笠岡市
岡山県の市 ウィキペディアから
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笠岡市(かさおかし)は、岡山県の南西部にある市。1952年(昭和27年)市制施行。旧備中国であるが歴史的に備後国との繋がりが深く、文化的には備後地方とされることが多い。幕藩体制下では福山藩領となり、市制施行後も一部地域が福山市への編入を求めていた(茂平村越県合併騒動)。現在は隣接する広島県福山市のベッドタウンとして福山都市圏を構成し、行政間の連携も多い。
かさおかし 笠岡市 | |||||
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笠岡市立カブトガニ博物館(右側の建物) | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陽地方) | ||||
都道府県 | 岡山県 | ||||
市町村コード | 33205-4 | ||||
法人番号 | 5000020332054 | ||||
面積 |
136.07km2 | ||||
総人口 |
42,834人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 315人/km2 | ||||
隣接自治体 |
井原市、浅口市、浅口郡里庄町、小田郡矢掛町 広島県福山市 香川県:丸亀市、三豊市、仲多度郡多度津町 | ||||
市の木 | イチョウ | ||||
市の花 | キク | ||||
笠岡市役所 | |||||
市長 | 栗尾典子 | ||||
所在地 |
〒714-8601 岡山県笠岡市中央町1番地の1 北緯34度30分26秒 東経133度30分26秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
「笠岡」の地名は、吉備氏の一族「笠臣氏」の勢力範囲であったことに由来するとされる[1]。隅田川・今立川などからの土砂が堆積した堆積平野を基盤に、近世以降は福山藩などによって干拓・埋め立てが行われ現在の市街が形成される[2]。
瀬戸内海の中央で主要な潮待ち港であった鞆の浦から近い良港を持ち古来より海運業が栄える。山陰地方の日本海と山陽地方の瀬戸内海を結ぶ陰陽連絡街道の一部であり、中国山地の東城(現庄原市)と笠岡を結ぶ東城街道も作られ荷揚港の役を果たした。また笠岡市金浦の魚市場から高梁市吹屋地区へ鮮魚を運んだ魚荷道「とと道」の起点ともなった。とと道は明治期に「魚仲士(うおなかせ)」と呼ばれる運搬役が金浦から矢掛、美星、成羽などを経由し銅の生産で繁栄した吹屋地区までの約60kmをリレー方式で12時間かけて結んだ。
鎌倉時代には幕府の御家人である陶山氏、その後村上水軍の支配を受ける。室町時代末期に村上隆重の築いた笠岡城は村上家の村上景広、安芸国(広島県)の毛利元康と引き継がれるが後に廃城となり、江戸時代初期には福山藩水野氏の領地となる。水野氏は優れた土木技術と莫大な資金を投じ、元来平地の少ない笠岡の新田開発を推し進め、灌漑事業や産業育成を行い近代笠岡の基礎を築いた。江戸時代中期に水野家断絶のため一時倉敷代官所の管轄となるが、社会制度の差異が大きな所領を広域にわたって統轄する不具合からわずか2年後の元禄13年(1700年)に笠岡代官所が設置され、幕末までの約170年間にわたり笠岡代官による支配が続いた。
明治4年(1871年)廃藩置県により笠岡は福山県となるが、元徳川譜代福山藩のそしりを免れることはできず深津県・小田県・岡山県と短期間に強引な県名・県域の変更が繰り返された。最終的には、明治9年(1876年)笠岡の西端に確定した県境により、広島県に移管された旧福山藩領の大部分から分離させられることとなる。なお小田県時代の県庁は現在の笠岡小学校に置かれ、現在も遺構が残る。
中心市街地の笠岡は、真言宗大仙院の門前町として発展[3]。周辺の村々は半農半漁で生計を立てた。近代までは海運業が栄えるが昭和期以降に用いられるようになった大型船は遠浅な笠岡港に接岸することができず、海運業は廃れていった。戦前までの主力産業は花卉を含む農業と島嶼部の採石業である。
