都城市
宮崎県の市 ウィキペディアから
宮崎県の市 ウィキペディアから
都城市(みやこのじょうし)は、宮崎県の南西端に位置する市。宮崎市に次ぎ、県内第2の人口を擁する主要都市である。
みやこのじょうし 都城市 | |||||
---|---|---|---|---|---|
| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 宮崎県 | ||||
市町村コード | 45202-5 | ||||
法人番号 | 6000020452025 | ||||
面積 |
653.36km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
159,612人 [編集] (推計人口、2024年9月1日) | ||||
人口密度 | 244人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宮崎市、小林市、日南市、串間市、北諸県郡三股町、西諸県郡高原町 鹿児島県:霧島市、曽於市、志布志市 | ||||
市の木 | ケヤキ | ||||
市の花 | アヤメ | ||||
他のシンボル |
市の花木:サクラ 市の歌:希望にみちて -都城市歌-(2015年制定) PRキャラクター兼PR部長:ぼんちくん | ||||
都城市役所 | |||||
市長 | 池田宜永 | ||||
所在地 |
〒885-8555 宮崎県都城市姫城町6街区21号 北緯31度43分10秒 東経131度03分42秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
宮崎市から西南西約50km、鹿児島市から東北東約90kmの宮崎県の南西端に位置する。 市の北部から西部、南部にかけては鹿児島県に接しており、宮崎と鹿児島の中間地点にあたる主要都市である。
広大な都城盆地の中にあり、都城盆地一帯の拠点都市である。市域中央をほぼ南北に大淀川が流れ、西は霧島山地、東は鰐塚山地に囲まれている。
都市計画区域全体で市街化区域と市街化調整区域の線引きを撤廃した唯一の都市でもあり、ゆったりとした町並みである。
内陸部の盆地に位置しており、年平均気温は16.8℃と宮崎市(同17.7℃)より1℃ほど低い値となっている。 年降水量は毎年2,000 - 3,000mm前後で推移しており、平均すると宮崎市と同程度に多雨である。
都城特別地域気象観測所(都城市菖蒲原町、標高154m)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 24.3 (75.7) |
23.5 (74.3) |
27.1 (80.8) |
30.4 (86.7) |
34.0 (93.2) |
34.4 (93.9) |
37.1 (98.8) |
39.4 (102.9) |
35.2 (95.4) |
34.0 (93.2) |
28.0 (82.4) |
24.4 (75.9) |
39.4 (102.9) |
平均最高気温 °C (°F) | 12.1 (53.8) |
13.7 (56.7) |
16.9 (62.4) |
21.6 (70.9) |
25.5 (77.9) |
27.1 (80.8) |
31.4 (88.5) |
32.1 (89.8) |
29.3 (84.7) |
24.8 (76.6) |
19.5 (67.1) |
14.2 (57.6) |
22.4 (72.3) |
日平均気温 °C (°F) | 6.1 (43) |
7.7 (45.9) |
11.0 (51.8) |
15.6 (60.1) |
19.8 (67.6) |
22.7 (72.9) |
26.7 (80.1) |
27.0 (80.6) |
24.2 (75.6) |
19.1 (66.4) |
13.5 (56.3) |
8.1 (46.6) |
16.8 (62.2) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.9 (33.6) |
2.3 (36.1) |
5.7 (42.3) |
10.2 (50.4) |
14.9 (58.8) |
19.3 (66.7) |
23.2 (73.8) |
23.4 (74.1) |
20.4 (68.7) |
14.4 (57.9) |
8.4 (47.1) |
2.8 (37) |
12.2 (54) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.8 (14.4) |
−8.5 (16.7) |
−5.9 (21.4) |
−2.7 (27.1) |
2.3 (36.1) |
9.1 (48.4) |
15.0 (59) |
14.4 (57.9) |
6.3 (43.3) |
−0.8 (30.6) |
−4.8 (23.4) |
−7.8 (18) |
−9.8 (14.4) |
降水量 mm (inch) | 66.1 (2.602) |
106.2 (4.181) |
163.3 (6.429) |
184.3 (7.256) |
207.8 (8.181) |
559.7 (22.035) |
447.0 (17.598) |
320.9 (12.634) |
314.2 (12.37) |
131.6 (5.181) |
94.0 (3.701) |
74.6 (2.937) |
2,694.2 (106.071) |
平均降水日数 (≥0.5 mm) | 7.6 | 8.8 | 12.7 | 11.1 | 11.2 | 18.0 | 14.5 | 14.4 | 13.9 | 8.4 | 8.3 | 7.3 | 136.3 |
% 湿度 | 71 | 70 | 70 | 70 | 73 | 82 | 80 | 79 | 79 | 75 | 76 | 73 | 75 |
