堀田連太郎

日本の政治家 ウィキペディアから

堀田連太郎

堀田 連太郎(ほった れんたろう、安政5年4月29日[1][注 1]1858年6月10日) - 大正4年(1915年12月20日[2][注 2])は、日本の衆議院議員進歩党憲政党憲政本党)。農商務官僚

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堀田連太郎

経歴

信濃国埴科郡松代(現在の長野県長野市)出身[3]開拓使学校を経て、1881年(明治14年)に東京大学理学部採鉱冶金学科を卒業[3]1882年(明治15年)、三菱会社に入り、1896年(明治29年)に退社するまで鉱山長、支配人を務めた[3]1897年(明治30年)、農商務省に入って鉱山技監となり、足尾鉱毒事件に対する予防工事の設計・監督を担当した[3]。その後、製鉄所長官心得、鉱山局長心得を歴任した[1]

1898年(明治31年)、第5回衆議院議員総選挙東京府第10区)で当選。第9回まで4期務めた。

その他、日本鉱業会社理事、同副会長を務めた[2]。咽喉症のため療養中、東京府豊多摩郡渋谷町中渋谷903の自宅で死去した[4]

脚注

参考文献

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