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薬袋 義一(みない ぎいち、1855年2月4日(安政元年12月18日[1])- 1903年(明治36年)2月10日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(国民協会→立憲政友会)。
甲斐国巨摩郡竜王村(現在の山梨県甲斐市)の丹沢家に生まれ、八代郡大塚村(現在の西八代郡市川三郷町)の薬袋義道の養子となった[3]。1877年(明治10年)、区長となり、1880年(明治13年)には山梨県会議員に選出された[3]。
山梨県において県令・藤村紫朗の主導する県政に対して自由民権運動が展開される。薬袋は新聞社・峡中新報社を立ち上げ社長に就任し、『峡中新報』において反藤村県政を展開した。さらに峡中立憲党の結成に加わり、常議員となった[3]。
1884年(明治17年)、北都留郡長に任命され、翌年からは南都留郡長も兼任し、1890年(明治23年)に南都留郡長専任となった[4]。
1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。合計で3回当選を果たした。
その他に東京商品取引所理事も務めた[5]。
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