平均月間日照時間 | 167.2 | 155.2 | 169.4 | 173.9 | 169.2 | 103.1 | 168.2 | 183.6 | 149.1 | 172.4 | 158.5 | 164.8 | 1,934.5 |
出典:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1942年-現在)[1][2] |
市名は永和元年(1375年)に北郷義久が都島(宮古島)の地に居城として整備した「都島の城(都之城)」に由来する[3]。
市内の地名については都城市の地名を参照のこと。
平安時代末期の万寿3年(1026年) に大宰大監の平季基が後に日本最大の荘園となる「島津荘」を開発、摂関家領とし、1185年にその下司職、翌1186年惣地頭職になった惟宗忠久が荘園の名前である「島津」を名乗り、島津氏の歴史がスタートする。
室町時代から島津家分家の北郷氏が治め、江戸時代も薩摩藩の私領(一族功臣の自治領)の1つとして北郷氏(都城島津氏)が引き続き治めた。
北郷氏の領地は4万石弱に及び私領の中でも広大であったため、都城城下を弓場田口・来住口・大岩田口・鷹尾口・中尾口の5口に分け、さらに安永・山田・志和池・野々美谷・梶山・梅北の6つの外城(郷)を加えた五口六外城制で領内を支配するという、ミニ薩摩藩といえる体制が取られていた。(これは私領の中でも極めて特殊な形態であったが、都城が藩あるいは薩摩藩の支藩であったと一部で誤解されている一因ともなっている)
戊辰戦争時には私領一番隊が派遣され、鳥羽・伏見の戦いから会津若松城攻めまで従軍した。戊辰戦争後の藩政改革で本藩直轄領となり、1869年から1871年の廃藩置県まで、本藩より都城地頭として三島通庸が派遣され近代改革の前哨的施策を行った。
1871年11月から1年余りは都城県の県庁所在地となり、参事には西郷隆盛と親交のあった桂久武が派遣された。
1877年に西南戦争が勃発すると鹿児島県令大山綱良からの出兵要請により、地元の士族、郷士が集められ都城隊を結成し、党薩隊の一つとして西郷軍側として参加した。なお、都城県参事であった桂久武も西南戦争に従軍している。
1935年には、県内で陸軍特別大演習が実施された。都城市内には11月11日から翌12日にかけて大本営を宮崎県立都城中学校(現・宮崎県立泉ヶ丘高等学校)に置き[4]、その他高城野外統監部、都城商業学校野外統監部、春日野外統監部が設けられ昭和天皇が行幸した[5]。なお、昭和天皇は 1949年(昭和24年)にも戦後巡幸の一環で都城を訪れ、小松原中学校や市内の工場に行幸している[6]。
太平洋戦争末期には、本土決戦のための拠点として都城東・西飛行場が建設され、陸軍の振武隊が沖縄戦での特攻作戦に出撃した。
宮崎県人や近隣の県の人は「都城」を「みやこんじょ」と呼ぶことが多い。2014年(平成26年)4月には市の組織改編で「みやこんじょPR課」が誕生した[7]。
旧・都城市[8]
財部実秀 | 1924年 - 1926年 | (1期) |
森迫熊市 | 1927年 - 1929年 | (1期) |
大山綱治 | 1930年 - 1933年 | (1期) |
曽木重貴 | 1934年 - 1938年 | (2期) |
財部実秀 | 1938年 - 1941年 | (1期) |
曽木重貴 | 1941年 - 1945年 | (2期) |
藤井真透 | 1945年 - 1946年 | (1期) |
森迫熊市 | 1946年 - 1946年 | (1期) |
旧・都城市
瀬戸山三男 | 1947年 - | (1期) |
有田秀秋 | 1949年 - | (1期) |
曽木重貴 | 1953年 - | (1期) |
蒲生昌作 | 1954年 - | (3期) |
有田秀秋 | 1966年 - | (1期) |
堀之内久男 | 1969年 - | (2期) |
瀧内正 | 1976年 - | (2期) |
岩橋辰也 | 1984年 - | (5期) |
長峯誠 | 2004年 - | (1期) |
新・都城市
長峯誠 | 2006年 - | (2期) |
池田宜永 | 2012年 - | (現職) |
2004年2月三股町を除く北諸県郡4町と「都城北諸合併協議会」を設立。2005年2月21日、合併後の新市名「都城市」、合併予定期日を2006年1月1日などとした合併協定調印式を行い、同25日に5市町が合併関連議案を可決し、予定期日どおり合併が実施された。
都城市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 都城市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 都城市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
都城市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
県境にあるため宮崎・鹿児島両県の電波が容易に入るが、地域によって鹿児島民放を視聴するためには後述のBTVに加入する必要がある。
上記3局のラジオ中継局については、都城ラジオ中継局を参考
中心となる駅は都城駅(中心市街地最寄り駅は西都城駅)。
宮崎自動車道経由で宮崎市と各地を結ぶ高速バスが宮崎自動車道上の都城北バスストップに停車する。なんぷう号の各停は都城北のほか高崎東バスストップと高城バスストップにも停車する。宮崎 - 都城(西都城駅)間の特急バスは都城市街地の各地と宮崎空港・宮崎市を結び、高城に停車するほか、都城北には停車せず同バス停近隣の高速都城北入口に停車し都城市街地と都城北を結ぶ。
かつては都城市街地に発着する高速バスもあったが、現在では特急を除き都城市街地に発着する高速バスはない。
他
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.