戦後は福山市と共に備後工業整備特別地域に指定され、工業化が進む。両市に跨がって造成された日本鋼管福山製鉄所(現JFEスチール西日本製鉄所)は世界最大級の規模を持ち、福山市が全国1位を誇る粗鋼生産の一翼を担っている。また新たに造成された広大な笠岡湾干拓地では、酪農を含めた農業が発展する。山陽新幹線、山陽本線、山陽自動車道、国道2号といった中国地方の主要な交通・物流の大動脈が市内を横断している。
岡山県ではあるが旧備前国の岡山市をはじめ同じ旧備中国の倉敷市などを含めた県内の大部分とは明治の府県統合まで異なる歴史を歩んできた地域である。このため、文化的にも経済的にも隔たりがある。約25~50km離れた岡山市や倉敷市などよりも、隣接する福山市と緊密に繋がりその影響が大きい。
市域は北は井原市、小田郡矢掛町に東は里庄町、浅口市に西は広島県福山市に接している。井原市・矢掛町への市境付近は山が連なる。福山市との間は県境としては非常になだらかである。
笠岡市は港町を中心とした旧笠岡町、旧金浦町と複数の農山漁村との合併により成立した都市である。平地が少なく、市街地は笠岡駅周辺と富岡湾干拓地(約103ha)[4]、狭隘な谷状平地で形成され、北部は概ね中山間地域の農村集落、海岸線沿いの地域では漁港を中心とした集落が点在するという構造になっている[5]。また、市の南西部に造成された広大な笠岡湾干拓地(1811ha)には、農地や工業地が広がるが居住人口は少ない。
市の南には瀬戸内海が広がり、笠岡湾が入り込んでいる。沿岸部の干潟には「生きている化石」とも呼ばれる絶滅危惧種のカブトガニが生息する。神島(こうのしま)と西大島の間の海域は国の天然記念物に指定され、生息地の保全などを通して保護活動が行われている。
神島より南に笠岡諸島があり、六島は岡山県最南端である。笠岡諸島は「せとうち備讃諸島」として日本遺産に登録されている[6]。
市内の河川は吉田川系を除きいずれも平均流水位が 0.2~0.3m、川幅も5m内外で降雨時以外はほとんど流水のない[7]矮小なものである。水不足に悩まされた歴史から、水源確保のためのため池が数多く作られた。
市内は北部山地の一部に普通褐色森林土が分布するが、その他は陸成未熟土である真砂土(花崗岩風化物)が多く見られる[9]。真砂土は傾斜地での安定性が著しく悪く脆いため、市内の傾斜地では土砂崩れの被害が頻発し「特殊土壌地帯災害防除及び振興臨時措置法(特土法)」では笠岡市の全域が特殊土壌地帯として指定されている[10][注釈 1]。また埋立地、干拓地では客土地帯が広がる。
典型的な瀬戸内海式気候であり、夏の季節風は四国山地に、冬の季節風は中国山地によって遮られるため年間を通じて天候や湿度が安定している。降水月が5~7月(梅雨時)と9月(秋雨・台風時)の二峰性となっている。年平均気温は15.7℃、年間降水量は1055.1mmと瀬戸内地域でも特に温暖で少雨である[11][注釈 2]。冬~春にかけては、中国大陸から飛来する黄砂が観測されることも多い。太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の凪が発生し、日中の気温が35℃を超える猛暑となる日もある。冬季には氷点下まで下がる日があり降雪も見られるが、積雪はまれである。
笠岡(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 16.5 (61.7) |
21.7 (71.1) |
23.2 (73.8) |
28.5 (83.3) |
32.2 (90) |
34.7 (94.5) |
38.0 (100.4) |
38.0 (100.4) |
37.6 (99.7) |
31.9 (89.4) |
26.7 (80.1) |
20.0 (68) |
38.0 (100.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 9.4 (48.9) |
10.2 (50.4) |
13.5 (56.3) |
19.0 (66.2) |
23.9 (75) |
27.1 (80.8) |
31.1 (88) |
32.8 (91) |
28.7 (83.7) |
23.1 (73.6) |
17.2 (63) |
11.8 (53.2) |
20.6 (69.1) |
