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アカデミー名誉賞(アカデミーめいよしょう、英: Academy Honorary Award)は、1929年開催の第1回アカデミー賞から創設されたアカデミー賞の表彰である[1]。1950年度の第23回から現在の名称であり、それ以前は特別賞(Special Award)として贈呈されていた[注 1]。名誉賞は生涯の功労、映画芸術と科学への貢献、アカデミーへの寄与に対して授与される[4]。オスカー名誉賞[5][6](Honorary Oscar)とも呼ばれる[7]。
2009年度からはアカデミー賞の授賞式とは別に開催される、ガバナーズ賞において表彰が行われる[8][注 2]。毎年6月に映画芸術科学アカデミーの理事会により受賞者が発表され、例年11月にディナー・イベントの形式で執り行われる[11][注 3]。
授賞式 | 特別賞 受賞 | 公式 |
---|---|---|
1927/28年 第1回 |
チャールズ・チャップリン(『サーカス』の製作) | [14] |
ワーナー・ブラザース(トーキー映画『ジャズ・シンガー』の製作) | ||
1928/29年 第2回 |
該当なし | |
1929/30年 第3回 |
該当なし | |
1930/31年 第4回 |
該当なし | |
1931/32年 第5回 |
ウォルト・ディズニー(ミッキーマウスの創作) | [15] |
1932/33年 第6回 |
該当なし | |
1934年 第7回 |
ジュブナイル賞:シャーリー・テンプル(『歓呼の嵐』『可愛いマーカちゃん』『ベビイお目見得』『輝く瞳』の出演により) | [16] |
1935年 第8回 |
D・W・グリフィス | [17] |
1936年 第9回 |
W・ハワード・グリーン、ハル・ロッソン(『沙漠の花園』のカラー撮影) | [18] |
『ザ・マーチ・オブ・タイム (The March of Time) 』(映画館で上映されていたラジオ・ニュース・シリーズ) | ||
1937年 第10回 |
エドガー・バーゲン(チャーリー・マッカーシーの腹話術) | [19] |
W・ハワード・グリーン(『スタア誕生』のカラー撮影) | ||
ニューヨーク近代美術館 フィルム・ライブラリ | ||
マック・セネット(コメディー技法への貢献) | ||
1938年 第11回 |
ハリー・M・ワーナー(歴史短編映画の制作) | [20] |
ウォルト・ディズニー(『白雪姫』の製作) | ||
J・アーサー・ボール(映画撮影におけるカラー技術の発展) | ||
オリヴァー・T・マーシュ、アレン・デイヴィ(『スウィートハーツ』のカラー撮影) | ||
『北海の子』の特殊撮影と音響効果の11名。 - 特殊効果:ゴードン・ジェニングス、ジャン・ドメラ、デヴェルー・ジェニングス、イルミン・ロバーツ、アート・スミス、ファーショト・エドゥアール (Farciot Edouart) 、ロイヤル・グリッグス / 音響効果:ローレン・L・ライダー、ハリー・D・ミルズ、ルイス・H・メセンコップ、ウォルター・オバーセット | ||
ジュブナイル賞:ディアナ・ダービン(『アヴェ・マリア』『年ごろ』の出演)とミッキー・ルーニー(『初恋合戦』などの“アンディ・ハーディ”シリーズと『少年の町』の出演により) | ||
1939年 第12回 |
ダグラス・フェアバンクス(アカデミー初代会長) | [21] [22] |
映画救済基金 (Motion Picture Relief Fund) :ジーン・ハーショルト[23]、ラルフ・モーガン、ラルフ・ブロック、コンラッド・ネーゲル | ||
ウィリアム・キャメロン・メンジース(『風と共に去りぬ』色彩) | ||
ジュブナイル賞:ジュディ・ガーランド(『青春一座』『オズの魔法使』の出演により) | ||
テクニカラー社(カラー撮影:三色法) | [22] | |
1940年 第13回 |
ボブ・ホープ | [24] |
ネイサン・レヴィンソン(映画業界と陸軍の訓練用映画製作への貢献)[25] | ||
1941年 第14回 |
『ファンタジア』のサウンドでウォルト・ディズニー、ウィリアム・E・ギャリティ、ジョン・N・A・ホーキンス、RCA | [26] |
レオポルド・ストコフスキー(『ファンタジア』の音楽) | ||
レイ・スコット(『Kukan』(苦幹)監督) | ||
英国情報省 (MOI) (ドキュメンタリー『ターゲット・フォー・トゥナイト (Target for Tonight) 』) | ||
1942年 第15回 |
シャルル・ボワイエ | [27] |
ノエル・カワード(『軍旗の下に』) | ||
メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(『初恋合戦』などアンディ・ハーディ シリーズ) | ||
1943年 第16回 |
ジョージ・パル(人形アニメ、『パペトゥーンズ (Puppetoons) 』) | [28] |
1944年 第17回 |
ボブ・ホープ | [29] |
ジュブナイル賞:マーガレット・オブライエン(『幽霊は臆病者』『百万人の音楽』『若草の頃』の出演により) | ||
1945年 第18回 |
