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日本の横溝正史原作の推理小説シリーズに登場する架空の探偵 ウィキペディアから
スズメの巣のようなボサボサの蓬髪をしており、人懐っこい笑顔が特徴。顔立ちは至って平凡、体躯は貧相で、身長は5尺4寸(163.6センチメートルくらい)、体重は14貫(52キログラムくらい)を割るだろうという。自身の体格には劣等感を抱いており、それに関する記述は、『女王蜂』にて風呂場で筋骨隆々とした多門連太郎の裸体を見た時や『扉の影の女』で堂々たる風貌の金門剛に対面したときなど多々見受けられる。なお、小男と書かれることがあるが、当時としては身長は平均並みであり、中背で痩せ型というのが正確なところであり、むしろ平凡さが強調されている。
ほとんどの事件において観た目は35、6歳と記述され、齢五十を超えているはずの『病院坂の首縊りの家』でも見かけはほとんど変わっていない。『本陣殺人事件』など一、二の作を除いてはれっきとした中年男(当時としてはなおのこと)であるが、生活感が薄く書生気質を残している。
頭はフケ症で、服装は皺だらけの絣の単衣の着物と羽織によれよれの袴を合わせ、形の崩れた帽子(お釜帽のイメージが強いが、パナマ帽、中折れ帽などの時もある)を被り、足元は爪が飛び出しかかっている汚れた白足袋に下駄履きが定番で、非常に清潔感が無い服装が特徴[注 1]。また寒い時期には羽織袴の上から上着(防寒着)に二重回し(とんび。袖なしのインバネスコートのこと。)を着こむ。これらの姿から『蝙蝠と蛞蝓』では「雰囲気がコウモリに似ている」と言われ、『悪魔の寵児』では「壮士芝居の三枚目」と評された。捜査のため洋服で変装することもあったが、「貧弱なサラリーマンにしか見えない」と等々力警部に笑われたり(『支那扇の女』)、「似合わない格好」だと揶揄されたりすることが多く、「これではこの男が洋服を忌避するのもむりはない」(『雌蛭』)などとも描写されている。なお、『蜃気楼島の情熱』では金田一自身が日本での生活における洋服の不合理性を列挙して和服主義の理由としている。
横溝は『本陣殺人事件』で金田一について、「この青年は飄々乎たるその風貌から、アントニー・ギリンガム君[注 2]に似ていはしまいかと思う」と述べている。明智小五郎のような颯爽とした名探偵のイメージとは一線を画した、先達ではブラウン神父、後年ではコロンボ警部に代表される、外見のさえない名探偵群の一人である。このような金田一のさえない恰好は、初対面の相手には年齢問わず、ほぼ例外なく侮られる傾向にある[注 3]。反面、非常に母性本能を刺激するもののようで、女性からの受けはとても良い。
事件のため遠出する際にはボストンバッグやかばんを提げて赴く(なお、石坂浩二の主演映画作品からトランクのイメージが強いが、これは映画オリジナルである)。復員直後の『百日紅の下にて』では雑嚢を持っており、金田一のデビュー作『本陣殺人事件』や『黒猫亭事件』などの初期の作品と、最後の事件となった『病院坂の首縊りの家』では籐や桜のステッキを持っている。
探偵としての小道具として、虫眼鏡のほか、折りたたみナイフ(または小型の十徳ナイフ)、薄い手袋、小型で強力な懐中電灯などを常備している。犯人との対峙の際に、用心のため防弾チョッキを着込むこともあった(『病院坂の首縊りの家』など)。
事件の本質に迫ったときや意外な事実を知ったときなど、興奮するとスズメの巣のようなモジャモジャ頭を毛が抜けるほどにバリバリと掻きまわし、言葉が吃りはじめる[注 4]。この頭を掻きむしる際にフケがとび、周囲のものをしばしば当惑させる。横溝は「もじゃもじゃの頭をひっかきまわすのは、私自身の癖を誇張したのである」と語っている。また、何か重大な発見をした場合、口笛を吹くように口をすぼめたり、実際に口笛を吹くクセももつ。
いつもは眠そうなショボショボとした目つきをしているが、事件の渦中にあって自身が強く興味を持ったことに対しては真剣な目つきに変わる。金田一には人を和ませる天性の雰囲気と話術があり、警察がどんなに骨を折っても聞き出せない情報も、金田一にかかるとたやすく引き出されてしまう。
