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日本の俳優・声優 ウィキペディアから
西田 健(にしだ けん、1945年6月24日[2] - )は、日本の俳優、声優。本名は同じ[2]。岡山県出身[注 1]。劇団雲[2]、演劇集団 円[2] を経て、現在はフリーで活動している。
日本統治時代の朝鮮の江原道元山明治町で、「元山毎日新聞社」の社主をはじめ養蚕業、石炭販売、保険代理店などを幅広く経営する家に生まれた。祖父、父共に早稲田大学卒の実業家であった。健の誕生から間もなく、敗戦によって一家は家財総てを失い、祖国日本の岡山県に引き揚げる。
小学校から高校(都立雪谷高校)を卒業し、映画脚本家を目指し早稲田大学文学部[2]演劇専修科に入学した。しかし当時の大学は授業料値上げ闘争に始まった学園紛争に明け暮れており、ほとんどがロックアウト状態で授業は満足に受講できる状態ではなかった。大学時代の同級には逸見政孝や長塚京三がいた。そこで西田は日本テレビのプロデューサー井原高忠の個人秘書という形で働くことになる。
おりしも井原は坂本九をメインにバラエティーショー『九ちゃん!』及び日本で初の深夜番組『11PM』の立ち上げに関わっており、西田は両番組の初代フロアーアシスタントを務めることになった。この頃にてんぷくトリオで若手だった伊東四朗と知り合っている。井原からは人間の立ち居振る舞いなどの多くの事を学んだという。
1年半の日本テレビ生活を終えいったん大学に戻ったが、井原の知友であった文芸プロダクションにんじんくらぶ(当時は解散)を主宰していた若槻繁の紹介状を持って、最初は演出志望で劇団雲の門をたたいた。正式に研究生として入団し、俳優の道を歩む。劇団研究生の同期には田中眞紀子がいた。
1970年に劇団雲の団員に昇格、1975年からは劇団雲の分裂に伴って、岸田今日子や仲谷昇らと行動と共にして演劇集団 円に所属した。橋爪功らとともに名優であり名演出家でもあった芥川比呂志に演技指導を受け薫陶を受けた最後の世代である。
1971年、『帰ってきたウルトラマン』で、MATの岸田文夫隊員役を演じる。主役の郷秀樹を演じた団時朗に匹敵する多くのファンレターが西田の事務所に届き、それは数こそ変化したが現在に至るまで続いている。
1973年には、小川真由美主演の『アイフル大作戦』に探偵学校の生徒・丘大介役で丹波哲郎などの先輩俳優とレギュラー出演し、しゃれたアクションコメディで軽妙な演技を披露した。
この前年に井原より『ゲバゲバ一座のちょんまげ90分』の出演を要請され、新劇役者としてはめずらしいバラエティ出演となった。フルオーケストラで歌を歌ったりグループダンスを踊ったり、各出演者が持ち回りで歴史上の著名人になり、それらがすべてギャグになっているという構成であり、西田の持ち役は「光源氏」 だった。なお、この番組は放映時に一部生放送の部分もあり、大橋巨泉 などとピアノを囲んでフリートークもあった。後年、西田はギャグはお粗末だったが、生バンドで歌って踊ることで度胸がついた、と親しい編集者[誰?]に語っている。この当時のビデオテープは日本テレビにも現存していない[要出典]。
20代から30代にかけては、『特捜最前線』や『Gメン'75』などで演じた個性的な犯人役に代表されるように、悪役を演じることが多くなった。とりわけ『特捜最前線』では原子爆弾を製造する思想犯に始まり、ストーカーや潔癖症のマザコン男など、さまざまな役柄を演じた。近年DVD発売に際して行われた人気エピソードのアンケート結果でも、西田がゲスト出演した回は軒並み、上位にランクインしている。
『Gメン'75』の1か月のヨーロッパ・ロケを終えて帰国した西田は、時代劇を多く自分の仕事の範疇に入れることを決意する。東京制作では萬屋錦之介主宰の中村プロで、錦之助に悪役、癖のある二枚目として重用され常連出演者になり、杉良太郎主演作、国際放映で撮影された古谷一行、加山雄三らの 東宝時代劇、天知茂主演作、そして、三船プロ で撮影された時代劇を渡り歩いた。この頃から、東映京都撮影所 からも声がかかるようになり、京都での仕事が急激に増えてくる。旧知の深作欣二監督から呼ばれた『柳生一族の陰謀』テレビ版に始まり、大川橋蔵に可愛がられ橋蔵直々のキャスティングで数々の『時代劇スペシャル』に出演した。その後は、北大路欣也、松方弘樹、松平健らのさまざまなシリーズにゲスト出演し、所作や時代劇の技を磨いていった。
敬愛していた工藤栄一監督に要請された『必殺仕事人V・旋風編』・『風雲竜虎編』における中村主水の上司、与力の鬼塚(ファンの間では鬼塚様)として知られている。引き続いて、同じく工藤の監修による、山﨑努版『雲霧仁左衛門』での筆頭与力・山田藤兵衛は本人が「一番気に入っている」と知人の編集者[誰?]に言いきっている。視聴者の要望に応えるかたちで発売されたDVD-BOXのリーフレットの中で映画ライター金澤誠によって、「剃刀のような山田を演じた西田はクールな演技が光り、現代の警察機構にも似た雰囲気を醸し出している」と絶賛された。
40代以降は、2時間サスペンスドラマや長時間時代劇へも活動の場を広げ、犯人をはじめとしたさまざまな役柄を演じて今日に至っている。特に、日本テレビで放送された『火曜サスペンス劇場』での西田の活躍はめざましく、数回行われた番組パーティでは、最多出演賞の栄誉に輝いている。中でも、いかりや長介 とコンビで十年以上に渡って撮影された「取調室」シリーズへの愛着を、全作品を監督した鷹森立一監督へのリスペクトを込めて周囲に語っている。
映画の出演作も数多いが、中でもベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した熊井啓監督の『海と毒薬』では、米兵の生体解剖に関わる浅井助手役で、人間の心の闇に潜む、弱さ、卑怯さ不純さ、悪意への傾きを演じ、原作者の遠藤周作や映画評論家の淀川長治から高い評価を受けた。淀川は「…なにげないアメリカ兵と日本人医師{西田健}の会話から、だまし討ちのごとく生体実験にもっていく恐怖、このスリル、このショック、この恐怖にはこれまでのいかなるショック映画もこのシーンの足元にも及ぶまい」[3] と記述している。
2015年12月、刑事ドラマ『相棒』に、業界では異例ともいえる3度目のゲスト出演を果たし、高視聴率を獲得した。
『科捜研の女』にSeason12からSeason23まで、京都府警本部・佐伯志信本部長として出演している。
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