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日本の少女漫画及びテレビアニメ, 日本の漫画シリーズ ウィキペディアから
『キャンディ♡キャンディ』は、原作:水木杏子、作画:いがらしゆみこによる日本の少女漫画作品。また、それを原作としたテレビアニメ。
講談社の少女漫画雑誌『なかよし』にて、1975年4月号から1979年3月号にかけて連載[1]。単行本は「KCなかよし」で全9巻が刊行された[1]。
1977年(昭和52年)度、第1回講談社漫画賞少女部門受賞[1]。
単行本の累計発行部数は1200万部を突破している[2]。単行本の7巻は、日本の漫画単行本としては初めて初版100万部が印刷された[3]。その後、愛蔵版・新装版・文庫版コミックスでも発行されたが、現在は後述の理由により絶版となっている。
東映動画の制作でテレビアニメ化され、1976年10月1日から1979年2月2日にかけてテレビ朝日系で全115話が放送された。アニメ化効果で原作も当時出ていた6巻までで計900万部を突破、1978年4月発売の7巻は初版100万部を売り出した[4]。劇場公開もされ、主題歌レコードもヒットした。舞台化や小説化もされている。
水木杏子、いがらしゆみこにとっての代表作であり、『なかよし』の看板作品として同誌の売り上げを牽引し、連載中の1976年新年号で同誌は発行部数100万部を達成した[5]。1978年に実施された毎日新聞社による全国学校読書調査の人気漫画の部で、小学生で1位、中学生で2位、高校生では5位にランクインした。なお、この調査は男女別ではなく少年漫画も交えたものである[6]。
最盛期には、キャラクター人形が1年間で200万個・約80億円を売り上げた[7]。
当時講談社専属だったいがらしゆみこの『なかよし』での新連載を始めるにあたって、当時主流だった学園マンガではなく、外国文学のような長く読み継がれる大型の少女名作マンガというコンセプトで講談社の編集部が企画し、原作者として水木杏子が選ばれて連載が始まった[8][9]。なお、水木は「名木田恵子」として仕事をしているが、当時この名義で別の漫画を連載中だったため「水木杏子」というペンネームを用いた。のちにテレビアニメの主題歌を作詞したり、小説版を刊行した際には「名木田恵子」を使用している。
基本的なコンセプトと設定を水木、いがらし、担当編集者の清水満郎の3人で話し合って決め、具体的なストーリー展開は水木が小説形式で原作を執筆し、それをいがらしが漫画化していった。コンセプトの話し合いでは、いがらしがルイーザ・メイ・オルコットの『ローズの季節(花ざかりのローズ、Rose in Bloom: A Sequel to "Eight Cousins")』、清水は『あしながおじさん』、水木が『赤毛のアン』の話を持ち出して、内容に織り込まれた。娘とテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』を見て心が洗われたという担当編集者がああいうのをやりたいと言ったとも言う[8][10]。
水木杏子といがらしゆみこの間に本作の著作権帰属を巡るトラブルが発生し事実上の断絶状態になったため、2001年以降は原作もテレビアニメ版も再版・再放送・配信ができない状態になっている。
中華民国(台湾)と香港では『小甜甜』というタイトルの中國語(台湾華語)と広東語吹き替え版が放映された。
大韓民国ではほとんど日本と時差なく1977年に放送が開始[11]。髪が長くて愁いを帯びた素敵な男性のことを「テリウス」(テリィのこと)と言う[12]。後に日本でも人気になった韓国ドラマ『冬のソナタ』のストーリーに影響を与えた[13]。
その他のアジア各地でも放映された。中でも1989年に放送開始してヒットしたインドネシアでは、初めて放送された日本の連続テレビアニメであり、原作マンガも翻訳出版され、『ドラえもん』とともに現地におけるアニメ・マンガ世代の誕生の契機となった作品である[14]。韓国では原作マンガも出版されたが、当時は日本の大衆文化の輸入が禁止されていたために海賊版の形であり、日本の作品と知らずに接していた韓国人も多い[15]。
1970年代からヨーロッパでも放送され、特にフランスとイタリアで人気を得た。ヨーロッパでも韓国と同様にフランスやドイツで日本の作品と知らずに見ていたと言われることがあり、多くのフランス人がフランス製アニメだと信じていたという逸話がある[15][16]。フランスには1977年に輸出され、1978年から『Candy』のタイトルで毎日5分ずつ放送されて大人気となった[11][17][18][19]。原作も日本と同じ単行本の形で翻訳出版されたがこちらは失敗した[20]。イタリアには1979年にテレビアニメ版が輸出され[19]、放映に合わせて、ファブリ社が少女雑誌『キャンディ』を創刊し、原作を翻訳して週刊ペースで連載。これが大人気となり、連載終結後も続編を希望する嘆願が殺到し、イタリア独自の続編漫画が、原作者の了承によりイタリアのみの公開という条件で1984年秋から発表された[20]。
アメリカ大陸においては、ラテンヨーロッパ文化の影響が強い、主に中南米諸国、そしてカナダでもフランス語版が放映され、人気を博した。ただしアメリカ合衆国においては、小説『あしながおじさん』と設定が瓜二つなことや、劇中の音楽などが差換えられた経緯もあり、ヒットしなかった。
20世紀初頭のアメリカ中西部およびイギリスを舞台に、明るく前向きな孤児の少女キャンディ(キャンディス・ホワイト)が、周囲の出自への偏見に負けず人々の愛情を受けて成長する過程を描く、ビルドゥングス・ロマン。
キャンディは、ミシガン湖に近い孤児院「ポニーの家」で明るく元気に暮らす少女。おとなしくて優しいアニーは同い年の親友である。6歳のある日、アニーが富豪の養女として引き取られた。キャンディはしばらくアニーと文通していたが、出自が知られることを嫌ったアニーから文通を断られ、孤児院近くのポニーの丘で泣いていたところ、スコットランドの民族衣装をまとった見知らぬ少年に声を掛けられる。「おチビちゃん、笑った顔の方がかわいいよ」キャンディは銀のバッジを落としていったその少年を「丘の上の王子さま」と名付け、彼と再会することが最大の願望のひとつとなった。
