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日本の岡山県岡山市にある菓子メーカー ウィキペディアから
カバヤ食品株式会社(カバヤしょくひん)は、岡山県岡山市北区と東京都千代田区に本社を置く日本の菓子メーカーである。日本カバヤ・オハヨーホールディングスの関連会社。
本社営業部・岡山工場 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | カバヤ |
本社所在地 |
日本 〒709-2196 岡山県岡山市北区御津野々口1100 |
設立 | 1946年(昭和21年)12月24日 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 1260001001862 |
事業内容 | 菓子 |
代表者 | 代表取締役社長 穴井哲郎 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 238億円(2020年3月期) |
従業員数 | 746人(2021年5月現在) |
主要株主 |
D Capital 1号投資事業有限責任組合の出資するSPC 70% 日本カバヤ・オハヨーホールディングス 30% |
関係する人物 |
野津克巳 池田基煕 |
外部リンク | https://www.kabaya.co.jp/ |
特記事項:東京本社:〒102-0094 東京都千代田区紀尾井町3-12 紀尾井町ビル10階 |
キャッチフレーズは「おいしさ、健康・美、たのしさ」。
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1946年(昭和21年)創業。終戦間もない頃、岡山駅前の喫茶店の店舗裏で菓子製造を始めたのが会社の起源だという。当時、水飴の製造メーカーであった林原(現・ナガセヴィータ)が、水飴の需要が落ち込む2月と8月の閑散期を埋めるため、自社でキャラメルの生産を始めたことが設立のきっかけである[1]。
社名の「カバヤ」は、戦後間もない頃創業されたことから、平和を愛し、おとなしい動物であるというイメージを持つカバから採られたものである[注釈 1]。
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カバヤ文庫(カバヤぶんこ)は、カバヤ食品の創業時の看板商品だった「カバヤキャラメル」の景品。キャラメルの箱の中に封入されていた「文庫券」(点数カード)を50点集めて、目録で「カバヤ児童文庫」(世界名作小説集)のタイトルを希望してカバヤ本社に郵送すると、希望通りの本が送られてくるというもの。
1952年(昭和27年)から1954年(昭和29年)までの3年間、キャラメルの販促キャンペーンとして実施した。現在はカバヤ文庫の全巻を岡山県立図書館で閲覧できる。また、同図書館のサイトでデジタル化したものを検索閲覧できる[6]。
また漫画もおまけとして配布しており、巴里夫がデビュー間もない頃に漫画を描いていた[7]。
ちなみに当時は定期刊行物としてハードカバーは認められておらず、林原一郎会長は「子どもが大切にする本だからハードカバーです」とゆずらなかった事から、広島郵政局に提出する見本はペーパーバックとして製作し、応募者にはハードカバーを送ったとされる[8]。
各種の食玩を販売するメーカーとしても知られている。初期の頃はキャラメルのおまけのカバヤ文庫に始まり、後には乗り物等のプラ製玩具を封入した。
カバヤリーフ(前述)時代は野球関連の食玩を手がけ、プロ野球選手のカードガム(名称不明)やビッグリーグガム(主に野球ボールガムと立体パズル)とエフワンガム(乗り物等のミニモデル。後のニューエフワンガムより簡易プラ組立てキット)等を発売。それらを発展させ、現在の玩具菓子市場の先駆けとなった。
1978年(昭和53年)発売の「ビッグワンガム」は、あくまで「おまけ」としてプラ組立てキットが付いていて、長期に渡って発売されるロングラン商品(休止中)となった。
その派生としてキャラクター物に進出。ボトムズガムとトランスフォーマーガム等の他、勇者シリーズ等のロボットアニメのプラ組み立てキット食玩も数多い。玩具メーカーの通常のプラモデル商品や玩具等で商品化が見送られたロボット、メカニック等も意欲的に商品化が試みられた。女児向けの商品も、プラ組み立て方式で遊びをテーマとした商品化が試みられた。
