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日本のアナウンサー ウィキペディアから
山本 浩之(やまもと ひろゆき、1962年〈昭和37年〉3月16日 - )は、大阪府堺市出身(泉佐野市育ち)のフリーアナウンサー[1]で、元・関西テレビ放送アナウンサー。
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やまもと ひろゆき 山本 浩之 | |
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とんぼりリバーウォークにて(右は近藤光史) 2015年1月10日、今宮戎神社十日戎 | |
プロフィール | |
愛称 | ヤマヒロ |
出身地 | 日本・大阪府堺市 |
生年月日 | 1962年3月16日(62歳) |
最終学歴 | 龍谷大学法学部 |
所属事務所 | ピーエイチカンパニー |
職歴 |
関西テレビ放送 (1985年4月 - 2013年3月) |
活動期間 | 1985年 - 現在 |
ジャンル | 報道・情報・スポーツ・バラエティ番組 |
配偶者 | あり |
著名な家族 |
山本健太(長男) 山本大貴(三男) |
出演番組・活動 | |
出演中 |
『ちゃちゃ入れマンデー』 『ヤマヒロのぴかいちラジオ』 『ヤマヒロのぴかッとモーニング』 |
出演経歴 |
『アタック600』 『いつでも笑みを!』 『プライスバラエティ ナンボDEなんぼ』 『FNNスーパーニュースアンカー』 『たかじんのそこまで言って委員会』 『ちちんぷいぷい』 『茶屋町ヤマヒロ会議』ほか |
愛称はヤマヒロで、日本テレビアナウンサーの山本健太は長男、2020年度からアナウンサーとして関西テレビへ入社した山本大貴[2]は三男に当たる。
大阪府立佐野高等学校、龍谷大学法学部卒業後、1985年にアナウンサーとして関西テレビ放送に入社。入社後の1987年から奈良県奈良市に移住して、同局への在職中も奈良に住んでいることを公言している[3][4]。
実父は1925年(大正14年)の生まれで、大阪市電の運転士や大阪市の職員を歴任。37歳の時に浩之を授かった。
落語家の三代目・林家染二、朝日放送テレビゼネラルアナウンサーの中邨雄二とは、大学の同級生だった。大学3回生の時にアナウンサーを志して目指すようになる[5]。
関西テレビへの入社後に結婚してからは、長男・健太、次男・康介、三男・大貴の3人の息子を育てた。次男の康介は新聞記者で、現在は毎日新聞大阪本社に勤務[6]。三男の大貴は、かつて浩之が勤務していた関西テレビに、2020年度からアナウンサーとして入社している。大貴は、浩之が実父であることを伏せながら、同局のアナウンサー試験を受験。最終選考まで残った際に、苗字(山本)ばかりか自宅の所在地(奈良県)も浩之と同じことに気付いた役員から面接中に質問されたことをきっかけに、浩之の息子であることを初めて明かしたという[2]。
関西テレビへの入社後は、プロ野球の他、競馬などのスポーツ実況や、情報番組・バラエティ番組のリポーターなどを経験した。
入社から1990年秋までの5年半は、主に競馬番組での担当となっていた。しかし競馬中継→エキサイティング競馬ではこの頃に中継より勇退した鈴木敏郎の後任で実況を担当したものの、当時の主力が杉本清や馬場鉄志などのベテランアナウンサーであったことなどから、メインレースでの実況の機会は年間で数レース程度、それもメインレースが重賞競走でない場合に留まっていたが、放送開始直後に発走する、メインレースの1つ前の準メインレースでの実況をすることが時折あった他、その直後に発走する杉本や馬場が実況を担当していた重賞競走の場合のメインレースでは、ほとんどのゲートリポートを担当していた。
その後は、競馬実況に石巻ゆうすけが自身や馬場に次ぐ3人目のサブ実況で入り、さらに大橋雄介が山本の後任で入ったこともあり、スポーツから異動して報道・バラエティ番組を主に担当するようになったため、現在は競馬関連の番組には基本的に出演していない。
その一方で、『シュートinサタデー』『いつでも笑みを!』(毎週土曜日の午前中に関西テレビの本社スタジオから放送されていたFNS系列全国ネット番組)ではパートナーを務めた。
また、1997年10月から半年間、深夜番組『クロスファイア』の司会を務めたことをきっかけに、『プライスバラエティ ナンボDEなんぼ(ナンボDEなんぼ)』などのバラエティ番組で個性を発揮(後述)。2007年(平成19年)1月5日から2012年(平成24年)7月27日までは、関西テレビのポッドキャスト企画第2弾『ヤマヒロのアナ Pod cafe』のパーソナリティを担当していた[7]。