普段の発言は控えめでのらりくらりとしている。概ね犯人や登場人物の行動がそこに至るまでの苦悩を思い、憐憫の情を示すような口ぶりや悩ましげな顔をし、激しく貧乏ゆすりをしたり、ハンケチを揉みくちゃにしたりする。犯人の動機や関係者の行動が著しく非社会的・非人道的で、狡猾かつ独善的な場合には、強く厳しい発言・批判を浴びせる。犯人を取り逃がしたときなどは地団太を踏むなど、激しい姿を見せることもあった。若い世代に対しては歳相応に分別のある話し方をすることが多い。
事件が解決すると、強い興味を引く目的がなくなり、また事件関係者たちのその後の運命を想って落ち込み、強い孤独感(一種のメランコリー)に襲われるため(『扉の影の女』など)、ふらりと旅に出てしまうことが多く、等々力警部らは早く金田一を立ち直らせようとわざわざ事件を押しつけることもあった(『悪魔の百唇譜』など)。
捜査の方法は、事件に絡む人脈・人間像の丹念な検証が主である。アメリカから帰国して久保銀造の援助で探偵事務所を開設したあと、某重大事件を解決した殊勲者として紹介した新聞記事には「足跡の捜索や、指紋の検出は、警察の方にやって貰います。自分はそれから得た結果を、論理的に分類総合していって、最後に推断を下すのです。これが私の探偵方法であります。」という発言が掲載されていた(『本陣殺人事件』)。
そのため、最後の瞬間まで捜査関係者に手の内を明かさないことから、さらなる犠牲者を生むことも多く、またあえて犯人に自決を促したり見逃したりするケースもあり、「事件は解決できるがホシは逃がしてしまう」ということもしばしばある。等々力警部はこれを「金田一耕助流のヒューマニズム」と述べている(『悪魔の降誕祭』)。また、金田一は警察には協力するが、情状によっては必ずしも真犯人を警察に引き渡すことを目的としていない。これは、金田一にとってあくまでも事件の真相を知ることに最大の意味があるからである。また世間的に真相が知られなくとも、真犯人が死ねば「報いは受けた」と考えている(『女王蜂』『首』など)。その一方で、逆に自決を思いとどまらせることもあった(『黒蘭姫』『迷路荘の惨劇』など)。
探偵活動の基礎技術をどこまで身につけているかについては不明確な部分もある。たとえば、『三つ首塔』『病院坂の首縊りの家』などでは自ら指紋照合を行っているが、『犬神家の一族』『不死蝶』などでは指紋照合を専門家に委ねている。途中で習得した可能性も考えられるが、明確な描写は無い。
いつもは着物に袴の金田一も、「ギャバのズボンに濃い紺地の開襟シャツといういでたち」(『支那扇の女』)、「鼠色のズボンに派手なチェックのアロハ、ベレー型のハンチング帽にべっ甲縁の眼鏡」(『雌蛭』)など、洋服を着ることがあり、これがそのまま変装になっている。真っ赤な詰め襟、青いズボンに赤い制帽を着用したボーイになりすましたこともある(『華やかな野獣』)。また探偵小説の主人公らしく、犯人あぶり出しのために別人に変装することもあった。特に着物に袴のまま大道易者に化けていたときには、「けっこう当たる」と評判をとっている(『暗闇の中の猫』『黄金の指紋』)。
「運動音痴」と謙遜することもある金田一だが(『仮面舞踏会』など)、背後からの敵襲にすばやく反応する勘を持ち、投石をかわして危うく命拾いしたことなどもあった(『女王蜂』『悪魔の寵児』など)。その一方で、犯人が潜んでいる土蔵の扉を開いたとたんに正面からピストルで撃たれ、刑事に突き飛ばしてもらえなかったら頭を貫かれて即死していたに違いないということもあった(『黒猫亭事件』)。
少年向けジュブナイル版での金田一はさらに活動的で、捜査のために浮浪者などに変装したり、走行するトラックの裏に取りついて敵地潜入を行ったり、袋詰めにされ海中に投棄された際には、ナイフで袋を破り脱出するなど、高い運動能力を見せている(『黄金の指紋』)。
1946年(昭和21年)に復員して『百日紅の下にて』『獄門島』『車井戸はなぜ軋る』などの事件を解決後、京橋裏(銀座裏)[注 5]の焼け跡に残った「三角ビル」という三角形の怪しげなビルの最上階に、探偵事務所兼住居を持っていた(『黒蘭姫』)が、3か月ばかりで閉めてしまう(『女怪』)。ただし、1948年(昭和23年)には三角ビルの事務所を使用していた時期があり、『死仮面』の関係者が来訪している。
