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キリスト教の日本における聖公会 ウィキペディアから
日本聖公会(にっぽんせいこうかい、Nippon Sei-Ko-Kai, NSKK/The Anglican Episcopal Church in Japan)は、キリスト教の一教派・聖公会(アングリカン・コミュニオン)の構成団体のひとつ。
設立 | 1887年(明治20年)2月11日 |
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設立者 |
チャニング・ウィリアムズ (初代監督(主教)) |
種類 | 包括宗教法人 |
法人番号 | 5011105000730 |
本部 |
日本 〒162-0805 東京都新宿区矢来町65 牛込聖バルナバ教会内 日本聖公会管区事務所 |
公用語 | 日本語 |
重要人物 |
首座主教:武藤謙一 総主事:矢萩新一 |
関連組織 | |
ウェブサイト |
日本聖公会管区事務所 The Nippon Sei Ko Kai Web Page -Anglican Episcopal Church in Japan- |
聖公会は宗教改革の中からイングランドで創生した英国国教会(イングランド国教会、日本聖公会の用語では英国聖公会[1])をルーツとする教派で、広義のプロテスタントに含まれると見なす(あるいは自認する)見解もある[2]が、西方教会におけるカトリック教会とプロテスタントの中間というのが実態であり、「中道(Via Media)」の教会であると自認している[3]。
聖公会はカンタベリー大主教を精神的指導者とし、世界165ヵ国以上に広がる42の管区(Province)と5つの特別管区(Extra-Provincial 小規模な自治区)からなり、信徒は数千万人で、各管区はいくつかの教区を持って教義を共有しているが、それぞれが自治権を有している[4]。
1600年(慶長5年)にリーフデ号で日本に初めてきたイギリス人であるウィリアム・アダムス(三浦按針)は、英国国教会の信徒で、徳川家康の外交顧問と通訳を務めて日本で英学を教えるとともに、平戸のオランダ商館の創設に尽力した。その後、イングランド国王ジェームズ1世の許可を得て、1613年(慶長18年)にクローブ号(日本に初めて来航したイギリスの商船)で来日した、同じく英国国教会信徒のジョン・セーリスとリチャード・コックスが、アダムスの支援のもとで家康から朱印状(貿易許可証)を得て平戸にイギリス商館を創設し、アダムスは日蘭、日英外交の懸け橋となった[5][6]。
日本で宣教を開始したのは、米国聖公会の宣教師であるジョン・リギンズとチャニング・ウィリアムズが長崎に来日した1859年(安政6年)で[7]、文化庁編宗教年鑑平成30年版によると、国内に279の教会を持ち、信者数はおよそ48,500人で日本におけるキリスト教徒全体の約5%を占める。受聖餐者はおよそ20,000人。立教大学、平安女学院、桃山学院、聖路加国際病院、滝乃川学園、エリザベス・サンダースホームなど、200あまりの関連施設を持つ[7]。
「聖公会」という漢語名称は「ニケヤ信経」および「使徒信経」に出てくる「聖なる公同の教会」(holy catholic Church)という意味であり、非公式には19世紀中葉から香港・中国で使われ始め[8][9]、正式には1887年から日本聖公会で、その後中華聖公会、朝鮮聖公会(現・大韓聖公会)などでも用いられるようになった名称である[10]。
明治時代、アングリカン・コミュニオンによる伝道は、4つの宣教団体によってなされた。
20世紀前半、日本の海外進出に伴い、日本統治時代の台湾に台湾聖公会(台湾教区)、中国に大連聖公会(中華聖公会の北京教区内、イングランド国教会と共同で)などを設立し、日本統治時代の朝鮮において朝鮮聖公会を併合している。