1990年10月に『FNNアタック600』(当時平日の夕方に放送されていたローカルワイドニュース番組)のメインキャスターに抜擢。同番組の後番組『アタック ザ・ヒューマン』でも、1997年9月までメインキャスターを務めた。
2002年には、『ほっとカンサイこの1年 NYリポート』(前年12月に収録・放送)で第18回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞。2006年4月には、『FNNスーパーニュースアンカー』の「アンカーマン」として、『アタック ザ・ヒューマン』からの降板以来8年半振りに平日夕方のローカルワイドニュース番組のメインキャスターに復帰した。
『ナンボDEなんぼ』が2009年12月で事実上終了してからは、ニュースキャスターとしての活動にほぼ専念。2013年までは、阪神・淡路大震災や東日本大震災を教訓とした防災関連の特別番組や、国政選挙の開票特別番組(関西ローカル)などでもキャスターを担当した。2012年2月13日から3月9日までは、『アンカー』の特別企画「雨ニモマケズをさがして -山本浩之 被災地を歩く-」で、東日本大震災で被災した福島県・宮城県・岩手県内に滞在しながら取材リポートを送っていた[8]。
『アタック ザ・ヒューマン』からの降板を機に、1997年10月からは、深夜番組『クロスファイア』の司会を担当。
『ナンボDEなんぼ』には、『アンカー』のメインキャスター就任後も、メッセンジャー黒田とともにスタジオ司会兼リポーターとして出演[9]。
『ナンボDEなんぼ』が2009年12月で事実上終了した後は、ニュースキャスターとしての活動にほぼ専念。2011年9月に岡本栄(現在の三重県伊賀市長)が定年で関西テレビを退職してからは、同局の現職アナウンサーで最年長に達していた。このため、山本がバラエティ色の強いトークやリアクションを披露するのは、『アンカー』17時台の一部企画、『ヤマヒロのアナ Pod cafe』(現在は配信終了)、深夜枠の特別番組、ゲストで出演する在阪民放ラジオ局の番組(後述)に限られていた。
関西テレビ(KTV)は2013年2月20日に、山本が同年3月31日付で退社することを発表した。山本自身は、退社を決めた理由として、「2012年に50歳を迎えたことを機に、今後のアナウンサー人生について想いを巡らせた結果、これまでやったことのない様々な仕事に挑戦してみたくなった」「(学生時代から関心の高かった)ラジオ番組で活動したい」と述べている[10]。
同年4月1日からは、『アンカー』のアンカーマンを続投する一方で、山本の妻が社長を務める個人事務所「PH(ピーエイチ)カンパニー」所属のフリーアナウンサーとして活動[11]。フリーアナウンサー転身初日の4月1日(月曜日)には、『スーパーニュースアンカー』の本番前に、『子守康範 朝からてんコモリ!』(毎日放送平日早朝の生ワイド番組)→『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(朝日放送平日午前の生ワイド番組)→『上泉雄一のええなぁ!』(毎日放送平日の生ワイド番組)の順にゲストで出演した[12]。
テレビでは、同年4月5日(金曜日)に毎日放送のスポーツ情報番組『カワスポ』の第1回へ出演したことを皮切りに、(KTVを含む)フジテレビ系列局以外の放送局制作の番組にも登場。転身後の半年間は、『アンカー』のアンカーマンとしての活動を優先するため、他の番組にはKTV時代と同じくゲストで出演することが多かった。
その一方で、2013年6月16日からは、大学の先輩・やしきたかじんが「委員長」を務める『たかじんのそこまで言って委員会』(隔週金曜日に収録する読売テレビ制作の討論バラエティ番組)に「副委員長」として登場。当時、病気療養中だったたかじん及び、それまで「副委員長」として出演していた辛坊治郎の代理扱いながら、KTV以外の放送局で初めてレギュラーを務めることになった[13]。なお、たかじんが2014年1月3日に死去した直後には、特別番組『たかじん追悼スペシャル そこまで逝って委員会』(同月25日放送)で辛坊・宮根誠司(朝日放送出身のフリーアナウンサー)と共に司会を担当している。