12歳になったキャンディは富豪ラガン家に引き取られる。しかし、養女ではなく、その家の娘イライザの話し相手としてであった。そこでキャンディはイライザとその兄ニールから手酷いいじめに遭う。ある日、2人の意地悪に耐え切れず、バラ園で泣き出してしまった。そこに、いつの間にか丘の上の王子様そっくりの少年が現れ、「おチビちゃん、笑った顔の方がかわいいよ」と、かつてと同じ言葉を掛けられたが、その少年はすぐにいなくなってしまった。バラ園の門には銀のバッジと同じ紋章が刻まれていた。また、発明好きのアリステア(ステア)、おしゃれなアーチーボルト(アーチー)の兄弟とも出会い、親しくなる。
アードレー一族のパーティーにキャンディも出席し、スコットランドの民族衣装を着たステアとアーチーとともに丘の上の王子様に似たあの少年もいた。彼の名はアンソニー。バラの品種改良が趣味の心優しい少年であった。3人、とりわけアンソニーと親しくなったことで、ラガン家でのいじめはますます激しくなっていった。キャンディはアンソニーから誕生日を聞かれたが、自分の誕生日を知らない彼女に、アンソニーは次に自分と会った日が君の誕生日だと約束をした。後日キャンディはアンソニーと再会し、彼が品種改良して作った新種のバラをプレゼントされた。花の名前はスイートキャンディ。
キャンディはラガン家に来ていたアニーを見かけて喜ぶが、彼女を避けているアニーを気遣い、声を掛けることをためらう。ある日キャンディはニールとイライザが、アニーにいたずらをしてキャンディのせいにしようと企む話を聞き、ニールを殴って阻止したが、事情を知らないアンソニーから単にお転婆が過ぎるためと思われ、傷ついてしまう。落ち込んだキャンディは、ボートに乗って川を下っていけばポニーの家まで行けるかもしれないと思い、そのままうたた寝してしまった。そして気付いた時には、目の前に滝が迫っていた。
気が付くと、髭面でサングラスの男性がキャンディを介抱してくれていた。一見怖い印象だった彼はとても心優しく、いつも動物達と一緒に自由な放浪生活をしていた。その男性はアルバートといい、辛いことがあったらいつでも連絡するようにと励ましてくれた。アルバートと別れたキャンディはラガン家に戻った。
ラガン家でのいじめは相変わらずであった。当初は話し相手だったはずが、使用人見習いにされ、次に馬屋番として馬屋での寝泊りを強要され、挙句の果てに泥棒の濡れ衣を着せられてメキシコに追いやられることになった。しかしメキシコへの出立の直後、3人の少年達がアードレー家の総長「ウィリアム大おじさま」へ送った直訴状によって、キャンディはアードレー家の正式な養女となった。エルロイ大おばさまはキャンディを疎んじるが、キャンディはとまどいつつもアードレー家の生活に馴染んでいった。
アンソニーはキャンディが身に付けている丘の上の王子様の銀のバッジを見付けた。そのバッジはアードレー家の男子が持つ物だと説明し、キャンディは丘の上の王子様のこと、そしてアンソニーにそっくりだということを話す。アンソニーはキャンディが自分を丘の上の王子様に重ねて見ているのではと危惧するが、キャンディは「アンソニーはアンソニーだから好きなの」と告白する。アンソニーは幼い時に亡くした母のことをキャンディに話す。キャンディのお披露目を兼ねてきつね狩りが開かれた。その朝、不吉にもスイートキャンディは枯れてしまっていた。アンソニーはキャンディをエスコートしてきつね狩りに参加するが、落馬事故によりキャンディの目の前で命を落とす。
アンソニーの死は皆を悲しませた。特にエルロイ大おばさまはキャンディに辛く当たる。失意のキャンディは再会したアルバートの言葉に元気を取り戻し、ポニーの家に帰った。ステアとアーチーも家を出ようとするが、ウィリアム大おじさまの使いのジョルジュに止められる。その頃、地主の意向でポニーの家が立ち退きを迫られていることを知ったキャンディは、地主の家に直談判しに行く。キャンディは地主への批判を本人とは知らずに言ってしまい、キャンディはお詫びにポニーの家のみんなでささやかなクリスマスの贈り物をする。無邪気で素直な子供達に心を動かされた地主はポニーの家の存続を決めた。そこにウィリアム大おじさまの命令で、ロンドンの聖ポール学院へ留学させるための迎えがやって来る。遠い海外へ行くことに不安を抱いたキャンディは拒絶するが、ステアやアーチー達もすでに渡英して彼女を待っていると伝えられたため、旅立ちを決心する。
イギリスへ向かう船上で、後姿がアンソニーに似た少年テリュース(テリィ)に出会う。キャンディは泣いていた彼の姿を見てしまい、そのことを伝えるが、「悲しそう? こいつは面白い、この俺が悲しそうなんて」と一笑される。テリィは先ほどとは別人のように彼女をからかい、キャンディはその豹変ぶりに驚き、戸惑う。
規則ずくめの学院生活で、気弱だが心優しい少女パトリシア(パティ)とキャンディは親しくなる。ある日、想いを寄せるアーチーを追ってアニーがアメリカから学院に転校してきた。幼馴染との再会を心の中で喜ぶキャンディだが、アニーは孤児院出身を必死に隠すあまり、またアーチーの心がキャンディにあるのではとの恐れがあるため、キャンディを避けていた。ある日アニーの素性がイライザ達に露見し、一時姿を隠したが、アーチーの言葉に励まされて昔の素直なアニーに戻った。それ以降キャンディ・アニー・パティの3人は固い友情で結ばれるようになった。
奇しくも同じ学院でキャンディはテリィと再会する。そしてキャンディは偶然テリィの出生の秘密を知ってしまう。彼は、独身で通っているブロードウェーの人気女優エレノア・ベーカーの息子であった。母親に会いにアメリカに渡ったものの、「愛してはいるがあなたは決して誰にも知られてはいけない存在、だからもうここへは来てはいけない」とエレノアは残酷にも彼に言った。傷つき、後悔して涙を流していたテリィとキャンディが初めて出会ったのがあのイギリスへ向かう船上だったのだ。イギリスへ戻っても、冷たい継母と貴族という体面を重んじるあまり彼を愛せない父に反発し、学院で不良を装っていたテリィ。キャンディはテリィとケンカを繰り返しつつもいつしか惹かれ、テリィもまたキャンディに心を寄せていく。
