我孫子駅 (千葉県)
千葉県我孫子市本町にある東日本旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
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我孫子駅(あびこえき)は、千葉県我孫子市本町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
我孫子駅 | |
---|---|
南口(2021年5月) | |
あびこ Abiko | |
所在地 | 千葉県我孫子市本町二丁目1-1 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | アコ |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 4面7線[1] |
乗車人員 -統計年度- |
27,877人/日(降車客含まず) -2023年- |
開業年月日 | 1896年(明治29年)12月25日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 |
■■常磐線(快速) (線路名称上は常磐線) |
駅番号 | JJ08 |
キロ程 |
31.3 km(日暮里起点) 上野から33.5 km |
所属路線 |
■常磐線(各駅停車) (線路名称上は常磐線) |
駅番号 | JL30 |
キロ程 |
31.3 km(日暮里起点) 綾瀬から23.6 km |
(2.7 km) 天王台 JL 31► | |
所属路線 | ■成田線(我孫子支線) |
キロ程 | 0.0 km(我孫子起点) |
備考 | |
当駅は我孫子市の中心駅であり、江戸時代より水戸街道において本陣・脇本陣が置かれた宿場町「我孫子宿」に位置する。
江戸時代には利根川による水運が栄え、手賀沼湖畔の景観は風光明媚な土地であったため、明治時代末頃、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなどの著名な文化人が居を構えたり湖畔に別荘を持ったことで「北の鎌倉[3]」と称され、文学の街「我孫子[4]」として白樺派の拠点となる。駅南東方はかつての宿場町「我孫子宿」であるが、全体的に交通の利便性から新興住宅地が増えた地域である。
南口はけやきプラザ(地下1階 - 地上12階の複合施設)、手賀沼公園(手賀沼、ボート乗り場、生涯学習センター)、我孫子市民図書館、我孫子市役所、山階鳥類研究所[注釈 1]、我孫子市鳥の博物館などの主要施設のほか、ABBY CUORE(アビイクオーレ)、イトーヨーカドー我孫子南口店[新聞 1]などの商業施設がある。南口から国道356号(旧水戸街道)に通じる 県道195号はかつて停車場通りと呼ばれ、大正期から昭和初期には旅館が10軒ほどあったほか、東葛銀行のほか多くの商店が古くから建ち並び[5]、町の中心部として栄えていた。1973年(昭和48年)より駅前土地区画整理事業が始まり、1999年(平成11年)3月25日に現在の南口駅前広場が完成した[6]。北口は常磐線の複々線化に伴う駅舎建て替え時に開設され、東武ストア我孫子店、あびこショッピングプラザ、イトーヨーカドー我孫子南口店[注釈 2]などの商業施設や大型マンションが建設されている。
当駅に乗り入れている路線は、線路名称上は常磐線と成田線(我孫子支線)であり、このうち常磐線を所属線としている。常磐線の運行系統としては快速線を走る常磐快速線[注釈 3]と緩行線を走る常磐緩行線(各駅停車)がある。
常磐線の駅番号は快速が「JJ 08」、各駅停車が「JL 30」。
当駅を現在の場所に誘致したのは飯泉喜雄である。我孫子に生まれた飯泉は、日本鉄道株式会社の鉄道計画を知り、「鉄道なくして町の繁栄はない」との思いから、私財を投じて用地を提供した。もともと所有していた土地を、町外れの原野であった現在の駅周辺の土地と交換し、用地を確保した。その後、その用地を日本鉄道に無償提供し、停車場の誘致を行ったため、我孫子駅の設置が当地に決定した[7]。日本鉄道土浦線の開通と同時に開業した駅の1つである。
島式ホーム3面6線、単式ホーム1面1線の計4面7線を持つ地上駅である[1]。橋上駅舎を有している。
