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日本の実業家 ウィキペディアから
12代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1856年12月12日(安政3年11月15日[1][2][3]) - 1925年(大正14年)11月10日[4][5][3])は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。衆議院議員。貴族院多額納税者議員。
渡辺浄意の長男として[2]、岐阜城下松屋町(現岐阜市松屋町)に生まれる[1]。生家は絹織物製造業を営む[1]。大蔵省の銀行学講習所で学ぶ[3]。
1877年(明治10年)第十六国立銀行(後の十六銀行)を創立し頭取に就任[1]。1878年(明治11年)清に渡り帰朝後に廻瀾社を創立し対清貿易に従事した[1]。1879年(明治12年)岐阜町会議員に当選し、同議長、連合町村会議員、水利土工会議員などを歴任した[1]。
1882年(明治15年)商法会議所を設立し議長を務め、1887年(明治20年)に岐阜商工会と改称し会頭となる[1]。1890年(明治23年)商業会議所の設立を主務省に申請し、翌年、岐阜商業会議所会頭に就任した[1]。
この間、1889年(明治22年)岐阜市会議長、所得税調査委員、名古屋税務署管理局所轄所得税審査委員[1]のほか名古屋電力監査役[2]を務めた。
1890年(明治23年)には岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[6]1897年(明治30年)9月28日まで務めた[4]。貴族院議員在任中は土木会委員、貨幣制度調査会委員を歴任した[1]。
その後、北海道炭礦鉄道取締役、濃飛農工銀行[注 1]取締役、岐阜貯蓄銀行[注 2]頭取、十六銀行頭取を務めた。
1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では岐阜市選挙区から出馬し当選[5]。衆議院議員を1期務めた[5]。
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