三角ビルからの1回目の引き払いの後、中学の同級生で建設会社社長の風間俊六が愛人(作中では「2号さんだか3号さんだかわからないが」(作品によっては4号ないし5号まで進む)と記述される)の節子に女将をさせている大森の山の手にある割烹旅館「松月(しょうげつ)」の、四畳半の離れに居候して、ここを事務所兼自宅にしている。生活力は薄く、煙草銭にも欠く有様で、よくこの「松月」の女将から小遣いをもらっている(『悪魔が来りて笛を吹く』第2章、『病院坂の首縊りの家』第1部第5編など)。「松月」での寄食は1956年(昭和31年)ごろまで続けている。
『毒の矢』『黒い翼』などの事件に関わったことをきっかけに世田谷区緑が丘の「緑ヶ丘荘」の2階フラット(3号室)に転居し(改稿前の『悪魔の降誕祭』など)、ここが定住の場所となった(引越しの時期を1957年(昭和32年)とする説が有力で、#経歴ではこの説を採用)。ここの内部構造については細かいところで何度か描写はあるが、全体の構造については『迷宮の扉』で「ドアを入ると小玄関になっており、玄関のおくに応接間兼書斎がある」といった説明があり、書斎側がアパートそのものの庭に面しているらしい[4]。緑ヶ丘荘は後に改築して「緑ヶ丘マンション」となるが、改築を担当した風間建設の社長・風間俊六から二階正面のフラットを無償で贈られている(『病院坂の首縊りの家』)。
仕事の成功報酬はほとんどの場合、満足に得られていない(『トランプ台上の首』『扉の影の女』など)。金田一は興味を持てない事件には、いくら多額の報酬を提示されても見向きもしないが、反面興味をそそられた事件は報酬も構わず、手弁当でこれに没頭してしまう(『女怪』など)。それでも蓄財はしていたようで、『病院坂の首縊りの家』の事件解決後、近しい人たちに莫大な金額を寄贈している。
趣味は映画や絵画鑑賞(『仮面舞踏会』など)で、義理半分だが絵を購入することもあった(『悪魔の百唇譜』など)。『女怪』では知り合いの画家の個展を口実に作者を銀座へ連れ出しており、『夜の黒豹』では事件関係者である洋画家2名(うち1名は故人)の作風を事件以前からよく知っていた。映画女優に関しては、学生時代に紅葉照子のファンであったほか(『霧の山荘』)、鳳千代子の熱心なファンで出演作は金田一が応召した後に封切られた映画まですべて観ているほどである(『仮面舞踏会』)。学生時代には歌舞伎役者・佐野川鶴之助と誼を通じ彼の後援会「丹頂会」にも加入していた。鶴之助との交流が途絶えた後も「ひととおりは見なきゃ気がすまない」ほどの歌舞伎ファンで(『幽霊座』)、気分が高揚したときには歌舞伎のせりふを口ずさむこともある(『女怪』『傘の中の女』)。スポーツの方は苦手で、『仮面舞踏会』ではゴルフに誘われた際に「運動音痴、すなわちウンチ」と発言している。ただし、ボートを漕ぐことと、東北出身であることからスキーは得意(『犬神家の一族』)。
ヘビースモーカーで、いつも灰皿が吸殻の山になっている。銘柄は「ピース」と「ホープ」を愛煙する[注 6]。また、戦前は「チェリー(CHERRY)」を愛煙していた(『本陣殺人事件』)。
20歳ごろのアメリカ滞在時に、ふとした好奇心から麻薬に手を出して深みにはまり、厄介者扱いされていたことがある。久保銀造の意見を容れてこの悪習は断ったが、この際「麻薬も結局大したことはありませんからな」とうそぶいている(『本陣殺人事件』)。この麻薬中毒者という設定は、横溝がシャーロック・ホームズに倣ったもの。同じく金田一が若いころにアメリカを放浪しているのは、谷譲次の『めりけんじゃっぷ』物に倣ったもの。
酒はあまりすすんでは飲まないが、下戸ではない。磯川警部と食事をしながらビール瓶を2、3本空けたり(『湖泥』『悪魔の手毬唄』)、大きな徳利を数本空けたりする。事件解決後、気の抜けたビールを「このほうが刺激が少ないから」とちびりちびり呷りながら事件説明を行ったり(『黒猫亭事件』)、事件解決後に犯罪者たちのあくどさを垣間見て悄然となり、酔って気分を紛らわすため自宅で一人ウィスキーを呷ったりすることもあった。また、いきつけのクラブにクラブ「スリーX」(『白と黒』)と「クラブK・K・K」があり(『病院坂の首縊りの家』など)、前者は等々力警部とよく行くクラブ、後者は風間俊六の愛人が経営しているクラブである。後者の「クラブK・K・K」を訪れる目的は、クラブの用心棒であり金田一の手駒である多門修[注 7]に偵察を依頼したり、情報を収集したりするのがほとんどのようである。
