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日本の女優、エッセイスト、俳人 (1935-) ウィキペディアから
吉行 和子(よしゆき かずこ、本名 同じ、1935年〈昭和10年〉8月9日 - )は、東京府(現:東京都)出身の俳優、エッセイスト、俳人。
よしゆき かずこ 吉行 和子 | |||||||||||
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1962年 | |||||||||||
本名 | 吉行 和子 | ||||||||||
生年月日 | 1935年8月9日(89歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・東京府(現:東京都) | ||||||||||
血液型 | B型 | ||||||||||
職業 |
俳優 エッセイスト 俳人 | ||||||||||
ジャンル |
テレビドラマ 映画 | ||||||||||
活動期間 | 1954年 - 現在 | ||||||||||
配偶者 | なし(離婚歴あり) | ||||||||||
著名な家族 |
父:吉行エイスケ(詩人・小説家) 母:吉行あぐり(美容師) 兄:吉行淳之介(小説家) 妹:吉行理恵(詩人・小説家) | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『風と雲と虹と』 『水中花』 『3年B組金八先生シリーズ』 『西部警察 PART-II』 『西部警察 PART-III』 『徳川家康』 『ナースのお仕事』 『あぐり』 『Et Alors-エ・アロール-』 『ごちそうさん』 映画 『にあんちゃん』 『愛の亡霊』 『お日柄もよくご愁傷さま』 『佐賀のがばいばあちゃん』 『東京家族』 『家族はつらいよ』シリーズ | |||||||||||
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父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。私生活では28歳のときに結婚するも、4年ほどで離婚[1]。以降は独身で通している。子供はなし。
2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。
父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山の祖父の元に預けられていた。
1954年、女子学院高等学校を卒業。
卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された[2]。
1955年、初舞台を踏む。同年、津島恵子主演の『由起子』でスクリーンデビュー。
1957年、民藝所属となる。『アンネの日記』のアンネ・フランク役に抜擢され、主役デビューも果たすが、その後は地味な「農民の娘」役ばかりであったという。
1959年、日活と契約。同年、『にあんちゃん』『才女気質』での演技で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。
1978年、性愛を大胆に扱った大島渚の監督映画『愛の亡霊』に主演して(40歳を過ぎての出演には周囲の反対があった[4])世間を驚かせ、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。
2002年には『折り梅』などで毎日映画コンクール田中絹代賞を受賞。
テレビドラマのほか、かつては『おかあさんといっしょ』でのお話のお姉さんとしても活躍していた。
文筆の世界では、1983年にエッセイ集『どこまで演れば気がすむの』を出版し、1984年の第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。2000年には母の日に贈った五行歌が『朝日新聞』で大きく紹介された。
舞台俳優としては2008年の『アプサンス〜ある不在〜』を最後に舞台から引退することを表明したが、好評を博したため、2009年にアンコール公演が決まった(吉行自身はこのことに関して「女優って嘘つきですね」とコメントしている。一応、この作品のアンコール公演をもって引退するというが、その撤回も考えていると『徹子の部屋』でその複雑な胸中を明らかにした)。
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