5月になり、灰色の学院生活の中で珍しく華やかな催しである五月祭(メイ・フェスティバル)が開催された。しかし開催直前にパティをかばって院長に暴言を吐いてしまったキャンディは参加禁止の上、反省室で過ごすことになる。しかし窓から抜け出し、大おじさまからプレゼントされた衣装とかつらで変装したキャンディは思う存分パーティーを楽しむ。しかし、繁みで密かに着替えているところをテリィに見られてしまう。憤慨するキャンディにテリィは礼儀正しくダンスを申し込む。2人きりのダンス。キャンディはこれは初めてアンソニーと踊った曲だと打ち明けた。するとテリィは突然キャンディを抱きすくめ、唇を重ねた。「不良!」泣きながらキャンディはテリィを平手打ちして言った。アンソニーならこんな乱暴なことはしない…。テリィはキャンディの心の中からアンソニーを追い出すため、嫌がる彼女を馬に乗せて疾走した。落馬で命を落としたアンソニーの記憶が残るキャンディは馬を極度に恐れ、泣き叫んだ。しかし、テリィに促されて周りをよく見ると、緑が飛んでいき、景色が生き生きとして見え、次第にアンソニーの面影が薄れていき、すぐそばにいるテリィの存在が大きくなるのだった。
イライザもテリィに横恋慕していた。テリィとキャンディの仲にイライザは腹を立て、何とかテリィを振向かせようとキャンディの悪口を吹聴するが、逆にテリィにばかにされてしまう。怒ったイライザは卑劣な計略を立てた。2人を夜の馬小屋に呼び出して落ち合わさせ、そこにシスターたちを連れてきたのだ。
2人の言い分も聞き入れられず、学院長の命令によりキャンディは退学処分、テリィは自室での謹慎処分となる。同じ理由で謹慎と退学という不平等の処分にテリィは学院長へ抗議したが、決定は覆らなかった。そこで彼はキャンディの身代わりに自ら退学してアメリカに渡り、それを知ったキャンディもまた彼の後を追う。
苦心の末アメリカへ戻ったキャンディは、懐かしいポニーの家に向かった。そこで直前までテリィが訪ねてきていたことを知るが、一歩違いで会えなかった。突然帰って来たキャンディに、先生達は驚いて訳を聞くと、看護婦になるために戻ってきたのだと彼女は説明した。春になり、ポニー先生の紹介で、キャンディは働きながら看護婦になれる病院に勤め始めた。程なくヨーロッパで戦争が始まる。戦争は拡大し、病院内でも従軍看護婦が派遣されるのではないかとの噂が囁かれる。そしてキャンディを含む5名の看護婦が、外科と内科が専門のシカゴの大病院へ派遣されることになった。
シカゴで働き始めたある日、キャンディはテリィがブロードウェーで役者の道を進んでいて、テリィの劇団がシカゴへ公演に来ることを知る。どうしても彼に会いたい気持ちを押さえきれずキャンディは夜勤を抜け出し、たった一回だけの公演を観に行く。なんとか会おうとするが既に彼は人気スターとなっており、大勢のファンに阻まれて近づくこともできなかった。馬車に乗り込む寸前、キャンディの必死の呼び声にテリィは一瞬振り返るが、彼女の姿を見つけることはできなかった。ファンの雑踏に揉まれるキャンディの脳裏に、イライザの言葉がよぎる。「テリィはあんたなんかとっくに忘れているわ。彼は美人女優のスザナと噂になっているのよ」。キャンディはテリィに直接会って確かめようと滞在先のホテルを訪れるが、スザナに嘘を伝えられて会うことができなかった。スザナもテリィに恋していたのだ。実はテリィも先ほどのキャンディの声が気になっており、公演後のパーティーでステアやアーチーからキャンディがこの公演を観に来ていたことを知ると、パーティを抜け出してキャンディの勤める病院で彼女の帰りを夜通し待っていたのだった。結局2人は会えず、キャンディはテリィが門番に託したメモから彼が病院で待っていたこと、そして昼の列車で出発することを知る。テリィの心が変わっていなかったことにキャンディは喜び、駅に向かって走る。プラットホームではテリィが出発ギリギリまで待っていたが、キャンディはとうとう現れず、発車後もデッキに残っていたところ、遠くから懸命に列車に駆け寄るキャンディを見つけた。「キャンディ!」「テリィ!」ほんの一瞬だったが、はっきりと2人はお互いを認める。
ある日、キャンディが勤める病院に、アルバートによく似た男性が搬送されてきた。顔色をなくし、髪の色は違うものの、アルバートにそっくりなこの男性は記憶を失っていた。身元不明のこの患者は病院では歓迎されず、正式な看護婦となったキャンディはこの男性を自分のアパートに引き取って看護する。
キャンディと文通で近況を報告し合っていたテリィは、もう帰さないつもりでキャンディをブロードウェーへ招待する準備を始めた。ある日スザナが偶然キャンディからの手紙を読んでしまう。スザナはテリィに思いを告白し、テリィはキャンディへの気持ちを打ち明けるが、それでもスザナはテリィを諦めることはできなかった。新しい演目の初日が近づいた舞台稽古中、テリィの頭上に落ちてくる照明器具からスザナが身を挺してテリィをかばう。この事故によりスザナは右足切断の重傷を負う。やっとニューヨークでキャンディと再会したテリィだったが、スザナのことが頭をよぎり、時折暗い表情を見せるのだった。事情を知ったキャンディはスザナに会いに行くが、彼女は書置きを残して死ぬつもりでいた。間一髪彼女を助けたキャンディは、彼女の足のことやテリィへの愛の深さを知り、身を引くことを決意した。テリィもスザナを見捨てることができず、最後にキャンディを抱擁して2人は別れた。テリィとの身を引き裂かれるような別れの傷心を抱き、キャンディはシカゴの病院へ戻っていく。
キャンディがニューヨークに行っている間に志願兵となって戦地へ赴いていたステアは戦死してしまう。敵軍のエースパイロットと一騎討ちするものの相手の機が不調だったのを見逃したところを別の敵機に撃ち落とされてしまったのだ。恋人のパティは嘆き悲しむが、キャンディ達に励まされる。アーチーは、アンソニーが死んで悲しすぎるとして、二度と吹かないとステアと約束したバグパイプを吹く。
ニールは、街でチンピラに絡まれているところを助けられて以来キャンディにしつこく付きまとい続けていたが、テリィの名を騙ってキャンディを呼び出すなど、そのやり方はどんどんエスカレートしていった。
一方、「うさん臭い黒服の人物と会っているのを見た」とアルバートの身分を怪しむアパートの大家や住人たちがキャンディと揉めているのを知ったアルバートは、これ以上迷惑はかけられない、と静かにキャンディの前から姿を消してしまう。失意のキャンディの元に、アルバートから小包が届く。キャンディはアドレスを頼りにアルバートの滞在する街を訪れるが、そこにアルバートの姿はなく、その代わりに目にしたのは場末の芝居小屋で演じるテリィであった。かつての輝きは見る影も無く、自暴自棄となりすっかり精彩を欠いたテリィを、キャンディは客席から涙ながらに激励する。舞台上のテリィは客席に悲しげな表情のキャンディを半分幻のように捉え、キャンディもスザナも幸せにできなかった自分を悔い、もう一度役者の道を一からやり直すことを決意する。