食事は、特に「松月」から「緑ヶ丘荘」へ移って以降は、一人暮らしから簡便に済ますことが多い。朝食はトースト・ゆで卵(しばしば茹で過ぎる)・牛乳が中心で、他にもサラダや果物、アスパラガスの缶詰などを付け合わせることもあるが貧相なもので、朝の身支度と同時進行で数分で片づけてしまう(『悪魔の百唇譜』『支那扇の女』『壺中美人』『扉の影の女』『スペードの女王』など)。横溝は「これが流儀」と述べている。昼・夕食は銀座の行きつけの料理屋で済ますことが多く、和食や中華料理を好んで食べている。少食で、「蕎麦一杯で満足」ということもあったが(『扉の影の女』など)、考え事があると酒と併せ大食することもあった。概ね、食事シーンは大食漢の等々力警部や磯川警部と対照的に描かれる。
年に1度、久保銀造が経営する岡山県の果樹園に静養に訪れている(『蜃気楼島の情熱』)。これ以外にも岡山県に静養に行くことが多く、磯川警部と一緒に湯治場に宿泊したり(『人面瘡』『鴉』『首』)、磯川警部が紹介する湯治場に1人で宿泊したりしている(『悪魔の手毬唄』)。
長野県に静養に行くことも多い(『廃園の鬼』『霧の山荘』など)。1人でホテルに宿泊することが多いが、『仮面舞踏会』のときには郷土の先輩の弁護士・南条誠一郎の別荘のバンガローをいつでも自由に使ってよいことになっており、そこに宿泊していた。滞在中に等々力警部が休暇を取って合流してくることもある(『霧の山荘』『仮面舞踏会』[注 8])。
そのほか、『女怪』では「先生」と一緒に伊豆の湯治場に静養に行っている。東京近郊の鏡ガ浦海岸(『傘の中の女』、『鏡が浦の殺人』)、H海岸(『赤の中の女』)、白浜海岸(『猟奇の始末書』)など海水浴場に静養に行くこともある。
両親とは探偵稼業を始める前に死別しているらしいことが、『仮面舞踏会』中の金田一の台詞から窺える。生涯独身であったとされ、『犬神家の一族』で野々宮珠世の美しさに目を引かれる場面では「およそ女色に心を動かしたことのない金田一耕助」とも表現されている。しかし、決して朴念仁というわけではなく、『獄門島』の鬼頭早苗と『女怪』の持田虹子に対して想いを寄せているが、いずれも実ることはなかった。
『夜歩く』のお静や『仮面城』の戦災孤児・三太など、関係者を事件解決後に引き受けあるいは引き取っている場合があるが、その後どうなったかが描写されることはなく、「家族」と呼べる存在になったかどうかは明確でない。
久保銀造、同窓の友人・風間俊六、神門貫太郎という3人のパトロンがおり、彼らの援助に支えられている[注 9]。風間俊六の愛人である「松月」の女将・おせつは、年下ながら姉のように金田一の世話を焼いてくれている。また、後半居を構えた緑ヶ丘荘の管理人である山崎夫婦も、しばしば金欠になる金田一のために便宜を図っている(『扉の影の女』)。
警察から高い信頼を受けており、ことに「警視庁の古狸」と異名をとる等々力警部は公私共に付き合いのある大親友である。同じく「岡山県警の古狸」と異名をとる磯川警部とも、事件があれば助力を受け合う旧知の仲である。ほか、等々力警部の部下である新井刑事や、アパートの所轄・緑ヶ丘署の島田警部補、筆者の住居の所轄・成城署の山川警部補なども金田一の手腕に一目置いており、複数の作品にたびたび登場している。
元・愚連隊上がりの多門修[注 7]という冒険好きの若者を冤罪から救ったことがあり(『支那扇の女』など)、この多門は金田一を慕って、たびたび捜査の助手を務めている(『雌蛭』には多門六平太という多門修とほぼ同じ経歴の人物が登場しており、同一人物と思われる)。同郷の後輩で「新日報社」社会部の宇津木慎介記者(『女王蜂』)や「毎朝新聞」文化部の宇津木慎策記者(『白と黒』『夜の黒豹』など)[注 10]は、金田一が必要とする調査を請け負う見返りに特ダネにつながる情報を金田一から提供されるという協力関係にある。
作者自身をモデルとする作中人物(「Y先生」などと呼ばれている)とは「耕ちゃん」「先生」と呼び合う仲である。Y先生によると、「私はかれよりさきに生まれているので、そういう意味でかれは私を先生と呼ぶのであって、微塵も私を尊敬していない」のだそうである。またY先生は金田一を「いらまかし男」と呼んでいて、来ると必ず何かしらの不安の影を落としていくので、「私はこの男が大嫌いなのだ」と語っている[5]。