日平均気温 °C (°F) | 4.5 (40.1) |
5.1 (41.2) |
8.3 (46.9) |
13.6 (56.5) |
18.6 (65.5) |
22.6 (72.7) |
26.7 (80.1) |
28.0 (82.4) |
24.1 (75.4) |
18.0 (64.4) |
12.0 (53.6) |
6.7 (44.1) |
15.7 (60.3) |
平均最低気温 °C (°F) | 0.0 (32) |
0.3 (32.5) |
3.1 (37.6) |
8.2 (46.8) |
13.5 (56.3) |
18.7 (65.7) |
23.2 (73.8) |
24.2 (75.6) |
20.1 (68.2) |
13.5 (56.3) |
7.3 (45.1) |
2.2 (36) |
11.2 (52.2) |
最低気温記録 °C (°F) | −6.7 (19.9) |
−7.3 (18.9) |
−4.2 (24.4) |
−1.7 (28.9) |
3.6 (38.5) |
10.4 (50.7) |
15.8 (60.4) |
16.7 (62.1) |
9.1 (48.4) |
2.5 (36.5) |
−1.3 (29.7) |
−4.3 (24.3) |
−7.3 (18.9) |
降水量 mm (inch) | 33.0 (1.299) |
41.6 (1.638) |
76.6 (3.016) |
81.2 (3.197) |
102.7 (4.043) |
160.7 (6.327) |
172.9 (6.807) |
80.0 (3.15) |
129.2 (5.087) |
87.5 (3.445) |
50.2 (1.976) |
39.6 (1.559) |
1,055.1 (41.539) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 4.7 | 6.5 | 8.7 | 8.5 | 8.7 | 10.5 | 9.4 | 6.9 | 8.3 | 6.9 | 5.8 | 5.6 | 90.5 |
平均月間日照時間 | 150.1 | 146.3 | 181.8 | 196.9 | 212.0 | 162.3 | 194.1 | 224.5 | 167.8 | 172.1 | 152.5 | 150.1 | 2,110.5 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[12] |
市全体としては少子高齢化と人口減少が早い速度で進んでおり、日本創成会議が公表した「消滅可能性都市」に指定されている。2023年8月末現在の人口は4万5011人であり[13]、ピークだった1960年の7万3232人から4割近く減少した。特に北部や島嶼部は過疎化が進み、社会インフラや学校の維持すら困難な地域も多い。高齢化率78.8%の小飛島(こびしま)をはじめとして島嶼部では少子高齢化が顕著である[14]。
平成27年国勢調査によると、直近5年間で市総人口の6.7%にあたる3672人が減少した。15歳から39歳までの生産年齢前期の人口の流出が特に顕著となっており、生産年齢前期の人口の転入転出の差引増減は795人減であり、他の年齢層も含めた733人減を上回っている状況にある。また、生産年齢前期の人口の男女別人口移動を見ると、男性より女性の流出傾向が高く、流入数も男性が高く、女性が低い状況である。その原因は、高校卒業後に市外や県外の大学等に進学し、大学卒業後の就職先として地元にUターンする若者が少ないこと、特に女性に魅力ある就職先が少ないことなどであると内閣府地方創生推進事務局は分析している[15][注釈 3]。
2000年代に入ると主に工業地帯の労働者として中国人、2010年代にはベトナム人技能実習生の居住が見られるようになった。
笠岡市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 笠岡市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 笠岡市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
