第7回衆議院議員総選挙
1902年に行われた日本の衆議院選挙 ウィキペディアから
第7回衆議院議員総選挙(だい7かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1902年(明治35年)8月10日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。
第7回衆議院議員総選挙 | |||
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内閣 | 第1次桂内閣 | ||
任期満了日 | 1902年(明治35年)8月9日 | ||
公示日 | 1902年(明治35年)4月22日 | ||
投票日 | 1902年(明治35年)8月10日 | ||
選挙制度 | 大選挙区制 | ||
改選数 | 376( 76) | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性日本国民 | ||
有権者数 | 98万2868人 | ||
投票率 | 88.39%(8.48%) | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 |
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党色 | |||
党名 | 立憲政友会 | 憲政本党 | 壬寅会 |
党首 | 伊藤博文 | 大隈重信 | 不明 |
前回選挙 | 新党 | 120 | 新党 |
選挙前議席 | 186 | 93 | 28 |
獲得議席 | 191 | 95 | 28 |
増減 | 5 | 2 |
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党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 |
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党色 | |||
党名 | 帝国党 | 同志倶楽部 | |
党首 | 不明 | 不明 | |
前回選挙 | 新党 | 新党 | |
選挙前議席 | 17 | 13 | |
獲得議席 | 17 | 13 | |
増減 |
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< 1898年8月1903年 > | |||
任期満了に伴う初の総選挙である。
概説
有権者の資格が直接国税15円以上納める25歳以上の男子から直接国税10円以上納める25歳以上の男子に緩和され、有権者数は前回選挙に比べ、2倍近くに増加した。選挙区も従来の小選挙区制から大選挙区制に変更され、また北海道で区部(札幌区・函館区・小樽区)限定ながら初めて選挙区が設定された。これらにより、改選議席数は前回の300から376に増加している。
この選挙から秘密投票が導入された。その一方で、第1回から第6回までは「文字ヲ書スルコト能ハサル」選挙人について吏員による代書が可能であり代理投票制度があったが、この選挙から「自ラ被選挙人ノ氏名ヲ書スルコト能ハサル者」は「投票ヲ為スコトヲ得ス」とされて代理投票制度が廃止された。
投開票は前回と同じ8月10日であるが、以後は8月に投開票期日を設定した日程で選挙が行われることはほとんど無く、2009年8月30日投開票の第45回総選挙が本選挙以来107年ぶり(日本国憲法下では初)となった。
選挙データ
内閣
解散日
- 任期満了
- 1902年(明治35年)8月10日
公示日
投票日
改選数
- 376
選挙制度
- 大選挙区制(一部1人区制)
- 制限投票
- 直接国税10円以上納税の満25歳以上の男性
- 有権者 982,868
- 被選挙権
- 原則として満30歳以上の日本国民男性
選挙結果
投票率
- 88.39%(前回比
8.48%)
党派別獲得議席
- 立憲政友会 191議席
- 総裁=伊藤博文
- 憲政本党 95議席
- 総理=大隈重信
- 帝国党 17議席
- 壬寅会 28議席
- 同志倶楽部 13議席
- 無所属 32議席
この選挙で当選
要約
視点
立憲政友会 憲政本党 帝国党 壬寅会 同志倶楽部 無所属
補欠当選等
立憲政友会
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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