金田一耕助の関わった事件を記録、小説化しているのは、横溝正史自身をモデルとした「Y先生」「S・Y」「成城の先生」などと呼ばれる探偵小説家である。作中にこの作家の実名は一度も登場していない[注 11]。
記録に至る経緯については、第1作の『本陣殺人事件』では、事件の話を聞いて作者が情報を集めて作品化したことが述べられている。『黒猫亭事件』では、その連載を読んだ金田一が作者の元を訪れて小説化を認めるくだりがあり(黒猫亭事件#作者と金田一耕助を参照)、第2作『獄門島』以降は金田一が作者に話すか資料提供したことで作品化されたものとされている。Y自身も作品中にしばしば登場し、事件現場に絡むことすらあった(『女怪』『病院坂の首縊りの家』『白と黒』など)。
また金田一耕助は事件の渦中にいた人物に事件の小説化を勧めることがある。『八つ墓村』は金田一の勧めで記録を書き始めたという形式であり、『三つ首塔』『夜歩く』では未完の記録を完成させるよう金田一が促している。一方、『七つの仮面』は金田一に真相を看破された作中人物が自殺する前に残した手記という体裁になっており、『車井戸はなぜ軋る』は主要部分が作中人物から別の作中人物への手紙で構成され、その手紙の宛先人物が金田一に真相を看破されたことを知って、自殺する前に追記を添えて金田一に送付したことになっている。他に『蝙蝠と蛞蝓』『殺人鬼』などが作中人物の一人称で語られている。
作者・横溝正史のエッセイ『金田一耕助誕生記』によれば、金田一耕助はA・A・ミルンの探偵小説『赤い館の秘密』に登場する素人探偵アントニー・ギリンガムの日本人化である。これは金田一初登場作品『本陣殺人事件』でも説明されている。
金田一の風体は、劇作家の菊田一夫がモデル。『金田一耕助の帰還』でも「一見小柄で貧相だが、うちに大いなる才能を秘めた人物」としてモデルにした旨が記されている。これは、横溝がラジオからの菊田のファンであったためである。横溝はエノケンの楽屋を訪ねた際、一度だけ若き日の菊田に会っていたが、この時、菊田は洋服姿で、頭ももじゃもじゃではなかった。ちょうどその頃、新聞で小島政二郎が『花咲く樹』を連載しており、岩田専太郎の挿絵によるレビュー劇場の座付き作家の姿が「着物に袴」で描かれており、横溝はこのイラストが菊田のイメージとダブっていったと述べている。
さらに『本陣殺人事件』を連載することになった『宝石』誌の創刊者にして編集長の作家・城昌幸が和服の着流しに角帯姿であったため、彼をからかうつもりで、貧相な名探偵を和服姿にした。それだけでは探偵になりにくいため、横溝自身が博文館の編集者時代に和服に袴だった経験を踏まえて、袴をはかせることにした。こうして、菊田一夫、城昌幸、作者自身のイメージの複合体として、金田一耕助の姿が出来あがった。作者の回想によれば、三者の中で、最も飄々としていたのが城昌幸であったということである[6]。
江戸川乱歩の創出した探偵・明智小五郎も初期は髪がボサボサで飄々とした風体であったのだが、段々とダンディに変貌していったため「明智が変わってしまったから金田一をやる気になった」との作者の弁がある。また、金田一がもじゃもじゃ頭を掻き回すのは横溝自身の癖を誇張したものだが、菊田一夫も頭髪を引っ掻き回す癖があったという。横溝は「これは偶然の一致だろう」と述べている。
名前も当初は菊田にちなんで「菊田一○○」と付けようとしていたという。だがこれは菊田に失礼であろうし、いくらなんでも実在すまいということで取り止めた。そこで横溝は、疎開前に住んでいた東京・吉祥寺で隣組にいた、言語学者の金田一京助の弟・金田一安三(やすぞう)の表札を見たことから、前述の“菊田一”に近い苗字である“金田一”を取り、名前は“京助”を捩って“耕助”と付けた。ところが、横溝は無断借用した形の金田一耕助という名称についても、「紛らわしい名前を使って金田一京助先生がご迷惑しているのではないか」と心苦しい思いをしていた。また、金田一京助とは野村胡堂の通夜で同席したものの謝りそこねたうえ、1971年に京助が死去したため、横溝にとって二重のシコリとなっていたという。その後、人づてに京助の子・金田一春彦から「金田一耕助さんのおかげで世間の皆さんからキンダイチと正確に発音してもらえるようになった、難しい苗字なのでいろいろ読み違えられて困っていた、こちらこそ感謝していると伝えて欲しい」との言葉を貰い、「ほっと安堵の胸をなでおろした」と述懐している[7]。