笠岡市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
律令国では笠岡市はほぼ全域が山陽道備中国である。また笠岡市の成立前、現市域は小田郡に含まれた。天気予報などでは笠岡市は岡山県南部にあることから「岡山県南部」として扱われる。
県内に9つ設置された旧地方振興局単位では笠岡市は井原市、小田郡矢掛町、浅口郡各町などとともに井笠地方振興局の管轄地域に含まれた。また2005年の地方振興局が県内3つの県民局に再編された後は倉敷市などとともに備中県民局に属し、旧井笠地方振興局が移行した井笠支局に管轄される。2006年には、従来の「岡山ナンバー」から、 倉敷市、井原市、浅口市などとともにご当地ナンバーである「倉敷ナンバー」の対象エリアとなった[注釈 4]。県内の行政上はこの単位で、すなわち備中圏の井笠地方として扱われることが一般的で ある[16]。
一方で笠岡市は井原市とともに福山都市圏に属し、生活圏、経済圏としては福山市との関係が強く、行政上の区分と乖離が生じている。また当地域の中心都市は福山市であるため、笠岡市・井原市共に市外最大の通勤先が福山市[17]であるなど井笠圏内の交流よりもそれぞれが独立的に福山市と繋がる。笠岡市から福山市への通勤・通学率は21.1%であり、福山都市圏内では府中市(25.1%)についで多い[18]。
商業上も買回り品(普通生活雑貨ではない家具・家電などの耐久消費財、趣味品、衣料品など)については、越境し福山市内の商業施設や商店で購入する笠岡市民が多い。一方、笠岡市内の商業施設が福山市を商圏とすることも多く見られる。
福山市と一体的に扱う都合上、古くから政経民間において備後を冠することが多く見られる。笠岡市は国の指定する備後工業整備特別地域であり、笠岡市が後援する「備後フィッシュ」ブランドは笠岡市域で漁獲された魚介を含むなど公的機関が備後と指す範囲に笠岡を含めることがある。しかし一部を除く市域のほとんどは歴史的にも備後国ではなく備中国であることから律令国とは異なる慣用的な表現である。
陸地部では縄文時代の「津雲貝塚」が西大島地区で見つかっており、原始時代からの人の居住が確認されている。また島しょ部では奈良時代の「大飛島洲の南遺跡」が見つかっている。
天然の良質な港湾を持つため、中世より中国地方山間部(特に現在の庄原市東城町・高梁市川上町・成羽町)への街道も整い物流で大いに栄え、戦国時代には陶山氏や村上水軍の所領となった。江戸時代には福山藩となりその文化的な影響を受けるとともに、藩主導の新田開発により市街地を広げてきた[22]。廃藩置県後当初は福山県となり、後に一時笠岡に県庁が置かれたが、最終的には福山とは分断され岡山県となった。
市域には丘陵地が多く平地が少ないため、農地を確保するために古くは江戸時代より備後福山藩などによって吉浜・大島地区などで大規模な干拓が行われてきた。戦後、市の南東部(富岡湾)や南西部(笠岡湾)で干拓が行われた。特に国営事業として1966年から岡山県と日本鋼管によって行われた笠岡湾干拓地事業では笠岡諸島の一番本土寄りであった神島までの笠岡湾を大規模に干拓し1989年に完成した。これにより広大な農業用地および工業地域が造成された。笠岡湾干拓地は広大な平地であるが減反政策により水田が作られなかった。また完成後には土壌の塩類化が発生したため、塩類耐性が比較的高い野菜類や牧草の栽培が多い。近年では広大な平地を利用し植物工場など高度な技術を用いた先進的な農業生産が行われている。
1963年(昭和38年)頃、市南西端の旧茂平村地区(3.4km2/160戸/802人)[24]が笠岡市(岡山県)より分離、福山市(広島県)との越県合併を模索した騒動である[25]。
江戸期福山藩領であった旧茂平(もびら)村地区は廃藩置県後、福山との間に県境が引かれた後も境界に河川などの天然障壁はなく、福山市域との結びつきの強さと岡山県側からの交通の便の悪さから歴史的にも再三広島県側と合併が求められてきた。当時、国営笠岡湾干拓事業は事業化決定前の調査段階であり、茂平村から笠岡湾に隔てられた笠岡市中心部へ陸路でアクセスするためには県境を越えた最寄り駅である大門駅(広島県)からの鉄路及び内陸部の山を抜け笠岡湾を迂回する大回り経路を取る必要があった。また笠岡市自体も金浦町との対等合併による市制施行から僅か10年ほどで市としての一体感は小さく茂平村住民からの帰属意識が少なかった。なお旧茂平村地区は笠岡市、福山市の中間に位置し当時両市の人口規模はほぼ同程度であった。