日本において代表格の聖職位は首座主教(Primate)と呼ばれ、全国の11教区の主教で構成される主教会の議長および日本聖公会総会の議長の役割を担う。首座主教は現役の各教区主教の中から聖公会総会での選挙によって選出され、教区主教の職を兼ねつつ輪番で務める。現在の首座主教はルカ武藤謙一[79]。教区(Diocese)はそれぞれ独立しており、個別の宗教法人格を有し、原則として聖職の人事も教区単位で行われることになっている。よって、首座主教の権限は他の国・地域の聖公会に比しても限定的である。教区の連合体としての日本聖公会は日本管区(Province)と呼ばれ、全国規模で行うことが望ましい事務を取り扱っている。なお、日本管区事務所は東京教区の牛込聖公会聖バルナバ教会(2020年12月31日をもって教会運営を終了)と同一の建物内に置かれている。
全世界の聖公会における名誉的代表格の聖職位は、イングランド国教会のカンタベリー大主教と、次席でヨーク大主教であるが、これは全世界の聖公会の連合体であるアングリカン・コミュニオンの幹事(host manager)という位置付けであり、ローマ・カトリック教会におけるローマ教皇のような全教会の絶対的指導者ではない。各管区における代表の主教(首座主教、総裁主教等)が、他の教区主教や信徒議員との会合に基づいて各管区の聖公会を取りまとめる。10年ごとに全世界の聖公会の代表がロンドンまたはカンタベリーに集まる場がランベス会議として設けられており、さまざまな意見が交換されるが、各管区への強制力はなく、最近の会議は2008年に行なわれている。
聖職者の構成は、主教・司祭・執事(Bishop, Priest, Deacon)の三職位制をとっている。主教は、各教区の長として教区全体の司牧に当たる。主教の監督下に司祭が置かれ、主に地域の個教会の牧師(Rector)の任務に従事する。主教・司祭を補助する職務を行う執事がおり、牧師補(Curate)の任務や信徒集会である受聖餐者会の補助・助言、また「み言葉の礼拝」の司式などを行う。
聖公会における「牧師」(Rector)とは、プロテスタント教会の牧師(Pastor)とは大きく意味が異なり、各個教会を司牧する責任者たる司祭または主教を指す役職名である。カトリック教会における主任司祭がこれに相当し、司祭または主教がこの任に就く。呼称としては「司祭」または「先生」と呼ばれることが多い。「神父」という敬称も稀に使われるが、日本では修道司祭を神父と呼ぶことが多い[80][81][注 8]。また、学校や病院などの中の礼拝堂[注 9]を管理する聖職者は「チャプレン」と呼ばれる。
聖餐式の執行など教会での信徒司牧は、司祭以上の職位である必要がある。多くの場合、聖職者は教会付属の牧師館(Rectory)に居住するが、聖職者不足などの事情で、別の教会の牧師を務める司祭が非常駐の管理牧師(Rector in Charge)として着任することもある。また、定年後の退職主教、退職司祭が嘱託として配属されることもある。管理牧師に代わる常駐の教役者(Church Worker)として、執事・伝道師(Catechist)・聖職候補生(Candidate for Orders; 神学生ないしは神学教育を終了後まだ聖職按手叙任を受けていない者)が配属される場合もある。なお、聖職者・教役者には含まれないが礼拝等に奉仕する信徒の役職として、信徒奉事者やアコライトなどがある。
従来、日本聖公会では聖職志願の要件として「満24才以上の男であること」と『日本聖公会法憲法規』に定めていたが、1998年の日本聖公会総会おいて法規が改定され、現在では主教・司祭・執事のいずれにも女性が按手されるようになっている。ただし、教区の雰囲気として導入は時期尚早であるとの判断、あるいは教区主教の牧会方針により、女性聖職者の任職・叙任の実績がまだない教区もある。
政治的問題に対して、日本聖公会の管区事務所は声明・要請などを発表しており、反原発、護憲の立場などを表明している[82]。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
しかし、これらの社会的活動に関して、各個教会での定例公祷(所属信徒が一堂に会する主日礼拝等)において[注 10]説教などの中で言及するとか、信徒に署名や政治的集会への参加を要求するというようなことはまずなく、あくまで管区・教区事務所としての活動であって、宗教的活動とは一線を画している[注 11]。各個教会の中でも、聖職・信徒の各個人においては様々な思想・信条を持つ者が共存しており[注 12]、日本基督教団などの中の「社会派」と呼ばれるグループとは趣を異にする。