2013年9月27日には、「世代交代」や山本自身の意向(前述)などを理由に、『アンカー』のアンカーマンを降板[14]。2013年10月15日からは、毎週火曜日(2014年4月4日から金曜日)の夜間に、毎日放送(2021年4月以降の社名は「MBSラジオ」)の生ワイド番組『ヤマヒロのぴかいちラジオ』でメインパーソナリティを務めている[15]。ラジオ放送事業を運営していないKTVでアナウンサーとしてのキャリアを積みながら、毎日放送や朝日放送のラジオ番組に何度もゲストで出演してきた(後述)山本にとっては、この番組が地上波ラジオ番組での初レギュラーになった。
さらに毎日放送では、2014年4月7日から、『アンカー』と放送時間の一部が重なる『ちちんぷいぷい』のレギュラーに山本を起用。山本は、月 - 木曜日放送分で、全編にわたってメインパーソナリティを務めた(2015年7月までは毎日放送アナウンサー・西靖との共同司会扱い)[16]。
『ちちんぷいぷい』では、スタジオ進行(月 - 木曜日)やVTRリポート(水曜日 → 火曜日)などに加えて、『アンカー』のアンカーマン時代に携わっていた前述の取材も続けていた。2016年には、毎日放送が開局65周年記念特別企画の一環として10月13日(木曜日)から16日(日曜日)まで開催した「MBSプロデュース 豪華客船 神戸発着3泊4日の旅『ドリームズ・カム・クルーズ』」(クルーズ客船「ぱしふぃっくびいなす」のチャーターによる有料のスペシャルツアー)の全日程に同行。『ちちんぷいぷい』『ヤマヒロのぴかいちラジオ』(いずれも毎日放送制作)『あっぱれ!屋久島ツアー 神秘の島でパワーをもらっちゃおうスペシャル』(同局および南日本放送との共同制作・相互ネットによる毎日放送開局65周年記念特別番組)向けの生中継に登場したほか、船内でのイベントにも出演した。
2017年には、古巣のKTVで2月7日の深夜(2月8日未明)に放送された『大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語Part2 天満駅編』で、テレビドラマへの主演デビューを果たした[17]。
2019年には、3月16日の誕生日で57歳を迎えたが、同月21日(木曜日)で『ちちんぷいぷい』のメインパーソナリティを勇退。放送時間を短縮した同年の4月改編以降は、「今までにやったことがないことを60歳(2022年)までにやりたいので、(メインパーソナリティとしてスタジオで3時間55分もの生放送を進行するような)長い時間を要することや、しんどい(疲れる)ことは今後遠慮したい」という理由で、「ヤマヒロの人生初○○~いっぺん、これやってみたかってん~」や「ヤマヒロの京都美山里山ぐらし」(いずれも月曜日に放送されるロケ企画)のリポーターに専念していた[18]。その一方で、5月24日(金曜日)から26日(日曜日)までABCホールで上演された「黒田たもつPresents フードコートのランスちゃん」(公私共に親交の深いメッセンジャー・黒田有の脚本によるオリジナル作品)で、舞台作品としては初めての主演を経験した。『ちちんぷいぷい』では2020年10月1日から「スポーツ偉人伝心」(月に1回のペースで木曜日に放送されていたアスリートへのインタビューロケ企画)を担当していたが、2021年3月12日(金曜日)で番組自体が終了。その一方で、三男・大貴のKTV入社が内定してからは、同局が制作・関与するテレビ・ラジオ番組で大貴との「父子共演」が相次いでいる。
なお、MBSラジオでは1974年4月8日(月曜日)から平日の午前中に50年間放送してきた『ありがとう浜村淳です』(平日版)を2024年3月29日(金曜日)で終了。翌週(4月1日)から、山本の新たな冠番組として、『ヤマヒロのぴかッとモーニング』という生ワイド番組を平日版の最終放送枠(8:00 - 10:00)に編成している[19]。山本が平日の帯番組をレギュラーで担当することは、テレビを含めても『ちちんぷいぷい』メインパーソナリティからの勇退以来5年振りである。
趣味は将棋、ギターの演奏、アウトドア[39]、ゴルフ。『ヤマヒロのアナPod cafe』や、メインパーソナリティへの就任発表を兼ねて初めて出演した2014年3月18日放送分の『ちちんぷいぷい』では、特技として歯笛を披露した。
ギターについては、KTVのアナウンサー時代からフォークバンド「エルキュール上野とアフターアワーズSHOW」のメンバーとして活動している[40] ほか、『クロスファイア』でかつらの着用を告白した際にもVTRの中で演奏している。『アンカー』の水曜コメンテーターの青山繁晴が主宰している「インディペンデントクラブ」のイベントで、青山とのジョイントライブを実施したこともある[41][42]。