エスカレーター・エレベーター・自動改札機・自動券売機・自動精算機・指定席券売機・話せる指定席券売機[2]が設置されている直営駅であり、柏駅の被管理[38]となっている。エスカレーターは北口・南口・ホームとコンコースを連絡するものが整備されているが、エレベーターは北口・南口と改札外コンコースを連絡するもののみ設置されている。改札口の正面にトイレがあり、8番線に向かう通路に車椅子対応トイレがある。
2020年(令和2年)10月13日に、JR東日本は、同年12月頃より当駅のバリアフリー工事に着手することを発表した[報道 5]。ホームと改札内コンコースを結ぶエレベーターの新設、改札内トイレにおける出入口段差の解消する改修工事が実施され、エレベーターは2023年(令和5年)1月頃より順次、トイレは2021年(令和3年)12月頃の供用開始が予定されている[報道 5]。この工事期間中は、仮設トイレを8番線に整備する。2021年(令和3年)8月に出入口段差のない男女トイレが供用された。
(出典:JR東日本:駅構内図)
運転番線 | 営業番線 | ホーム | 上野方面着発 | 成田方面着発 | 取手方面着発 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 15両分 | 到着可 | 不可 | 出発可 | 快速線下り主本線 |
2 | 2 | 15両分 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
3 | ホームなし | 到着・出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | ||
4 | 4 | 15両分 | 出発可 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
5 | 5 | 15両分 | 出発可 | 不可 | 到着可 | 快速線上り主本線 |
運転番線 | 営業番線 | ホーム | 綾瀬方面着発 | 取手方面着発 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
6 | 6 | 10両分 | 到着・出発可 | 出発可 | 緩行線下り主本線 |
7 | 7 | 10両分 | 到着・出発可 | 到着・出発可 | |
8 | 8 | 10両分 | 出発可 | 到着可 | 緩行線上り主本線 |
かつてはすべてのホームにおいてテイチク(櫻井音楽工房)制作の発車メロディを使用していたが[42]、緩行線ホーム(6・7・8番線)では、駆け込み乗車の減少を目的として2019年(平成31年)3月16日のダイヤ改正時より駅側のメロディの使用を取りやめており、代わりに電車備え付けの車外スピーカによる発車メロディを使用している[報道 7]。
なお、快速線ホームの1・5番線のメロディは、2020年(令和2年)7月1日から2022年(令和4年)2月28日まで[注釈 8]、我孫子市にゆかりのある楽曲に変更されていた[報道 3][43][44]。これは市内在住の男子高校生が2019年(令和元年)7月より行ってきた署名活動[注釈 9]を受けて市が企画したもので[新聞 3]、同市の市制50周年記念事業の一環として行われた[報道 3]。1番線のメロディには、1961年(昭和36年)に町おこしを目的に制作され、現在でも市民祭りの「あびこカッパまつり」や市内の小学校の運動会で踊られている「河童音頭」(飯田景応作曲)、5番線には市制10周年を記念して1981年(昭和56年)に制定された「あびこ市民の歌」(小椋佳作曲)をアレンジしたものが採用された[新聞 3]。メロディは既存のものと同じく櫻井音楽工房の制作で、編曲は櫻井隆仁が手掛けた[45]。このメロディは使用終了後も市民から惜しむ声が多く寄せられるなど好評であったため、2024年(令和6年)3月25日から当駅南口のエレベーターホールにおいて、時報用のチャイムとして再び使用されている[報道 4]。
1 | sunrise | |
---|---|---|
2 | ■ | Cappuccino |
4 | ■ | すすきの高原V2 |
5 | 花と空 | |
6 | (なし) | |
7 | ||
8 |
