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神奈川県の相模湾沿岸地域 ウィキペディアから
湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸の地域を指す名称[1]。海水浴やサーフィンなどのマリンスポーツの聖地とされる。
一般的には、相模川の河口を中心とする5市3町(平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町)を指す[* 1]。広義には、相模湾沿岸の全域(三浦市から湯河原町まで)を含むことがある[2]。
湘南の地域的範囲について定義は明確でなく地域的な線引きには大きな差がみられる[1]。
神奈川県の行政区域である「湘南地区」に含まれるのは、先述の平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町の5市3町である[1]。一方、湯河原町から三浦市までの相模湾沿岸を「湘南地域」と呼ぶことがある[2]。
1994年に導入された自動車の湘南ナンバーの該当地域に指定されているのは、上記8市町に加えて、小田原市、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町であり、地形的には海に面さない丹沢の山間部まで含まれている[1][3]。
また、横浜地方気象台による2002年から用いられている区分では、平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、寒川町、大磯町、二宮町の 9市町が「湘南」とされた[1]。
2022年8月に株式会社ジーンが実施したアンケートでは、湘南エリアの範囲について「大磯町、平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市、鎌倉市、逗子市、葉山町」が最も多く25.69%だった(データを神奈川県民の回答に絞ると「大磯町、平塚市、茅ヶ崎市、藤沢市、鎌倉市、逗子市、葉山町」で30.83%でだった)[4]。いずれも相模湾に面する市町であり、湘南=海のイメージが非常に強い。
◎印は湘南地域県政総合センター(県の行政区域)、湘南自動車検査登録事務所(ナンバープレート)の所在地を示す。
平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町の5市3町で「湘南都市圏域」を構成する[5]。
2002年に提案された後、2年後に白紙化された「湘南市」構想では、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、寒川町の6市町が対象となっていた[1]。
なお、鎌倉市、藤沢市、平塚市、茅ヶ崎市、およびその周辺地域の合併が、神奈川県推進の「期待されている合併の一つ」に湘南東圏域として[6][* 5][7]紹介されている。
神奈川県の地域区分設定では、湘南地区(平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町)のほか、近隣の地区として西湘地区(小田原市など)、横須賀三浦地区(横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町)、足柄上地区(南足柄市、中井町など)、県央地区(相模原市、厚木市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市など)がある[9]。
先述のように平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町の5市3町で「湘南都市圏域」を構成する[5]。いずれもサッカーJリーグ「湘南ベルマーレ」のホームタウン9市11町の一つである[10]。
相模湾を一望する湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られる。サッカーJリーグ「湘南ベルマーレ」の本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパスが存在する。
「湘南」を冠する神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園 - 高等学校)(いずれも藤沢市に所在)は、湘南地域外からの通学者が多くなっている[11][12]。
昭和の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場も「サザンビーチちがさき」と呼ばれている。
県の行政区域「湘南地域」の西部に位置する。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされており、その碑が城山公園内の大磯町郷土資料館に保存されている。
明治期の「湘南」は「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には湘南馬車鉄道や、大磯町の湘南大磯病院、二宮町の湘南牛乳株式会社、など「湘南」を冠する企業[13]が存在した。
