垂井町
岐阜県不破郡の町 ウィキペディアから
垂井町(たるいちょう)は、岐阜県西部(西濃)の不破郡に属する町。
たるいちょう 垂井町 | |||||
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![]() 南宮大社(楼門) | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 岐阜県 | ||||
郡 | 不破郡 | ||||
市町村コード | 21361-6 | ||||
法人番号 | 7000020213616 | ||||
面積 |
57.09km2 | ||||
総人口 |
25,198人 [編集] (推計人口、2025年1月1日) | ||||
人口密度 | 441人/km2 | ||||
隣接自治体 | 大垣市、揖斐郡揖斐川町、池田町、不破郡関ケ原町、養老郡養老町 | ||||
町の木 | ケヤキ | ||||
町の花 | ツバキ | ||||
垂井町役場 | |||||
町長 | 早野博文 | ||||
所在地 |
〒503-2193 岐阜県不破郡垂井町宮代2957番地11 北緯35度21分59秒 東経136度32分17秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |

美濃国の国府趾、一宮などの所在地として有名であり、古代から美濃国の中心として栄えた。中世には中山道の宿場町、美濃路の分岐点、南宮大社の門前町として栄えた。戦国時代に豊臣秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛所縁の地としても有名であり菩提山城跡やその一族の竹中氏陣屋などがある。また、関ヶ原の戦いをはじめ承久の乱や南北朝動乱など天下を分かつ合戦の舞台でもあり、古代から近世までそれぞれの時代にゆかりの史跡がある。
地理
地目別面積比 [平成28年10月1日現在]
森林原野 32.61㎢ (57.2%)
農用地 10.47㎢ (18.3%)
宅地 7.28㎢ (12.8%)
道路 3.33㎢ (5.8%)
その他 3.39㎢ (5.9%)
揖斐川水系の相川とその支流による扇状地が、町の中央から東部や南東部にかけて広がり濃尾平野につながっている[1]。山地として北部から北西部に池田山地、南西部に南宮山地がある[1]。