ホームには売店1店舗と立ち食いそば・うどん店3店舗があり、改札内はすべて弥生軒が運営している。以前は売店は3軒あったものの、各駅停車ホームと下り線ホームにあった店舗が、改装により売店のみが閉店し、現在は快速線上りホームに一軒あるのみとなっている。
2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は27,877人である。
JR東日本および千葉県統計年鑑によると、1990年度(平成2年度)以降の1日平均乗車人員の推移は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|
1990年(平成 | 2年)29,622 | [* 1] |
1991年(平成 | 3年)30,629 | [* 2] |
1992年(平成 | 4年)30,972 | [* 3] |
1993年(平成 | 5年)31,496 | [* 4] |
1994年(平成 | 6年)32,260 | [* 5] |
1995年(平成 | 7年)32,420 | [* 6] |
1996年(平成 | 8年)32,599 | [* 7] |
1997年(平成 | 9年)32,079 | [* 8] |
1998年(平成10年) | 31,503 | [* 9] |
1999年(平成11年) | 30,731 | [* 10] |
2000年(平成12年) | [JR 1]30,479 | [* 11] |
2001年(平成13年) | [JR 2]30,767 | [* 12] |
2002年(平成14年) | [JR 3]30,514 | [* 13] |
2003年(平成15年) | [JR 4]30,125 | [* 14] |
2004年(平成16年) | [JR 5]30,088 | [* 15] |
2005年(平成17年) | [JR 6]29,688 | [* 16] |
2006年(平成18年) | [JR 7]29,828 | [* 17] |
2007年(平成19年) | [JR 8]30,881 | [* 18] |
2008年(平成20年) | [JR 9]31,387 | [* 19] |
2009年(平成21年) | [JR 10]30,995 | [* 20] |
2010年(平成22年) | [JR 11]30,425 | [* 21] |
2011年(平成23年) | [JR 12]29,989 | [* 22] |
2012年(平成24年) | [JR 13]29,925 | [* 23] |
2013年(平成25年) | [JR 14]30,289 | [* 24] |
2014年(平成26年) | [JR 15]29,872 | [* 25] |
2015年(平成27年) | [JR 16]30,345 | [* 26] |
2016年(平成28年) | [JR 17]30,866 | [* 27] |
2017年(平成29年) | [JR 18]31,172 | [* 28] |
2018年(平成30年) | [JR 19]31,584 | [* 29] |
2019年(令和元年) | [JR 20]31,590 | [* 30] |
2020年(令和 | 2年)[JR 21]23,377 | |
2021年(令和 | 3年)[JR 22]24,765 | |
2022年(令和 | 4年)[JR 23]26,818 | |
2023年(令和 | 5年)[JR 24]27,877 |
駅南東方はかつての水戸街道の宿場町「我孫子宿」であるが、全体的に交通の利便性から新興住宅地が増えた地域であり、当駅も常磐線沿線の住宅地最寄駅の性格が強い。
主要施設がある方面の出口である。ただし、我孫子市役所までは離れている。山階鳥類研究所[注釈 1]や我孫子市鳥の博物館は、さらにその先である。
南口から国道356号(旧水戸街道)に通じる 県道195号はかつて停車場通りと言い、大正期から昭和初期には旅館が10軒ほどあったほか、東葛銀行のほか多くの商店が古くから建ち並び[5]、町の中心部として栄えていた。1973年(昭和48年)より駅前土地区画整理事業が始まり、1999年(平成11年)3月25日に現在の南口駅前広場が完成した[6]。北口が整備されるまでバスやタクシーの乗降口は南口にしかなく、駅の北側に向かうバス路線も南口から発着していた[46]。