「Via Media」の精神の1つとして「多様性の中の一致(Unity in Diversity)」という精神もあることから、多くの聖公会はエキュメニズム運動に対して積極的である。アングリカン・コミュニオンとして世界教会協議会(WCC)に加盟している他、日本聖公会は日本キリスト教協議会(NCC)に加盟している。
典礼様式における共通点が多いことなどから、ローマ・カトリック教会およびルーテル教会との関係が深く、しばしば日本聖公会の主教按手式に来賓として代表者が呼ばれる他、2014年には日本聖公会、日本福音ルーテル教会、カトリック教会の三者での合同礼拝も行われた[84]。
近年では、ウクライナ正教会やコプト正教会の礼拝(奉神礼、聖体礼儀)に、自らの聖堂を貸し出すことが行われている[85][86]。
「シカゴ-ランベス四綱領」に準拠した四箇条の「日本聖公会綱憲」が定められている。
日本聖公会では、「旧約聖書」および「新約聖書」を聖典とする。「旧約聖書続編」については、礼拝で朗読されたりなど聖書の一部として普通に使用されるが、「この部分を元に教義を建てない」という原則も持っており、聖典とは区別されている。聖餐式中に旧約聖書・使徒書・福音書の朗読と詩編の交唱が行われるほか、朝夕の礼拝においても日課として聖書朗読が行われる。朗読箇所は聖書日課(Lectionary)として指定されており、聖餐式では1990年代以降、3年サイクル(A年、B年、C年)からなる「改訂共通聖書日課」(Revised Common Lectionary、略称:RCL)」に則って行なっていて、朝夕の礼拝では2年サイクル(第1年、第2年)となっている。聖書日課表は祈祷書に収録されているほか、毎年の教会暦に従って「教会暦・日課表」が年ごとに当てはめて作成される。なお、聖餐式等で朗読される詩編以外(祈祷書にある詩編は唱和しやすいように日本聖公会独自訳)の聖書箇所を抜き出した『特祷・聖餐式聖書日課』が書籍としてA年、B年、C年用と3種類作られ、用いられている[89]。礼拝において用いることができる聖書は、新共同訳聖書の他、いわゆる文語訳聖書(大正改訳)・口語訳聖書(日本聖書協会、1955年)・日本聖公会教務院発行の1968年改訂版アポクリファ(旧約聖書続編)の4種類と定められていた[90](上記の「聖餐式聖書日課」は、新共同訳聖書によっている)。また、2020年第65総会決議第9号によって、聖書協会共同訳聖書も公式に認定された[91]ため、使用できる聖書は5種になった。
信仰告白は普通、聖餐式では「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」(ニケヤ信経)、その他の礼拝では「使徒信条」(使徒信経)を用いている。「アタナシオス信条」(アタナシオ信経)は、現在ではあくまで「歴史的文書」という扱いであり[92]、祈祷書の末尾に「付録」として掲載されているが、教会で用いられることはまずない。
2000年より、日本聖公会は日本のローマ・カトリック教会と共同で、イエス・キリストが自ら定めたキリスト教で最も重要な祈りである「主の祈り」の日本語共通口語版を採択し(よく知られており、現在でも多くのプロテスタント教会で用いられているものは日本語文語版)、両教会の祭儀・礼拝・祈祷において公式に用いている。ただし、終わりにはローマ・カトリック教会とは若干異なる「国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン」という副文(栄光の唱え)が付されている[93]。
アングリカン・コミュニオンに属する各教会では祈祷書が使用されている。日本聖公会においても全国統一の『日本聖公会祈祷書』が用いられている。現在使用されているのは、1990年に採択されたものである。
聖公会の礼拝では聖歌を用いることが多く、多くの教会に伴奏用のオルガンが備え付けられている。礼拝開始前や信徒の陪餐時、司式者と奉仕者の退堂後に祭壇や聖卓の蝋燭を消す間などには、オルガン奏楽が行われることがある[注 13]。聖餐式では、司式者と奉仕者の入堂時(入堂聖歌)、福音書朗読前(昇階唱)、献金回収およびパンとぶどう酒を聖卓上に移動する時(奉献唱)、陪餐時、司式者と奉仕者の退堂時(退堂聖歌)の5回、あるいは入堂・奉献・退堂の3回歌われることが多い。また、説教の後に聖歌隊によるアンセムが歌われる場合もある[注 14]。そのほか、唱詠・チャントと呼ばれる旋律つきの式文もあり、「キリエ」や「大栄光の歌」(グロリア)などいわゆるミサ通常文や「主の祈り」のほか、聖書日課や全部または大部分の祈祷文を唱詠することもある。唱詠には、アングリカン・チャントと呼ばれる聖公会独特の様式がある[95][96][97]。