ニールはキャンディに惚れて求婚するが、あっさり断られる。キャンディへの思いを更に募らせたニールは、「キャンディと結婚できなければ志願兵に行く」と心にもないことを言い出し、「ウィリアム大おじさま」の命令だとしてキャンディと婚約することになる。ニールとの婚約の取り消しを求めるべく、キャンディが、養父でありながら一度も会ったことのない「ウィリアム大おじさま」への直談判のために会いに行くと、そこにいたのはあのアルバートこと、ウィリアム・アルバート・アードレーだった。記憶を取り戻したアルバートは、一族の束縛を嫌い、身分を隠して放浪の旅を送っていたと語った。アルバートからアンソニーは甥だと聞かされ、キャンディのことを姉ローズマリーに似ているとも言った。婚約式当日、アーチー達に逃亡を勧められるが、キャンディはアードレー家一族の前で婚約の拒否を宣言、更にアルバートがアードレー家総長として初めて公の前に姿を現し、キャンディとニールの婚約はウィリアムの出現により解消された。
キャンディはポニーの家に帰る。それまでの事を思い出しながら思い出のポニーの丘に登ったキャンディ。自然と涙がこみ上げてきた。「おチビちゃん、きみは泣いている顔より笑った顔のほうがかわいいよ」後ろから声がして振り返ると、そこには大人になった丘の上の王子様が立っていた。幼いキャンディが出逢い、心の支えにしてきた「王子さま」は少年時代のアルバートだったのだ。
すべて絶版である
1978 - 1979年に発売され、1990年に新書版として再版された。水木著で全3巻。1~2巻は原作漫画に沿った展開で、キャンディが聖ポール学院を退学してテリィを追う時点で終了。3巻では一変して原作、アニメの後日談の物語。キャンディやテリィなどのレギュラーの他、キャンディが旅先で出会った人物たちの後日談や裏話などが明かされる、
著作権トラブルによって漫画版が絶版になった後、復刊ドットコムに300以上の復刊投票が寄せられて、2003年にいがらしゆみこの挿絵を除いた形で復刊された[37]。
2010年には物語のその後を描いた『小説キャンディ・キャンディ FINALSTORY』が祥伝社より刊行されている。
名木田恵子(著) / いがらしゆみこ(絵)
原作開始の1年半後にテレビアニメ版が放映開始、原作と同時進行しながら1976年10月1日から1979年2月2日まで放送。放送時間帯は、毎週金曜日19時から19時30分(全115話)。最終話は、原作の最終回が掲載された「なかよし」の発売日の前日に放送された[43][44]。これは物語のラストで語られる「ある秘密」を出来るだけ同時に明かすようにするための意図的な試みであった[10]。
アニメ化に際しては基本的に原作に沿い忠実なストーリー展開になっている[43][44]。ただし月1回連載の漫画と毎週放映するテレビアニメとでは1話の枠に入れるストーリーの量に差異が生じるため、多少ダイジェスト気味になっている回もある[注釈 8]。最終回近くではストーリーが原作漫画に追い付いたが、102話から109話にアニメオリジナルエピソードを挿入するなど関係各位の調整により、上記の通り同時期に完結した。
初回の視聴率は9.5%、以後1クールまでは13%前後で、期待された15%を下回る数字で決して芳しい視聴率ではなかったが、本放送中に帯番組形式で再放送を実施するなどの施策も用い、2クール目あたりから高視聴率を得るようになった[7][44][45]。
原作者たちのアニメ版に対する評価は第1話の圧縮展開に対して性急だとクレームが付いている(アニメサイドが説得して了承してもらった[46])水木は「作画が可愛くないのが不満」や原作にはない「クリン」というキャラクターを登場させたことに怒っていたらしく(本放送当時は)見なかったという(なお後に「今はあの泥臭さが懐かしい」とインタビューで答えている[47])。いがらしはアニメ版が縁となってアンソニーを演じた声優の井上和彦と結婚(のちに離婚)、番組終了時に原作に沿った形でのリメイクを希望する発言をしている[48]が、後年に発生した水木との著作権をめぐる裁判闘争の影響により、完全な形でのリメイクは未だに実現していない。
スポンサーには玩具メーカーのポピー(現:バンダイ)がつき、数々の関連キャラクター商品を発売してこれも爆発的な売れ行きを示す大ヒットとなった。それまで『仮面ライダー』、『マジンガーZ』など男児向けキャラクター商品に強みを持っていたポピーが本作によって女子向け玩具開発のノウハウを掌握して、後番組の『花の子ルンルン』以降もスポンサーとなり、女児向け玩具がポピーの屋台骨となっていった[49]。1977年10月から1979年2月までに約2000種の商品が開発され、小売販売額は推計で1000億円を突破した[50]。
前述の海外輸出やマーチャンダイジングなどで、1970年代の東映動画に莫大な収益をもたらして他作品の赤字を穴埋めするドル箱作品となった[16]。東映アニメーションの社史では『マジンガーZ』とともに本作を自社の金字塔となったテレビアニメとしている[51]。
本作の成功によりテレビ朝日と東映動画は後番組でも『花の子ルンルン』以降でこの枠で少女アニメ路線を採用し、他社でもポスト『キャンディ・キャンディ』を狙って同趣向の少女向けアニメが登場した[43]。原作の発行元である講談社も『キャンディ・キャンディ』の成功例に倣って、原作つき少女マンガを推進したが、なかなか本作のような成功は得られなかった[52]。
渡辺岳夫による劇伴曲は、日本コロムビア「Columbia Sound Treasure Series」の一つとして2015年9月に『キャンディ キャンディ SONG & BGM COLLECTION』のタイトルでリリースされている(品番COCX-39246-8)。この盤は3枚組のCDに主題歌や挿入歌なども含めて収録されており、現在はこれを手に入れればキャンディ関連の楽曲を概ね一通り聴くことができる。
([61])
話 | サブタイトル | 脚本 | 演出 | 放送日 |
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1 | 投げなわ上手のすてきな子 | 雪室俊一 | 設楽博 | 1976年 10月1日 |
2 | 飛び出せ!ふたりで冒険 | 葛西治 | 10月8日 | |
3 | さようならをはこぶ馬車 | 山本寛巳 | 10月15日 | |