金田一耕助最後の事件となる『病院坂の首縊りの家』には、60歳になる金田一が登場するが、老人と言ってもいい年齢にもかかわらず、30代のように若々しく、白髪もないと描写されている。その風貌に関して、横溝は、三年前に会った城昌幸の印象をそのまま借用に及んだというが、唯一、違っていたのは、当時、城は見事な白髪であったということである。
横溝作品では年月日を計算する際、年齢以外でも「数え」を使うケースが混在する[注 12]。本項では原則「ある時点からこれこれだけ前・後」だけしか年代同定できない場合は満で計算しているが、前述の理由で「何年前・後」という記述は1年ずれている可能性があるため、注意が必要である。
1932年(昭和7年)以後3年間 数え20 - 23歳
1935年(昭和10年) 数え23歳
1936年(昭和11年) 数え24歳
1937年(昭和12年) 数え25歳
1940年(昭和15年) 数え28歳
1942年(昭和17年) 数え30歳
1943年(昭和18年) 数え31歳
1945年(昭和20年) 数え33歳
1946年(昭和21年) 数え34歳
1947年(昭和22年) 数え35歳
1948年(昭和23年) 数え36歳
1949年(昭和24年) 数え37歳
1950年(昭和25年) 数え38歳
1951年(昭和26年) 数え39歳
1952年(昭和27年) 数え40歳
1953年(昭和28年) 数え41歳
1954年(昭和29年) 数え42歳
1955年(昭和30年) 数え43歳
1956年(昭和31年) 数え44歳
1957年(昭和32年) 数え45歳
1958年(昭和33年) 数え46歳
1959年(昭和34年) 数え47歳
1960年(昭和35年) 数え48歳
1961年(昭和36年) 数え49歳
1967年(昭和42年) 数え55歳
1973年(昭和48年) 数え61歳
1975年(昭和50年) 数え63歳
年不詳だがある程度絞り込めるもの
1971年から1984年にかけて角川文庫は横溝正史作品の網羅を目標とする刊行を行っており、このとき収録された金田一耕助登場作品はジュヴナイル作品を除いて77作であった。以下に「長編」「短編」として列挙したのはこの77作である。金田一が登場しない原型作品については、年代や状況の設定およびストーリー展開を大きく変えていないもののみ記載している。なお、「長編」と「短編」の区分は論者によって差異がある。たとえば『死仮面』は長編に含めない場合があり、『毒の矢』『悪魔の降誕祭』は長編に含める場合がある。
また、以下の作品は初出時には由利麟太郎や三津木俊助が登場する作品であったものを、「少年少女名探偵金田一耕助シリーズ」(朝日ソノラマ、全10巻)[注 53]へ収録する際に山村正夫が金田一ものに改稿し、これがソノラマ文庫および角川文庫にも引き継がれた[16][17]。
角川文庫に収録された金田一耕助が登場するジュヴナイル作品は、山村による改稿も含めて8作であった。その後、『黄金の花びら』が発見されて出版芸術社の『横溝正史探偵小説コレクション3 聖女の首』 ISBN 978-4-88293-260-4 に収録され、併せて9作とされている。
なお、以下の作品に金田一耕助は登場しないが、耕助が登場する『大迷宮』や『黄金の指紋』と明確に話がつながっており、悪役たちが続投しているほか、耕助自身が『怪獣男爵』で起きたことの説明をしている場面がある[注 54]。
1979年(昭和54年)6月30日の『朝日新聞』夕刊に掲載されたエッセイ「金田一耕助との対話」[注 55]において、今後の予定として以下の2つの“金田一耕助功名談”が挙げられていたが、横溝の死去により執筆されなかった。