気候
方言(アクセント)
大垣市西部(旧不破郡)から垂井町、関ヶ原町、滋賀県米原市にかけての人々は、垂井式アクセントという、京阪式アクセントの変種を方言として使う。方言学者の服部四郎が初めて垂井町で発見して命名した。
垂井の地名由来
- 垂井(たるい)
古くから垂井の泉で歌枕(たるいの水)として多くの歌人に詠まれていたことに由来。
- 宮代(みやしろ)
「御屋(神社や御所)+代(場所)」であり、南宮大社や聖武天皇が行幸した場所(不破頓宮など)に由来。
- 府中(ふちゅう)
美濃国府があったことに由来。
- 綾戸(あやど)
渡来人の漢(あや)氏と呼ばれる綾を織る人々が集住したことに由来。
- 表佐(おさ)
渡来人の日佐(おさ)氏と呼ばれる古代の通訳が集住したことに由来。
- 栗原(くりはら)
呉国からの渡来人である呉原(くれはら)氏が集住したことに由来。
- 岩手(いわで)
岩手氏がこの地を治めていたことに由来。もしくは岩の出っ張ったところに由来。
隣接している自治体
歴史
要約
視点
先史
- 縄文時代 ‐ 大滝野遺跡(府中地区)、長尾遺跡(岩手地区)、南森下遺跡 / 小黒見遺跡(南宮山塊東部)、朝倉遺跡 / 北野遺跡 / 日守遺跡(朝倉山麓北斜面)など縄文中期~晩期の遺跡が見つかっている。草創期~前期の遺跡は発見されていない。
- 弥生時代 ‐ 日守遺跡、朝倉遺跡、境野遺跡などの遺跡が知られており表佐地区では土器・石器が出土している事や隣接地の大垣市からもそれらが出土している事から大規模な農耕集団がこの付近に存在していたと考えられている。
- 4世紀後半 ‐ 親ヶ谷古墳が造営。
- 7世紀前半 ‐ 南大塚古墳が造営。
※現在150基ほどの古墳が見つかっている。
古代
- 645年 ‐ 美濃国府が設置。
- 672年 ‐ 大海人皇子が不破郡家に至る。
- 717年 ‐ 元正天皇垂井に行幸。
- 739年 ‐ 真禅院が創建。
- 740年 ‐ 聖武天皇が不破頓宮、宮処寺、曳常泉に行幸。
- 790年頃 ‐ 最澄によって真禅院と南宮大社が神仏習合。
- 8世紀後半 ‐ 美濃国分尼寺が建立。
- 828年 ‐ 菩提寺が定額寺に列せられる。
- 880年 ‐ 在原業平が表佐に薬師寺の元となる館を建立。
- 939年 ‐ 承平天慶の乱の際朱雀天皇の勅令により南宮大社で平将門調伏祈願を行う。
- 1017年 ‐ 後一条天皇南宮大社に駅鈴を給す。
- 1051年頃 ‐ 前九年の役の際後冷泉天皇の勅令により南宮大社で安倍貞任追討祈願を行う。
中世
- 1221年 ‐ 承久の乱で幕府軍が垂井宿に陣営。
- 1338年 ‐ 青野ヶ原の戦いがおこる。
- 1353年6月13日 ‐ 南朝方に京を追われた後光厳天皇は足利義詮と共に垂井へ有らせられる。
- 1353年 ‐ 美濃国守護土岐頼康によって長屋氏屋敷の隣に垂井頓宮が造営。
(襲撃情報のため一時的に揖斐小島の頓宮へ移動)
近世
近代
現代
- 1944年 ‐ 東海道本線の迂回線(下り本線)が完成して新垂井駅が開業する。旧下り線は撤去される。
- 1945年 ‐ 垂井が空襲をうける。
- 1946年 ‐ 南荒尾信号場‐関ケ原駅間で東海道線(上り)と並行し垂井駅として再敷設。
- 1954年9月10日 ‐ 岩手村、府中村、宮代村、表佐村が合併し、ほぼ現在の垂井町が形作られる[3]。
- 1954年12月1日 ‐ 合原村を編入[4]。
- 1959年 ‐ 伊勢湾台風の被害を受ける。
- 1962年7月31日 ‐ 「垂」の字を図案化した町章を制定。[5][6] [7] [8]
- 1965年 ‐ 第20回国民体育大会の弓道競技会場として垂井町弓道場を使用。
- 1974年9月19日 ‐ 町の木を制定。[9][8][7]
- 1980年3月23日 ‐ 町の花を制定。[10][8][7]
- 1980年3月23日 ‐ スポーツの町宣言をする。[11][12][8]
- 1985年 ‐ 不破北部防災ダム(明神湖)が竣工。
- 1986年11月1日 ‐ 新垂井駅が廃止となり、迂回線(下り本線)は貨物列車及び優等列車専用となる。
- 1989年 ‐ 第1回ふれあい垂井ピアが開催。
- 1991年 ‐ 美濃国府跡の発掘調査開始。
- 2004年 ‐ 住民投票により「西濃圏域合併協議会」から離脱。
- 2012年 ‐ 第67回国民体育大会の軟式野球会場として朝倉運動公園が使用。
人口
![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
垂井町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 垂井町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 垂井町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
垂井町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
行政
- 歴代町長
- 1代:多賀多門(1954年10月4日~1958年10月3日)
- 2代:国枝利一(1958年10月3日~1962年9月21日)
- 3代:矢木野辨二(1962年9月22日~1974年9月21日)
- 4代:早野光二郎(1974年9月22日~1986年9月21日)
- 5代:松井修(1986年9月22日~1991年3月21日)※
- 6代:田中幸雄(1991年4月22日~2003年4月26日)
- 7代:中川満也(2003年4月27日~2019年4月26日)
- 8代:早野博文(2019年4月27日~在任中)
※松井修が、脳内出血で急逝したため町長不在期間がある。
交通
鉄道


- 東海旅客鉄道(JR東海)