4 | 笑顔の方がかわいいよ! | 山口秀憲 | 10月22日 | |
5 | 今日からお嬢さま? | 芹川有吾 | 10月29日 | |
6 | バラの門で逢った人 | 城山昇 | 笠井由勝 | 11月5日 |
7 | お上品に見えるかしら? | 葛西治 | 11月12日 | |
8 | しあわせを呼ぶ招待状 | 山本寛巳 | 11月19日 | |
9 | あの人と逢えた舞踏会 | 11月26日 | ||
10 | 馬小屋のお嬢さま | 雪室俊一 | 12月3日 | |
11 | 心をつなぐ小さなリボン | 12月10日 | ||
12 | バラの薫る誕生日 | 笠井由勝 | 12月17日 | |
13 | ひとりぼっちが三人 | 12月24日 | ||
14 | 春風いっぱい大きな木 | 1977年 1月7日 | ||
15 | しあわせを奪う決定 | 城山昇 | 1月14日 | |
16 | 知らない国への旅立ち | 1月21日 | ||
17 | はるかな渇いた荒野で | 1月28日 | ||
18 | 運命をみちびく十字架 | 2月4日 | ||
19 | 苦しみの旅の果てに | 2月11日 | ||
20 | 夢のようにしあわせな私 | 雪室俊一 | 2月18日 | |
21 | 友情を伝える鳩 | 2月25日 | ||
22 | 負けないでアンソニー! | 3月4日 | ||
23 | はじめてのデイト | 3月11日 | ||
24 | 私のアンソニー | 3月18日 | ||
25 | 哀しみを越えて明日へ | 3月25日 | ||
26 | お父さんの木は知っている | 城山昇 | 4月8日 | |
27 | 天使のプレゼント | 4月15日 | ||
28 | 深すぎる心の傷あと | 4月29日 | ||
29 | 希望への船出 | 5月6日 | ||
30 | 愛は荒波を越えて | 山口秀憲 | 5月13日 | |
31 | 古い都の新しい日 | 雪室俊一 | 笠井由勝 | 5月20日 |
32 | 牢獄の中のポニーの丘 | 葛西治 | 5月27日 | |
33 | しわのある新入生 | 6月3日 | ||
34 | 裏がえしの封筒 | 6月10日 | ||
35 | すてきな日曜日 | 6月17日 | ||
36 | よみがえった微笑み | 城山昇 | 遠藤勇二 | 6月24日 |
37 | ふしぎなめぐり逢い | 笠井由勝 | 7月1日 | |
38 | テリュースの秘密 | 葛西治 | 7月8日 | |
39 | 怒りをかった宝物 | 山吉康夫 | 7月15日 | |
40 | 反省室は出入り自由 | 山本寛巳 | 7月22日 | |
41 | 学園祭の妖精 | 設楽博 | 7月29日 | |
42 | 真夜中のピクニック | 雪室俊一 | 笠井由勝 | 8月12日 |
43 | 湖畔のサマースクール | 葛西治 | 8月19日 | |
44 | 母と子の絆 | 遠藤勇二 | 8月26日 | |
45 | 二人でホワイトパーティー | 山口秀憲 | 9月2日 | |
46 | 夏のおわりのときめき | 笠井由勝 | 9月9日 | |
47 | イライザの黒い罠 | 設楽博 | 9月16日 | |
48 | 冷たく厚い壁の中で | 城山昇 | 9月23日 | |
49 | テリュースの決意 | 9月30日 | ||
50 | 朝もやの中の旅立ち | 10月7日 | ||
51 | 港への遠い道 | 10月14日 | ||
52 | 馬小屋で見る星 | 10月21日 | ||
53 | マウント・ロドニの夜明け | 10月28日 | ||
54 | 夜霧のサザンプトン港 | 雪室俊一 | 11月4日 | |
55 | ふたりの密航者 | 11月11日 | ||
56 | 嵐の海の彼方に | 11月18日 | ||
57 | 港の見える窓 | 11月25日 | ||
58 | 銀世界の故郷 | 12月2日 | ||
59 | おてんば一日先生 | 12月9日 | ||
60 | 心に響くたくましい足音 | 城山昇 | 12月16日 | |
61 | うぶ声は銀嶺にこだまして | 12月23日 | ||
62 | 新しい道への汽笛 | 12月30日 | ||
63 | 町で会ったお婆ちゃん | 山本寛巳 | 1978年 1月6日 | |
64 | 白衣の天使はオッチョコチョイ | 葛西治 | 1月13日 | |
65 | 笑顔で看護 | 山口秀憲 | 1月20日 | |
66 | 夢の大おじさま | 雪室俊一 | 遠藤勇二 | 1月27日 |
67 | その人はどこに | 笠井由勝 | 2月3日 | |
68 | 春に散る花 | 葛西治 | 2月10日 | |
69 | 想い出の白いバラ | 山本寛巳 | 2月17日 | |
70 | かわいい花嫁さん | 山口秀憲 | 2月24日 | |
71 | 丘の上のマドロスさん | 遠藤勇二 | 3月3日 | |
72 | 特別室の少女 | 城山昇 | 笠井由勝 | 3月10日 |
73 | テリュースのうわさ | 設楽博 | 3月17日 | |
74 | 大都会の病院へ | 葛西治 | 3月24日 | |
75 | 大おじさまの館 | 山本寛巳 | 3月31日 | |
76 | 思い出を呼ぶ小さな家 | 葛西治 | 4月7日 | |
77 | 危険なガーデンパーティ | 遠藤勇二 | 4月14日 | |
78 | テリュースのメロディ | 雪室俊一 | 山口秀憲 | 4月28日 |
79 | スポットライトの陰で | 笠井由勝 | 5月5日 | |
80 | つかのまの再会 | 遠藤勇二 | 5月12日 | |
81 | 顔のないテリュース | 葛西治 | 5月19日 | |
82 | 心に咲く花 | 山口秀憲 | 5月26日 | |
83 | トランプをする幽霊 | 山本寛巳 | 6月2日 | |
84 | 白衣に忍びよる戦争の影 | 城山昇 | 遠藤勇二 | 6月16日 |
85 | 愛と憎しみの家族 | 笠井由勝 | 6月30日 | |
86 | 過去を忘れた人 | 山本寛巳 | 7月7日 | |
87 | ふたりの試練 | 遠藤勇二 | 7月14日 | |
88 | 大空にはばたく日 | 笠井由勝 | 7月28日 | |
89 | 消えたアルバートさん | 7月28日 | ||
90 | 町はずれの小さな城 | 雪室俊一 | 遠藤勇二 | 8月11日 |