1990年代に、ぷよぷよのカードと人形付きの清涼菓子(ラムネ)「ぷよぷよラムネ」を販売している[5]。
1997年(平成9年)、デンマークの玩具メーカー・レゴ社の日本法人レゴ・ジャパンと提携し、レゴブロック付きの清涼菓子(ラムネ)を発売。また、フランスの玩具メーカー・マジョレット(Majorette)社のミニカーも継続的に(「おまけ」として)輸入・販売が継続されている[注釈 2]。女児向けのセボンスター(アクセサリー玩具)は、マジョレットミニカー同様のロングセラー商品として知られる。
2000年代には、『B-伝説! バトルビーダマン』、『爆球Hit! クラッシュビーダマン』といったビーダマンシリーズの食玩を発売したが、『爆球Hit! クラッシュビーダマン』の最終回を以って販売終了している。それからしばらく発売されていなかったが、2011年(平成23年)の『クロスファイト ビーダマン』より復帰されている。2013年(平成25年)の『ビーストサーガ』と『トレインヒーロー』を最後に再び終了した。それから3年後の2016年(平成28年)の『タイムボカン24』より再度食玩を発売されている。
2010年代にはタカラトミーの人気ブランド、トミカ・プラレールの食玩が発売されている。
他にもDVD・CD付きガム(食玩CD)など、バラエティに富む商品が発売されている。
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1952年(昭和27年)から7年間、カバの胴体を象った宣伝カー「カバ車(カバしゃ)」を使ったキャンペーンも行うなど、地方に本社を置く製菓会社としては異色の宣伝活動を行った。この「カバ車」は、排気量1000ccのトヨペットトラックのシャーシを利用した車両で[9]、カバの背中にカバヤキャラメルの箱を載せるというスタイルであった[10]。
車体製作は広島ボディーが担当[9]、設計にあたってはモックアップとして実物大のクレイモデルを作成し[10]、それに合わせて手作業で車体を製作した上で架装したが、製作に半年を要した[9]。標準的なベース車両の価格が当時約40万円だったのに対して、「カバ車」は1台約125万円であった[9]。15台が製造されたが、全て手作業による製作だったため、1台1台が微妙に表情が変わっていたという[10]。
完成した車両は、1952年(昭和27年)4月に岡山市立出石小学校[注釈 3]の校庭でお披露目を行った[10]上で、日本全国を走行し、話題を提供した[10]。山道で「カバ車」と対向した馬車馬が動かなくなったり、農作業中の牛が「カバ車」を見て暴れだした、というエピソードが残されている[10]。しかし、交通規制等の理由により[10]、「カバ車」は昭和30年代に全て廃車となった。現存する車両はなく、本社にミニチュアモデルが残されただけであった[10]。
一方で、1953年(昭和28年)から2年間、本物のカバの「カバ子」(後のデカ)を乗せた移動動物園を販促キャンペーンの一環として行い、日本各地を回ったこともあった。
その後「デカ」は2010年8月5日に石川県能美市のいしかわ動物園で死亡。推定年齢は58歳だった。人間に換算すると100歳以上で、動物園で飼育されているカバとしては日本最長寿、世界でも第2位の長寿であった[11]。
2006年(平成18年)、創業60周年の記念事業として「カバ車」復刻プロジェクトが始動。カバヤに持ちかけて当初この計画を立ち上げたのは兵庫県尼崎市にある工業高校の校長で、ベース車両はトヨタ・エスティマ。さらに移動動物園巡業に同行したカバ「デカ」(当時は「カバ子」)と「カバ車」を対面させるという計画もあった。
2011年(平成23年)、創業65周年の記念事業として「カバ車・ガールフレンド」を製作。カバ車2台の名称を「クッキーくん」、「チョコちゃん」に決定した。
サンライズとの提携に併せ同社は、1978年放映の『無敵鋼人ダイターン3』提供に参加。また、『勇者シリーズ』との関連性がある『エルドランシリーズ』(テレビ東京)でもスポンサーを担当している。なお、同業の森永製菓もスポンサーに参加している時期がある。2000年の『ニャニがニャンだー ニャンダーかめん』までスポンサーを担当していた。その後は森永製菓が『激闘!クラッシュギアTURBO』および『クラッシュギアNitro』にてスポンサーに復帰している。
いずれも提供枠は入っていないものの、パーティーシペーション扱いで対応
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