町内を東海道本線が通過しているが、上下線で離れている。町域北部を通る下り本線(登坂迂回線)は現在では貨物列車や特急列車のみが通行し、普通列車は町域南部の上り本線に平行して敷かれた「垂井線」を通って垂井駅に至る。かつては下り本線の町域内に新垂井駅が設置されており同線を通行する普通列車も運行されていたが、新垂井駅は1986年11月1日のダイヤ改正時に廃止された。
バス
道路
- 自然遊歩道
教育・子育て
高校
中学校
小学校
保育園・幼稚園・認定こども園
- 認定こども園
- 垂井こども園
- 垂井東こども園
- 宮代こども園
- 表佐こども園
- 府中こども園
- 岩手こども園
- ハチスチルドレンズセンター <私立>
経済
特産品
産業
- 主な企業
- グルマンマルセ 本店
- 春日養蜂場 本社
- ユニチカ 垂井事業所
- 日本板硝子 垂井事業所
- ナブテスコ 岐阜工場 / 垂井工場
- 三和シヤッター 岐阜工場
- 三甲 岐阜第2工場
- 未来工業 垂井工場
- マグ・イゾベール 垂井工場
- クラレプラスチックス 伊吹工場
- LIXIL 伊吹工場
- しまむら関ヶ原商品センター
- 電力
金融機関
- 十六銀行
- 垂井支店
- 垂井町役場ATM(大垣共立銀行との共同設置)
- 大垣共立銀行
- 垂井支店
- ミニストップ垂井町店ATM
- ヨシヅヤスーパー・センター垂井ATM
- バロー垂井店ATM
- 垂井追分ATM
- 垂井町役場ATM(十六銀行との共同設置)
- 大垣西濃信用金庫
- 垂井支店
- ヨシヅヤスーパー・センター垂井ATM
- バロー垂井店ATM
- 東海労働金庫
- 垂井出張所
- 新大垣証券垂井営業所
- 日本郵便株式会社
- 垂井郵便局
- 表佐郵便局
- 岩手郵便局
- 垂井府中簡易郵便局
- 垂井宮代簡易郵便局
- 栗原簡易郵便局
- 西美濃農業協同組合(JAにしみの)垂井支店
- よりそいプラザ宮代店
- よりそいプラザ表佐店
- よりそいプラザ合原店
- よりそいプラザ府中店
- よりそいプラザ岩手店
- よりそいプラザ垂井東店
- マックスバリュ垂井ショッピングセンターATM
- ヨシヅヤ垂井店ATM
公共施設
- 役所
- 警察
- 垂井警察署
- 表佐駐在所
- 岩手駐在所
- 府中駐在所
- 消防
- 不破消防組合
- 消防本部
- 東消防署
- スポーツ施設
- 朝倉運動公園
- 南体育館
- 北部グラウンド
- 垂井町弓道場
- 文化施設
- 病院
- 博愛会病院
- 不破ノ関病院
- その他
通信
姉妹都市・友好都市
海外
姉妹都市
国内
提携都市(災害時相互応援協定)
名所・旧跡・観光スポット


神社
国府・寺院
近世の交通
城郭
墓
自然
- 垂井の泉(岐阜県の名水50選、地名の由来の泉)
- 不破の滝
- 相川鯉のぼり一斉遊泳(3月下旬~GW、約350匹が遊泳する)
- 桜の名所でもある。
- 明神湖
- 青羅公園
- 朝倉運動公園
- 連理の榊(県の天然記念物、樹齢300~400年)
主な祭典・芸能・催事

登場作品
- 『細雪』(蛍狩) ‐ 表佐地区が舞台
- 『ミステリー列車が消えた』 ‐ 特殊駅として新垂井駅が登場
著名な出身者
- 朝井リョウ - 小説家(直木賞受賞)
- 秋田啓 - 車いすバスケットボール選手
- 大須みづほ - 女優
- 神田孝平 - 洋学者、政治家
- 清水古関 - 日本画家(四条派)
- 髙木翔斗 - プロ野球選手
- 高橋靖子 - 女優、吉本新喜劇
- 竹中彰元 - 住職
- 中川千世 - バレーボール選手
- 中島涼太 - フットサル選手
- 長原孝太郎 - 洋画家
- 古井由之 - 衆議院議員・旧垂井町長
- 星月ノ憂 - イラストレーター
- 南隼人 - アナウンサー
- 森知奈美 - 陸上選手
名誉町民
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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