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日本の女優、グラビアアイドル、歌手 (1981-) ウィキペディアから
MEGUMI(メグミ、1981年9月25日 – )は、日本のタレント、女優、実業家、元グラビアアイドル、元歌手。本名:山野 仁(やまの めぐみ)[1]。
岡山県倉敷市出身(出生は島根県松江市)。倉敷市立中島幼稚園、倉敷市立中島小学校、倉敷市立倉敷第一中学校卒業。私立倉敷翠松高校(在学当時は女子高)中退。
もともとは歌手を目指しており、アメリカに短期留学して聖歌隊で歌うなどしていたが、「歌の才能はない」と先生に言われる。「それでも歌を出したければ、まず留学先でシリコン豊胸手術を受けて顔を売れ」と勧められ、グラビアに挑戦。最初は恥かしさもあり不安が大きかったが、プロにメイクやライティングをしてもらうことによって綺麗な仕上がりになることに納得し、撮影終了後に「楽しかった」と感じたことでグラビアモデルを続けることにした。芸名は最初の写真集を撮る際、連れていかれた現場での野田義治の「お前は今日からMEGUMIだ!」の一言で決定。
甲高いアイドル声と可愛さを前面に出す、というアイドル路線が一般的であった当時において、グラビア活動主体の新人タレントとしては、体型以外で飛び抜けたセールスポイントはなかった。しかしながら、よく通る声と、「おっさんトーク」とまで揶揄された核心に触れるトークで人気を博した。
2003年 - 2004年4月頃まで関根勤率いる「関根勤とパロディー集団」として『エンタの神様』にVTR出演。2003年12月、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際、司会の黒柳徹子がMEGUMIの大きな胸を触って、エンディングを迎えると言う前代未聞の演出があった(2008年及び2011年に同番組に再出演した際にもその話題が触れられた)。
2004年、所属事務所をイエローキャブからサンズエンタテインメントに移籍。その後は女優業にも進出。
2005年7月18日、ドラマの撮影でロケ地に向かう途中、マネージャーの運転する車の後部座席で横になっていたところ、後続のバス2台とトラックに追突されるという交通事故に遭い、恥骨のみ骨折と診断され、2週間ほど入院。入院中は医者が回診に来ては恥骨の辺りを触るが、来ないと寂しかったという。退院後は静養し、8月下旬仕事に復帰した。後に、フジテレビ系『森田一義アワー 笑っていいとも!』で「恥骨骨折をした」と語る。その入院中にMEGUMIを懸命に看病をしたことから野田社長に認められたのがはるな愛である。
イエローキャブ分裂時には事務所残留を希望したとされるが、野田義治の知人の紹介で入社した関係上、野田に付いて行かざるを得なかったとされている。
2003年7月16日、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」をダンスホールレゲエ調にアレンジし、日本のレゲエラッパーCORN HEADをフィーチャリングしたマキシシングルと、同曲を含む5曲入りのミニアルバム『MY NAME IS MEGUMI』を同時リリースし、念願の歌手デビュー。当時「見上げてごらん夜の星を」を平井堅もカバーアルバム『Ken's Bar』でカバーしており第54回NHK紅白歌合戦にて歌唱、MEGUMIの「見上げてごらん夜の星を feat.CORN HEAD」は、世間に広く認知された平井バージョンとは対照的に日の目を浴びることなくオリコン週間チャートにおいても最高位130位という結果に終わった。その後も、今度はCORN HEAD側からのオファーでフィーチャリングという形で参加したCORN HEAD名義のシングルでありラッツ&スター「め組のひと」のカバー曲である「め組のひと feat.MEGUMI」、Yellow Girls名義でリリースした「六甲おろし」のカバー「六甲おろし〜Yellow Girls Version〜」の他、2004年までにシングルを3枚、ケツメイシのRyojiやSILVA、"DOUBLE BLADES"名義のNao'ymtやshungo.、YANAGIMANといった第一線で活躍するアーティストや音楽プロデューサー、コンポーザー、リリシストがこぞって参加したフルアルバム『LOVE ALL PLAY』を相次いでリリース、歌手活動を継続したが、ヒット曲には恵まれず、オリコンチャート上位などには無縁であった。
『熱唱オンエアバトル』の特別放送にゲストとして呼ばれた。本人もこの番組が好きで大変喜んでいたが、ハリガネロックと息が合わずたじたじだった。また本人は「ファイナルで球を転がしたい」とも言っていた。
『くりぃむナントカ』などで突発的にPVが披露されたが、歌唱力が低いと失笑された。
2012年に「CALMA.」ブランドで子ども服のセレクトショップを展開[2]。これは上手くいかなかったが[3]、2016年には石川県・金沢でパンケーキカフェ「Cafeたもん」をオープン[4][3]。2023年現在も経営している[5]。
2020年代から映像プロデューサーとして映画・テレビドラマ制作にも積極的に取り組んでいる[6][7][8][9]。特に短編映画「LAYERS」(2022年、内山拓也監督)の制作において自身は出演せずプロデュース業に専念し、作品はショートショートフィルムフェスティバル&アジア2022にノミネートされた[10]。
2023年に単身でスペイン・バルセロナへ旅行した際には「スペインで日本人女性が主人公の映画を撮りたい」という願望が湧き、帰国後実現に向けて動き出した[11]。その一環として、まず『アナザースカイ (テレビ番組)』(現在の番組名はGoogle Pixel Presents ANOTHER SKY、日本テレビ制作)へのゲスト出演(訪問地バルセロナ)の企画を自らテレビ局に持ち込んで実現させ、2024年に当地を再訪して映像関係者と交流する姿が放映された[12]。
2008年7月7日にDragon Ashのボーカル降谷建志と結婚。所属事務所を通じてマスコミ向けに発信されたFAXにて「赤ちゃんを授かったので、本日入籍しました」と発表した[13]。妊娠のため舞台『悪い冗談のよし子』を急遽降板した(代役は山田まりや)。2009年2月6日に第1子男児を出産した[14]。
2019年、映画『台風家族』と『ひとよ』の演技が評価され、第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞する[18]。
2024年、第35回日本ジュエリーベストドレッサー賞 40代部門を受賞する[19]。10月、第20回クラリーノ美脚大賞2024 オーバー40ty部門を受賞する[20]。
両親は男の子が欲しかったので、名前も「仁(じん)」と決めていた。今でも母は娘を「ジン」と、友達は「ジンちゃん」と呼んでいるという。本名は「仁」と書いて「めぐみ」と読む。
子供のときのあだ名は、四股名風の「メグの花」だった[21]。
岡山県育ちのため「おどりゃあ、ちばけな」(お前、ふざけるな)「でーれーうめぇ」(凄く美味い)などの岡山弁を話すこともある。
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