Loading AI tools
日本の映画作品 ウィキペディアから
『多羅尾伴内』(たらおばんない)は、1978年公開の日本映画。小林旭主演、鈴木則文監督。東映東京撮影所製作、東映配給。併映『最も危険な遊戯』(松田優作主演、村川透監督)。
シリーズ二作目『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』も合わせて説明している。
企画は当時の東映社長・岡田茂[1][2][3]。1978年、小池一夫・石森章太郎による劇画作品『七つの顔を持つ男 多羅尾伴内』の連載で再注目されたことを受け[1][4]、これを原作として本格的な娯楽映画シリーズ復活を目指し[1][3]、東映のかつてのドル箱シリーズだった片岡千恵蔵の当たり役を小林旭主演でリメイクした[1][3][5][6]。脚本は原作・比佐芳武の弟子である高田宏治が担当したが[7]、先の劇画作品からのストーリーは使用していない[5]。監督の鈴木則文は、1975年に志穂美悦子主演の"女性版多羅尾伴内"『華麗なる追跡』を製作している[8]。小林旭が荒唐無稽なヒーローをてらいなく堂々と演じる他、ギターの流しに扮して歌うシーンもあり、他に八代亜紀、アン・ルイス、キャッツ★アイの歌唱シーンもふんだんに配された歌謡映画となっている[8]。当時のマスメディアには「金田一耕助の映画が次々にヒットを飛ばしているのに刺激されたのだろう」と評された[9]。
当初からシリーズ化を予定して年二本の製作を予定していた[1][3]。しかし一作目はクリーン・ヒットしたものの[6]、同年二作目『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』は、グロい殺人シーンの乱れ射ちに観客がついて来れず不入りに終わり[10]、リメイクは二作品で打ち切られている[5]。これ以降、今日まで"多羅尾伴内"は全く映画化されていない[5]。
超満員の観客で湧き返る東京K球場、ペナントレース優勝決定戦。九回裏逆転満塁サヨナラホームランを打った高塚が走り出した途端倒れ死ぬ。検死の結果、アイヌが熊狩りに用いる猛毒を使った針による他殺と判明する。翌朝、新聞社のカメラマン川瀬も同じ手口で殺された。川瀬の妹・ゆう子から伴内は真相究明を依頼される。伴内は調査を進めるうち、北海道でのある事件が関わっていることを突き止める[11][12]。
製作記者会見がワンパターンでマンネリ気味だったため[2]、趣向を凝らした製作会見が1978年1月25日に銀座東急ホテルで行われ、報道陣を楽しませた[2][3]。会場の椅子の上にはひとつひとつに主題歌・小林旭「霧の都会」のカセットとLPレコード『小林旭 ベスト・アルバム』のおみやげが置かれた。ザワザワと報道陣が席につくと、岡田東映社長をはじめとする東映首脳とクラウンレコードのスタッフが正面テーブルに着いた。しかし岡田社長の隣の中央にあたる「小林旭」と記された席だけ空席のまま。岡田社長の進軍ラッパが始まり、この年の正月第二弾『柳生一族の陰謀』の大ヒットの実績に立っての大作攻勢を発表、「今年は東映に神風が吹く」などと吹き、自身が学生時代に映画館に通いつめて見たという多羅尾伴内映画の歴史を説明し、「奇想天外な活劇をと一年前から企画し準備して来た。これを演じるのは小林旭君しかないと思った。監督は鈴木則文にやってもらう。ヒット・シリーズにする考えだ。明日からスタートする」等と製作の進行状況を話したところで、髪も髭もぼうぼうで、唇の両端から牙が覗く背中にこぶのある小男が会場に入って来て、「小林旭」と記された席に座った。岡田社長は何事もなかったように「東映は全力をあげて…」と話してる最中に、記者席の後方でガチャーンと大きな音、続いて明かりが全て消え、場内が真暗になったと同時に「キャー」と女の悲鳴。皆が後ろを振り向いたり、何だ何だとザワついているうちに明かりがつくと、小男が座っていた席に小林旭が座っていた[2]。小林は「役者だったら誰でもやりたいような役です。去年(1977年)の夏頃、岡田社長から話があり、二つ返事どころか、四つ返事で引き受けました。それから名古屋の御大(片岡千恵蔵)にも会いに行って秘策を授かってきました」等と話した[2][3]。鈴木則文監督は「"娯楽映画のルーツ"というべきこの作品を小林旭君との巡り合わせで作る、娯楽映画の故郷にも巡り合えるわけで超一級のものにしたい」等と話した[2][3]。