戦後の岡山県は岡山市出身の三木行治行政の下、全国総合開発計画(全総)に合わせて指定された新産業都市「岡山県南地域」の中核に水島臨海工業地帯を置き、県勢振興の根幹事業として県の威信をかけ集中的に資源を投下していた。また県は岡山市、倉敷市、児島市を中心に33市町村を統合し、国内主要都市級の新都市を目指す「岡山県南百万都市建設計画」を推し進めていた。
しかし、県境の縁辺都市である笠岡市はいずれの対象ともされず、農業など旧来の延長上の緩やかな経済復興が目論まれていため、住民の間には中央偏重政策をとる県政への不満がくすぶっていた。一方で福山地区は全総により備後工業整備特別地区に指定され、鉄鋼業や造船業を核に経済発展が加速度的に進むが、笠岡市を含む岡山県側市町村は行政区画が異なることなどを理由に当初は指定を見送られ、福山市との間に大きな温度差が生じていた。このように周囲の発展から取り残された笠岡市のさらに外縁にある茂平村地区住民には福山市への編入による地位向上や生活改善への希望[24]が広がっていた。
1961年、日本鋼管の世界最大規模の新工場が茂平村地区、広島県深安郡深安町、福山市沖へ進出することが決定。それに伴い、1962年に深安郡深安町が福山市と合併、茂平村地区が福山市と隣接するようになる。当時、福山市は経済面、人口面の規模が急拡大、松永市との合併による大規模な市の誕生も見込まれていた。また鋼管建設に茂平地区から多くの住民が越境し従事したことに加え、福山市では宅地造成により地価が急激に上昇しており県境を超えた西隣野々浜地区も塩田の広がる寒村が近代的な団地の立ち並ぶ市街地へ生まれ変わろうとしていた。更に1963年岡山県の東端和気郡日生町福浦が強い住民運動の末岡山県から分離、兵庫県赤穂市に編入。このような状況に地区住民のほとんどが福山市との合併に賛成し福山市合併協議会(高田六次会長)を1963年8月4日に結成[24]し、
これらの理由から合併を求める大々的な運動を起こした[26]。広島県議会議員中川弘(当時。のち福山市長に就任)賛同の下、福山市議会議員の推薦も得た。また、合併運動は旧城見村内で旧茂平村地区と同じ境遇の旧用之江村地区、大宜(おおげ)村地区へと広がった。そして合併協議会は有権者の9割を超える494人(漁協関係者と家族など32人は福浦の問題を受け署名を見送った)の署名を集め、1963年9月13日に笠岡市・小野博市長[27]、黒田照太市議会議長に、10月8日には福山市・徳永豊市長、福山市議会に陳情書(合併請願書)を提出した。[28]
合併運動は主要メディアに取り上げられ、合併請願書が提出されると岡山県、県議会、笠岡市議会、漁業権を失うことを懸念した漁業協同組合などから大々的な反対運動が起こった。茂平地区が第2の福浦となり、単に生活圏や目先の利益を理由に県の区域が次々に他県に奪われる事態となる事を懸念していた岡山県は特に激しく抵抗した。住民の賛否が拮抗した福浦地区以上に茂平村地区では合併賛成住民が多いことから町村合併促進法(法律258号・昭和28年改正)11条の2「当該市町村や都道府県に地域・部落の分離の意見が採用されない場合も内閣総理大臣の勧告により住民投票が請求できる[29]」による住民投票が行われると合併派有利の結果となる公算が大きく[28]、住民による合併運動を阻止するため県からの干渉や県議員の来訪も続いた。翌年(1964年)、三木知事の急逝により、11月12日に笠岡市出身の加藤武徳が県知事に就任すると反対運動はさらに大きくなり、三木県政への反省と茂平村地区など県地方部のさらなる開発の推進を約束したこともあり騒動は収束した。また加藤県政の下、1965年3月12日には長年の懸案であった備後地区工業整備特別地域への笠岡市の追加指定が実現した。
特記なき場合「統計かさおか 令和元年版」による[34]。