北口は常磐線の複々線化に伴う駅舎建て替え時に開設され、踏切閉鎖に対応するため1970年(昭和45年)12月13日から駅構内の自由通路として新駅舎より先行して使用を開始した[47]。それ以前は駅付近にあった久寺家踏切、南飯塚踏切、第四浜街道踏切を利用して迂回していた。北口開設後も太陽神戸銀行(現在の三井住友銀行)のほかは店舗は数軒あるのみであった。1973年(昭和48年)から始まった再開発計画が進展し、駅前広場の完成や駅前の雑居ビルが建設されたのは1997年(平成9年)以降で、国道6号へ接続する道路も整備された。駅からわずかに離れたところから北方向に新興住宅地が広がる。かつては駅から少し離れたところに日立精機の本社があったが2004年に破産、跡地には大型マンションが建設された。
我孫子市内各地や柏市布施、沼南地区方面への路線バスなどが発着する。以前は、関東鉄道バスや東武バスが我孫子駅に乗り入れていたが、現在は阪東自動車と市民バス「あびバス」が発着している。あびバスは我孫子市からの委託を受けて阪東自動車が運行しているコミュニティバスである。
南口発着の系統は複数あるものの運転日や時間帯・本数が限られているものが多く、基本的には手賀沼公園を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を北上して国道356号に入り東我孫子方面に向かう系統と、国道356号(第一小学校)を経由し千葉県道8号船橋我孫子線を南下して沼南地区に向かう系統の2つに大別される。両系統は市役所付近の千葉県道8号船橋我孫子線で交差するように行き違うため、どちらを利用しても市役所に行くことが出来る。
東武バスセントラルが運行する有楽町駅・上野駅からの深夜急行バス「ミッドナイトアロー柏・我孫子」は北口に到着する。
売店は大正期には野口駅売店が営業していた[52]。1928年に弥生軒が駅弁販売店として営業を開始する[新聞 4]。
戦後しばらくの間、弥生軒は駅弁の製造販売を中心にしていた。1967年に立ち食いそば店を開店する[新聞 4]。
社長によると「平成のはじめ頃」、立ち食い店の新商品として「唐揚げ」を始める[53]。1990年代末に「唐揚げそば」がメニューに加わり、唐揚げのサイズが徐々に巨大化(最終的には15センチメートル、手のひらいっぱいの大きさに相当する)したことで人気が出て、当駅を代表するほどの看板商品となった[53]。これを目当てにわざわざ当駅を訪れる者もいる[54][新聞 5]。また、2000年代に入ってからは各種メディアで取り上げられることも多くなり、店内にその記事が掲出される場合もある。
弥生軒は1941年から1946年までの一部の期間、山下清が住み込みで働いていたこともあり、そのことを示す緑色の吊り看板が1・2番線ホームの日暮里方6号店に存在した。現在は後述するリニューアルにより、後述する駅弁の掛け紙と山下に関する説明文が記載された看板が入口に設置されている。
2017年10月5日に1・2番線ホームの水戸方8号店がリニューアルオープンし、売店と立ち食い蕎麦併設が立ち食い蕎麦専門に一新されたほか、Suicaなどの交通系ICカード決済も対応するようになった。2018年には前述の6号店も同様のリニューアルを行った。
なお、弥生軒は我孫子駅と隣の天王台駅(快速ホーム)の他、のれん分けの「我孫子弥生軒」が新京成電鉄新津田沼駅ホームにあった(2019年に閉店)。
明治・大正期から岩田屋弁当店と駅前料理店だった鴻巣が駅弁を販売していたが、昭和初期に鴻巣が廃業し太平洋戦争の開戦前ごろに岩田屋が廃業した。鴻巣を引き継ぐ形で、1928年4月から弥生軒が弁当販売として営業を開始した[新聞 4]。
駅弁の掛け紙として山下清に制作を依頼し、我孫子駅の風景、トンネルがある風景、県立手賀沼公園の3点が作成され、1960年から順次使用された。掛け紙には「僕が働いて居た所です。あじはいかがですか 山下清」と書いてあった[55]。映画・ドラマで山下清が駅弁の立ち売りをする場面があるがこれはフィクションであり、1951年に出発した山形・新潟への旅の途中で本人は駅弁を売ることができないので洗い物やお使いや弁当を詰めたりする仕事をしていたと述べている[56]。