小池一夫・石森章太郎による劇画作品は使わず、1955年の東映作品『多羅尾伴内シリーズ 隼の魔王』(三番打者怪死)[13]を再構成し脚色した[4]。
1978年1月26日クランクイン[3][9]。冒頭の野球場のシーンは実際のプロ野球チームに似せたユニフォームを作成して俳優に着させて撮影している[8]。大騒ぎの客席は、王貞治の756号本塁打の日本テレビの映像の盗用[8][14]。鈴木監督は当時、盆と正月興行の『トラック野郎シリーズ』を手掛けており、その合間に撮影した。監督の鈴木則文は、本作の三年前に製作した志穂美悦子主演『華麗なる追跡』の劇中、志穂美に「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は!」の名ゼリフを言わせる場面があり、これに比佐芳武が「俺に断りもなく、なんたる無礼、絶対に許さん」と激怒した。鈴木は幸田清、天尾完次と一緒に比佐邸にお詫びに伺うと京都撮影所出身の三人の平身低頭に比佐はすぐ機嫌を直し、「わしの作品の中でやりたいものがあったら何でも再映画化してもいいぞ」と約束を取り付けていた[15]。
何といっても多羅尾伴内といえば片岡千恵蔵[16]。千恵蔵は東映から何らかの連絡があるだろうと待っていたが、全然連絡がなく激怒した[16]。この話が東映サイドに伝わり、プロデューサーが慌てて挨拶に出向いたが千恵蔵が「社長が来ない限り誰とも会わん」と門前払いを食わせた[16]。プロデューサーが岡田茂社長にこの話を伝えたら、「社長である私がなぜ一俳優に頭を下げなくてはならんのだ。その必要はない」と一蹴し、千恵蔵には著作権のようなものはなく、法的には何ら障害もないことから千恵蔵のクレームを無視した[16]。映画関係者からは「千恵蔵と小林旭を顔合わせさせるのが一番宣伝効果があったのではないか」と疑問の声が上がった[16]。
夏樹陽子がアイヌの女を演じ、復讐するアイドル歌手や野球選手のことを「ずっとテレビで見ていた。裁かれることのない日本人のアイドルたち」などと危ないセリフを吐きながらトリカブトで毒薬を作る[8]。ショッキングな三崎奈美が演じた穂高ルミの殺人シーンは香月弘美の事件をヒントにしている[8]。
怪奇連続殺人事件に挑む七つの顔!
ある時は片目の運転手
ある時は流しの唄い手
またある時は手品ずきのキザな紳士……など
しかしてその実体は…?
[17]
小林信彦は「西脇英夫さんが4月17日付けの『日本読書新聞』で絶賛されていたが、私も同感だ。今の時代に、真のスターは、小林旭と萬屋錦之介しかいないと私は思う。美人女優をえんえんとカメラがなめまわし、観客に心ゆくまで視姦を楽しませる映画があるように、男性スターを、ほれぼれと眺めさせ、それだけで1300円踏んだくる映画があってもいいわけだ。『多羅尾伴内』がこれである」等と評している[18]。
小林旭主演、山口和彦監督。1978年8月12日公開。併映『トラック野郎・突撃一番星』(菅原文太主演、鈴木則文監督)。
信州赤石山脈のある村の豪農・雨宮家で娘たちが次々に殺された。殺人現場あるいは死体の傍らには、いつも恐ろしい形相を彫り込んだ鬼面がくくりつけられていた。25年前、この雨宮家の跡取り娘・紀代が殺され、村の水車に半裸のままくくりつけられて以来、呪われたように殺人事件が続いていたのだった。鬼面村にやってきた伴内は早速事件の解明に乗り出す[6][19]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.