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日本の旧宮家 ウィキペディアから
北白川宮(きたしらかわのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。ここでは、前身の聖護院宮(しょうごいんのみや)についても触れる。
聖護院宮の創設は、1868年(慶応4年・明治元年)、伏見宮邦家親王の第2王子である嘉言親王が還俗し、名乗ったのに端を発する。由来は、親王が出家した聖護院。親王が薨去したのちは、弟の智成親王が宮号を継承したのち、北白川宮に改称。薨去後は兄の能久親王の直系に継承される。1947年(昭和22年)10月14日、5代・道久王の代で皇籍離脱。道久王に男子がいなかったことから、2018年(平成30年)10月20日、その逝去をもって断絶。
北白川宮邸は1884年(明治17年)に、紀尾井町にジョサイア・コンドルの設計で本格的な洋館として建てられた[1]。洋館は287坪のフレンチゴシックのレンガ造り2階建てで、和館に関しては記録がない[1]。この紀尾井町の邸の跡地は、1924年(大正13年)に朝鮮王朝の李王家(王公族)に与えられ、1930年(昭和5年)に宮内省内匠寮の設計でイギリス16世紀のチューダーゴシック様式の邸宅が新たに建てられた。戦後は西武グループ創始者の堤康次郎が購入し、赤坂プリンスホテル(現:ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町)となった[2]。同ホテル営業終了後、旧李王家邸の建物は南東側に44メートル曳家されて、位置を変えたうえで、結婚式場「赤坂プリンス クラシックハウス」として利用されている。1912年(明治45年/大正元年)には北白川宮成久王の成婚祝いとして、港区高輪に宮内省内匠寮木子幸三郎設計で新しい邸宅が建設された[1]。700坪の御所風の和館と200坪のレンガ造り2階建て洋館から成り、戦前までの皇族和風邸宅の中では最大規模であり、最良の質を誇った[1]。同邸宅も戦後、堤が購入し、高輪ゴルフセンターとなった後、1982年(昭和57年)に新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)が建てられた。洋館は新高輪プリンスホテル開業後も高輪プリンス会館として残っていたが、国際館パミールの建設にあたって取り壊された。
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