複線電化に伴い停車時間が短くなったなどの要因で駅弁の販売量が減少したため、立ち食い店に主軸を切り替え1983年ごろに販売を終了した[新聞 4][57]。駅弁の掛け紙は山下の描き下ろしである。
2009年(平成21年)1月、京王百貨店において行われた元祖・全国有名駅弁大会において、おべんとう(幕の内弁当)が復刻販売され、山下掛け紙が期間限定復活した[54](2009年時点で弥生軒は弁当製造をしていないため監修のみに携わり、実際の弁当製造は日本レストランエンタプライズが行った)。
2021年2月26日より改札脇に日本初となるテイクアウト専門の「スシロー To Go」が営業開始となった。そのためキオスク型のNewDaysが閉店となっている。
かつては急行「もりおか」「ときわ」「奥久慈」が停車した駅であった。その後は特急「ひたち」「フレッシュひたち」も停車していたが、2005年(平成17年)7月9日のダイヤ改正で千葉県内は柏駅停車に統一され、特急の停車駅ではなくなった。その後も特急と同じ車両を使用した臨時急行列車(ぶらり鎌倉号、後の「ぶらり横浜・鎌倉号」など)は当駅に停車していたが、現在は停車駅ではなくなり、大方は柏駅や取手駅停車に統一された。舞浜・東京ベイエリア号については、12月・3月の運転時は継続して停車しているが、茨城県民の日(毎年11月13日)に運転する「わくわく舞浜号」は通過する。
上野東京ラインの開業に伴い、2015年3月21日からは当駅発着の臨時特急「踊り子」が毎週末に運行され、再び特急停車駅となった[報道 8]。その後、2021年2月28日をもって当駅発着の臨時特急「踊り子」の運転が終了している。
我孫子市では特別快速列車の当駅停車を求めている。ただ、特別快速を当駅に停車させると北千住駅 - 当駅間で快速停車駅と同一(4駅連続)となる問題が生じる。なお、東京方面行きは北千住駅で特別快速と快速が同一ホーム、土浦方面行きは上野(同一ホームであるのは日暮里)駅で急急接続しており、東京方面と当駅間において乗り換え労力を除けば特別快速の速達メリットはすでに活用されている。
多くの各駅停車が当駅を始発駅・終着駅としており、当駅より取手駅まで乗り入れるのはわずかである。同区間の緩行線は、平日の日中・夜間、土休日は全時間帯で旅客列車が運行されない。
当駅 - 天王台間には車両基地の松戸車両センター我孫子派出所があり、当駅側より入線可能な構造になっている。常磐線快速・各駅停車車両の平日の日中留置や、成田線我孫子支線で運用される車両の一部がここに入庫する。
松戸車両センター我孫子派出所の最寄り駅であることから出・入庫を兼ねた当駅始発・終着列車がある。水戸方面からの列車では土浦 - 取手間最終の普通列車は終着後当所へ入庫、翌朝出庫して当駅始発の高萩行となる。他に快速の取手までの回送がある。各駅停車には当駅発取手行きの電車が平日の朝に1本あり、これも実質的には回送に近い。なお、この電車は2017年10月14日現在の常磐線で最短距離の旅客営業列車である。また、成田線直通も含む快速は一部当駅で増・解結を行う場合がある(10両→15両への増結と15両→10両の切り離し)。なお、増・解結となるのは11 - 15号車(取手・成田寄りの5両)である。ただ、2008年現在のダイヤでは快速は15両編成での運転が多数、成田線は10両または5両編成となっており、増・解結の機会は減少した。
東日本旅客鉄道 我孫子変電所は当駅北口の線路脇にあり、常磐線と成田線に電気を給電している。き電線は全部で11本ある。
Osaka Metro御堂筋線に同名の我孫子駅がある。ただし、案内上は「あびこ駅」と表記される。また、近隣には我孫子町駅など「我孫子」を含む名前の駅があり、いずれも当地の我孫子観音に由来する。
当駅の駅名は、知らないと読めない難読駅と定義することもでき[58][59]、『国鉄監修 交通公社の時刻表』では1965年10月号の紙面改善として国鉄全駅名の平仮名が併記されるまで、欄外に難読駅として平仮名が書かれていた。JRの入社試験に出たほどであるが、行先名として頻出する運行区間沿線では逆によく知られている(最遠では神奈川県の本厚木駅辺りまで)。
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