これまで『古今聖歌集』(1959年)が長年用いられてきたが、2006年に『日本聖公会聖歌集』が発行され、これが現行の聖歌集である。この改訂の過程において、『古今聖歌集増補版95』(1995年)と『改訂古今聖歌集試用版』(2001年)が発行されたが、『日本聖公会聖歌集』の発行をもってその役目を終えている。特別な事情のある場合や牧会的な配慮(例えば葬儀の際に故人の愛唱歌を過去の聖歌集から用いるなど)等を除き、原則として現行聖歌集を使用するものとされている。
主要な祭儀・礼拝は、主日(日曜日)の聖餐式、週日(日曜以外)や教会暦上の祝日の聖餐式、朝・夕の礼拝などである。ことに聖餐式が重要視され、原則的には毎主日(教会・礼拝堂によっては毎朝)聖餐式を行うが、近年では聖職者不足のため、主日礼拝でも聖餐式に代えて信徒や執事が司式する「み言葉の礼拝」を行うケースも増えつつある[98]。
聖餐式はイエス・キリストの死と復活を記念する礼拝であり、原則的にパン(カトリックで用いられるホスチアと同様の薄い種無しパン)とぶどう酒[注 15]の二種(両形色)による陪餐を行う[注 16]。陪餐は、洗礼(および幼児洗礼者は初陪餐式)を受けたキリスト教徒のみが与れる。他教派の信徒でも、自分の所属教会で陪餐資格があれば、聖公会の聖餐に与ることができる。また、初陪餐前の幼児や、洗礼を受けていない洗礼志願者、来客でも、陪餐者とともに前に進み出れば、司式者による按手祝福を受けることができる。その場合、胸の前で両手を✕形に交差させて軽く頭を下げると、陪餐せず祝福を受けたい旨の印になる。なお、従来は洗礼に加えて堅信を受けることが陪餐に必要な資格であったが、2017年以降、堅信前の陪餐が可能となった[100]。(「聖餐論#聖公会の聖餐理解」も参照)
また、1年を降臨節、降誕節、顕現節、大斎節、復活節などの期節に区切り、聖歌や式文、祭色などに変化を持たせている。灰の水曜日はイエスの受難を黙想し復活祭に至る約四十日間の大斎節に入る初日であり、灰の塗布の儀式を行う。
カトリック教会と同様に七つのサクラメント(聖公会の用語では聖奠《せいてん》)を行うが、厳密には洗礼と聖餐のみを聖奠とし、それ以外の堅信・聖職按手・聖婚・個人懺悔・病人の按手および塗油の5つの式はイエス・キリストの直接の定めによるのではなく、聖霊の導きにより教会が行ってきた式であるとし、聖奠に準ずる儀式として「聖奠的諸式」と呼ぶ[101]。
なお、聖公会では初代教会およびカトリック教会・正教会の定めた聖人、殉教者、福者らを「諸聖徒の交わり」として尊重している。日本聖公会として公式に記念する者は限定しており、また崇敬を義務としておらず、ある礼拝日が祈祷書に載る聖人の祝日・小祝日やその前後であったとしても、献堂名の由来になった聖人などを除いて、礼拝中に名を挙げて記念したり、説教の中で言及するようなことは稀である。
日本聖公会では祈祷書によって教会暦の祝日、時節を定めている。祝日の種類は次の通りである。
日本聖公会では全国に11の教区を設け、それぞれの教区の代表として主教が置かれている。主教に対する敬称は、「師」あるいは「師父」(しふ)を用いる。主教座の置かれる教会は主教座聖堂(Cathedral)と呼ばれ、その教区の中心の役割を担う。
2020年10月の第65総会決議において、宣教協働区・伝道教区制導入が決議された。11教区を東日本宣教協働区(北海道、東北、北関東、東京)、中日本宣教協働区(横浜、中部、京都、大阪)、西日本宣教協働区(神戸、九州、沖縄)に区分けするとともに、各地区ごとに置かれる協働委員会によって既存教区が伝道教区に指定された場合、教区主教は退任、首座主教が委嘱する管理主教(同一宣教協働区内の他教区主教)の下で、原則5年以内に他の教区への合併など再編を図ることとされた。
教区名 | 主教座聖堂 | 教区主教 | 教会数 | 管轄都道府県 ()内は教会数 |
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東日本宣教協働区 | 以下の4教区 | |||