1984年までに角川文庫に収録された77作は42編に収録されているが[注 56]、その多くは1990年代ごろに電子書籍でしか出版されなくなった。すなわち、42編のうちの21編に、新たに編集した『人面瘡』ISBN 978-4-04-130497-6 を加えた22編を「金田一耕助ファイル」と銘打ったものが紙媒体での出版が継続され、これには35作が含まれていた。なお、「金田一耕助ファイル」としての通し番号は、上下分冊になっている『悪霊島』『病院坂の首縊りの家』を上下で同一番号としているため20までである。「金田一耕助ファイル」設定以降にも1990年代の間に既存42編のうち他の6編が紙媒体で出版された形跡があるが[19]、再度品切れ状態になったものが多い。2000 - 2010年代にも、別の既存版を改版して再刊行している[注 57]。
その後、「金田一耕助ファイル」などで多くが削除された巻末解説と1980年前後の版に描かれて人気が高かった杉本一文の絵を伴った改版再刊行が進んでいる。まず2019年に『不死蝶』が改版再刊行された[20]。さらに、2021年に「没後40年記念」と銘打って『夜の黒豹』[21]をはじめとする計5冊、2022年には「生誕120年記念」と銘打ち『支那扇の女』[22]をはじめとして、月に1 - 2冊のペースで行われている。
金田一耕助登場作品は春陽文庫にも多く収録されている。特に「金田一耕助ファイル」に含まれない作品については、42作のうち38作を収録している。代表的な長編の収録はわずか[注 58]であるが、中短編は網羅に近い状況[注 59]になっている。
なお、1954年 - 1956年および1975年の『金田一耕助探偵小説選』(東京文芸社)や1958年 - 1961年の『金田一耕助推理全集』(東京文芸社)も金田一耕助登場作品を網羅しようとしたと考えられる。しかし、刊行以後の作品はもちろん、刊行以前でも比較的新しい作品、初出媒体が金田一耕助登場作品として例外的な作品(『死仮面』『迷路の花嫁』『白と黒』など)、非金田一ものを改稿した作品の一部などが収録されておらず、77作を網羅しているのは角川文庫のみである。
2023年現在ジュヴナイルと怪獣男爵を含めた金田一耕助シリーズの全編は、角川文庫から展開されている「金田一耕助ファイル」22冊[23]と同文庫からAmazonで展開されている金田一耕助シリーズ28冊[24](内3冊はエッセイ(21,26)と重複(28))および『金田一耕助の冒険』(旧文庫版1と2の内容を含む)[25]、『怪獣男爵』[26]、柏書房の横溝正史少年小説コレクション2(「黄金の花びら」[27](唯一電子版が存在しない))の50冊を以って全て入手することが可能となっている。
角川文庫収録の77作には改稿長編化された元の短編が含まれておらず、その収録を目的として刊行されたのが『金田一耕助の帰還』(出版芸術社1996年 ISBN 978-4-88293-117-1、光文社文庫2002年 ISBN 978-4-334-73262-2)および『金田一耕助の新冒険』(出版芸術社1996年 ISBN 978-4-88293-118-8、光文社文庫2002年 ISBN 978-4-334-73276-9)である。ただし、中絶作品[注 60]や金田一耕助が登場しない原型作品、『不死蝶』『火の十字架』の原型作品[注 61]、『迷路荘の怪人』を最終的に『迷路荘の惨劇』とする前の中間段階の作品[注 62]は収録されていない。
横溝正史は過去に発表した作品を改稿して新たな作品とすることが多くあった。金田一耕助登場作品の改稿長編化については上記の通りであるが、金田一耕助が登場しない作品を改稿したものも多い。ただし、状況設定やストーリー展開などをほぼそのまま踏襲したものから、トリックなどの重要な要素を踏襲するだけでストーリー展開は新たに作り直したものまで、原型作品からの踏襲の程度が様々であるため、どこまでを改稿と考えるか確定し難く、全てを漏れなく列挙することは困難である。なお、下記リストに挙げた収録書籍や改稿後作品の収録書籍には、改稿の経緯などが巻末で解説されているものが多い。
ほかに、文庫化に際して由利麟太郎や三津木俊助を金田一耕助に書き替えたジュヴナイル作品がある。また、映像化作品で原作に登場しない金田一耕助を登場させた事例(古谷一行主演および小野寺昭主演のテレビドラマ)がある。
