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岡元 直熊(おかもと なおぐま、1865年3月7日(慶応元年2月10日[1])- 1912年(大正元年)9月9日[2][3])は、明治期の弁護士、政治家。衆議院議員。
薩摩国薩摩郡入来郷浦之名村[1](鹿児島県[2]薩摩郡入来郷浦之名、入来村[3]、入来町[4]を経て現薩摩川内市入来町浦之名)で、岡元九左衛門、かね の長男として生まれた[1]。入来郷校で学び、教師不足のため14歳で生徒兼助教を務めた[4]。1881年(明治14年)鹿児島県師範学校に入学し、卒業して入来小学校で教員を務めた[4]。その後、上京して明治法律学校(現明治大学)で学び[4]、1887年(明治20年)に卒業して[2][3]、代言人試験に合格し[4]、1890年(明治23年)鹿児島市で代言人(弁護士)を開業した[4]。
奄美大島で興産商社と島民の間でが砂糖買付を巡る紛争が起こり、島民が岡元に助けを求め、岡元は大島に訴訟事務所を開設し島民の信頼を得て「第二の南洲翁」と称された[4]。
島民の支持を得て[4]、1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(鹿児島県大島、立憲政友会)で当選したが[1][4][5]、1903年(明治36年)3月の第8回総選挙(鹿児島県大島、立憲政友会)では落選し[4][5]、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。
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