『ちちんぷいぷい』総合司会就任後の2014年5月3日(土曜日)に服部緑地野外音楽堂で開催のジョイントコンサート「春一番2014」初日公演には、「エルキュール上野とアフターアワーズSHOW」のメンバーとして出演するとともに、ギターの独奏も披露[43]。『ちちんぷいぷい』の放送期間中には、番組と縁の深かったLittle Glee Monsterとのコラボレーションステージを、自身のメインパーソナリティ担当最終日(2019年3月21日)にスタジオ、最終回の前日(2021年3月11日)に大阪城ホールからの生中継で実現させている(山本はいずれもギターの伴奏でステージに参加)。
また、KTVアナウンサー時代の2008年11月16日には、同局主催のライブイベント「Livejack Special Stories -Drama×Songs-」のサプライズゲストとして大阪城ホールのステージに登場。「(同イベントに出演していた)ET-KINGの新メンバー」という触れ込みで、ET-KINGの楽曲『愛しい人へ』を同グループと一緒に熱唱した。「ドリームズ・カム・クルーズ」2日目(2016年10月14日)の夜に「ぱしふぃっくびーなす」の中で開かれた「堀内孝雄スペシャルライブ with 山本浩之」でも、堀内と一緒に、乗客の前で歌やギターの演奏を披露している。
早起きが大の苦手であることを公言していて、KTVのアナウンサー時代から早朝の生放送番組のレギュラー出演を固辞していたが、フリーアナウンサーに転身してからはイレギュラーで出演。2024年4月からは、MBSラジオで平日の早朝に生ワイド番組(『ヤマヒロのぴかッとモーニング』)のパーソナリティをレギュラーで務める。本人曰く、「起床してからエンジンが掛かる(本調子になる)までに時間がかかる体質で、イレギュラーでの出演であれば起床に支障はないが、早朝の帯番組にレギュラーで出演しても週に2 - 3日は寝過ごしそうで怖い」とのことだが、MBSラジオから浜村淳の後継者(『ヤマヒロのぴかッとモーニング』のパーソナリティ)になることを打診された際には「光栄な話」として快諾したという[38]。
KTVのアナウンサー時代から、柏木宏之(毎日放送アナウンサー→嘱託を経てフリー)、上泉雄一(毎日放送アナウンサー)、三代澤康司(朝日放送テレビアナウンサー→定年後フリー)、森たけし(読売テレビアナウンサー→定年後フリー)と親しく交流している。早起きが苦手でありながら、『ちちんぷいぷい』メインキャスター勇退後の2019年8月からは、森が金曜日の『朝生ワイド す・またん!』を休演する場合にメインキャスター代理を務めていた。
KTV時代には、柏木・三代澤・森とともに落語講演会で同席。山本が『上泉雄一のええなぁ!』に電話で出演したり、『ヤマヒロのアナ Pod Cafe』に森をゲストに迎えたりしたこともある。さらに、所属局のチャンネル番号(リモコンキーID)にちなんだ「10ちゃん8ちゃん」というコンビ名で、森と共に漫才を数回披露していた[44]。2014年4月から2019年3月まで『ちちんぷいぷい』で共演していた西や、2017年9月まで同番組でニュース解説を担当していた石田英司とも、KTVのアナウンサー時代から酒席を共にするほどの面識があった。大学時代に通っていた生田教室出身の在阪アナウンサーとも親交が深い。
フリーアナウンサー転向の初日には、放送時間の一部が重なる『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』と『上泉雄一のええなぁ!』へ立て続けに出演(前述)。2013年6月1日には、大阪市淀川区のシアターセブンで、有料のトークイベント「三代澤康司 × 山本浩之 × 森たけしLIVE『二ヶ月贈(おく)れの卒業式』」を開催した[45]。2014年3月21日には、読売テレビの番組と連動した落語会「平成紅梅亭 東西特選落語会 上方 夕の部」(森之宮ピロティホール)で、森と共に「ぴっかりメガネ」というコンビ名で本格的な漫才を披露した[44][46]。
いずれも毎日放送→MBSラジオで放送
以下の番組には、「ドリームズ・カム・クルーズ」の3日目(2016年10月15日)に、ツアーの最終目的地・屋久島(鹿児島県)からの生中継で出演。
以下のアナウンサーは、関西テレビ時代の山本の上司で、後に同局を定年で退職。退職後は山本と同じく、フリーアナウンサーとして活動している。
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