1964年5月に笠岡市で発生した赤痢は患者数600人余りとなるなど、近代化以前の笠岡は水資源の不足とそれに起因する赤痢の発生が幾度となく発生している[7]。1968年、共に水資源に恵まれない笠岡市、里庄町、鴨方町(現・浅口市)、寄島町(現・浅口市)により結成された岡山県西南水道企業団は、1972年に高梁川取水口(倉敷市船穂町)から笠岡市内の木の目分水までの約22kmにおよぶ送水管を整備した[7]。以降現在まで笠岡市内の上水道は、倉敷市の高梁川によって賄われている。また最南端の六島を含め有人島しょ部には海底送水管により陸地部より送水が行われている。
2021年3月末時点における市内の下水道普及率は58.5パーセント、そのうち接続率は90.1パーセント[36]。
工業用水は、笠岡市内域を含むJFE福山製鉄所敷地及び関連施設などは広島県の芦田川から福山市御幸町中津原浄水場を経て受水している[37]。
岡山県倉敷市水島から広島県福山市鋼管町を結ぶ天然ガスパイプライン(水島福山幹線)が市内を通っているが、笠岡市中心部では民生用都市ガスは供給されておらずLPガスが使われる。2019年9月9日より笠岡市西部の茂平および西茂平の両地区は福山ガスの供給区域となり、都市ガス管の敷設が順次行われている[38]。
笠岡市の高度で専門的な医療体制は限定的であり、福山市など市域外の医療機関へ依存している。岡山県は制度上、全域が一つの三次医療圏(集中治療室入院程度)となるが、県内の第三次救急指定医療機関は倉敷市などの遠方となる。笠岡市の最寄りの第三次救急指定病院は福山市の福山市民病院である。二次医療圏域(一般病棟入院程度)に関して笠岡市は倉敷市などと同じ「県南西部二次医療圏域」に含まれる。かつて実際の運営上は遠方の倉敷ではなくもっぱら距離の近い福山市内の医療機関へ搬送されるため、負担に耐えかねた福山市側から搬送先情報の提供を拒否されたことがある[39]。このような問題解決として現在では福山・府中・尾道・三原などとともに拡大備後医療圏[40]とされ医療広域連携会議が設置されるなど、福山市を中心に広島・岡山県境を越えた医療圏としての連携がさらに進んでいる。また福山市の夜間成人診療所の診察には井原・笠岡両医師会から医師が参画している。2013年度から各県の医療用ヘリコプター(ドクターヘリ)が県境を越えて相互に乗り入れており、広島県東部ではより短時間で到着可能な岡山県ドクターヘリの出動が可能となっている。
主要診療科目の中で産婦人科は特に不足しており、2018年笠岡市民病院産婦人科の分娩受入休止により産婦人科医の常勤する病院は井原市を含め地域内から消失。以降、分娩取扱医療機関として唯一指定されていた診療所(病院の基準に満たない医療機関)が2023年末に閉院することにより、産婦人科医療機関は全廃された。2000年代より地域の分娩機能の中心的役割は福山市内の医療機関が担っている[41]。
笠岡運動公園
笠岡総合スポーツ公園
その他施設
コンビニエンス・ストアやタバコ店などを除くと、笠岡市の商業施設はその大半が中心部、および中心部から東部にかけての国道2号線沿いに立地している。買回り品(家具家電、衣料品など)の購入は笠岡市全体として市外への依存が大きい。笠岡市民の買い物先は、笠岡市内61.8%、福山市17.5%、矢掛町5.8%、井原市1.8%であり、県内他市町村(岡山市・倉敷市など)にイオンモールを始めとする大型商業施設が開業し笠岡市からの利用も見られるようになったが、購入先としての選択は1%にも満たず全体としては極少なく県境を越えた福山市への依存が多い。特に笠岡市西部地区では生鮮品を含め5割近くが福山市内で購入しており、福山市へ大きく依存している。[47]
その他に独立系スーパーがいくつか存在する[注釈 11]。
上記以外にも、富岡地区など市の南東部の国道2号沿いには飲食店や電気・衣料品店、自動車販売店など、新規出店を含め出店している。かつては笠岡駅周辺に小規模な旅館や居酒屋・スナック等が出店していたが、現在はほとんど営業していない。市の北部・西部には商店が少なく、特に西部には小規模な商店やコンビニエンスストアを除くと小売店がほとんどないため福山市東部の商業施設や商店の利用頻度が高い。
その他に笠岡駅周辺、島嶼部などに極小規模な旅館・民宿などが存在する。
