日、駆け出しの女優という女性と知り合い、この女性が応募書類をくれたことで、大映ニューフェイスへの応募を決意する[12][10]。だが、友人に頼んで写真を撮ってもらい、いざ応募しようという段になって応募期日を確かめると、すでに期限が切れていたことを知る[12][10]。「せっかく撮った写真が無駄になるから」との理由で、ダメもとでいいからと思い、規定では写真は3枚だったが、20枚ほどあった写真をすべて送ったところ、運よく合格[12][10]。約2万人の中から選ばれ、大映ニューフェース第20期生に合格した[13][10]。同期には八並映子[10]、京都撮影所で採用された伊吹剛[14]のほか、最終審査に落ちたが倉田保昭がいた[10]。
大映入社後、半年間研修所に通う[10]。ある日、遅刻して出所すると、永田秀雅副社長が「炎 三四郎」と命名していた[10]。芸名の命名は永田副社長の趣味で、インパクトのある名前だったが、これは一方的に大映本社から付けられた不本意なものであり、立場柄逆らえず、一時は映画界から身を引こうとまで思いつめたという[10]。この「炎三四郎」の『三四郎』は速水の柔道経歴から、また『炎』は往年の大映の女優「炎加代子」から採られたものだった[10]。
1969年10月1日、大映と正式契約し、直後に『あゝ陸軍隼戦闘隊』でデビュー[3][10][15][8][注釈 2]。役柄は通信将校で、台詞も多かったがNGもなく、撮影所から度胸を認められたという[10]。
1970年、『ガメラ対大魔獣ジャイガー』で主演[5][10]。この『ガメラ対大魔獣ジャイガー』のすぐあとに来たエキストラの仕事を2度続けて断ったところ、半年近く仕事を干されてしまう[10]。もともと「炎三四郎」の芸名が不本意だったので、数人の俳優仲間と共に辞意を伝えたところ、速水のみ慰留された[10]。
1971年、大映京都撮影所作品の『海兵四号生徒』で役を貰い、芸名変更を承諾されたので、「豊田 正文」と芸名を変える[10]。『豊田』の姓は、この映画の原作者である豊田穣にちなんだもので、使われたのはこの作品のみである[10]。撮影を終え帰京したところで大映が倒産、しばらくアルバイト生活を送る[10]。
この時期仕事があまり来ず、姓名判断に凝っていたことから、芸名を「三崎 玲資」に変えたが、一、二度の使用に留まった[10]。その後、石田信之や森本レオが所属する芸能事務所に入れてもらい、事務所の社長が「子供番組から売り出そう」と売り込みをかけてくれた[10]。
1973年、ピー・プロダクションの『鉄人タイガーセブン』(フジテレビ)の主役「滝川剛」(タイガーセブン)のオーディションに参加[3][10]。最終選考まで残り、本人も合格を確信していたというが、結局落選した[10]。
1974年、所属事務所の社長が、『どっこい大作』(NET)や『好き! すき!! 魔女先生』(朝日放送)で東映の平山亨、阿部征司両プロデューサーと付き合いがあったことで、『仮面ライダーX』(毎日放送)での主演の話を持ちかけられる[3][10]。この『仮面ライダーX』ではオーディションではなく、最初から面接で平山・阿部に太鼓判を押され、渡邊亮徳テレビ部部長も「平山と阿部がOKなら」とすんなり主役に決まったという[15][10]。主人公の「神敬介」(仮面ライダーX)を演じることになり、芸名を再び考えることになった。原作の石ノ森章太郎が考えた「速水」の姓と渡邊亮徳からは渡邊の名の「亮」をもらい、新しい芸名は「速水 亮」と決定した[3][10]。当初はこの芸名もいずれ変えるつもりだったという[10]。
1977年、『花王愛の劇場・乱れる』(TBS)が当たり、以後年に一本ペースで「昼メロ」に出演するようになる[10]。この『乱れる』で下村尭二監督から「内面の芝居」を教わり、演技面での転機になった[10]。このあと「ゼンヒラノ・アクティング・ゼミナール」に通い、個性的な芝居を心がけるようになり、「芝居の作り方が180度変わった」という[10]。
以後、『女の一生』(1979年)、『人妻捜査官』(1984年)、『おさと』(1987年)、『華の別れ』(1989年)、『氷炎 死んでもいい』(1997年)など、数多くのドラマに出演[10]。『氷炎』では小川知子の相手役として主演を務め、23年ぶりに恋人と再会して、再び愛の炎を燃やす男役を演じた[16]。そのほか、角川映画『戦国自衛隊』や[4]、落ち着いた声を生かしたナレーターとしても活動している。
2006年6月、長野県松本市、2007年2月、長野市に自身が演技指導(メソッド演技法)を行なうアクターズスクールを開校。2007年6月には東京都にも開校したが、2017年現在のところいずれも休校となっており、再開の予定はない。
2008年ごろ、『仮面ライダーストロンガー』の荒木しげるが誘う形で仮面ライダーアマゾンの岡崎徹と共に東映プロデューサーであった平山亨に会いに行っている。その様子は速水のブログで報告されている[17]。その時はストロンガーの荒木しげるが当日体調が悪く参加できなくなったと書かれていた。
2012年4月ごろに胃の具合の悪さとそれによる体重の激減を気にかけ、病院で詳しい診察と検査を受けたところ、東京都で難病に指定されている自己免疫性胆管炎と診断されたことを自身のブログにて公表し、現在闘病生活にある。
2014年公開の『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊』において、34年ぶりに仮面ライダーX・神敬介を演じた[18]。
趣味は、ゴルフ、野球[1]。特技は、柔道(二段)[1]。普通自動車第一種、大型自動二輪運転免許所持[1]。
オープンな性格であり、自身のマイナスイメージも躊躇なくインタビューなどで語っている。高校時代も不良であることを自認しており、柔道部員にパーティー券をさばかせたことが発覚して退学になったことも語っている[11]。
酒はあまり飲めない。喫煙者である。
まだ俳優として食べていけなかったころ、友人に紹介された六本木にある中華料理屋でコックとしてアルバイトしていたことがあり、食器洗いや客が注文した商品を実際に作って出したりしていた。そのため、中華料理はとても得意であり、この腕前を料理番組などで披露している。
1975年に『仮面ライダーX』で共演した美山尚子と結婚[3][19][20]。番組の路線変更のあおりを受けて降板することとなった美山を「一生懸命やってるのに可哀想だな」と思い、励まそうと会っているうちに付き合うようになったという[19][20]。一男一女を儲け、長男は香坂優介の芸名で俳優として活動し[8][21]、長女はソプラノ歌手として活動している[22]。香坂は同じ事務所に所属し[22]、『仮面ライダーアギト』のオーディションでは最終選考まで残ったが、仮面ライダー関連人物の2世は断る方針だったため、親の名前がバレて不合格となった[23][信頼性要検証]。
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