県の行政区域「湘南地域」の北部に位置する。伊勢原市などを山麓とする大山は江戸時代に「湘山」「湘岳」と呼称される。
県の行政区域「湘南地域」の北西部に位置する。隣接する平塚市とは、強い経済的つながりを持ち、平塚市に所在する東海大学湘南キャンパスの最寄駅は、秦野市の小田急線の東海大学前駅である。
周辺の平塚市・大磯町とは主に神奈川県道62号平塚秦野線で結ばれ、二宮町とは湘南馬車鉄道が結ばれていたが、廃線後は、同路線を平行する形で構築された神奈川県道71号秦野二宮線でのアクセスが主たるルートである。平塚市・二宮町とは神奈川中央交通バスでも密接に結ばれている。
神奈川県の地域区分設定では、小田原市、箱根町、真鶴町、湯河原町は湘南地区ではなく西湘地区に区分される[9]。ただし、いずれもサッカーJリーグ「湘南ベルマーレ」のホームタウン9市11町に含まれている[10]。大磯 - 小田原間を結ぶ西湘バイパスがある。
国鉄時代は国府津機関区電車基地に湘南電車が配属されていた。 この電車に用いられた緑色に窓まわりのオレンジを配した塗装とは「湘南色」も呼ばれた。
小田原には「湘南」を冠したものが多く存在[* 12]した。
神奈川県の地域区分設定では、横須賀市、鎌倉市、逗子市、三浦市、葉山町は湘南地区ではなく横須賀三浦地区に区分される[9]。
現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道沿線となる。石原裕次郎は「湘南」育ちの印象が強いが、8歳より逗子市で過ごしている。
湘南鷹取、湘南国際村、湘南信用金庫、横須賀市中心部に所在する湘南学院高等学校など地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。
プロ野球球団横浜ベイスターズ(2010年当時)二軍チームは、2000年から2010年シーズン終了まで湘南シーレックスとして横須賀を本拠地に活動した。
神奈川県の地域区分設定では、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町は足柄上地区に区分される[9]。ただし、いずれの市町村も湘南ナンバーの該当地域に指定されている[1]。また、いずれもサッカーJリーグ「湘南ベルマーレ」のホームタウン9市11町に含まれている[10]。
神奈川県の地域区分設定では、相模原市などは県央地区に区分される[9]。
市内城山町小倉、城山町葉山島の両地区は、かつて湘南村という行政区が存在した。これは1889年に旧小倉村と旧葉山島村の合併で生じ、1955年に旧川尻村、旧三沢村と合併し旧城山町が成立して消滅する。2007年、旧城山町は旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至る。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」[14]である。現在、1906年に創立された城山町小倉の小学校名[15]にその名を留める。
「湘南」の由来については諸説ある[16]。「湘南」の由来に関しては、本来は相模国南部の意である「相南」であり、禅僧によって中国の湖南省の洞庭湖に注ぐ湘江南方の景勝地「湘南」にこの字を当てたとする説が一般的である[1][3](単に相模国の南の地域を意味する「相南」の「相」に「さんずい」を加えたものとする説と二つの説に分けられることもある)[17]。
「湘南」の名を記した最古のものは小田原の薬商人・崇雪が大磯に構えた鴫立庵の石碑「著盛湘南消絶 地」 (1664年頃)であるとされる[1]。また、土地名称として最初に「湘南」が現れるのは、相模川北部地域の合併により1889年に誕生した津久井郡湘南村とされる (1955年に城山町となった)[1]。
明治10年代、日本では内務省衛生局の長与専斎や後藤新平らによって、潮湯治や垢離場として愛知県の大野海水浴場や三重県の二見海水浴場などが開設された[16]。一方、神奈川県では横浜居留地の外国人によって医療ではなく保養の目的で海水浴が行われていた[16]。
横浜の居留外国人はまず富岡(現在の横浜市金沢区)を保養地として利用するようになり、やがて井上馨、伊藤博文、三条実美、松方正義、大鳥圭介などが富岡に別荘を置いた[16]。この富岡の海水浴の賑わいは近隣の海浜地域に波及し、1884年(明治17年)以降、由比ガ浜海水浴場、大磯海水浴場、藤沢・鵠沼海水浴場など、神奈川県の各地に海水浴場が開設された[16]。
このような動きの中で、横浜の居留外国人たちは気候が温暖で風光明媚な湘南を好んで訪れ、海水浴と別荘建設の最適地として注目するようになった[1]。特に「近代日本医学の父」と呼ばれるドイツ人医師のエルヴィン・ベルツ (Erwinvon Baiz) が「海湯治」を推奨したことも湘南海岸の発展に貢献した[1]。また、大磯に海水浴場を開いた松本順など日本人医師も海水浴を積極的に取り入れたことで湘南海岸での海水浴は盛んになった[1]。
さらに1887年(明治20年)の東海道線の開通で交通の利便性が高まった[2]。従来海水浴で賑わっていた富岡では人力車による山越えや天候に左右される船便を利用しなければならなかったのに対し、大磯や藤沢は鉄道の利用によって相対的に近距離になったため新たな海水浴地として賑わうようになった[16]。
