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日本の俳優・空手家(1933−2018) ウィキペディアから
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日[2][3] - 2018年〈平成30年〉12月19日[4])は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段[5][6]。本名:
台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ[2][3]、福岡県柳川市へ転居[3]。福岡県立伝習館高等学校[3]、日本大学藝術学部演劇学科卒業[3][8][9]。竹内事務所に所属していた[10]。
父は職業軍人で、弟が二人いる[3]。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす[3]。
1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む[3][2]。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ[3]。1964年の劇団文化座退団以降はテレビドラマや映画で活動するようになった[2][3]。
1970年に『野獣都市』(東宝)で映画初出演以降は映像の仕事がメインとなるが、1973年の千葉真一主演の映画『ボディーガード牙 必殺三角飛び』に出演し、千葉と戦う敵を演じたことが転機となる[11]。
翌年の映画『激突! 殺人拳』では千葉真一の推薦により敵役に抜擢され[11]、同作では主演の千葉や監督である小沢茂弘の要望で格闘シーンに全て立ち会うなど、映画スタッフとしても貢献した[12]。これ以降、修行していた空手道の腕前を見込まれて、1970年代は東映の格闘映画やアクションドラマでも活躍した。大山道場の後輩でもある千葉は「石橋さんに蹴られると痺れるんですよ。石橋さんは強かったし、うまかったねぇ。でも、石橋さんとやると安心してアクションシーンができた[13]」と語っている。石橋は千葉が創設したジャパンアクションクラブで空手の指導もしていた[14]。
悪代官、悪徳商人、ヤクザ・盗賊・破戒僧などを始めとした時代劇の名悪役としても有名で、TBSドラマ『水戸黄門』ではゲスト出演者第4位の46回出演している。
特撮スーパー戦隊シリーズには『ジャッカー電撃隊』の鉄の爪(アイアンクロー)以降、『バトルフィーバーJ』、『科学戦隊ダイナマン』、『高速戦隊ターボレンジャー』(以上、悪役(幹部、首領等)レギュラー)、『鳥人戦隊ジェットマン』、『電影版 獣拳戦隊ゲキレンジャー』と6度に渡り出演した[6]。
1978年、萩本欽一司会の歌合戦番組『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ)に出演した際の人柄が萩本に評価され、1979年、萩本主演のバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(テレビ朝日)に萩本が住む住宅の隣人役でレギュラー出演。当時の紹介記事では「そのうち台詞も入れてくれるようなので楽しみです。どのように崩れてもコメディアンにはなれないので石橋雅史のままで出演します」と述べている[2]。
1963年に結婚し、一男あり[3]。自身のブログでは空手の修行を積みながら、後輩の育成にも取り組んでいることが書かれており、また、しばしば自作の俳句を掲載していた。
父親から柔道と剣道を幼少から習っていた[8]。伝習館高等学校在学中には柔道を修行し、日本大学芸術学部演劇科へ進学後、浅草にある剛柔流の道場に通うようになった[8]。やがて大学の剛柔流空手道部主将となり[9][16]、卒業後は同部の師範を務めていた[17]。剛柔流の先輩でもある大山倍達から頼まれ、大山道場と極真会館で師範代を役者修業の合間に引き受けることとなる[8][18]。本来なら剛柔流を脱退し独立した大山のところへ行く事は許されないのだが、大山から何度も頼まれたため、家へ帰る途中に道場があった事から「寄り道をした」ということにして指導をし始めた[9]。石橋は大山の伝説の一つ“10円玉曲げ”や[19]、1956年11月の田園コロシアムで大山が550キロの牛と戦ったのを見ており[20]、大山の高弟でもある。石橋の指導を受けた門下生には、後年極真会館の牽引車たる役割を担った者も多い。彼らは石橋の空手道や人柄をそれぞれ以下のように語っている。
石橋は白帯の頃の山崎を才能があると見込んで、合同稽古の後に手取り足取りマンツーマンで特別に教えていた[18][21][23]。極真会館が初めて開催した第1回オープントーナメント全日本空手道選手権大会で優勝した山崎は、第一報と喜びの報告を石橋へ伝えており、ワイン会社の顧問をしている山崎がワインを石橋に贈るなどその師弟関係は続いていた[23]。
その他の門下生では岡田博文・渡辺一久・藤巻潤・春山一郎[注釈 3]・大山泰彦、ジョン・ブルミン、千葉真一・郷田勇三・中村忠・加藤重夫・藤平昭雄・芦原英幸・添野義二らがいる。石橋は「武術は受けてすぐ攻撃しなければダメ。受けと攻撃で一つの動作なのです」と自身の武術観を述べ、その組手スタイルは変幻自在で「円を描く流麗な組手」と称された[18]。
子供番組で敵役を演じるにあたっては、不快感を与えるものではあってはならないという考えから、悪の論理や美学を見せることを意識しており、自分自身を投影していたという[26]。スーパー戦隊シリーズに関しては「現代のメルヘン」とも語っている[27]。
自身のスーパー戦隊シリーズにおける初の悪役レギュラーとなった『ジャッカー電撃隊』の鉄の爪(アイアンクロー)役の出演オファーがあったときは「何で自分の所に話が来たのかわからない」と戸惑ったという[28]。石橋は「当時は子供も小さかったので、学校でいじめられるんじゃないか」と懸念していたが、「やるからにはポリシーを持ってやろう」「悪には悪の論理があると、見ている子供達も興味を持つような悪役を作ることにした」と臨んだとも語っている[27]。アクションについては、一連のカラテ映画とは違い「子供に見せるために華麗な動きにアレンジしようと心掛けた」と述べている[28]。結果としては「子供ばかりか、私まで人気者になってしまいました」と語っている[27]。
『バトルフィーバーJ』のヘッダー指揮官は、第8話までは潮建志が演じていたが、潮が覚せい剤取締法違反(所持)の容疑で逮捕、降板することとなったため、第4話に別役(ネンリキ怪人の人間態)でゲスト出演していた石橋が急遽代役として起用されることになった[28]。この突然のレギュラー交代について、石橋は後に「第4話の時点では自分がレギュラーになることなど考えもしなかったので、話を聞いた時は戸惑った」、「私の芝居と潮ちゃんの芝居は全然違うわけですね。それは潮ちゃんの役者としてのパーソナリティがやっぱりあるわけで、私には私なりのパーソナリティがある。だから真似をするわけにはいかないんですね。私が出たら石橋の何かを見てもらいたいと思うのが役者ですから。その一方で、8話まで続いたものをコロッと変えてしまうと、観ている人はちょっと戸惑うんじゃないかという感じもありましてね。だから、あの役ばかりは最後まで苦しみました。」と語っている[28]。なお、後に潮の出演シーンは一部を除き石橋が演じる形で撮り直され、再放送や映像ソフト、動画配信では、そちらに差し替えられている(詳細はバトルフィーバーJ #ヘッダー指揮官の映像の差し替えについてを参照)。
『科学戦隊ダイナマン』で演じたカー将軍の人気は、親子でファンレターが届いたり、バレンタインチョコが届く程であった。石橋はこの事に関して「不思議に思うと同時に、自分のやろうとしてきたこと間違っていなかったのだなぁと、うれしく感じたものです」と述懐している[27]。
本人は上記の通り空手の達人だが、『仮面ライダーBLACK』で演じた高杉老人の役柄は、ある少年に空手名人と勘違いされて慕われる「偽の空手名人」であった。
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