ウォルター・ウェンジャー | [30] |
短篇映画『The House I Live In』:製作フランク・ロス、製作・監督マーヴィン・ルロイ、脚本アルバート・マルツ、作曲アール・ロビンソン、作詞ルイス・アラン、主演フランク・シナトラ | ||
リパブリック・ピクチャーズ、ダニエル・J・ブルームバーグ、リパブリック・サウンド部 | ||
ジュブナイル賞:ペギー・アン・ガーナー(『愛への旅路』『Junior Miss』『ブルックリン横丁』の出演により) | ||
1946年 第19回 |
ローレンス・オリヴィエ(『ヘンリィ五世』の製作、監督、主演) | [31] |
ハロルド・ラッセル(『我等の生涯の最良の年』出演により) | ||
エルンスト・ルビッチ | ||
ジュブナイル賞:クロード・ジャーマン Jr.(『子鹿物語』の出演により) | ||
1947年 第20回 |
特別賞(外国語映画)[注 4]:『靴みがき』( イタリア) | [32] |
『ビルの冒険物語』 | ||
ジェームズ・バスケット(『南部の唄』出演) | ||
ウィリアム・N・セリッグ(プロデューサー)、アルバート・E・スミス(監督)、トーマス・アーマット(技術者)、ジョージ・K・スプア(プロデューサー) | ||
1948年 第21回 |
特別外国語映画賞[注 4]:『聖バンサン』( フランス) | [33] |
アドルフ・ズーカー(パラマウント映画を創業) | ||
シド・グローマン(チャイニーズ・シアターを建設) | ||
ウォルター・ウェンジャー(『ジャンヌ・ダーク』の製作) | ||
ジーン・ハーショルト(会長として4期に亙るアカデミーへの貢献)[23] | ||
ジュブナイル賞:イワン・ヤンドル(『山河遥かなり』に出演したチェコスロバキアの子役)(外国人子役で初の受賞。欠席) | ||
1949年 第22回 |
特別外国語映画賞[注 4]:『自転車泥棒』( イタリア) | [34] |
フレッド・アステア | ||
セシル・B・デミル | ||
ジーン・ハーショルト(映画業界への貢献を讃えて)(生涯で3度目の特別賞受賞[23]) | ||
ジュブナイル賞:ボビー・ドリスコール(『わが心にかくも愛しき』『The Window』の出演により) |
授賞式 | 名誉賞 受賞 | 公式 |
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1950年 第23回 |
名誉外国語映画賞[注 5]:『鉄格子の彼方』( フランス イタリア合作) | [35] |
ジョージ・マーフィ(俳優、後に上院議員) | ||
ルイス・B・メイヤー | ||
1951年 第24回 |
名誉外国語映画賞[注 5]:『羅生門』( 日本) | [36] |
ジーン・ケリー(出演した『巴里のアメリカ人』の6部門受賞と同時に名誉賞を受賞) | ||
1952年 第25回 |
名誉外国語映画賞[注 5]:『禁じられた遊び』( フランス) | [37] |
ボブ・ホープ | ||
ハロルド・ロイド | ||
ジョセフ・M・シェンク | ||
メリアン・C・クーパー | ||
ジョージ・アルフレッド・ミッチェル(カメラ:ミッチェル撮影機の設計と開発) | ||
1953年 第26回 |
ピート・スミス(短編映画シリーズ『ピート・スミス・スペシャリティーズ』) | [38] [39] |
ジョセフ・ブリーン | ||
20世紀フォックス映画(シネマスコープ[39]) | [4] [39] | |
ベル&ハウエル・カンパニー(映画機材の製造企業) | ||
1954年 第27回 |
名誉外国語映画賞[注 5]:『地獄門』( 日本) | [40] |
グレタ・ガルボ | ||
ダニー・ケイ | ||
ケンプ・R・ナイヴァー | ||
ジュブナイル賞:ジョン・ホワイトリー、ヴィンセント・ウィンター(英国映画『ザ・リトル・キッドナッパーズ (The Little Kidnappers) 』の出演により。英国タイトル『 | ||
ボシュロム・オプティカル・カンパニー(Bausch & Lomb Optical Company)(光学機器メーカー) | [4] | |
1955年 第28回 |
名誉外国語映画賞[注 5]:『宮本武蔵』( 日本)[41] | [42] |
現在は独立した部門となっているアカデミー国際長編映画賞であるが、かつて外国語映画の表彰は、1947年度から1949年度にかけては「特別賞」の一つとして[注 4]、1950年度から1955年度(1953年度は表彰なし)にかけては「名誉賞」の一つとして行われ[注 5]、1956年度の第29回からノミネート方式の「アカデミー外国語映画賞」という単独の賞になった[注 11]。そして2019年の名称変更により、第92回から今日の「国際長編映画賞」となった[156]。
アカデミー・ジュブナイル賞(Academy Juvenile Award, 子役賞)は、1934年度(第7回)から1960年度(第33回)までの26年間、18歳未満の12名の子役に贈られた特別賞と名誉賞で[157]、ジュブナイル・オスカー(Juvenile Oscar)とも呼ばれた[158]。
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