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田村 惟昌(たむら これまさ、1856年(安政3年3月[1])- 1926年(大正15年)7月30日[1])は、明治から大正時代の政治家。新聞経営者。衆議院議員(4期)。
越中国新川郡、のちの富山県下新川郡経田村(現魚津市)の濱名家に生まれ、のち伯父の田村家の養子となる[2]。富山藩儒・岡田呉陽の門に入り学んだ[3]。1874年(明治7年)新川県第三大区副区長、1875年(明治8年)9月、学区取締を経て、1878年(明治11年)新川郡書記に就任する[3]。1881年(明治14年)3月、有志と共に協同会を組織し同会長となり政治活動に奔走する[3]。ついで富山県会議員に当選し、同常置委員[3]、副議長などを歴任した[1]。ほか、富山日報社社長を務めた[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では富山県第2区から出馬し当選[1]。その後、第7回から第9回総選挙で当選し衆議院議員を通算4期務めた[1]。1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で重禁固4か月、追徴金600円の実刑となる[4]。これにより勲四等を褫奪された[5]。
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