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山梨県出身の衆議院議員 ウィキペディアから
長沢 市蔵(ながさわ いちぞう、文久2年7月22日(1862年8月17日) - 大正4年(1915年)4月)は、山梨県出身の衆議院議員(憲政本党)、第一高等学校教授。
甲斐国巨摩郡天神中条村(後の南巨摩郡増穂町、現在の南巨摩郡富士川町)に、農業の傍ら質屋業を営む父「源三郎」の三男として生まれる。少年時代は長沢村の墨池堂大森塾[1]で大森杜庵から学び、明治10年(1877年)4月に静岡県沼津中学校に入学後、明治12年(1879年)に同校を退学し同年2月に東京府第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)に転学し同校を卒業。明治12年(1879年)9月に東京大学予備門に入学後、明治19年(1886年)7月に東京帝国大学文科大学を卒業、大学院を経て、明治20年(1887年)11月には第一高等中学校教諭[2]、明治23年(1890年)9月26日には第一高等学校教授となった。明治27年(1894年)11月25日に刊行された『山梨鑑』(やまなしかがみ)の校閲を「文学士長沢市蔵」として行っている。
その後、明治35年の第7回衆議院議員総選挙、明治36年の第8回衆議院議員総選挙において山梨県の選挙区から立候補し当選、衆議院議員を務めている。明治38年(1905年)12月12日には新潟県立新潟中学校(現在の新潟県立新潟高等学校)の校長を7年間務め、明治45年(1912年)1月10日には鹿児島県立第一鹿児島中学校(現在の鹿児島県立鶴丸高等学校)の第6代校長となったが、在職中に胃癌を患い療養を続け大正4年3月に第一鹿児島中学校校長を辞職し、その月の内に逝去している。
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