本の雑誌編集部編『活字探偵団』(角川文庫)によれば、金田一耕助は事件に乗り出してから次の犠牲者が出るのを防ぐ「防御率」の一番低い探偵ということになっている。ただし、ここでの「防御率」の定義は、野球やクリケットなどでの防御率 (Earned Run Average) あるいはサッカーやホッケーなどでの防御率 (Goals Against Average) と同様に「防御率の数値が小さいほど良い=防御できている」というものであるため、「高低」に関する表現が混乱することがあるので注意が必要である。『活字探偵団』では「防御率の数値が大きい」すなわち「防御率が悪い」ことを「防御率が低い」と表現しているが、一般には単純に「数値が小さい」ことを「低い」と表現する場合もあるため、混乱の元になる。
『活字探偵団』での「防御率」の算出方法は、「主要10作品を選定し、探偵が事件に関与してから、解決するまでに起きた殺人件数を作品で割る」というものである。金田一の場合、『八つ墓村』『三つ首塔』『悪魔が来りて笛を吹く』などの大量殺人が含まれているために、防御率が悪くなっている。対象を全77作品で算出した結果は1.5であり、一概に防御率が悪いとは言えない。
また、上述したように「最後まで手の内を見せない」のが金田一の探偵方法であることや、トリックなどの解明後に犯人の自殺を誘導したり見逃したりするケースがあることも、金田一の防御率を悪くしている。
映画『金田一耕助の冒険』には、「もうあと4、5人は死にそう」「どこまで殺人が行われるか見守りたい」など、防御率の悪さに対する一つの解答とも皮肉とも取れるセリフがある。
金田一耕助は何度も映画やテレビドラマの題材として使用され、以下に示すように幅広く多数の俳優が演じている。
初めて金田一を演じた片岡千恵蔵は「片岡千恵蔵の金田一耕助シリーズ」で説明されている事情により原作とは全く異なるスーツ姿で、1950年代の間はこのイメージが他の俳優にも引き継がれ、1961年の高倉健も軽装ではあるが洋装であった。その後、1975年まで14年間映画化が無かった(テレビドラマも1962年から1969年まで7年間無かった)ことにより片岡千恵蔵の扮装を意識しない演出が容易となり[28]、1976年に石坂浩二が初めて原作に忠実な和装スタイルで金田一を演じることになった。
和装スタイルの金田一は1977年からのテレビドラマにおける古谷一行にも引き継がれ、以後おおむね定着している。ただし、マント(原作では二重回し)の着用やトランクを持ち歩くことなど、原作と異なる石坂浩二の扮装が以後に引き継がれていることが多い部分もある。
横溝の小説を原作とし、金田一耕助を主人公とする映画を初めとしたメディア作品には、金田一を助ける女性助手が登場するものがある。これは原作にはないオリジナルなものである[注 64]。以下にこれを演じた女優を挙げる。
金田一の登場する原作の漫画化は、少年誌から始まった。
横溝正史ブームの中、少女誌でも原作の漫画化が行われた。
平成になって、女性作家による漫画化が相次いで行われている。たまいまきこの『女王蜂』『悪霊島』、JETの『本陣殺人事件』『犬神家の一族』『八つ墓村』『獄門島』『悪霊島』『悪魔の手毬唄』『悪魔が来りて笛を吹く』『悪魔の寵児』『睡れる花嫁』(いずれもあすかコミックス刊)などが刊行されている。
秋田書店『サスペリアミステリー』誌が、2002年の創刊より2006年頃まで、毎月のように横溝作品を漫画化していた。この中では長尾文子による漫画化作品がもっとも作品数が多い(『睡れる花嫁』『迷路荘の怪人(『迷路荘の惨劇』原形作品)』『不死蝶』『犬神家の一族』『本陣殺人事件』『獄門島』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』『鴉』)。
『サスペリアミステリー』では、ほかにも秋乃茉莉、池田恵、児嶋都、高橋葉介、永久保貴一などが金田一作品を漫画化している。
ほかに金田一作品を漫画化した漫画家として、いけうち誠一、岩川ひろみ、小山田いく、掛布しげを、直野祥子、前田俊夫などがいる。
多くの作家がパスティーシュの手法を用いて金田一耕助を登場させている。
また、昭和50年代の横溝ブームを引き起こした角川書店より、贋作集が2冊刊行されている。
他に、横溝作品の「本歌取り」とされる作品がある。
1990年代以降、漫画作品には「金田一耕助の子孫」の活躍を謳った作品が発表されている。
舞台作品には、金田一耕助を連想させる老人が登場する作品がある。
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