近年は少子高齢化とともに生徒数が大きく減少しており、笠岡市立の小学校においては国が標準(学校教育法施行規則)とする学校規模(12学級以上 18学級以下)に該当する学校はほとんどなく、その基準を超える学校は中央小学校の1校のみ。ほとんどの学校が1学年1学級であり、1学級当たりの人数が20人未満の学校が全17校のうち9校を占める。また複式学級編成の学校が多い。住民の市域を超える通学は岡山県内他市町村と比較し県境を越えた福山市などが多い[47]。なお、島嶼部の児童・生徒は市営のスクールボート(通学船)を利用して通学する場合がある。以下で市立小中学校のリストは、笠岡市の学区一覧に基づく[49]。
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※笠岡市茂平地区は広島県福山市立野々浜小学校の通学区域に含まれる。
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専門学校
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特別支援学校
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短大以上の高等教育機関は市内に存在しない。
市域の大半が丘陵地にあるため、比較的出力の小さい中継局が多数設置されている。ここでは、受信可能世帯数が最も多い笠岡中継局(塚の丸山山頂、各局とも垂直偏波)のチャンネルを記した。
※福山市との間には電波を隔てる大きな山脈などはなくアンテナの方向により福山市からの電波も受信可能な地域は広いが、岡山県よりもチャンネル数の少ない広島県側の電波を敢えて受信する世帯はほとんどない。
逆に福山市南部などは笠岡局がある塚の丸山から遮るものがないためアンテナ方向を調整すれば良好に岡山・香川エリアの放送が受信できる。なお、岡山・香川エリアはテレビ東京系列を含む民放が5局放送されている。
※市外に基地局を置く放送局
※一部の地域で受信可能
笠岡駅から福山駅まで山陽本線で最短13分である。福山駅からは山陽新幹線が東京、新大阪方面には日中毎時4-5本、博多方面は4-6本停車する。福山駅からは広島駅まで最短24分、新大阪駅へは1時間、博多駅へも1時間半で到着する事から山陽地方主要都市や関西圏、九州北部へのアクセスも良く、また東京駅へも福山経由で4時間弱で到着する。なお、笠岡市と福山市は結びつきが強く、日常生活圏が重なっていることから地域間の移動が活発であり、一体の交通圏を形成している[50]。
市内を東西に縦貫する山陽本線は幹線であり、上り下り合わせ日中は1時間に2〜4本、通勤時間帯には1時間に6本運行され、福山駅、岡山駅など市外の主要都市を結んでいる。一方で市内に鉄道駅が1駅のみでバス路線も南北に縦貫するものを除くと頻度が非常に低く市内の公共交通機関は非常に貧弱である。そのため自家用車の利用が多い[47]。
笠岡駅と大門駅(福山市)の間の距離が7kmほどと長く、大門駅が笠岡市境に比較的近いため、笠岡市西部では大門駅の方がアクセスが良い。山陽本線の開通後、吉浜地区への新駅設置が地元住民により請願されたがJR(当時の国鉄)側と市側で折り合いが付かず、ほぼ白紙状態となっている。
山陽新幹線が新倉敷駅 - 福山駅間で当市を通過しているが、ほとんどがトンネル区間である。市内に新幹線の駅はなく最寄りの新幹線駅は福山駅である。なお、JR以外に笠岡市と井原市、矢掛町、福山市神辺町とを結ぶ軽便鉄道である井笠鉄道(私鉄)の路線が1913年から1971年まで存在した。
観光列車「La Malle de Bois」により運行される「ラ・マル しまなみ」(岡山 - 尾道‐三原)は、市内を通過するが笠岡駅には停車しなかった、しかし2023年7月から9月にかけて暫定的に停車した後、2024年春以降からは停車駅に加わっている。
全国的にはバス会社は地域ごとに存在するため、県境を越える路線バスは比較的希少であるが井笠バスカンパニーの主な営業エリアが笠岡市、福山市に跨がり越境路線が多く存在している。
笠岡諸島を笠岡港(住吉乗り場・伏越港)から客船・高速船で結ぶ路線がいくつかの会社によって運行されている。
岡山県の指定暴力団である五代目浅野組が市内に本部を構える。浅野組は二次団体の二代目中岡組が所在する広島県東部の福山市なども影響下に置く。[要出典]
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