本出保太郎

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本出保太郎

本出 保太郎(ほんで やすたろう、1867年10月22日慶応3年9月25日[1] - 1917年大正6年)7月26日[2])は、日本政治家衆議院議員(5期)。

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本出保太郎

経歴

大阪府出身[2]。農業を営む。西成郡会議員、阪北土地、東洋生命保険各(株)取締役、大阪堂島米穀取引所理事となる[2]

1902年第7回衆議院議員総選挙において大阪府郡部から無所属で立候補して当選した[3]1903年第8回衆議院議員総選挙では次点で落選[4]1904年第9回衆議院議員総選挙では甲辰倶楽部から立候補して復帰[5]1908年第10回衆議院議員総選挙では立憲政友会公認で立候補して三選を果たした[6]1912年第11回衆議院議員総選挙でも再選[7]1915年第12回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して落選した[8]1917年第13回衆議院議員総選挙で復帰した[9]。しかし、復帰から間もない7月に現職のまま死去した。

脚注

参考文献

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