91 | 遠くて近い人 | 山口秀憲 | 8月18日 | |
92 | 愛のショック療法 | 山本寛巳 | 8月25日 | |
93 | しわのあるキューピット | 笠井由勝 | 9月1日 | |
94 | 旅の道づれ | 本庄克彦 | 9月8日 | |
95 | 美しいライバル | 設楽博 | 9月15日 | |
96 | 片道キップの招待状 | 城山昇 | 山本寛巳 | 9月22日 |
97 | 夢にまでみた再会 | 笠井由勝 | 9月29日 | |
98 | 胸さわぐ開幕のベル | 10月6日 | ||
99 | 雪の日の別れ | 山口秀憲 | 10月13日 | |
100 | 悲しみのプラットホーム | 設楽博 | 10月20日 | |
101 | かすかな記憶の糸 | 山本寛巳 | 10月27日 | |
102 | ポニーの丘の十字架 | 雪室俊一 | 笠井由勝 | 11月3日 |
103 | 命がけの遠い旅 | 本庄克彦 | 11月10日 | |
104 | 天使のいらない診療所 | 山口秀憲 | 11月17日 | |
105 | やさしい逃亡者 | 笠井由勝 | 11月24日 | |
106 | もうひとりの殺人犯 | 設楽博 | 12月1日 | |
107 | 特別メニューは百人前 | 山本寛巳 | 12月8日 | |
108 | 谷間にとどろく歓声 | 笠井由勝 | 12月15日 | |
109 | 小さなカウボーイの涙 | 城山昇 | 山口秀憲 | 12月22日 |
110 | 迷惑な恋 | 笠井由勝 | 12月29日 | |
111 | よみがえった遠い日日 | 山本寛巳 | 1979年 1月5日 | |
112 | それぞれの愛の行方 | 本庄克彦 | 1月12日 | |
113 | 去りゆく人 | 笠井由勝 | 1月19日 | |
114 | 大おじさまに会える日 | 山本寛巳 | 1月26日 | |
115 | ポニーの丘は花ざかり | 笠井由勝 | 2月2日 |
放送時間の出典は個別に提示されているものを除き、右記のものを使用する[62]。
その後、後述の著作権問題が起こるまで、全国各地の系列局・系列外局でも再放送が行われた。
本放送終了後も関連グッズの販売がしばらく継続されていたためか、サンテレビ・KBS京都の様に、本放送当時のメインスポンサーだったポピー(現:バンダイ)が再度スポンサーに付いて、KBSを発局とする形で2局同時ネットで再放送したという例もあった。
NET→テレビ朝日系列 金曜日19:00枠(1976年10月 - 1979年2月) | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
キャンディ・キャンディ
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いずれも20分前後の短編作品。1970年代の作品は東映まんがまつりの1本として上映。14年ぶりのリメイクとなった1992年の作品は「夢のファンタジーワールド」と題して、『きんぎょ注意報!』、ディズニーの『シンデレラ』・『ミッキーのたつまき騒動』とともに上映された。
1977年12月20日から12月28日まで、キャロライン洋子主演のミュージカルが三越劇場で上演された[75]。これに関連して、「キャンディ・キャンディ」「あしたがすき」のキャロライン洋子によるカバー盤(編曲:戸塚修)が発売された。
また、1977年12月20日から12月27日まで劇団ピッカリ座によるぬいぐるみミュージカルが国際劇場で上演された[75]。
本作の主人公のキャンディを無断でTシャツに使用し、ニセの証紙[注釈 10]まで貼って販売したとして、1978年7月に、アニメの著作権者である東映動画が大阪府警に業者Kを刑事告訴。1979年8月に、大阪地裁で被告人に有罪判決が下った。日本の商品化権侵害における初めての刑事事件とされている[76]。
東映動画は1970年代前半まで赤字経営であった。経営改善のために1974年に新社長に就任した今田智憲は、新施策を次々に打ち出した。そのうちの一つに繊維問屋の岩井との提携があった。
繊維業界は流通が複雑で原糸、原反、染色、捺染[注釈 11]、縫製でそれぞれ別業者が担当していた。繊維メーカーはそれぞれの業者と契約を結ぶわけだが、生産のミスマッチが起きやすく、生産が滞ることが多発していた。特に捺染と縫製では零細業者が多いため生産不足に陥ることが多かった。さらにキャラクター衣料の場合、年度始めの4月にスタートさせる番組が多いため、夏までに時間が足りず、十分な数の夏物のキャラクター衣料を生産するのが困難だった。
このため、東映動画からキャラクター衣料を許諾された繊維メーカーは契約違反を犯して、東映が認めない業者に不足分の生産を委託すること[注釈 12]が多かった。これら東映の管理を離れたキャラクター衣料の一部は無許諾商品として市場に出回った。キャラクター衣料が、他の関連商品と比べると製造が容易なことも、拍車をかけた。無許諾製品は品質に劣ることが多いため、キャラクターのイメージを傷つけた。また、偽物は廉価で売られることが多く、正規品の販売にも悪影響を与えた。
岩井との提携はこの無許諾生産をなくすためで、この提携で東映動画は末端業者に至るまで生産者すべてと直接契約を交わし、一旦すべてのキャラクター衣料は東映動画に納めた上で、岩井が販売する形をとった。
1978年5月、岩井社員が同社が卸していないスーパーで本作のTシャツが販売されていることを発見した。Tシャツには東映動画の証紙が貼られていたが、東映が証紙印刷を依頼している印刷屋は偽物と断定した。岩井は発見元のスーパーから問題のTシャツの流通を追跡し、大阪の業者Kという男にたどり着いた。Kは前年まで本作のキャラクター衣料を製造していた三露産業の販売員だった。東映と岩井とKの間で話し合いが行われた。Kは当初、事実を認め謝罪し、偽物の版型とニセ証紙の版型を提出することを誓約したが、後に態度を豹変し「やれるものならやってみろ」という旨の発言をした。東映動画は示談ではなく、法的追及を決断した。同社の顧問弁護士はまずKに警告文を送ったが無視され、Kは行方をくらました。
