1953年の映画(1953ねんのえいが)では、1953年(昭和28年)の映画分野の動向についてまとめる。
1952年の映画 - 1953年の映画 - 1954年の映画
日本
- 1月
- 2月
- 2月1日 - NHKが東京地区でテレビの本放送を開始する。
- 2月5日 - 大映旧作品『三代の盃』[20]の改題(新題『花嫁一本刀』)・改修について、東映及び東映取締役・片岡千恵蔵が大映に抗議。
- 2月10日 - 新東宝、田辺宗英社長就任。
- 2月28日
- 連合映画設立。
- 東映、オリンピア映画を合併、新宿ヒカリ座・横浜オリンピア劇場の経営を引き継ぐ。
- 3月
- 木村荘十二監督帰還。
- 3月17日 - 愛知県下の劇場主92名が上京、邦画5社・洋画12社に対し適正な上映権利料を要請。
- 3月21日 - 大映初の天然色映画製作準備のため、衣笠貞之助監督、撮影技師・杉山公平ら渡米。
- 3月25日 - 宝塚映画撮影所全焼。
- 4月
- 4月15日 - 東映、大川博とマキノ光雄が欧米映画事情視察のため出発、6月15日帰国。
- 4月22日 - 東宝、第1回立体映画トービジョン『飛び出した日曜日』公開[23]。
- 5月
- 社団法人映画産業振興会発足。
- 宝塚映画、西宮スタジオに移転。
- 大蔵省、米国独立映画製作者協会(SIMPP)と映画協定を結ぶ。
- 5月9日 - 立体映画ナチュラル・ビジョン『ブワナの悪魔』初公開。
- 5月23日 - 松竹、春秋2回東西撮影所合同映画製作を決定、1作目は『花の生涯』(大曾根辰夫監督)。
- 5月29日 - 映連、被占領時代、未検閲を理由に差押えられた映画の返還運動を開始。
- 6月
- 7月
- 日活、株主に対して「映画製作開始についてお知らせ」を発送。
- 7月1日 - 北海道釧路市内の全映画館、外国映画の高額な上映権利料を理由に上映を拒否、一斉に外国映画のボイコットを断行。7月10日、外国映画会社の各北海道支社、釧路興行組合の上映権利料の値下げ要求と歩合制への移行を一蹴。
- 7月7日 - 阪東妻三郎(51歳)死去。7月11日、松竹京都撮影所で「関西映画人葬」執行[26]。
- 7月14日 - 日本初の夜通し(深夜)興行、福岡東宝劇場で実施。
- 7月22日 - 東京・五反田東映劇場、区画整理のため休業。9月1日、リニューアル・オープン。
- 8月
- 8月14日 - 大蔵省、外国映画の割当配分方針を発表。
- 8月27日 - 大阪・梅田小劇場が梅田ニュース映画館に名称変更。
- 8月28日
- 9月
- 松竹、『君の名は』3部作大ヒット配給収入9億6000万円。
- 新東宝、服部知祥社長就任。
- 9月4日 - 日活、12年ぶりに自主製作、配給の再開を発表。
- 9月6日 - 東京、丸の内スバル座全焼[28]。
- 9月10日 - 松竹・東宝・大映・新東宝・東映が映画俳優引き抜き防止の五社協定を調印。違反罰金1000万円。
- 9月15日 - 東宝初の総天然色映画『花の中の娘たち』(山本嘉次郎監督)[29]公開。
- 9月29日 - 東宝『赤線基地』(谷口千吉監督)、反米映画と米記者から批判され、翌30日からの公開を中止。12月8日、映画を改訂して公開。
- 10月
- 11月
- 12月
- 12月1日 - 米・英・仏の連合3国、大蔵省に対して「日本国内における旧ドイツ映画の著作権管理を放棄し原製作者に返還する」旨を通達。
- 12月18日 - 大阪・南街会館新築オープン(南街劇場、なんば東宝、南街ミュージック・ホールを収容)。
- 12月22日 - 日本映画連合会理事会で劇映画のテレビ放映は公開から3年経たものに限ると決議。ただし、短編には制限なし。
- 12月26日 - 東京・有楽座と大阪・南街劇場(29日から)でシネマスコープ第1作『聖衣』を東宝が独占上映[注 3]。
- 12月28日 - 東映、2本立て製作配給を開始。2本立て全プロ(グラム)配給は、中編映画「東映娯楽版」を連作することで実現。
- 月日不詳
- 米国雑誌、日本映画界が「反米容共的」であると非難。
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1953年配給会社別年間配給収入
配給会社 |
年間配給収入 |
前年対比 |
しようちく松竹 |
36億7464万円 |
— |
とうほう東宝 |
23億5702万円 |
— |
たいえい大映 |
30億2955万円 |
— |
しんとうほう新東宝 |
21億9819万円 |
— |
とうえい東映 |
26億3878万円 |
— |
につかつ日活 |
— |
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- 出典: 井上雅雄「映画産業の戦後「黄金期」の実態(下) : ポスト占領期の映画産業と大映の企業経営・補論」『立教經濟學研究』第71巻第2号、立教大学経済学研究会、2017年10月、102頁、doi:10.14992/00015468。
注釈
〔引用者註〕『映画賞・映画祭日本・外国受賞作品大全集』では、「1952年公開」となっているが、「1953年公開」に修正した。
〔引用者註〕『映画年鑑 1955年版』では「9月17日」となっているが、IMDbやオールムービーの「9月16日」を採用した。
『年表・映画100年史』では「南街劇場」が「南街座」となっている。
出典
“聖衣 - Release info -” (英語). IMDb. 2023年10月6日閲覧。 “United States September 16,1953(New York City, New York,premiere)”
“沿革”. 東映公式サイト. 東映. 2020年4月1日閲覧。