エルヴィン・ベルツなど海水浴を奨励した医師は進んで湘南に別荘を持ち、名士たちに別荘の保有を勧めた[1]。これにより政治家、軍人、実業家、文豪などが湘南に別荘や保養施設を建てるようになり、上級階級の交流が行われた[2]。湘南での別荘の保有はステイタス・ シンボルとなり、大磯、鎌倉、葉山、逗子、茅ヶ崎に屋敷を構える医師、薩長土肥出身者、岩倉使節団関係者などは「別荘族」と呼ばれた[1]。ただし、明治20年代前半には未だ「湘南」の地域名称が広く社会的に浸透しているわけではなかった[16]。
横須賀線は1888年(明治21年)の開業時には1日4往復だったが、1889年(明治22年)7月の東海道線全通に伴うダイヤ改正で1日6往復となった[16]。また、鉄道作業局は 1899年夏に避暑旅行用の往復割引切符(藤沢・鎌倉・平塚・大磯・国府津行往復割引切符)を発売し、その後も海浜回遊乗車券の発売(1903年)や臨時列車の増発(1905年)などを行った[1][16]。
湘南に憧れのイメージを付与するきっかけになった一つに、徳富蘆花の『自然と人生』に収められた「湘南雑筆」が挙げられる[16]。1897年、東京の赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花は、逗子の自然を『國民新聞』に『湘南歳余』として紹介した。また、翌1898年の元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して、随筆集『自然と人生』(1900年)を出版[* 13]した。
さらに1910年代以降の行楽ブームの下で発行された旅行案内記は大衆と湘南の距離を縮めたとされる[1]。加えて1920年代以降には海水浴場が製作したポスター類が東京近郊の国鉄駅や百貨店で掲示されるようになった[1]。
1930年代には森永製菓、明治製菓など大手企業がキャンプストアを湘南海岸に開設し、これらは1950年代以降の湘南や江ノ島をめぐる観光や行楽でのイメージ戦略や消費喚起の前提になったとされる[1]。
太平洋戦争前の1930年(昭和5年)、神奈川県は観光開発振興と大衆文化などをめざして、江の島対岸から大磯まで海岸沿い16.7キロメートルの道路設計に着手。1936年(昭和11年)に完成し、「湘南遊歩道路」などと呼ばれた(「神奈川県道片瀬大磯線」参照)。この名称が湘南という広域地名を普及させるのに大きく寄与した。戦後は三浦半島東部(東京湾側)の横須賀市や三浦市から延びる国道134号の逗子ー鎌倉、鎌倉ー江ノ島間がそれぞれ、湘南道路の2区間として、有料道路となっていた。その後無料化された。国道134号は「湘南のメインストリート」と看做されるようになった[18]。
湘南はまず鉄道の敷設により海水浴の先駆的地域となった[16]。その後、出版文化という媒体によって広く世に認識されるようになり、鉄道会社が高級イメージを最大限に利用した営業戦略を採ったことなどから湘南地域の大衆化が促された[16]。
湘南は進駐軍の保養地となり、そのアメリカ文化にあこがれた湘南第一世代、さらに石原裕次郎らが活躍し太陽族が出現した第二世代、サーフィン文化の時代に当たるサザンオールスターズらの第三世代に分けられる[19]。
湘南海岸には江戸時代中期から砲術調練場があり、明治時代には払い下げが進んで横須賀海軍砲術学校辻堂演習場となっていたが、第二次大戦後に連合国に接収されて茅ヶ崎演習場(日本側の呼称は辻堂演習場)となっていた(1959年に日本に返還)[20]。
第二次大戦後、1950年代には小田急、江ノ電、東急など電鉄会社主導で、レストハウス、ビーチハウス、オートパーク、マリンランドなどが盛んに建設された[1]。
サーフィンの聖地というイメージが形成されたのは太平洋戦争後の1961年(昭和36年)7月、鵠沼海岸でサーフィンを楽しんでいた厚木基地所属の在日米軍パイロットが地元の青年らに教えたことで全国的な普及のきっかけとなり、「日本のサーフィン発祥の地」と呼ばれるようになったことが大きい。1978年にはサザンオールスターズが、江の島や茅ヶ崎といった湘南の地名を謳い込んだ『勝手にシンドバッド』でデビューし、現在に続く湘南のイメージを広げた[18]。
かながわシープロジェクトFeel SHONANが発足し、相模湾沿岸13市町が湘南と定められた。
湘南ハイツ
横浜市栄区公田町にある大規模開発住宅地域。
栄湘南桂台地区
昭和40年代から50年代にかけて開発 された大規模な戸建て住宅地で、湘南桂台自治会区 域とそれに隣接するネオポリス自治会区域からなり、 区画数は約1,700区画である。
横浜市栄区犬山町、桂台北、桂台中、桂台 西一丁目、桂台西二丁目、桂台東、桂台南 一丁目、桂台南二丁目他。[27]
海沿いに延びる国道134号は様々な映画、ドラマ、楽曲で取り上げられ、葉山御用邸、鎌倉高校前駅、江の島、烏帽子岩など「湘南」をイメージとさせる地点も多く、有数のドライブコースとして知られる。
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