ここで東映動画のいうところの「ラッキー」なことが起きる。本作のTシャツを独占して捺染していたプラザ商事が、他社が捺染した本作のTシャツを発見したのである。不審に思った東映はTシャツを捺染した三陽捺染から昭和産業という会社の依頼だったことをつきとめる。さらに昭和産業は大阪の伊藤萬の嘱託のKという男の依頼を受けて依頼したことが解った。また、三陽捺染は妙見繊維という縫製会社からも依頼を受けていた。昭和産業と妙見繊維の依頼で同社が捺染した本作のTシャツは12万枚に及んだ。
一方、岩井は流通関係の調査を進め、ニセTシャツの流通経路をいくつか突き止めた。突き止めた流通経路で取り扱っていたTシャツは約1万2000枚であり、前述の12万枚の一部に過ぎないが、それらの仕入先がすべてKであることが解った。
また、ジーンズ・メーカーの備前興業が同じ人物から3万5000枚の東映動画の証紙を買い取ったことを岩井に伝えてきた。東映動画と岩井がニセ証紙の捜査を進めていることは業界で知られつつあり、そのことが備前興業にも伝わったのである。それらの証紙はすべて偽造品であった。こうして証拠品を得たことが告訴に踏み切らせる大きな要因となった。
1978年7月7日、東映動画は業者Kを大阪府警に有印私文書偽造、同行使罪、著作権侵害罪で刑事告訴した。大阪府警は告訴を受けて捜査を開始。まず問題になったのは著作権である。大阪府警は文化庁著作権課に問い合わせをした。すると回答は原作漫画の著作権侵害になることは確かだが、二次著作物であるアニメの著作権の侵害にはならないのではないかということだった。そこで大阪府警は原作を出版している講談社に問い合わせた。講談社は東映動画に本作のアニメ制作のために原作使用権および商品化権を一任していることなどを答えた。
また、原作者であるいがらしゆみこと水木杏子は講談社の要請により、業者Kを大阪府警に告訴した。著作権の問題がなくなった大阪府警は大規模な捜査を開始。行方不明だったKの居場所を突き止め、逮捕した。また、偽造製造されたTシャツは237,331枚で、その内、販売されたTシャツは222,347枚に及ぶことが解った。
裁判で争点となったのは、アニメの創作者である東映動画に著作権があるかということである。K側は「原作漫画の複製物にすぎず、第二次著作物としての独自の創作性を全く欠いている」と主張したのである。裁判所は「『キャンディ・キャンディ』なる女の子のキャラクターの生みの親が原作漫画であるとすれば、本件映画はその育ての親」としてアニメに創作性を認め、キャンディのキャラクターに関する東映動画の著作権を認めた。もっとも、これは原作者の告訴がなかったら、出なかった判決とされた。1979年8月14日、Kは有罪になり、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。執行猶予がついたのは並行して行われた民事訴訟でKが東映動画に和解金950万円を払い、和解が成立したためだと推測された。また、著作権侵害は成立したものの、私文書偽造は成立しなかった。証紙はローマ字で書かれており、ローマ字で書かれた文章は、私文書偽造罪にならないためである[77]。
判決はむしろ、著作権を軽視する風潮が強かった繊維業界に対する警告の意味が強かったとされる。
原作者・水木杏子と作画者・いがらしゆみこの間で生じた、本作の著作権帰属を巡る争い。
当初、いがらし側が契約違反でキャラクターの無断使用したことに対し争う裁判であったが、いがらし側が「水木の著作権そのものが存在しない」と主張したため、本裁判は水木の著作権の確認が争点となった。
本作品についての確定した最高裁判決を要約すると、
と判断された。
つまり、
という結論である。これは漫画連載当時の1975年から1995年の契約解除までの間、講談社が行ってきた版権処理とも合致する[78]。
ちなみに、前述のニセTシャツを受けて「二度目の著作権侵害事件」とされている[79]。
1995年に、いがらしと日本アニメーションとの間で「キャンディ・キャンディ」のリメイクの話が浮上したため、講談社に委託していた著作権管理契約を解除したことに始まる[注釈 13]。しかし、リメイクの話は進展せず、日本アニメーションから続編の作成を依頼された水木杏子(名木田恵子)が「キャンディ・キャンディ」はすでに完結したものとして断ったこともあり、リメイクの話は立ち消えになった。
アニメ企画に合わせて、1995年11月には水木といがらしが「キャンディ・キャンディ」の著作権に関して、営利目的の二次使用や商品化等についてすべて「双方の同意を必要」とする契約を締結したが、この管理業務を委託する管理者が決まらないまま、契約が宙に浮く形になっていた(その後、いがらしは水木に契約違反を指摘され、契約を解除した)。
1997年5月に「キャンディ・キャンディ」の写真シール機が設置されていることが判明した。ゲーム会社バンプレストといがらしのマネージャーの山本昌子が代表を務める香港のキャンディ・コーポレーションとの契約により設置されたものだった。また、香港の玉皇朝出版が「キャンディ・キャンディ」の翻訳版を出すことが発覚した。どちらも原作者、水木の了解なしに行われたものだった。香港の翻訳版については、原作者が抗議したものの、最終的には契約し、出版を認めている。
また、1997年8月以降、産経新聞、サンケイリビング新聞紙上における通信販売や原画展等において、フジサンケイアドワークらが、3万円から14万円の「高級オリジナル現代版画(オフセット印刷)」を作成し、販売した。1997年11月には、岡山県倉敷市にいがらしが「いがらしゆみこ美術館」をオープンし、そこでも多くのキャラクター商品が発売された。1998年6月にはカバヤ食品がいがらしゆみこだけの著作権表示をした「キャンディ・キャンディ」の飴[80]を販売していることが発覚した。これらは、すべて水木の了解なしに、いがらし側の独断で行われていた。
水木は1997年11月に締結した契約違反であるとして、いがらしとフジサンケイアドワークに複製版画の出版差し止めや販売差し止めを請求して裁判となった。いがらしは契約違反について全面否定した上で、「水木が原作者ではない」「水木に著作権はない」「"絵"はいがらしの専有するものである」などと主張し、「水木の原作」であること否定し続けた。そのため、裁判は「誰がマンガの著作者であるか」を争点にして争われるようになる。