北海道教区 | 札幌キリスト教会 | 主教 マリア・グレース笹森田鶴 | 24 | 北海道(24) |
東北教区 | 仙台基督教会 | 主教 フランシス長谷川清純 | 27 | 青森県(5)、岩手県(3)、宮城県(4)、秋田県(4)、山形県(4)、福島県(7) |
北関東教区 | 前橋聖マッテア教会 | 管理主教 フランシスコ・ザビエル髙橋宏幸 | 24 | 茨城県(4)、群馬県(6)、栃木県(5)、埼玉県(9) |
東京教区 | 芝聖アンデレ教会 | 主教 フランシスコ・ザビエル髙橋宏幸 | 35 | 東京都 城南グループ(8)外濠グループ(3)、下町グループ(8)、山手グループ(4)、環状グループ4)、多摩グループ(4)、諸島グループ(1) |
中日本宣教協働区 | 以下の4教区 | |||
横浜教区 | 横浜聖アンデレ教会 | 主教 イグナシオ入江修 | 31 | 神奈川県(12)、千葉県(12)、静岡県(4)、山梨県(3) |
中部教区 | 名古屋聖マタイ教会 | 主教 アシジのフランシス西原廉太 | 26 | 新潟県(5)、長野県(10)、岐阜県(3)、愛知県(8) |
京都教区 | 聖アグネス教会 | 主教 ステパノ高地敬 | 41 | 京都府(11)、富山県(1)、石川県(1)、福井県(3)、滋賀県(2)、三重県(6)、奈良県(7)、和歌山県(9)、大阪府(1) |
大阪教区 | 川口基督教会 | 主教 アンデレ磯晴久 | 22 | 大阪府(19)、兵庫県(3) |
西日本宣教協働区 | 以下の3教区 | |||
神戸教区 | 神戸聖ミカエル教会 | 主教 オーガスチン小林尚明 | 27 | 兵庫県(7)、岡山県(1)、広島県(3)、鳥取県(3)、島根県(3)、山口県(2)、香川県(1)、徳島県(4)、愛媛県(2)、高知県(1) |
九州教区 | 福岡聖パウロ教会 | 主教 ルカ武藤謙一 | 20 | 福岡県(10)、佐賀県(0)、長崎県(3)、熊本県(2)、宮崎県(2)、鹿児島県(2)、大分県(1) |
沖縄教区 | 三原聖ペテロ聖パウロ教会 | 首座主教 ダビデ上原榮正 | 11 | 沖縄県(11) |
※以下の礼拝堂、伝道所、礼拝所[注 9]等は含めない。
主教座聖堂、個別のウィキペディア記事があるもの、文化財等に指定されているもの、著名な建築家の設計によるものなど、特筆性のある教会・礼拝堂[注 8]のみを記載する。 主教座聖堂、文化財等に指定されているもの、著名な建築家の設計によるものなどを中心に、各教区ごとにおもな教会を記載する。
ローマ・カトリック教会でいうところの「修道士・修道女」にあたる存在は、聖公会では「修士・修女」と呼ばれている。現在、日本に存在する聖公会の修道会(修女会)は上記の1団体(支部団体1)である。修士会は、かつて「聖ヨハネ修士会(略称SSJE、栃木県)」および「聖使修士会(略称SSM、兵庫県)」の日本管区があったが、いずれも解散し現存していない。また、修女会は、1949年に日本人の聖職・信徒により創設された「神愛修女会(和歌山県)」があったが、2013年に解散している。
日本にある聖公会関係の学校、施設、団体等の連合体である「日本聖公会関係学校協議会」が存在する。名称には"学校協議会"となっているが一部教育機関以外も加盟している。これ以外にも、幼稚園を経営する教会も各地に数多く存在する。
聖路加チャプレン性加害事件
2017年、日本聖公会系列の聖路加国際病院でチャプレンをしていた日本基督教団無任所教師の男性牧師から二度にわたり病院内で性被害を受けたとして元患者の女性が被害を訴えた。牧師は強制わいせつ容疑で書類送検されたが不起訴になり、そのため女性は牧師と聖路加国際病院を相手取り提訴した。2022年12月に性加害行為を認定する判決が出され[107]、2023年1月に確定した。
日本基督教団及び日本聖公会は判決を受けてそれぞれ公式の見解を発表している[108][109]。一連の問題の中で被害者の女性は、民事訴訟で性被害が認定されるまでの期間、日本基督教団及び日本聖公会の構成員が、加害者である牧師を擁護し、自分の訴えをないがしろにしてきたとして二次被害について批判し、要望書を提出している。
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