裁判が行われている間も、いがらしと一部の業者、いがらしの弁護士は「控訴しているので、まだ判決は確定していない」「裁判は終わった」「水木と和解した」「商品化しても水木に了解を取る必要はない」などを主張し、販売を続けていた。また、朝日新聞朝刊(東京本社版2000年9月19日付朝刊32面)に掲載のエステー化学(現:エステー)の広告にキャンディとアルバートそっくりのキャラクター(名前はそれぞれ「ゆみちゃん」と「いがら氏」となっており別人という態だった)が掲載されたり、美術館に原画展示の許諾を求めて、逆にいがらしが水木を訴えたりした。
判決後も、いがらし側は、日本国外版の出版許可を水木の許可なく行ったり、いがらし美術館で、「キャンディ・キャンディ」の絵を展示するなど、判決の内容に反する行為を続けていたが、現在ではなくなっている。
2001年10月に最高裁判所で原作者である水木の勝訴が確定した。この判決により、「キャンディ・キャンディ」は、「原作については水木のみが著作権を持つ」が、「キャンディ・キャンディ」を描いた「漫画については、原作の二次的著作物である」ことが確認され、「原作者の同意なしに営利目的での作成、複製、又は配布をしてはならない」ことになった。
この裁判は「ウルトラシリーズ」(ウルトラマン訴訟)「宇宙戦艦ヤマト」とともに、作品やキャラクターの著作権・ライセンス契約等を巡る訴訟として法曹関係者の注目も集め、「著作権判例百選 別冊ジュリスト(No.157)(第三版 2001年5月刊)」で解説がされている。しかし、解説中の「本件においてはX(水木)の原作原稿に基づいてY(いがらし)が漫画原稿を作成するという一方的な関係のみならず、そうして出来上がった漫画作品に合わせてX(水木)が次回原作原稿を作成するという双方向的な関係が存在しているから」という記述について、原作者の水木は、一般的には、漫画の原作は漫画に先行して作成されるもので、漫画に合わせて原作が作られることはないとして、「法曹関係者は事実関係の確認をしないまま、いがらし寄りの見解を掲載している」と批判している[81]。
一方で、梶原一騎のように、自身の原作を踏まえて描かれた漫画を見て、原作を膨らませたと認めている例や[注釈 14]、永井泰宇(高円寺博)・永井豪兄弟とダイナミックプロのように、親族や所属作家同士で作品に応じて互いに原作と作画・ノベライズや共同製作を行った例があるなど、一方的な関係か双方向的な関係かは作品ごとに異なる。
本作品については、双方向的な関係を一部認めながらも、全体としては一方的な関係であるとして、水木が原作者としての権利を有すると判断している。なお、いがらしも連載中からこの関係を容認していたとも判断している。
学者や法律実務家の中では、「キャンディ・キャンディ」のキャラクターの絵自体は「キャンディ・キャンディ」の漫画とは別の著作物と考えられ、そこに原作者の権利をすべて及ぼすのは保護範囲が広すぎる、というような上記の最高裁判決に批判的な意見が多い[82]。著作権法では漫画をはじめとする創作作品中のキャラクター(絵柄のことではなく、登場人物の存在そのもの)には著作物性を認めていない。詳細は、「ポパイネクタイ事件」最高裁判決平成9年7月17日を参照 [83]。
講談社の版権事業推進部長・新藤征夫は、地裁判決の翌朝の『朝日新聞』朝刊にて「1995年に五十嵐さんと、名木田さんの側から「自分たちで版権を管理したい」との要望があり、2人に返した。原作者と漫画家だけで管理するのは珍しいケース。出版社が仲介する場合、契約で原作者と漫画家の権利は同等に定めるのが普通だ。漫画にとって設定、ストーリー、世界観も重要な要素で、原作あっての漫画だといえる。漫画家が絵だけの権利を主張しても通らないのが業界の常識になっている。」とコメントしている[84]。
講談社版の単行本は、1995年に著作権契約を解除した後も出版契約が続いていたが、最高裁の判決後のいがらし声明文[85]を受けて、水木と講談社の話し合いにより契約解除・絶版となった。中央公論社の文庫版は水木が中央公論社との契約を解除し、1999年1月に絶版となっている。
東映アニメーションが講談社から許諾を受けていた著作権の二次使用権が失効となったため、現時点ではアニメーション作品の再放送とビデオ・DVD化とインターネット配信などが不可能となっている。原作者・作画者ともにアニメの再公開に関しては、東映からの申し入れがあれば許諾すると公に発言しているが、2016年3月まで東映CMの公式サイトでは「現状諸問題があり、CM利用ができない」と明記されていた[86]。
いがらしは2007年1月から3月の間、台湾・三義郷西湖村にある西湖渡假村(レジャーランド)にて、日本アニメーションと合同で『甜甜Lady Lady』と題された「オリジナル新作」のイベントを開催しているが、そのキャラクターはキャンディ、アンソニー、テリィにそれぞれ類似していると指摘された上、イベントステージでは「甜甜の憧れの王子様」に扮した役者がバグパイプの演奏をするなど、ストーリー内容面での類似も指摘されている[87]。台湾では既に『甜甜Lady Lady』のキャラクターグッズが販売されており、同年5月には日本アニメーション作品である『赤毛のアン』『ペリーヌ物語』とセットで『甜甜Lady Lady』のイラスト入り記念切手が発売された[88]
2008年8月には『甜甜Lady Lady』の版権管理会社であり、いがらし原作の『レディジョージィ』DVDボックスを『甜甜Lady Lady』の複製画の特典付で販売していた齊威國際多媒體股有限公司(Power International Multimedia Inc.、略称PIM)から、『キャンディ・キャンディ』のDVDボックスが発売された。PIMはスペインから版権を取得した正規品と宣伝しているが、東映も水木も関知していないという。
2003年に復刊ドットコムより水木による小説版が復刊された際には、いがらしの挿絵を除外したことで版権の問題をクリアしている。また、前述のサウンドトラックをCD化した『キャンディ キャンディ SONG & BGM COLLECTION』には、いがらしの物やテレビアニメ版も含めて、イラストがジャケットにもブックレットにも一切入っていない。
『朝日新聞』2009年4月23日付夕刊7面ではイラストが入った主題歌シングルのジャケットが、2013年発売の宝島社のブランドムック『いがらしゆみこ 45th Anniversary Book』では講談社版の単行本の表紙がそのまま紹介された。
未だに日本でDVDが発売されていない。下記の他、イタリアでも発行されている。
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